第3話 ここから全てははじまった

 全くおもしろくない。おもしろくない。

 死んだような目をした門番を威嚇し、城から出る。


「フェンブレン伯の居城へようこそ」


 街道に入ったところで、虚ろな目でうわごとのように同じ言葉を繰り返す男の脇を抜ける。

 あの男は俺様の命で一日中ああして「我が居城の場所」を告げている。道行く者が我が城のことがわかるようにな。ガハハハハ。

 どうだ。俺様の偉大さが分かるか、領民達よ。

 

「あの男、名前も忘れたが俺への感謝がまるでなっていない」

 

 門番も「我が居城の場所を告げる」役目の男も変えてしまおうか。

 ん、何やら騒がしい。俺様が来たというのに何をやっているんだ、領民たちは。

 人だかりに近寄ると、ひいいと悲鳴をあげた領民達が善意で道を譲ってくれた。

 

 馬車とその主らしき太った男に彼の取り巻きが、アッシュグレーの髪が美しい少女に何やら言い寄っている。

 む、あの女。

 いい乳をしておるじゃないか。あの男達はあの女の価値が分からぬのか?

 

「おい、お前ら」

「何だ、お前は」


 言い寄ってきた男を斬り捨ててやろうかと腰の剣に手を当てたところで、太った男がその男を後ろから引っ張る。

 勢いよく引っ張られたからか、その男は情けなく尻餅をついた。

 替わって太った男が俺の前に立つ。


「こ、これは、フェンブレン伯」

「おい。この女に臭い息を向けていたな。あれはお前の手下か何かか?」

「従業員でございます」

「躾がなっていない」

「申し訳ありません。あの者は知らなかっただけなのです。どうか、お許しください」


 大きく頭を下げた太った男はすっと右手を伸ばす。

 彼の指先にキラリと光る何かが見えた。

 

「ふむ。お前は『分かっている』。お前に免じて、この男の無礼は許そう」

「ありがたき幸せでございます」

「で、何だ。この騒ぎは」

「この奴隷の娘が大事な壺を割ったのです」

「ふむ? そいつはいかんな」

「そうなのです!」


 太った男の言う事はもっともだ。だが、その程度のことで腹を立てるべきじゃあないだろう。

 何しろあの女はいい乳をしているからな。

 

「わ、私は壺を割ってなどいません」

「そうなのか? レディ?」

「はい。馬車にぶつかられただけです」

「ほうほう、と言っておるが、どうなんだ?」


 ここはそうだな。やじ馬たちに聞いてみるとしようか。何て素晴らしい発想。さすが天才たる俺様だ。ガハハッハ。

 だいたい、腹のでっぱった男よりよい乳をした女の方が信じられるだろ。まあ、余興だ余興。結果は分かっているがね。

 

「ほら、言ってみろ。俺様の前だ、嘘は許さんぞ」

「奴隷の少女の言う通りでさあ」


 近くにいた野次馬を睨みつけると、たじろいたそいつは早口で答えを返す。

 ほらみてみろ。俺様の予想通りではないか。

 

「おい、壺が割れたのではなく、レディと馬車がぶつかったということだが?」

「馬車が大きく揺れたことで壺が割れてしまったのです。その女がいなければ、壺は無事でした」

「ノンノンノン。それは違うぞ。ビール腹。ぶつかられたレディが被害者だろう? お前は馬車をぶつけた。ならば分かるか?」

「領民ならともかく、あの女は奴隷です。善良なる領民の馬車にぶつかるなど」


 面倒な奴だな。何が奴隷がうんぬんだ。片腹痛い。

 さっき良い答えを返してくれた野次馬を再び睨みつけた。

 

「おい、お前。この領地の法は何だ? 言ってみろ」

「そ、それは」

「それは何だ?」

「法とはフェンブレン伯でございます!」

「そうだ。俺様こそ法。俺様が正しいと言えばそれは正しいのだ! なら、俺が今ここで判断してやろう」


 胸を反らし高笑いする。

 ビシッとビール腹の男を指さし、宣言してやった。

 

「ぶつけたお前が悪い。女は無実。いいな」

「か、畏まりました」


 そそくさと去って行く馬車と太った男たち。

 残ったのはいい乳の女と野次馬たちとなった。


「あ、ありがとうございます。フェンブレン伯様」

「ヨハンでいいぞ。女。名は何という」

「キアーラと申します。ヨハン様」

「そうか、キアーラ。丁度いい。お前は今日から俺のメイドだ」


 さすが俺様、足りなくなったメイドを自ら見つけてしまったぞ。

 我ながら自分の才覚が恐ろしい。

 俺様が宣言してやったというのに、キアーラは両膝をついたまま立ち上がろうともしない。

 

「どうした? 早く来い。お、そうか。俺様としたことがうっかりしていた。荷物を纏める必要があったな。女はいろいろ荷物が必要なものだ」

「い、いえ。私にはこの指輪しか」


 キアーラが豊満な胸元から取り出したるは古ぼけた指輪だった。

 しかし、あれでは彼女の指には大きすぎるな。それを後生大事に持っているとは、よくわからん。

 手のひらに古ぼけた指輪を乗せ、俺に向け掲げるようにするキアーラ。

 

 ヒュン。

 そこへカラスが突如として空から急降下してきて、彼女の手の平にのった指輪を足で引っかけ奪い去る。

 

「あ……」


 彼女は悲壮な顔で声にならない声をあげた。

 正直、あんな古ぼけた指輪になぞ欠片も興味はないが、俺がじっくりと指輪を見ようとしたところでかっさらわれると腹が立つ。

 

「おい、お前! 俺様の許可なく飛び去ろうとはどういうつもりだ!」


 空を飛ぶカラスに向け右手を振り上げる。

 ポトリ。

 そこへ、指輪が落ちてきて、奇跡的に俺の薬指に収まったのだった。


「ぬ、抜けんぞ」


 ブンブン手を振るも、指輪がガッチリハマっていてビクともしない。


「ヨハン様。指輪のことでしたらお気にされず。割るなりして取って頂けましたら」

「うむ、う、ぐうう」


 キアーラが慌てたように発言し、彼女に応じたところで激しい痛みが頭に走る。

 頭が割れるようだ。立っていられなくなった俺様はその場でうずくまり、両手で頭を覆う。

 しかし、痛みは増すばかりでついには俺様は意識を手放す。

 

 ◇◇◇

 

「何なんだ。何をしているんだ。俺!」

 

 意識が覚醒するなり、思わず叫んでしまった。

 ヨハン・フェンブレン。フェンブレン伯爵家の当主にしてフェンブレン領の領主である。

 22歳で当主になったヨハンは、僅か二年でフェンブレン領をズタズタにしてしまった。最後は古ぼけた指輪を装着し、意識を失いそのまま前世の俺と意識が入れ替わったのだ。

 夢ならどれほどよかったことか。

 酷い、酷すぎるの一言に尽きる。こんな男が領主を務めていては、どれほど裕福な国であっても傾く。


「よお、目覚めたか? グル・カン」

「誰だ?」


 見回すも人影はない。

 俺は悪趣味なベッドで寝かされていた。風を通すためなのか、不用心にも窓は開け放たれている。

 そこから誰か侵入したのかと思ったが、誰もいない。

 しかし、声の主は俺の「前世の名」を呼んでいる。魔法か何かで俺に語りかけているのか?

 

「ここだ。ここだ、グル・カン」

「カラス……だと」


 天蓋の上にとまっていたカラスが、ベッドまで降りて来る。

 奴は嘴を上に向け、右の翼を開く。


「そうさ。カラスだよ。好きでこうなったわけじゃねえんだが、どうも俺の今世はカラスだったらしい。お前は人間で良かったな」

「その物言い……まさか、メルキト・ウジンか?」

「今は唯のカラスだがな。カカカカカ」


 この笑い方、相変わらずだな。

 メルキト・ウジン。彼は前世の俺グル・カン・ジャダランの無二の親友にして参謀だった男である。

 前世では彼と様々な戦場を駆け、魔獣を打ち倒し、共に国を興した。

 それが、今世ではカラスと悪徳領主とはな。人生とは本当に数奇なものだ。

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