破滅エンドを迎えた悪役令嬢は吸血鬼兄弟のメイドになって溺愛される
景山千博とたぷねこ
第一章
わたし、ルベーリア・オズボーンは生贄として捧げられることになった。
オズボーン伯爵の娘として生まれて十七年。何不自由なく暮らしてきた人生が、終わろうとしている。
父であるオズボーン伯爵は吸血鬼崇拝者で、吸血鬼一族と噂されるインバーテッド公爵家の協力者だった。
事実、インバーテッド公爵家の者たちは吸血鬼で、ある目的のために活動していた。
それは黒の王と呼ばれる存在の復活だ。
アルバート・インバーテッド。かつて吸血鬼の王として恐れられたが、聖女によって封印された伝説の存在だという。
わたしが生贄として捧げられるのは、黒の王を復活させるため。伝説の吸血鬼を目覚めさせるには、闇属性の魔力が大量に必要らしい。わたし、ルベーリア・オズボーンが持つ魔力の属性は闇。そういう理由で、わたしは生贄の一人として選ばれてしまった。
インバーテッド公爵家の屋敷内。薄暗い大広間で、黒の王を復活させるための儀式は始まった。司祭を名乗る人物の手によって生贄たちの血、正確にはそこに宿る魔力が、棺に眠る吸血鬼の王へと捧げられていく。
信じられないことだが生贄たちは全員、望んでその命を捧げているのだ。
もちろん、わたしもそうだった。……ついさっきまでは。
たぶんだけれど、わたしを含めた全員が、インバーテッド家の吸血鬼に精神を操られているのだと思う。中には心から望んだ人もいるかもしれないけど。
生贄になる順番を待っている間に、わたしの精神操作は解けてしまった。
司祭を名乗る人物が生贄たちの首を次々と……その凄惨な光景がショックだったのかもしれない。そして、わたしに起きた変化はそれだけじゃなかった。
わたしは、ある記憶を取り戻していた。簡単に言うと、前世の記憶というやつだ。
前世のわたしが暮らしていたのは、こことは違う世界。日本という国だった。
そこでのわたしは伯爵令嬢なんかじゃなくて、平凡なOL。あるとき事故に遭い、そしてこの世界にルベーリアとして生まれ変わったのだ。
そんな前世の記憶を思い出したわたしは、ある重大な事実に気がついた。
この世界……前世でわたしがプレイしていた乙女ゲームにそっくりじゃない?
わたしは前世でオタクだった。漫画やアニメ、ゲームなどなど、色々な物に手を出していた。中でも一番に好きだったのがゲーム。ジャンルは主にロールプレイングと……乙女ゲームをよく遊んでいた。
わたしが事故に遭う前日まで遊んでいた乙女ゲームは、『サント・ブランシュ~黒の王と白き聖女~』というタイトルだった。
魔法学校を主な舞台とした、剣と魔法のファンタジー物だ。
主人公は平民ながらに珍しい光属性の高い魔力を持つ少女で、物語は彼女が魔法学校に入学するところから始まる。
そして魔法学校で攻略対象たちと恋愛を繰り広げていくことになるわけだが……この乙女ゲーム、どのルートでも主人公や攻略対象の前に立ち塞がる『敵』が存在する。
インバーテッド公爵家。吸血鬼の一族だ。
ルートによって経緯は色々だけど、とにかく主人公たちはインバーテッド家の吸血鬼と戦うことになる。
物語の終盤、主人公はかつて黒の王を封印した聖女の生まれ変わりである事実が判明して……復活した黒の王を再び封印するためにインバーテッド家の屋敷に乗り込む。
そして主人公は攻略対象や仲間たちと吸血鬼を屋敷ごと封印するのだ。
わたしが生まれ変わった『ルベーリア・オズボーン』は、そんな『サント・ブランシュ~黒の王と白き聖女~』に出てくるキャラクターの一人だ。
役どころは……主人公のライバル。
主人公と同じ魔法学校に通う貴族のご令嬢。プライドが高くて我が儘。
平民なのに稀少な光属性の魔力を持ち、さらには高い才能もある主人公に最初っから敵意を剥き出しにして、とにかく突っかかる。
主人公と攻略対象の恋路を全力で邪魔する悪役令嬢……それがルベーリアだ。
で、このルベーリアは、どのルートでも同じ結末を迎える。
黒の王復活の生贄にされて死亡。それがルベーリアに用意された終わり。
つまり……わたしがこれから辿る道だ。
「いやいやいや」
わたしは思わず小声でそう囁いた。
ちょっと待って。こんな死亡の直前で記憶を取り戻すとか酷すぎない?
これじゃ破滅エンドを回避するとか普通に無理でしょ。
……本当に無理、なのかな?
生贄の列は、わたしの順番が回ってくるまで少しある。今のうちになんとか逃げ出せば助かるかもしれない。
でもなぁ……ルベーリアも一応、魔法学校の生徒だ。
だけど、はっきり言って魔法の腕はいまいち。
この世界が本当にゲーム通りなら、屋敷にはインバーテッド家の吸血鬼がいるはず。
なんとかこの大広間から逃げおおせたとしても、吸血鬼に見つかったら終わりだ。
うーん……前世の記憶を取り戻したことでルベーリアに……わたしに特別な力が目覚めていたりしないだろうか。……まあ、そんな都合のいいことないよね。
わたしの記憶が正しければ、もうすぐ黒の王が復活してしまう。
すべての生贄が捧げられるよりも前に、黒の王は蘇ってしまうのだ。ルベーリアの正確な死因は、復活した黒の王に血を吸われ尽くして……という訳だ。
なんてことだろう。
前世では事故で死に、生まれ変わってもこんな悲惨な結末を迎えるなんて。
次に生まれ変わるなら、もっとマシな運命を用意して欲しい。
ああ、そんなことを考えている間にも、棺の蓋が開こうとしている。
司祭が次の生贄を捧げようとしたとき、大きな音を立てながら棺の蓋が開いた。
ゆっくりと、中に眠っていた男の身体が直立する。
整ったオールバックの髪に、青白い肌。黒いマント姿をした、まさに『吸血鬼』って感じの男だ。
「お、おお……」
司祭が感極まったような声を出した。
「我らが王……つい……」
そこで、司祭の言葉は途切れた。
黒の王が素手で司祭を殴り飛ばしたからだ。
司祭の身体は屋敷の壁に穴を開け、そのまま外へと飛び出していった。
大広間は騒然となる。黒の王が次々と生贄たちを襲う。
そして。
ついに、わたしの眼前へと迫った。
血のように赤い瞳が、わたしを睨めつける。
――怖い。動けない。
黒の王がわたしの首筋に顔を近づけて――
「ガァァァァァァァァァァァァッ!」
苦しげな呻き声を上げた。
なに? なにが起こったの?
黒の王は忌々しげにわたしを突き飛ばした。
「きゃっ!」
わたしは強かに腰を床に打ち付ける。
黒の王は意味を要さない声を発しながら、壁にできた穴から飛び去っていった。
「……ど、どうなってるの?」
こんな展開、ゲームにはなかった。少なくとも、わたしは知らない。
でも……助かった?
「ううん……まだよ」
わたしは、自分に言い聞かせるように呟く。
とりあえず復活した黒の王に殺されずには済んだけれど、それだけ。まだ完全に危険が去った訳じゃない。
周囲に転がる生贄たちの亡骸をなるべく直視しないよう、わたしは立ち上がる。
早く、この屋敷から逃げ出さないと。
吸血鬼も怖いけど、もっと怖いのは『サント・ブランシュ』の主人公だ。
復活した黒の王……というか、吸血鬼一族インバーテッド家を、この屋敷ごと封印しにやって来るはずだから。
このまま屋敷にいたら、わたしも巻き込まれてしまう。せっかく助かったのに、封印されちゃうとか悲しすぎる。
だから、とにかく屋敷から離れなきゃ。『サント・ブランシュ』の主人公たちが、いつやって来るかわからない。もう訪れている可能性だってある。
「ゲームだと、どんな展開だっけ……」
……いや、ルートによって微妙に違うから、記憶は参考にならないか。
そもそも『ルベーリア』が黒の王に殺されていない時点で、もうゲームの記憶は当てにならないような気もするけど……いったい、どういうことなんだろう?
……わたしは小さくかぶりを振る。
今はあれこれ考えている場合じゃないんだった。まずはこの大広間を出よう。
わたしは大広間から廊下に出る扉へと近づく。
そして、おそるおそる扉を開いた。
廊下には誰もいない。しんと静まり返っている。黒の王はどこに行ったんだろう? 逃げる途中で出くわさなきゃいいけど……黒の王だけじゃなくて、他の吸血鬼にも。
わたしはそう願いつつ大広間を出ると、慎重な足取りで廊下を進み始めた。
前世の記憶が蘇ったわたしだけど、この世界でルベーリアとして生きてきた十七年間の記憶もちゃんと保有している。なので、出口までの道は問題ない。迷いなく慎重に、だけどなるべく急いで進んでいく。
やがてわたしは、広い玄関ホールに辿り着いた。屋敷の外までもう一息だ。
さっきから遠くの方で音がしてる。たぶん、戦いの音だと思う。
主人公たちが来て、黒の王や吸血鬼と戦っているのかも。急がないと。
わたしは物陰から周囲を確認する。……誰の姿もない。よし、行こう。屋敷の扉に向かって駆け出す。
「おい、止まれ」
不意に背後から声を掛けられた。心臓が飛び跳ねる。
そのまま走り去ればいいのに、わたしはどうしてだか足を止めてしまう。
背後から声の主が近づいてくる足音。わたしはゆっくりと振り返る。
「あ、貴方は……」
そこにいたのは美しい男性だった。
上質そうな黒いスーツを着た、背の高い美青年だ。
濡れたような艶を伴った黒髪。切れ長で、血みたいに赤い目がわたしを見下ろす。
驚くほど整った、彫刻めいた顔。肌は白く、とても綺麗だ。
年齢は二十代前半ぐらいに見えるけど、本当はもっとずっと長く生きているはず。
そう、わたしは目の前に現れた彼を知っている。
この美青年も、『サント・ブランシュ』のキャラクターだからだ。
名前はクロウ・インバーテッド。
インバーテッド家の長男……つまり黒の王アルバートの息子で、もちろん吸血鬼だ。
ゲームでは主人公たちの敵として登場する。
その目的は父親……黒の王を復活させること。
最終的には彼も屋敷ごと主人公によって封印されちゃうんだけど……その美しい見た目などから、敵なのに人気の高いキャラクターだった。『なぜ攻略対象じゃないのか』という声が多数あったほどだ。まぁ、わたしはさほど好きじゃなかったけれど。
「お前……その格好、父上の生贄に呼ばれた人間だな?」
その格好……わたしは今、生贄全員が着せられていた、フード付きの黒いローブを身に纏っている。たぶん、クロウにこちらの顔は見えていないはず。
「こんな所でなにをやってる? ……いや、それより父上になにがあった? 儀式はどうなったんだ? なぜ生贄になるはずのお前が生きている?」
クロウがわたしに詰問してくる。
「そ、それは……」
どうしよう……ありのまま答える? それとも逃走を試みる?
……ううん、逃げるのは無理だ。クロウは吸血鬼。とても強い力を持っている。
逃げ出したところで、すぐに捕まる未来しか想像できない。
でも、このままここで彼と話していたら……主人公によって封印されてしまう。
とにかく逃げないと。こうなったら、クロウにも状況をわかってもらうしかない。
「い、今は時間がないんです! ここにいたら、わたしも貴方も封印されちゃう!」
「は? なに訳のわからないことを……いや、封印ってまさか、あの女に……?」
あの女というのは『サント・ブランシュ』の主人公だろう。
「おい、お前」
クロウがわたしの手首を掴んで、自分の方へと引き寄せる。
その拍子にわたしがかぶっていたフードが脱げた。
露わになったわたしの顔を見て、クロウが微かに目を見開く。
なんだろう、この反応は。
いや、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「あ、あの……」
わたしが口を開いたそのときだった。
どん――と、突き上げるような揺れを全身に感じた。
それから地響きと共に、屋敷全体が激しく振動する。
「な、なにこれ……もしかして……」
「ちっ……聖女の封印魔法だ」
忌々しげに、クロウはそう口にする。
ああ、やっぱり。聖女……主人公が封印魔法を使ったんだ。
「は、早く屋敷の外へ!」
「もう遅い」
焦るわたしとは対照的に、クロウは諦観しきった声色で告げた。
「もう封印魔法は発動した。今さら屋敷の外に出たとこで、どうにもならない。じきに、俺たちも眠りにつく」
間に合わなかった。もう少しで屋敷の外に出られたのに……クロウが出てくるから。
「……そうよ」
「ん?」
「貴方がわたしを呼び止めたりするから!」
なんだか無性に腹が立ったわたしは、クロウに詰め寄る。
吸血鬼は怖いけど、どうせ封印されちゃうんだから関係ない。
「なんだそれは……だいたい、お前は自分の意思でこの屋敷に来たんだろう。自業自得だ」
「自分の意思? 違うわ、貴方たち吸血鬼が精神を操作して連れて来たんじゃない!」
「は? 俺はそんな指示を出した覚えは……な……」
クロウの言葉が途切れる。わたしの手首を握っていた彼の手が緩み、離れた。
「ちょ、ちょっと……?」
クロウが床に膝を突く。そのまま、彼はうつぶせに倒れ伏してしまった。
「あ……」
全身から力が抜けていく感覚に襲われ、わたしも床にくずおれる。
ああ……結局、破滅エンドからは逃れられなかった。
そりゃそうだよ。前世の記憶を取り戻すのがギリギリすぎる。
本当、次に生まれ変わるなら、もっとマシな運命にして欲しい。
あ、でも封印されるってことは死ぬわけじゃないから……転生もナシかも?
そうだとしたら酷すぎじゃない?
本当……恨むよ、神様……
なんてことを考えながら、わたしの意識は遠のいていく――
ドクン、と。
わたしの中で『なにか』が脈打つのを感じた。
目を開く。ぼんやりとした視界が、徐々にクリアになっていく。
「全部、夢オチ……」
というわけじゃなさそう。
わたしの目に映るのは、高い天井……ここはインバーテッド家の屋敷だ。
それより、この感覚なんだろう?
暖かい光のような『なにか』が、わたしの全身に広がっていくような――
これってもしかして、光属性の魔力?
でもこれ外からじゃなくて、明らかにわたしの身体から発生してるよね?
それは……あり得ないはずだ。
なぜなら、わたしが生まれ変わった『ルベーリア・オズボーン』が持つ魔力は闇属性なんだから。
『サント・ブランシュ』の世界では、生まれ持った魔力属性以外の魔法を使うことは原則できない。そういう設定だったと記憶している。
闇属性のルベーリアが、光属性の魔力を持っているはずがない。ないんだけど、でも現に今、わたしの内から溢れてくるのは光属性の魔力だ。
もしかしてこれって、『わたし』の魔力属性……なんだろうか?
ルベーリアの属性は闇だけど、前世である『わたし』の属性は光だったとか。
で、記憶を取り戻したことで光属性の魔力も目覚めた?
考えられるのは、それぐらいしかない。
というか今さらだけど……わたし、どうして意識を取り戻したの?
あのとき、わたしはたしかに意識を喪失した。主人公の封印魔法によって、眠りについたはず。もしかして、なんらかの理由で封印が解けた……とか?
……なんらかの理由って、なんだろう。
思い当たるのは、わたしに目覚めた光属性の魔力ぐらいだけど……それがどう作用してとかは皆目見当もつかない。
でもとにかく、わたしは意識が戻った。それだけは確かなはず。今こうして起きて、考えているわけだし。
「よいしょ……」
わたしは上体を起こした。うん、身体も問題なく動かせそう。ちょっと怠い感じはあるけれど。わたしは自分の身体を眺めてみた。まだ光の魔力が溢れているのか、なんか微かに光っているような気がする。
それはさておき、まずは今の状況を確認しないと。わたしは周囲を見回した。
「……あ」
まず視界に入ったのは、わたしのすぐ隣で倒れている男性だった。
そうだ、忘れていた。
クロウ・インバーテッド。吸血鬼一族の長男。
主人公の封印魔法が発動したとき、わたしより先に昏倒したんだ。
わたしは俯せに転がっているクロウに近づく。
「も、もしもーし」
呼びかけてみるけど……返事はない。まだ意識はないみたいだ。
わたしは怖々とクロウの身体に触れて、仰向けに転がしてみた。
「う……」
その端正な顔を顰めさせながら、クロウが小さく呻いた。
ゆっくりと目を開いたかと思うと、がばっと勢いよく起き上がる。
「……なにがどうなったんだ!?」
クロウは声を上げて、わたしの方を見た。
「おい、お前……封印魔法はどうなった!」
「さ、さぁ……?」
わたしは首を傾げる。
「もしかして……失敗したのか?」
クロウが口元に手を当てながら呟く。
あ、なるほど。そういう可能性もあるんだ。
わたしはなんらかの理由で封印が解けたって思い込んだけど……うん、失敗したってこともあり得るよね。ゲームではそんな展開なかったはずだけれど、この世界は色々と違いがあるみたいだし、十分に考えられる。
「……とにかく現状確認だ」
クロウはひとりごちて、立ち上がった。
それから、わたしには目もくれず颯爽と歩き出してしまう。
彼が向かった先は、屋敷の外へ通じる扉の前だった。
なんとなく、わたしもクロウの後を追う。
クロウは扉の前に立って、少し思案する素振りを見せてから、屋敷の扉を乱暴に押し開いた。
開け放たれた扉の外に見えるのは……いや、なにも見えなかった。
扉の向こうには、ただ真っ暗な空間が広がっているだけ。
夜の闇……とかじゃないみたい。
「な、なんなのこれ……?」
「ふん、聖女の封印魔法はしっかり発動しているみたいだな」
「え?」
ちらり、とクロウがわたしに視線を向ける。そして一つ息を吐くと、上着のポケットから一枚の銀貨を取り出した。
クロウは取り出した銀貨を指で弾いて、真っ暗な空間へと飛ばす。
回転しながら、銀貨は黒い空間に吸い込まれていって――
「あいた」
コツンと、わたしの後頭部になにかが当たった。
金属音を立てて、そのなにかが床に転がる。わたしは後頭部をさすりながら、床に落ちたそれを拾い上げた。
「え……これって?」
わたしの目がおかしくなっていないのなら、今しがたクロウが扉の外へ弾き出した銀貨にしか見えないのだけど……。
「あ、あの……どういうこと?」
指で摘まんだ銀貨を差し出しながら、わたしはクロウに説明を求める。
「説明しないとわからないのか」
「あ、はい、ごめんなさい」
面倒くさそうな表情を浮かべるクロウに、わたしは反射的に謝る。
「戻ってきたんだろう、その銀貨は」
「……戻ってきた?」
わたしは扉の外に視線を移す。
この真っ暗な空間に放り出されたはずの銀貨が、屋敷の中に戻ってきたってこと?
「どうしてそんな?」
「この屋敷が封印されてるからじゃないか? 外の世界と隔絶されているんだろう」
「は、はぁ……」
なんとなく、わかったような、そうでもないような。
「この扉以外から出られたりは……」
「無駄だろうな。窓の外を見てみろ」
言われるがまま、わたしは近くの窓から外を眺める。
「あ……」
そこには扉の外と同様、真っ暗な空間しか見えなかった。
「この屋敷は間違いなく封印されてる。それなのに、お前と俺は何故か目を覚ました」
「そう、みたいですね」
「要するに、お前と俺の封印が解けた訳だが……」
ふと、クロウが言葉を止める。
「ところでお前、ずっと平然としているが、怖くないのか?」
「いや、怖いですよ。屋敷、封印されちゃってるんですよね?」
外の世界と隔絶されているなんて……この先どうすればいいんだろう。
「もしずっとこのままだったら、水とか食べ物とか、どうやって調達したらいいのやらですし……」
「そっちじゃない」
「はい?」
「俺だ、俺」
クロウは親指で自分を示す。なんだろう。オレオレ詐欺かな。
「俺は、お前を生贄にしようとした吸血鬼だぞ。怖くないのか?」
「ああ、そういう……」
そういえば、そうだった。すっかり忘れてた……っていう訳でもないけれど。
なんだろうか。改めて言われてみると、わたしはクロウに対して、あんまり恐怖を感じていないみたいだ。どうしてだろう。
うーん……自分の中ではゲームのキャラクターっていう認識だから、っていうのもあるような気はするけど……たぶん、それだけじゃない。
クロウに、わたしへの敵意とか悪意みたいな物を感じないから……とか?
「どうなんだ、俺様が怖くないのか」
「まぁ、怖くはないです」
わたしは端的に述べる。するとクロウは、驚いたように目を瞬かせた後、柔らかな笑みを浮かべた。
「お前……おもしろい女だな」
「――ぶふっ!」
クロウの台詞に、わたしは堪え切れず吹き出してしまう。
「な、なんだ……なにがおかしい?」
「あ、いえ、ちょっと……」
まさか実際に「面白い女」と言われる日が来るとは夢にも思わなかったよね。
これで恋愛フラグが立ったりして……なんて、ないない。あるはずがない。
「ちょっと……なんだ?」
怪訝そうなクロウに、わたしはなんとか真顔を作って答える。
「なんでもないです、ごめんなさい」
「……まあいい。ところで女、お前、名前は?」
「ええと、……あ」
反射的に前世の名前を口にしかける。危ない危ない。
まあ、名乗っても別に問題はないのかもしれないけど……今のわたしはルベーリアなのだし、そっちを名乗るべきだよね。
「ルベーリア・オズボーンです」
「オズボーン? どこかで聞いたな……」
クロウが腕を組んで考え込む。
「……駄目だ、思い出せない」
「そ、そうですか」
オズボーン家、印象に残っていない模様です。
「ああ、そういえば……俺はクロウ。クロウ・インバーテッドだ。知ってるかもしれないけど、一応、名乗っておく」
うん、知ってます。
「特別にクロウ様と呼ぶことを許す」
これはまた随分と偉そうだなぁ。実際、偉いのかもしれないけど。
「ところで、だ、ルベーリア」
「はい、なんでしょう」
「あー……長いな」
長い? なんのことだろう?
「ルビィでいいな」
わたしが不思議そうにしていると、クロウがそう言い放った。
「ルビィ?」
「ああ、お前の名前だ。ルベーリアは長いだろ。だからルビィと呼ぶ。いいな?」
「はぁ……いいですけど」
断っても呼んできそうだし。
でも、たしかに『ルベーリア』は長いと思う。
ルビィ……ルビィか。うん、なんか可愛いし、むしろいいかも。
「で、ルビィ、ずっと気になってるんだが……」
「なんですか?」
「お前……なんか光ってないか」
「……ですよね」
この光は、わたしの魔力が溢れ出している物だ。
目覚めてから止めようとはしているんだけど、なんか出続けてる。
今更ながらの指摘に、わたしはただ曖昧な笑みを浮かべるのだった。
◆
目の前にいる女……ルビィの身体は薄らと光を放っている。
光の正体は、ルビィの魔力だろう。しかも光属性ときた。
ルベーリア・オズボーン、か。
この俺……クロウ・インバーテッドに対して物怖じしないうえに、稀少な光属性の持ち主とは、ますます面白い奴だ。
見た目もまぁ、悪くない。長くて赤い髪に、やや珍しい黒い瞳。気の強そうな顔立ちだが、整ってはいる。魔力が濃くて、血が美味そうだ。……だからなんだという話だが。
「……おいルビィ、どうしてずっと魔力を出してる?」
「目が覚めてから、止まらないんですよ」
困ったような表情でルビィはそう主張する。
魔力の放出が止まらない……か。なにかあるな、これは。
「そうか……おい、場所を変えるぞ」
「え?」
「こんなとこじゃ、落ち着いて話せないだろうが」
父上や兄弟たちの状況も気にはなるが……屋敷がこの状態なんだ。たぶん、同じく封印されている可能性が高いだろう。
それよりも今、俺が最も知るべきは、眼前にいるこの女……ルビィのことだろう。
聖女の封印魔法が――おそらくだが一部だけ――解除され、俺やルビィが自由に動けている、この現象。その鍵は他でもない、このルビィにあるはずだ。
そう思う根拠は、光属性の魔力。
あの聖女と同じ属性を持つルビィには、なにかきっと秘密があるはず。
その秘密さえ明かせば、屋敷の封印も解けるかもしれない。
「こっちだ、ついて来い」
「わかりました」
ともかく、俺はルビィをサロンにでも連れて行くことに決めた。
そこで、色々と話を聞かせてもらうとしよう。
ルビィを連れ、屋敷二階にあるサロンまでやって来た。
サロンの中央には、テーブルとカウチがある。
俺はルビィと向かい合って座った。
「さて、ルビィ。まず、お前に確認しておきたいことがある」
さっそく話を切り出す。
「なんでしょうか?」
ルビィが身構える。表情も声色も少し硬い。警戒しているのだろう。
「生贄になるはずだったお前が、どうして生きて、屋敷を出ようとしていた?」
俺とルビィが最初に遭遇したとき、こいつは屋敷の外へ出ようとしていた……と思われる。こいつは父上復活の生贄になるはずだった。
あの時点では、もう儀式は開始されていたはず。いや、すでに父上は目覚めていたはずだ。強い気配を感じたから、間違いない。つまり、ルビィが生きているのはおかしい。生贄になる前に逃げ出した可能性もあるが、それは考えにくい。
儀式を取り仕切っていたのは俺の部下だ。優秀な奴だった。あいつが、みすみす生贄を逃がすとは思えない。
「あのとき、儀式でなにが起きたのか……すべて話してもらおう」
ルビィは頷き、静かに語り始める。
「――と、いう訳なんです」
「なるほどな」
まだまだ不明な点は多いが、だいたいは納得できた。
「要するに、儀式は失敗だったのか……くそっ」
「失敗……なんですか? 黒の王は目覚めてましたけど」
「ああ、だけど暴れ回ったんだろう?」
「はい……それはもう派手に」
「もし正気なら、父上はそのようなことはしない」
俺は断言する。世間じゃ『黒の王』なんて呼ばれて恐れられているが、本当は――
とにかく、目覚めた父上には自我がなかったと思われる。だから儀式は失敗だった。
……くそ、なにが間違っていたんだ?
「……あの」
「なんだ?」
「わたしを襲おうとした黒の王は、どうして苦しそうにして逃げ出したんでしょう?」
ルビィの質問を、俺は鼻で笑う。
「そんなの、お前の魔力を吸いかけたからに決まってる」
話じゃ、父上はルビィの首筋に顔を近づけていた。てことは、こいつの血……魔力を吸おうとしていた訳だ。
だが、ルビィの魔力は光属性。父上にとって光属性の魔力は毒で……
「いや待て……おかしいだろ」
はっとなり、俺は思わずカウチから立ち上がる。
父上にとって光属性の魔力は毒だ。浴びるだけでも危険なのに、それを吸ったりなんかしたら……下手をすれば、完全に消滅してしまう可能性だってある。
そんな猛毒を、復活の糧になんて使えるはずもない。
じゃあ、なぜルビィは生贄に選ばれた?
司祭……俺の部下が、属性を確認せずに連れて来てしまったか?
いや、それはない。属性はちゃんと確かめるよう指示していた。そもそも、俺様の部下に、そんな間抜けは存在しない。
「どうかしたんですか?」
ルビィが、黒い瞳で俺を見上げてくる。
俺はカウチに座り直し、ルビィへ新たな質問をぶつけることにした。
◆
いきなり勢いよく立ち上がったかと思えば、おもむろに座り直す。
そんなクロウを見て、わたしは、なんか落ち着きない人だなぁと思った。
「ルビィ、次の質問だ」
クロウがこちらに鋭い眼差しを向けてくる。
今度はなんだろう? 正直、色々と訊かれても、わたしは困るんだけど。
「お前、どうして生贄に選ばれた?」
「え? それは……」
わたしは記憶を辿る。『ルベーリア』としての記憶だ。
この世界での父親……オズボーン伯爵は吸血鬼崇拝者だった。と、同時に権力の亡者でもあった。インバーテッドは公爵家だ。オズボーン伯爵としては、ぜひとも取り入っておきたい相手だろう。
わたしは父親と一緒に、何度かこの屋敷を訪れたことがあった。吸血鬼崇拝者たちが集まり、夜会を開いたりしていたのだ。『ルベーリア』が目を付けられたのは、その夜会でのことだ。ゲームにも、そういうシーンがあったように思う。
『ルベーリア』を生贄に選んだクロウの部下は、オズボーン伯爵にその話を持ち掛ける。インバーテッド家に取り入りたかった伯爵は、あっさりと娘を差し出したのだ。なんとも酷い父親だなぁ。というような説明を、わたしはクロウにした。
「……経緯はわかった。お前、魔力属性の確認はされたか?」
「属性の確認、ですか?」
たしか、されたような気がする。
「はい、属性を訊かれたので答えて……実際に魔法も使ってみせたはずです」
すでに精神操作されていたから、ちょっと記憶が曖昧だけど。
「……光属性の魔法をか?」
クロウは、なにやら深刻そうな口調だ。
光属性の魔法……ああ、そうか。あの時はまだ前世の記憶が戻っていなかったから、わたしの属性は闇だったよね、きっと。
どうしよう、前世の記憶……なんて話しても、理解してもらえるかどうかだよね。ここは適当に誤魔化しておこうかな。
「実は……わたし、元々は闇属性だったんです。その、いつの間にか光属性になってしまったみたいで……だから確認の時に見せたのは闇属性の魔法だったかと」
「なんだと?」
クロウが驚いたように目を見開く。
「属性の変化……そんなことがあり得るのか? しかし、そうだとすれば一応、筋は通るが……」
「あの、なにがですか?」
魔力の属性が変わったら、なにか問題でもあるのだろうか?
そういえばさっき、黒の王が逃げたのは、わたしの魔力を吸おうとしたから……みたいな話をしていたけど……
「ああ……お前が光属性なら、そもそも生贄に選ばれるのはおかしいと気づいてな」
……たしかに。闇属性の復活には闇属性の魔力が必要だもんね。
「父上……真祖の吸血鬼にとって、光属性の魔力は毒みたいな物だからな」
「そう、なんですか?」
だから、わたしの魔力を吸おうとした黒の王は苦しげに……
「浴びるだけでも辛いみたいだな。どうやら日光と同じような効果があるらしい」
「へぇ……って、あれ?」
ふと気づく。わたしはテーブルを挟んで目の前にいる相手の顔を、じっと見つめた。
「……なんだ」
「いえ、クロウ……様も、吸血鬼ですよね?」
「もちろん、そうだが?」
なにを馬鹿なことを……みたいな感じで返される。
いや、うん、吸血鬼なんだよね。それは、わかってるんだけど。
「クロウ様は平気なんですか?」
「なにがだ?」
「絶賛、わたしから溢れ出てる光属性の魔力ですよ」
吸血鬼にとっては毒で、浴びるだけでも辛いなら……クロウも今、その影響を受けているんじゃないだろうか。
……とか思ったんだけど、見ている感じでは、別に平気そうだよね。いや、もしかしたら、やせ我慢しているだけという可能性もある。
「……ああ、俺は真祖じゃないから、大丈夫なんだよ」
事もなげに、クロウはそう言った。
しんそ? そういえば、さっきもそんな単語を耳にしたような気がするけど……
「その間抜け面から察するに、よくわかっていないみたいだな」
「む……はい」
間抜け面とは失礼な。わかっていないのは事実だけれども。
「吸血鬼にも種類があるんだ」
「はぁ……そうなんですか」
「ああ。人間たちには、あんまり知られていないようだがな。で、俺は『真祖』じゃなくて『純血種』だから、光属性には耐性がある」
しんそ……ああ、真祖か。それと、純血種ね。なんか、どっちも吸血鬼モノで見たような気はする。
わたしがプレイした『サント・ブランシュ』には、そういう吸血鬼に関する細かい設定は、ぜんぜん出てこなかった。出てこなかっただけで、設定としては存在したのかも。
「真祖は強大な力を持ってはいるが、その分、弱点も多い。俺たち吸血鬼というのは、世代を重ねるごとに力は弱まるが、弱点も減っていくものなんだよ」
なるほど……言われてみて思い返すと、ゲーム中の『クロウ』も、吸血鬼の弱点とされる物が通じなかったり、特徴が当てはまらなかったり……みたいな展開があった。
ええと、たしか……
「純血種の俺は、日光も平気だし、大蒜も害はない。ちなみに鏡にだって映る」
そうそう、そんな感じ。
「というか、俺の話はどうだっていいんだよ。問題は、お前だ」
「わたし、ですか?」
どういう意味だろう。
「魔力の属性が変化するなんて、一大事なんだぞ。少なくとも、俺は聞いたことがない。なにか心当たりはないのか?」
「それはそのう……」
わたしは言葉を濁す。
心当たりがあるといえば、ある。
前世の記憶を取り戻したから、魔力の属性が変化した説だ。
思い当たる節が他にないだけで、本当にこれが原因なのかは不明なんだけど。
どうしよう。やっぱり、前世の記憶うんぬん、クロウに話してしまおうか。
……やっぱり、やめておこう。なんだか、話しちゃいけないような気がする。
よくわからないけど、秘密にしないといけないような。
「ない、です」
「……本当か?」
クロウは目を細め、わたしの顔を凝視する。
うう、めっちゃ疑ってるよ。
「ほ、本当です」
動揺を隠しながら、わたしは嘘をつく。
うーん、記憶を取り戻す前の『ルベーリア』なら、しれっと嘘が言えたのかも。なんとなく、そう思う。だって、悪役令嬢だし。
「……まぁ、どっちでもいいさ。なんにしろ、俺たちの封印が解けたのはルビィ……お前の魔力が関係している……と、俺は睨んでる」
「えぇ?」
それはいったい、どういうことだろう。
なんかもう、色々とあり過ぎて、訳がわからなくなってきた。
「聖女の封印魔法も光属性だ。それに干渉できるのは、同じ光属性の魔力だけだろう? 光って属性は、特異な魔力だからな」
あー……いや、そんな常識でしょ、みたいな言い方をされても困る。
わたしは必死に『ルベーリア』としての記憶を辿ってみるけど……わからない。
魔法学校では光属性について、ほとんど学ばなかったから。
ついでにゲーム中にも、そんな説明はなかったと思う。わたしが読み飛ばしてなければだけどね。
「ごめんなさい、ちょっとわかりません」
わたしが素直に告げると、クロウは盛大に溜息をつき、やれやれと肩をすくめた。腹立つな。
「なんだ、最近の人間は光属性について学んでいないのか?」
「……はい、たぶん」
少なくとも、わたしは教わっていない。
この世界で光属性の持主は、本当に稀有な存在だった。
何十年に一人、生まれるかどうか、みたいな。
だから、わたしの通っていた魔法学校では、『そういう属性がある』程度しか触れられていなかった。
光属性の持主であるゲームの主人公は一人、特別授業を受けていたんだけど……内容は知らない。ゲームでも詳しくは描写されていなかったし。
なので、わたしは光属性について、ほとんど知らない。
「とにかく、だ。屋敷の封印を解く鍵は、ルビィ……お前にある」
クロウは断定口調で告げる。
「いきなり鍵とか言われても困るんですけど……」
「今からそれを検証してみようじゃないか」
クロウは腰を上げ、わたしにも立つように促した。
どうやら移動するみたい。
「ついて来い」
クロウに連れられて、屋敷の中を歩いていく。
わたしたちが今いるのは、屋敷の二階だ。しばらく廊下を進んで、階段から一階へ。またしばらく廊下を歩いてから、階段で地下に下りる。
短い階段を下りきるとそこは、ひらけた空間だった。広さは……学校の教室ぐらい。
暗くて、空気は冷たい。わたしの前を行くクロウが、指をパチンと打ち鳴らす。
すると、部屋の壁に等間隔で設置されている松明に明かりが灯った。
どういう仕組みだろう……ちょっと気になるけど、それより……
「ここは……」
松明の明かりに照らされた部屋の全景を目にし、わたしは立ち止まる。クロウも足を止め、こちらを振り返った。
「棺の間だ」
クロウは短く、そう口にする。
名前の通り、部屋には十二の黒い棺桶が並んでいた。そのうち一つは蓋が開いている。蓋の表面をよく見ると、『クロウ・インバーテッド』と刻まれていた。
「もしかして……」
「ああ、この棺は俺たち吸血鬼が『永い眠り』につくための棺だ」
やっぱり。吸血鬼といえば棺だよね。
……ここにある棺すべてに、吸血鬼が眠っているんだろうか。
「ここにある棺は、ほとんど空っぽだけどな」
わたしの疑問を見透かしたかのように、クロウは言う。
「完全に消滅してしまった奴もいれば、ここじゃない場所で眠っている奴もいるし、行方がわからない奴もいる。まあ、色々だな」
どこか影を感じさせる表情で、クロウは語る。
「それはさておき」
クロウは、すぐ近くの棺に歩み寄った。
お前も来い、と手招きする。
躊躇いつつ、わたしもクロウの横に並んだ。
棺の蓋には、『シャルティア・インバーテッド』と刻まれている。
あれ……シャルティア? どこかで聞いたような名前だな。
うーん……どこでだっけ……
「これには、俺の弟が眠ってる」
わたしが思い出そうと考えていると、クロウがポツリと言った。
弟……シャルティア……わかった!
シャルティア・インバーテッド。クロウ・インバーテッドの弟。
棺の中にいるらしい彼も、『サント・ブランシュ』に登場するキャラクターだ。
役柄としては、クロウと同じく主人公たちと敵対する吸血鬼だけど……兄のクロウよりも早く物語から退場してしまう。
なぜかというと……
「弟……シャルティアは、あの聖女の生まれ変わり……たしかプリムラとか言ったな。あいつに封印されてしまったんだ」
そうそう、たしかそうだった。
というかゲームの主人公、そういえばプリムラって名前だったね。
わたしはデフォルト名でプレイしない派だから、すっかり忘れていた。
クロウが棺の蓋を押し開ける。
中に眠っているのは、金髪の青年だ。
うん、たしかシャルティアは、こんな見た目だったと記憶している。
クロウの弟だけあって彼も美形キャラで、兄ほどじゃないけど人気があった。
ただ出番が少ないせいか、わたしの印象にはあんまり残っていなかったんだけど。
ごめんなさい、シャルティアさん。と、わたしは心の中で謝っておく。なんとなく。
「というわけで、ルビィ」
「はい?」
「ちょっと試してみてくれ」
「なにをですか?」
いや、本当に。説明不足にも程があるよ。
「あー……とりあえず、シャルに触れてみてくれないか」
「は、はぁ……」
シャル、というのはシャルティアさんの愛称かな。
わたしは、おずおず手をのばし、棺に横たわるシャルティアさんの肩に触れてみた。
その途端、シャルティアさんの身体がビクンと大きく痙攣したような動きをする。
「え、なに、こわっ……!」
ホラーのような光景に驚いたわたしは手を離し、棺から後退った。
その拍子に、わたしの背後に立っていたクロウにぶつかってしまう。わたしはクロウを見上げ、頭を下げた。
「ご、ごめんなさい」
「……思った通りだ」
わたしがぶつかったことなど気にもせず、クロウは不敵な笑みを浮かべていた。
視線はシャルティアさんが眠る棺に向けられている。
「なにが思った通りなんですか?」
「見てみろ」
クロウはシャルティアさんが眠る棺を指さした。
「え?」
わたしは言われた通り、棺に視線を戻す。
すると……棺の縁を、青白い手が掴んでいた。なになに、なんなの。またもやホラーな光景だよ。
そのままゆっくりと、棺に横たわっていた青年が上体を起こす。
「う……ここは?」
金髪の青年――シャルティアさんが口を開いた。
「私はたしか……聖女に封印されて……」
柔らかくて甘い感じの声質だ。
シャルティアさんは、呆然とした表情でこちらに視線を巡らせる。そしてクロウの姿を捉えた赤い双眸が、大きく見開かれた。
「に、兄さん?」
「よう、シャル」
軽い調子で、クロウはシャルティアさんに手を上げてみせる。
なんだかよくわからないけど……もしかして、わたしが封印を解いたの?
◆
封印から目を覚ましたシャルティアさんを連れ、わたしたちはサロンに戻ってきた。
クロウはテーブルを挟んだ向かいのカウチにシャルティアさんを座らせる。
わたしとクロウは、反対側のカウチにそれぞれ腰を下ろした。
「さてシャル、よく目を覚ましてくれた」
クロウが話を切り出す。
「まず今の状況を簡単に説明するが――」
と、クロウはここまでの経緯をシャルティアさんに語る。
「そうですか、屋敷が聖女に……ところで兄さん、そろそろ教えて欲しいのですが」
「うん?」
シャルティアさんが、わたしを見る。
「そちらの女性は何者なんです?」
「だから説明しただろう。こいつはルビィ。たぶん、封印を解く鍵になる女だ」
「ええ、それは聞きました。私が知りたいのはそういうことではなくて……」
たぶん、シャルティアさんは、根本的にわたしが何者なのか知りたいのだろう。クロウは、わたしについてざっくりとしか説明しなかったし。
生贄になるはずだった女だけど、なんだかんだで今に至る。みたいな。
そして聖女と同じ光属性の魔力を持っていて、彼女が施した封印を解ける……たしかに何者だって感じだよね。残念ながら、わたし自身もその答えを持っていないんだけれど。「じゃあ、どういうことだよ?」
「まったく兄さんは……たとえば、彼女の素性とかですよ」
シャルティアさんは苦笑まじりにそう返す。
「面倒だな、おいルビィ」
「はい?」
「お前、シャルに自己紹介でもしてやれ」
えぇ……なにその丸投げ。でもまぁ、自己紹介は必要だよね。
わたしは居住まいを正し、シャルティアさんと向き合った。
「シャルティア様」
一応、そう呼んだ方がいいかなと思って。
「わたしは、ルベーリア・オズボーンといいます」
それから……なんだろう? うーん、これ以外に思いつかない。
わたしが困っていると、
「オズボーン……もしや、オズボーン伯爵の娘さんですか?」
「あ、はい、そうです」
どうやらシャルティアさんは、オズボーン家のことを知っているらしい。
「なんだシャル、こいつの家を知ってるのか」
クロウが意外そうな声を上げる。
「ええ。インバーテッド家の協力者は、すべて把握していましたから」
「ほお、さすがはシャルだな」
クロウの言葉に、シャルティアさんは照れくさそうに咳払いをした。なんか、ちょっと可愛い。
「……ルベーリアさんのことも覚えていますよ」
「え、そうなんですか?」
わたしの記憶では、シャルティアさんと会ったことはないはずなんだけど。
「ああ、顔を合わせたのは、今回が初めてですよ。ただ、父上の生贄候補に名前があったのを覚えていただけで」
「な、なるほど……」
それは、あんまり嬉しくない記憶のされ方だなぁ。
「ところで……」
シャルティアさんが、わたしに向けている目を細めた。
「急に光属性の魔力が発現した、という話でしたが、本当に心当たりはないのですか?」
こちらを見透かそうとするようなシャルティアさんの目つきに、わたしはたじろぐ。
心当たり、あるにはあるんだけど、黙っておくと決めたしなあ。それに確証もないし。
「あ、ありません。本当に、わたしも訳がわからなくて……」
「そうですか……」
ぜんぜん納得していない様子だけど、シャルティアさんはそれ以上、わたしを追求してこなかった。
「まぁ、どうして急に光属性が発現したかは、今はどうでもいいんじゃないか」
いや、どうでもよくはないと思うけど……クロウの発言に、わたしは内心で呟く。
「重要なのは、どうやらルビィは聖女の封印を解けるらしいという点だ」
「私としては理由も気になりますが……兄さんに同感です」
なんとなく、二人が言いたいことは、わたしにもわかっている。
なぜか、わたしは聖女の封印魔法を破ることができる……らしい。
屋敷ごと封印されたクロウやわたし、そしてシャルティアさんが目覚めたのも、その力によるもの……なんだと思う。
そして今、このインバーテッドの屋敷は聖女の封印により、外界と隔絶されている。
おそらくクロウも、シャルティアさんも、こう考えているはずだ。
わたしになら、屋敷の封印も解けるのではないか――と。
クロウとシャルティアさんが、じっと、わたしを見てくる。
なんなの、この無言の圧力は。
「おいルビィ」
「はい、なんでしょう……」
「屋敷の封印を解け」
「無茶振りだよ……!」
クロウのいきなりすぎる命令に、わたしは思わず声を荒げた。
そんな急に屋敷の封印を解けなんて言われても困る。いやまあ、流れ的にやらされそうだなとは感じていたけれど。
そもそも、わたしには封印の解き方なんてわからない。なにをどうすればいいのやら。
「無茶か? 俺はそうは思わないがな」
クロウの言葉に、わたしは首を捻った。なにを根拠に?
「お前はすでに三つの封印を解いてる」
「それは……」
たしかに。わたし、クロウ、シャルティアの封印。これで三つだ。
「なら、屋敷の封印も解けるだろう」
そんな、お気軽な調子で断言されても。
「あの……屋敷の封印を解けと言いますけど、具体的にはどうやればいいんですか?」
わたしは、ストレートに疑問をぶつける。
するとクロウは、意外そうに目を瞬かせた。
なんだろう。わたし、なにか変なこと訊いたかな?
「お前……間抜けか?」
「……はい?」
さすがにイラッとしたわたしは、声に棘が混じるのを抑えられなかった。
やれやれといった具合に首を振りながら、クロウは口を開く。
「シャルの封印を解いたとき、お前はなにをした?」
わたしがシャルティアさんの封印を解いたとき……思い返してみるけど、特別なことはなにもしていない気がする。
クロウに言われて、棺桶の中で眠るシャルティアさんの肩に触れただけだ。
「……シャルティアさんの肩に触っただけですけど」
「そうだ、つまり……そういうわけだ」
――いや、わかんないよ。
クロウは、ドヤ顔で「理解しただろ」みたいな雰囲気を醸し出しているけど……わたしには、まったくわからない。
「つまり、ルベーリアさんが触れれば、聖女の封印は解除される……と?」
シャルティアさんが口を開く。
「ああ、簡単な話だろう?」
ええー……触れるだけ?
わたしは、自分の手をまじまじと見つめた。
この手に、本当にそんな力があるんだろうか?
でも実際、シャルティアさんの封印は解けたし。そう、わたしが触っただけで……ん?
ふと疑問に気がつく。わたしは小さく挙手しながら、疑問を口に出した。
「あの、いいですか?」
「なんだ」
「わたしが触れたら、聖女の封印は解除されるんですよね?」
「ああ、おそらくだが……まず間違いないだろ」
「それなら――屋敷の封印を解除するには、どうすればいいんでしょうか?」
触れば封印が解けるというなら……もうすでに解除されていないとおかしい。
だって、わたしは屋敷のあちこちに触れているんだから。
「起点を探せばいい」
わたしの疑問を、クロウはなんでもないといった風に一蹴する。
「……起点、ですか?」
「ああ、封印には起点になってる場所、あるいは物があるはずなんだ」
そうなのか。よくわからないけど。
「そこ、あるいはそれにお前が触ったら屋敷の封印は解ける……というか、解けなかったら困る。そういうわけで、だ」
クロウが立ち上がる。
「さっさと封印の起点を見つけ出すぞ、シャル、ルビィ」
「そうだね」
「は、はいっ!」
わたしたちは起点の捜索を開始した。
◆
しばらく手分けして屋敷を探索した後、玄関で合流する。
広い屋敷を見て回ったけれど、それらしい物は発見できなかった。
「シャル、そっちはどうだった?」
「すみません、収穫なしです」
「ルビィ、お前はどうだ」
「こっちも見つけられませんでした」
答えると、クロウは考え込むように腕を組む。
「やはり、普通に捜すのは効率が悪いか……おいルビィ、お前、年齢はいくつだ?」
「はい? ええと……」
ルベーリアって……たしか、十七歳だっけ。
「十七です」
「当然、魔法学校には通っているはずだな?」
「は、はい……」
この世界では貴族の子供は、基本的に魔法学校に通っている……みたいな設定だったと思う。だからクロウは「当然」とつけたのだろう。
「十七ってことは……魔力の探知ぐらい教わっているだろう?」
「へ?」
思わず間抜けな声が出た。
魔力の探知? なにそれ?
そんなの知らな……待ってよ。『わたし』は知らなくても、『ルベーリア』は知ってるのかも。
前世の記憶を取り戻したわたしには、転生してルベーリアとして生きた十七年間の記憶もきっちりとある。
ただ、その記憶には蓋がされているような感覚があって、深く思い出そうとしないといけない。
えーと……探知、探知、魔力の探知……
『ルベーリア』の記憶を探ると、すぐに答えが浮かび上がってきた。
魔力の探知とは、読んで字のごとく。
意識を集中して、周囲にある魔力の反応を探知することだ。
魔法を使う者にとっては、わりと基礎的な技術で……ん?
「あの、魔力探知なら、クロウ様もできるはずですよね?」
「当然だろう。とはいえ……さっきから試しているが、それらしい反応は今のところない」
じゃあ、なんでわたしに振ったんだよ。
「ならどうして自分にって顔をしているな」
「う……」
わたしはクロウから顔を背ける。
考えていることが表情に出やすいって、昔からよく言われるんだよなあ……。あ、この昔っていうのは「わたし」としての昔だ。なんか、ややこしいな。
「聖女の封印が解けるお前なら、俺よりも聖女の魔力を感じやすいんじゃないかと思ってな」
「な、なるほど……」
「だから、やってみろ」
「……わかりました」
ちょっと自信ないけど、わたしはルベーリアなんだ。
魔力の探知ぐらいはできるはず。……たぶん。
わたしは深呼吸して、目を閉じた。
意識を集中させて、周囲にある魔力の反応を探る。
すぐ近くに、闇の魔力……これはクロウのかな。
他にも色々と、小さな魔力の反応を感じ取れたけど……
「ええと……なんだか魔力の反応がいっぱいあって、よくわからないんですけど……」
わたしは両目を開き、クロウにそう告げる。
「あー……この屋敷には魔法道具もあるからな。小さい反応は全部、無視しろ。それから封印の起点は、たぶん光属性のはずだ」
たしかに、聖女の魔力だもんね。
「うーん……むむむ」
さらに周囲の魔力を探ってみる。
「あっ」
思わず声を上げる。すぐ近くに、なんだかそれらしい反応があった。
「どうした?」
「たぶんなんですけど、そこに」
玄関の扉を指さす。パッと見はなにもないけれど、たしかに扉から、微弱な光属性の魔力を感じる。
「なるほど……まさか玄関の扉が起点とはな。ルビィ、扉に触れてみろ」
「は、はい」
扉に近づいて、おそるおそる手を伸ばす。
わたしの指が、扉に触れる。
「きゃっ!?」
扉が強烈な光を放ち、わたしたちを包み込んだ――
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