第10話 ちゃぶ台返し

「むにゃー。もう少し寝かせてくれ」

 

 誰かに体を揺すられるが、心地よい睡魔が俺を離してくれない。


「にゃーん」


 布団をかぶり、再びぐっすり寝ようとしたらベッドが持ち上がり、床に転がった。

 何するんだよ! と顔をあげたらパンダが後ろ脚だけで立ち上がって仁王立ちしているじゃないか。

 小さな小屋の中でバンザイポーズをとっているものだから、天井に手が触れている。


「カルミアはどこに?」

『パンダは笹が食べたいようです』

「わざわざここに来てベッドをちゃぶ台返しするくらいなら、笹を食べにいけばいいじゃないか!」


 おい、聞けよ。

 俺の突っ込みに対し、パンダは俺から背を向け座り込む。

 いや、むしろこの状況は都合がいい。

 

「パンダ。笹ならたんまりとある。食べたいのか?」

『パンダは笹が食べたいようです』

「そうかそうか、なら笹を出してやろう。だが、俺の話を聞いてもらえるか?」


 座ったままこちらに向き直ったパンダが大きく首を縦に振った。

 ち、ちくしょう。少しだけ可愛いと思ってしまったじゃないかよ。

 騙されるな。こいつはただのふてぶてしい食いしん坊だ。

 

 じーっと俺の手元を見つめてくるパンダに向け、アイテムボックスから笹を大量に出してやる。

 もっしゃもっしゃ笹を食べ始めたパンダにさっそく疑問を口にした。

 

「今日は結界だっけ? 見えない壁の中を端から端まで探索するつもりなんだ」

「もぎゃもしゃ……ごくん」

「それでな。ちょっくら外へ出たいと思っててさ」

『パンダが笹を食べられなくなるようです』

「ちゃんと戻って来るさ。俺は森エルフじゃない。あと、入り口を開けた場合の影響度も教えて欲しい」

『パンダはひょろ僧が外で捕食されないか心配なようです』

「それ、俺かよ! 蓮夜な。蓮夜」


 そういや最初にも俺のことを勝手にひょろ僧とか呼んでいたな。

 この調子だと結界を開けた際にどれだけ影響があるのかまるで分らん。

 森の精霊だっけ? そいつが力の源になり、生物が強化される。

 対象は森の精霊とやらを扱える? モンスターも?

 全部が全部じゃないと思うんだよ。恐らくだけど俺は全く強化されないと思う。

 今でも本当に森の精霊とやらがいるのか疑わしいとさえ考えているくらいだもの。

 

 となれば、もう一人に聞いてみるか。

 彼女は果物でもとりにいっているのかな?

 

 小屋のある広場の南北には畑があり、笹の木を挟んで北端は池になっている。

 池の途中で境界線だ。

 東側は最初にパンダと遭遇した場所で、ここもこの先に進むことができないはず。

 確か西に果樹園があったんだっけ。カルミアが西にある果樹からイチジクを取ってきたって言っていた……と思う。

 

 そんなわけで、笹を貪り喰らうパンダを放置して外に出たのだ。

 カルミアは……お、いた。南側の畑で何やら作業をしている。

 ん、木桶を掴みこちらに振り向いたところで俺の姿に気が付いたのか、片手を振ってくれた。

 

「朝から畑作業を?」

「様子を見ただけです。自作のクワがあるにはあるのですが、余り耕している時間もありませんので」

「その桶は水を?」

「はい。畑に水をとおもっておりまし……きゃ」

 

 木桶に水が注ぎこまれ、カルミアが小さく悲鳴をあげる。

 水ならアイテムボックスにたんまりある。

 こんなもんか。

 満水になったところで、アイテムボックスから水の放出を止めた。

 

 カルミアといえば、しゃがみ込んで水と俺の顔を交互に目を向けている。


「ほら、昨日さ」

「あ、あの時、全ての水を戻したわけじゃなかったんですね」

「うん。飲み水だって必要だし。ある程度水を持っておけば、いつでも使えるから」

「それならそうと言ってくれれば。水を汲むついでに、洗濯もしてこようと思っていたんですが」

「それは邪魔しちゃったか?」

「いえ、大助かりです! 畑は南北に二か所あるじゃないですか。この桶だと六回往復しなきゃならないんです」

「そいつは大変だ。洗濯ついでに水を補充しておくよ」

「レンさんも洗濯しますか?」

「ん。俺はこれ一着だから、着るものが無くなると。寒いかな……」

「近く、レンさんの服を作りましょう! これからもっと寒くなってきますし!」

「ありがとう」


 そんなわけで、再び池に向かうことになったのだ。

 しかしまさか、洗濯とやらがこのようなことなのだとは思ってもおらず……。

 

 池のほとりでどうしたものかと呆気に取られてしまう俺に対し、彼女が背後から呼びかけてくる。

 

「レンさん? そちらに何かいるのですか?」

「いや……洗濯ついでに水浴びもするなら、そうだと言ってくれれば」

「水浴びだけでもしますか? 気持ちいいですよ?」


 いやいや待ってくれ。朝から水浴びをしたら、気分爽快になるという気持ちは分からんでもない。

 しかしだな。

 慌てて後ろを向いて事なきを得たものの、どうしてそうなる。

 

「小屋の中に予備の服があったよな」

「はい。持ってきてますよ」

「うん。見た見た。着ている服を洗濯する、までは分かる。だけど、何で脱ぎっぱなしなんだよ……」

「洗濯するからですよ? この後、水浴びもして体も綺麗にと。せっかくなら、綺麗になった後に服を着た方が」

「う、うーん……」


 理屈は正しい……わけないだろおお!

 カルミア一人なら、まだいい。ここなら結界があるから、誰にも見られることはないだろうからな。

 しかし、今は俺がいるんだぞ。

 どうすりゃいいんだよ、この状況……。

 

「お待たせするのも……急ぎます!」

「いや、ゆっくりでいい。洗濯しながらついでに俺の話を聞いてもらえるか?」

「はい! どうぞ!」

「だあああ。寄ってこなくていいから! そのまま、俺の横には来ないように」

「ん、人間の習慣って変わってますね」


 それはカルミアのだよ! と突っ込みたいことはやまやまだけど藪蛇になりそうだから、何も言わずにおこう。

 気を取り直して、前を向いたまま後ろで洗濯をする彼女に語りかける。

 

「この結界の中は森の精霊とやらが沢山いるんだよな?」

「はい。外の百倍以上の密度です」

「森の精霊の密度が増えると、カルミアの力も増すのかな?」

「おっしゃる通りです。ですので、笹の木を暖めることができたりするんです」

「ふむ。外だと、笹の木を暖めることも難しかったり?」

「そうですね。笹の木一本を日中維持するだけでも、倒れそうなくらい疲れちゃいます」

「ここだと平気ってわけか」

「はい。ここなら時間の許す限り、暖め続けることができます。多少、疲れはしますが」


 ふむふむ。

 カルミアの力は外と中じゃ、相当変わるらしい。

 笹の木を暖める作業が辛くなるらしいが、そこは問題ない。暖める必要もないからな、アイテムボックスを使えば。

 もしくは、人海戦術で何とかするなんて手もなくはないよな。人を当てにするよりは、俺が責任をもって笹を回収する方向で考えておこう。


「パンダは森の精霊が外に漏れださないように結界を張っていると言っていたけど、結界を解いて、広範囲に張り直した場合を考えてみて欲しい」

「そのようなことが……」

「仮の話だから、仮に結界の面積が1000倍以上になったとして、森エルフの住む森林地帯の森の精霊の密度が高くなったとしよう」

「森の精霊で力を増すのは、森エルフだけではありません」

「それでも、森エルフも強化されるから、同じことじゃない?」

「確かに。何が起こるのか予想はつきませんが……」


 仮の与太話だと伝えているにも関わらず、カルミアは真剣に応じてくれている。

 きっと眉間に皺を寄せたり、顎に手を当てたりして作業の手が止まっているんじゃなかろうか。


「最終的に結界の範囲を超拡大して、森林地帯全体を聖域のようにできないのかってさ」

「できるのですか?」

「パンダ次第だけど、あいつは森エルフのことを心配している様子だった」

「そうですか……私だけの問題ではありませんので、何とも言えません」

「だったら、集落まで行ってみないか?」

「え? また姉さんに会えるの……?」

「これもパンダ次第なんだ。できるか分からないのに期待させてしまって、本当にごめん」

「いえ。嘘でも、久しぶりに姉さんのことを村のことを話題にすることができました。それだけでも……」


 涙声になってるって……。

 ごめん、カルミア。軽率な発言だった。先にパンダに聞いてからにすべきだったよ。

 心の中で再度彼女に謝罪する。

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