【一つ目の『今日』――嘘つきと魔女】

【一つ目の『今日』――嘘つきと魔女】①

 京谷要はドアノブをひねり、303号室の扉を開けた。

 扉の先は部屋ではなく、どこかの喫茶店に繋がっている。あるのはテーブルと椅子とカウンター。その他には少しかたの古いレジと蓄音機。まるで何十年も前にタイムスリップしたかのような、そんなな喫茶店だった。

「……」

 要はしばし隔離棟の廊下から、その店の中を見つめる。

 店の外は明るく、日差しが店内を照らしている。昼を過ぎたぐらいの時間だろう。しかしそんな明るい時間にもかかわらず、他の客や店員は見当たらない。

「何の用かしら。入るなら早く入ってちょうだい」

 と、店の中から声が聞こえた。要はそちらに目の焦点を合わせる。入り口から一番遠いテーブル……そこに、女が椅子に座って外を眺めていた。

「……」

 要は意を決したように、店の中へと足を踏み入れた。扉を閉め、足の裏をすべらせるようにして女の元へ歩み寄る。

 その顔にいつものような余裕は一切浮かんでいない。張り詰めた緊張を浮かばせている。

 着ている服もいつものだらしない格好ではなく、白いTシャツの上に暗い色のパーカー、しっかりした素材のズボンという服装だった。履いているのもかかとを踏んだ靴ではなくブーツである。腰には目立たない色のポーチを腰に巻いており、肩には散弾銃の紐を引っかけている。軽装けいそうながらも、今から山に入って狩猟しゅりょうでもするかのような風貌ふうぼうだった。

 この日の日付は、七月十五日。小夜がこの部屋の扉を開ける、二日前の出来事である。

 要は女に歩み寄りながら、ここへ来る直前のことを思い返していた。


「本当に行くのかい?」

 そう言ったのは東條である。場所は居住棟の奥、東條の家の書斎だ。

「うん。行きたくないけどね。行かなきゃ、室長さんに何言われるか分かんないから」

 と、ソファに座った要は手袋をはめた手で分解した銃身を持ち上げ、汚れがないか中を覗く。

「特別捜査官……だったかい? ずいぶん出世したものだね、『虚言者きょげんしゃ』」

「やだなあ。その呼び方はやめてよ」

 要は苦笑する。成人男性にしては少し高く、やわらかい『京谷要』としての作った声で答える。

「僕だってまさか、捜査官になるとは思わなかったよ……っと、よいしょ」

 分解した部品をはめていく。銃の先台さきだいを引き、から薬莢やっきょうが弾き出されるはいきょうぐちを覗く。すすよごれとなまりが付着していないかを目で見る。ついこのあいだにも銃を部品ごとに分解して手入れしたため、まったくと言っていいほど汚れはついていなかった。

「去年は一年もかかってギリギリだったんだ。あの事務所の能力者を僕が見つけていなければ、君は死んでいたんだよ」

「はいはい。そうだね。ありがとう」

 気持ちのこもっていない礼を言い、要は銃の先台から手を離して整備を終える。銃を近くに立てかけ、広げたシートの上に並べていた道具を片付け始める。

「君が本当に他の能力者を殺せなかったら一年で死ぬか、ちょっと興味があったんだけどね」

「やめてよ。それは冗談でもひどいんじゃないかなあ。僕だって傷つくよ」

 道具を片付けながら、要は軽く返す。口ではやめてと言っているが、東條の言葉が冗談だと分かっている声だった。

「君なりの事情があるなら、あの部屋に行くのは止めないよ。対価支払い中の僕には、君を止められないけれどね」

「自分が動くより、他人の行動を見るほうが好きだからでしょ?」

 要がお返しとばかりに言った。東條は答えず、静かに笑うだけである。

「彼女も君が来るのを待っているだろう。あの『魔女』は、簡単に帰してくれないよ」

「分かってるよ。どうせまた……あの賭けだ」

 要は手にはめていた手袋を取り、道具箱の中にしまう。入れ忘れたものがないか床を一通り見回すと道具箱の蓋を閉め、ソファの横に置いた。置いた場所は、ソファに座っても死角になって見えない位置だ。

「ああ。トロッコ問題だね。五人と一人。どちらを選ぶかの選択問題」

「トロッコ問題『ふう』でしょ? あんなの選択になんてなってないよ」

 散弾銃の紐を肩に引っ掛け、要が立ち上がる。横に置いておいたポーチを、腰に巻く。

「行きたくないけど、室長さんが怖いから行かなきゃね」

「怖いのは、その人だけじゃないだろう?」

 と、東條が聞いた。眼鏡越しに、要の顔を見つめる。要の姿が、ジジ、とぶれる。東條の目には「嘘」で隠された、要の本当の姿が見えている。

 要は二つの黒い目を歪ませて、

「なに言ってんのさ。僕、嘘つきだよ。怖いものなんてないよ」

 笑いながらそう言った。もちろん東條には彼の言葉は、作った声ではない本当の声で聞こえている。そして聞こえたその言葉が、嘘かどうかも分かっている。

「……そうだね。君がそういうのなら、そうなんだろう。君は嘘つきだ」

 と、東條は言った。彼の本心を知りながら、それでも優しく見守るような声色だった。

「お店のほうは凪沙なぎさちゃんに連絡してあるから、そこは大丈夫だよ」

「分かった。気をつけてね。もしも君がどこに行ったかって他の人に聞かれたら、正直に伝えたほうがいいのかな?」

「それは任せるよ。たいていの人は303号室に行ったって言ったら分かるでしょ」

「そうだね。なにせあそこには……恐ろしい『魔女』がいるからね」

「そうそう。死ぬのが大好きな『魔女』がいるからね」

 要も同意し、同じようなことを言う。二人の会話がそこで終わりかける。と、二人がいる書斎にアカリが顔を覗かせた。

「おいジジイ、外出許可の希望日書けたぞ……ってクソボケのカナメじゃねえか。なんでここにいるんだよ」

 アカリは要の顔を見るなり、そんな言葉をぶつけた。そして要の格好を足先から見上げていく。

「……なんだその格好。猪でも狩りに行く気かよ。オレは行かねえぞ」

「猪じゃなくって、咲子さんの所だよ」

「狩りに行くという点では、魔女まじょりなのかもしれないね」

 と、東條が口を挟む。

「笑えねえ。ババアに殺されちまえ」

「あ、そんなこと言っていいのかな? また『ババア』って言ってたって、咲子さんに言うよ」

「うるせえ。黙れクソボケ」

 アカリは要に中指を立てた。

「じゃ、東條さん。そういうわけだから行ってくるね。僕がいない間また、僕が何日で帰ってくるか、っていう賭けをしないでよね」

「それはどうかな。賭けることしか楽しみがないものでね」

「はいはい。いい趣味してる」

 適当に返し、要は書斎を出て行く。そのまま敷地内を通って、隔離棟へと移動したのだった。


 要は椅子に座る女……303号室の能力者、榎宮咲子の少し先で足を止める。

「今日もいい日ね。何も変わらない、いつもと同じ日だわ」

 肘をついて窓の外を見ながら、咲子が言った。

「……」

 要も窓の外へと視線を向ける。

 一番に目に入るのは、最上階に観覧車が設置された大型百貨店。その下には大きな通りと路面電車の線路。路面電車は停留所でもないのに線路の真ん中で停止している。その横に並ぶ二十台ほどの自動車も、なぜか全てが動きを止めている。

「今日も一人で来たの? 三年前に私に負けて秘密を全部知られちゃったくせに。よく一人で来られたわね」

 そう言って咲子は、ふふ、と笑い、要のほうへ顔を向けた。

 咲子の顔だけを見ると、年のころは二十代ぐらいに見える。整った顔立ちの持ち主だ。

 しかし咲子が着ているのは、まるで女学生じょがくせいが着るような黒のセーラー服である。彼女の顔立ちや雰囲気と比べると、その格好はどこか吊り合っていないように見える。

「あなたの活躍は東條さんから聞いているわよ。この前も能力者を一人殺したみたいね。どうだった? 強かった?」

「……レイジ君は、あんまり強くなかったよ」

 咲子の反応を見ながら、要は答えた。

「そう。その名前どこかで聞いたわね……ああ、ここにいた能力者ね。乱暴に扉を蹴ってここに来た人だわ。ムカついたからちょっと遊んであげたら……真っ赤な顔でナイフを見せてぶるぶる震え始めるんだもの。あれは面白かったわね」

 咲子は一人で言い、一人で笑う。

「それで? その人を殺して一年間は死ななくなったあなたが、今度は私に何の用かしら。コーヒーを飲みに来たってわけじゃなさそうね」

 咲子は、要が肩に引っ掛けている散弾銃を一瞥いちべつする。

「私と勝負するにしても、あなたの秘密は全部勝負で取っちゃったわ。あなた、賭けるものがないじゃない」

「僕が三年前に渡した……あれだ。青色のUSBメモリ。あれを返してほしい」

「あら、あれなの。萃さんが集めていたっていう。どうして今になって、それが欲しいの?」

「……持って来いって言われたんだ」

「誰に?」

「室長さんに……」

「まあ。あの人、怖いものね」

 咲子はくすくす笑った。

「いいわよ。あれ、返してあげても。あれなら私の家にあるわ。ここから歩いて二十分ぐらいだから、今から取りに行こうか? それとも一緒に来る?」

 咲子は微笑みかけながら聞いてくる。そこには何の警戒も浮かばせていない。

「……嘘でしょう?」

 と、要は言った。要には咲子のスカートの左ポケット……その中に、目的のUSBメモリが入っていることを対価で読み取っている。

「あら残念。バレちゃった」

 と、咲子はあっさり認め、ポケットからそれを出した。

「ねえ、――くん」

 と、咲子は言った。途中でザザ、という激しい雑音ざつおんが走り、誰の名前を呼んだかは分からない。

「……今は京谷要だ」

 要の顔がさらに張り詰める。その姿に、ジジ、とノイズが走る。

「どっちも同じじゃない。――と京谷要なんて」

 またもやザザ、と雑音が入って、咲子が『京谷要』の前に誰の名前を言ったかは聞き取れなくなる。

「僕は要だ。その名前の泣き虫じゃない」

 要が言い返す。雑音でかき消された名前にどこか嫌悪けんおを感じているような、そんな顔を浮かばせる。

「ここで『かなめ』なんて名乗るのは、よっぽど挑戦的よ。ここにいる人たちの恩人の名前を、よく分からない嘘つきが名乗っているんだから。だからあなた、みんなから嫌われるのよ」

「……」

 咲子が言った。要は黙る。言われずとも、そのことは知っていた。だから『京谷要』になってから、ここで勝負を挑んでくる能力者がえない。そのほとんどが「その名前を名乗るな」と怒りをあらわにしてきた。

「まあいいわ。……かなめくん。あなたはここがどういう世界か知っているのに、取られた物を取り返すためにここへ来た。ということは、その選択を自分でしたっていうことね。

 ふふ、『確率』のエドワードさんに言わせれば、それもまた確率の一つ。それもまた賭けの一つ……かしら。あのおじいちゃん、二年前にあなたが殺したんでしょう? 東條さんから聞いたわよ」

「……」

 要は無言のまま、肩に引っ掛けている散弾銃に弾を入れようとする。それを一瞥し、咲子は一人でしゃべり続ける。

「一年前にあなたがこの世界を出てから、私、ずっと暇だったのよ。アカリ君や東條さんは来てくれるけど、みんな店まで入って来ないし」

 しゃべり続ける咲子を無視し、要が、散弾銃に弾を込める。先台を引いてコッキングしようとした時。

「だからかなめくん。私とちょっと賭けでもしない?」

 そう提案された。要の手が止まり、彼はすぐに、

「うん。いいよ」

 と、その勝負を受けた。ほぼ無意識な返事だった。

「じゃあまず、その銃は危ないから横に置いておきましょうか。それ、もう何時いつでも撃てるの?」

「ああ。あとはコッキングして引き金を引けば撃てる」

 要は当たり前のように答え、弾を入れた散弾銃を、銃口を上に向けてカウンターに立てかけた。

 おかしな光景である。咲子が口にしたたった一言が一瞬にして二人の関係を対等なものにし、銃を持っている要を丸腰にし、二人を同じ土俵どひょうへと引きずり落としていた。

「……何の勝負?」

 立ったまま、要が聞いた。先に「賭け」と言われてしまった以上、もうこの勝負からは逃げられない。何の勝負を言われるのかと、要の顔に緊張が浮かぶ。緊張が表に現れるように、ジジ、ジ、と姿が乱れる。

「そうねえ……」

 と、咲子はあごに手を当てて考えている。

「トロッコ問題って知っているかしら。二つに別れた線路の先に、五人の人間と一人の人間がいるわ。列車の分岐器ぶんききを動かせばどちらかに突っ込むけど、もう片方は生き残るっていうやつね。それを元に、選択問題をしましょう」

「前と同じ賭けじゃないか。この世界にいるもう一人を殺すこと。確かそれでしょ?」

「ええ、そうね。選ぶべきものは最初から決まっている賭けだわ。この世界がどういう場所か、それが分かっている人間には、答えなんて分かりきった賭けね」

 と、咲子が言う。表情にはかすかな笑みが浮かんでいるが、その声には何の感情も乗っていなかった。

「あなたが勝ったらここから出してあげるわ。あなたの欲しいこれも、ちゃんとあげる」

 咲子は指でつまんでいたUSBメモリを、要に見せる。

「一年前にもやった賭けだ。勝ち方はもう知ってる」

「そうね。一年前は、時間はかかったけど、あなたは私に勝ったわ。今回も上手くいくといいわね」

「……僕は一回でこの世界から出たはずだ」

「あなたの中では一回目だけど、私の見てきたあなたは、七回は死んでいたわよ。それで、八回目でここから出たわ」

「……嘘だ。ありえない」

「そう思うなら、私の記憶を読んでみたら? できるのならね」

 咲子はふふ、と笑う。咲子に本名を知られている要は、彼女が考えていることや彼女の記憶を探れない。要は黙ったまま、咲子を見つめるしかできない。

「一度やった賭けなら、すぐに終わらせられるわよね。でもその前に、」

 と、咲子は言った。

「もう一つ、私と賭けをしない?」

 咲子は要の返事を待たずに、チェス盤と駒の入った箱をテーブルに準備していく。要は当然、すぐにこう返した。

「ああ、いいよ。その賭け、やろう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る