人を助ける理由

そらから

人を助ける理由

 街中で誰かが倒れても駆け寄らずノイズキャンセリングのヘッドセットのせいで何も聞こえないんだと、その場を立ち去るように生きてきた。自分と他人、お互い干渉することなく生きていくのが普通だろうと。


 しかし世の中は助け合いで成り立っている、情けは人の為ならず……無償で人を助ける行為は美辞麗句を並び立てて称賛される


 雨の日に大型トラックにぐしょ濡れにされたとき、大丈夫ですかとハンカチを差し出されたときは走って逃げた。なにか下心があるのかと。

 自転車に接触して倒れたとき、逃げた自転車に必死に怒ってくれた人から一目散に走って逃げた。おかしな人なのかと。

 水たまりのそばを歩いていた俺が悪いし、前を見ずに歩いていた俺も悪い。どう考えても自業自得なのに、あなたは悪くないよと言われることが怖かった。


 目の前で子供が転んで、足から血を出して大声で泣いていたらどうするか。子供は大人に守られて成長する、お前もそうやって守られて成長したのだから同じように守らなければならない……理屈は分からなくもないが、その通りに動かないと変な目で見られるのはなぜなのか。

 やらなくても良いことをやっていないだけで、なぜ怒られなければならないのか。


 そんな俺の部署に配属された22歳の後輩は、事あるごとに小言を言ってきた。「なぜ見て見ぬ振りをするのですか」「なぜちょっと声をかけてあげないんですか」と何度言われたことか。

 俺も社会人なので、仕事で質問されたり力を貸してくれと頼まれればサポートする。それが社会人としての責務だ。だが、困っている「かもしれない」という理由だけで時間を割くことが理解できない。サラリーの分を働くからサラリーマンだろう。


 そんな話をしながらのランチの帰り道に、後輩が通り魔から俺をかばってナイフで刺された。犯人はすぐに逃げ去った。なぜこんな俺を助けたのか。理解ができなかった。

 誰かが呼んでくれた救急車で病院に運ばれた。大量の血が地面に流れていた。警察から事情を聞かれても、上の空だった。理由をずっと考えていた。なぜ人を助けない俺が生きていて、助けた後輩が刺されたのか。

 だから、俺は後輩を助けることにした。犯人を見つけ出すために助力を惜しまなかった。

 同時に、気づいてしまった。俺はこれまで、誰かの命を救えていたのかもしれなかったのだ。なのに、自分のエゴでその機会を逃していたのだ。通り魔のように無差別に人を殺していたのだ。俺は、本当は人殺しだったのだ。

 自分が許せなかった。人殺しは、死ななければならないと思った。そして犯人が見つかった後、俺はビルから飛び降りた。ようやく、心の底から人を助けられたと思った。死ぬ前に気づけてよかった。


 だが俺は死ねなかった。九死に一生を得た。死んでいなければならなかったのに。



「先輩が無事で良かったです」


 病院の屋上で、ようやく話せるようになった車椅子の俺に、慣れない松葉杖をついた後輩が話しかけてきた。俺の心配をしてくれている。今だって、まだ満身創痍だろうに。


「先輩は理由を求めすぎです」


 俺は後輩が刺され、犯人を探し出す協力をした時にさえ理由を考えていた。どう考えても俺が刺されるべきだった場面で、後輩が刺された。俺はそれが許せなかった、自分が許せなかったのだ。自分が許せなかったから、人を助けたのだ、と。


「もし今動かなかったら、って思ったら体が咄嗟に動きました。それがそんなにおかしいですか?」


 見下すような目でもなく、諭すような目でもない。ただ、自分に正しくあろうとする目があった。


「刺されるかどうかではありません。二度と先輩と話せないかもしれないかどうか、です。取り返しのつかないことが起きるかもしれないと、直感的に思ったんです。そしたら、体は動いていました」


 俺が刺された未来もあったかもしれない。軽症で済んだかもしれないし、後輩の言うように死んでいたかもしれない。そうなったら、後悔していただろう、と。


「でも、案外打算的だったのかもしれません。もし私が動かなければ先輩が死んでしまうかもしれない、その時きっと後悔するだろう、だから助けた。こんな感じで先輩も、自分が許せないかもしれないという打算的な理由で人を助けたって良いんですよ」


 後輩は気遣ってくれている気がする。しかし、いくら理由をつけても咄嗟に動けるようになれる気がしない。そしてまた同じ失敗をして、誰かに怪我をさせてしまうのではないだろうか。そう思うと、やはり俺は死んでいたほうが良かったのではと思う。

 その時、少し強めの風が吹いた。後輩はバランスを崩し、地面に倒れ込みそうになった。俺は後輩を支えていた。


「ね? そんなに難しいことではないでしょ?」


 後輩がわざと倒れ込んできたのかは分からない。ただ、俺は理由など考える暇がなかった。

 俺は初めて、理由なく人を助けた。

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