第二十五話 ラミーリィ・クルミアルド2
肩を強張らせ、クルミアは前髪で表情を覆い隠す。
建物の間を抜ける隙間風はまだ暖かく、湿っぽい感覚から未だに南の土地にいると察せられた。じめじめした気候が木造建築の腐敗を速めているのだろうが、他の資源を使うという選択肢はなかったのだろうか。
――呑気に風土を考察している場合かと、指摘されれば返す言葉もない。
けれど、僕は彼女が自己嫌悪に陥るような種類の魔族ではないと知っていた。
「後に生まれた妹が優秀だったから、私が邪魔になったのは分かるわ。そこだけは認める」
前髪をかき上げて再び口を開いたその表情は、予想を上回る苛烈さだった。
意志を反映したかの如き眼球は桜色に燃え、一点の曇りも映さない。真っすぐな鼻梁で僕を捉え、聞き漏らしは許さないと念を押しているようだった。
クルミアがしおらしくなったのは一瞬で、後は先日の烈火もかくやといった演説が始まるのみ。
「それ以外はてんで納得していないわ。魔族の誇りにかけて徹底抗戦を行うって何?
人族の戦力は圧倒的で質でも量でも負けてるのに、無駄死にするのが
呼び方は諦めたようだ。
真剣に聞く傍らでそんな事を考えていると、不意にクルミアが姿勢を保つために下げていた左腕を木壁に叩きつけた。
左右両方の側頭を封じられ、クルミアとの距離がより一層近くなる。
「落ち着い……!?」
「これ以上の血は流させたくない。嘆き途方に暮れる顔を遠くから眺めるのはもうこりごりなの! だから、魔族を救うために――!」
気勢に押され始めた僕を置いて、会話の熱が最高潮に達そうとしている。
それに付随した形で掘っ立て小屋の壁も軋み、メキメキという音に合わせて尋常でない負荷に決壊しようとしていた。
クルミアは僕と額を突き合わせ、滾る言葉を音にするので必死だ。もはや制止に意味などあるまい。
蛇柄尻尾で壁を殴打してから、彼女はこれまでで一番の大声を出した。
「――私が王家に返り咲いて、女王としてこの国に君臨する! そして、人族との失われた和平協定をもう一度結び直してやるしかない!!」
バキャギィ!!
中身が空洞になっていたであろう壁がとうとう崩れ、僕はそのままクルミアに押し倒された。
幸いにも中に住民はおらず、また適切な受け身をとったお陰で打撲もない。
資源を節約したのか滅紫の地面がむき出しになっていたのもあって、木片が刺さるという二次災害も起こらなかった。
ただし馬乗りになったクルミアはどかないものとする。
「えっと、何から聞けばいいんだ……」
「ふーっつ、ふーっつ」
威嚇する猫のように鼻息を荒くしているクルミアと顔を突き合わせて、僕は積もりに積もった困惑を口にした。
魔法の才がなく――のあたりまでは共感していたし(僕の場合追い出されはしなかったけど)、王女様という地位にも辛うじて納得できた。
問題はその後から結びの言葉にかけての告白だ。
クルミアが女王になって、人族との戦争を止める?
唐突にも程がある。
「い、いくつか質問があるんだけど、いいかな……?」
「ふしーっ、ふしゃーっ…………この場限りならいくらでも答えてあげるわよ」
混沌を極める前に、山積している疑問を解消したい。
僕の質問に答えていると順番が狂ってしまうらしいが、大まかな筋書きを知った直後なら整理できそうだった。
野良猫が憑依しているクルミアも隠していた秘密を吐き出して枷が外れたのか、やけっぱち気味の声色でそれを認めてくれる。
事態が脳みそに浸透するよう、時間をかけて聞いていこう。
「今朝家を出てからいきなり石を投げられたのはなぜ?」
「……困窮している社会の中で、貴族だけが変わらず豪勢な生活を送ってるからよ。民草からは畑で採れた僅かな食料も徴収するし、戦争の出費と題してありもしない金銭を毟り取る。恨まれても当然よね」
「ふぅん……」
生返事になってしまったのは、クルミアの台詞が矛盾を孕んでいたからだ。
「石投げられてまでドレスを着たかったの?」
「そんなわけないでしょ! 今日の予定的に仕方なくよ」
「森で修行してる間もずっとドレスだったのに?」
そう、クルミアは初対面で着用していた衣類の他には、ドレスしか持ち合わせていなかったのだ。
乙女的にも二日連続で同じ服を着るのに抵抗があったらしく、訓練中も煌びやかな服で指導していた。
「突然家を追い出されたからお金を用意する暇がなくて……あてがわれた離れに残ってた服を着るしかなかったの……」
意気消沈して語るクルミアを見て、僕は無駄な一言を添えてしまったと確信する。
ガロックの時も店の悪口を聞かれていざこざになったし、藪蛇の才能があるのかもしれない。いらねぇ。
それにしても、火事の後に転移したのはクルミア家の離れだったのか。じゃあ海岸にあったのは別荘?
勘当した娘にも平民とは一線を画した家を与える所に、貴族としてのプライドが感じられる。
「私は皆が苦しんでる時に贅沢するなんて嫌だったから、滅多に帰らなかったわ……ふん、パパとママとは反りが合わないって確信したのもこの時ね」
またもや親への愚痴が始まろうとしているのを察知し、僕はクルミアの束縛から抜け出して立ち上がる。
理解を深めるために大人しくしているという手も悪くはないのだけど、ここで質問の腰を折られてしまうと迷宮入り必至なので、あえて乱雑にした。
なにせ、一番の疑問がまだ残っているのだ。
「埒が明かないから単刀直入に聞くよ――クルミアはどうして僕の強さに拘ったのさ」
一見すると話の流れをぶち折っているように聞こえるだろう。
しかし僕には秘匿問答の鍵がここに存在していて、クルミアが隠しているとも確信している。
脳内で要点をまとめ終えたのに、僕との関連性がまるで見えないからだ。
これまで自分の話を拒んできた彼女が折角教えてくれたのに、どこか他人の話といった空気が拭えなかった。
「そうよね……教えないわけにはいかないものね……」
自分を律するために何度も首をひねるクルミアに、僕も人知れず冷や汗をかく。
クルミアは瀕死の僕を、底知れぬ善意で治療してくれた。
そう考えていたのは、僕の勝手で捻じ曲がった解釈だったと断言できる。
時折見せる暗い表情や、意味深な言葉遣いによって打ち消されたその先入観も、白紙に戻った疑問の前では無意味で。
魔族と敵対している人族を助けてまで何をしたかったのか、その答えは彼女しか知りえない。
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