第二十三話 雑貨屋店主と王女

「気取っているようでその実ダサい一言をどうもありがとう」


 クルミアは皮肉気に片眉を上げてから、せこせこと入り組んだ路地裏を目指して歩く。

 間違いなくご機嫌斜め。

 カビかけの木に挟まれた細道を抜け、人通り(魔通りか?)の少ない場所を選んでこちらを僅かに振り返る。

 予測だと「早くこないと置いてくわよ」と半ギレしている感じだった。

 怒っているのが僕のせいなのか、それとも他の外的要因のせいなのか掴めない。


「ここまでくれば平気よ」


 どう声をかければよいのか分からなくなってしまい、クルミアが怪しげな店舗の前で立ち止まり、口を開くまで無言の時間が続いた。


「ここもある意味心配だけど……ぼろっちい、お店?」


 暖簾のれんが本来の役割を失っており、字の消えた灰色の布が哀愁豊かにはためいている。

 雨宿りの為に設えたであろう軒先の屋根は無残に折れ曲がり、もはや撥水機能には期待できないだろう。

 掘っ立て小屋でしかない朽ちかけの造りにはもう驚かないにせよ、並べてある商品もまたキワモノばかり。


「『悪食樽の茎水』、『爆裂珊瑚と燃料の混ぜ合わせ護符』、それに『反響蟲せんべい』!? うえ、想像しただけで吐きそう」


 他にも目玉だけがぎょろぎょろと動いている液体漬けの瓶や、生理的に受けつけない動きをしている触手が串に焼かれて煙を立てている。

 串焼きはいい匂いなのが余計に不快だ。


「お前、黙ってりゃあ好き勝手に言ってくれるじゃねえか」


 更なる酷評を告げようとした所で、陰になって見えなかった奥から一喝される。

 叫んでいなくとも、腹の底にずどんと響く声。僕は嫌な予感がして口を噤む。


「俺の『ガロック雑貨店』に文句があるってんなら、唾の届く距離で言うのが鉄則だぜ?」


 しかし現れた相手の姿と発言を理解した時には、全てが手遅れだった。

 僕の身長を凌駕する巨漢は、後ずさる前に外套の胸元を掴んで手繰り寄せ、超至近距離で顔と顔を突き合わし。

 血管が浮き出た前腕で僕の体を吊り上げてから、右目の裂傷が際立つような鬼の形相で凄んだ。

 ちなみに髪の毛は一本たりとも生えていない禿頭だったけど、気づいた所で状況は何一つ変わらない。


「陰でこそこそ文句垂れてた癖して、大人しくなったもんだな! おい、さっきの威勢はどうした」

「ちがっ……僕はただ正直な感想を口にしただけで」

「余計に許せねぇよ」 


 突き飛ばされて軒下に尻もちをつく。

 関節を鳴らして迫る巨漢は、光に照らされる事で迫力増し増しである。


「ごめんなさいと一言添えればよかったのに、気が変わったぜ。お代は体で支払ってもらう」


 激しい鍛錬の跡が残る足を覗かせ、重心が一切ぶれない引き締まった肉体を惜しげもなく晒している。

 道着を着崩している魔族は、近くで見るとなかなかどうして人間にしか見えなかった。

 アズルカナンドにいるからには魔族で間違いないのだろうが、翼や尻尾がついていたり、体の部位が多いわけでもない。

 極めつけは流暢りゅうちょうな人族語だ。なまりや言葉遣いの齟齬はあるにしても、会話が成立するレベルの習熟度で話している。

 人外しか存在しない土地では、妙な親近感が湧いてしまう。


 ――だからといって、はいそうですかと殴られるのも御免だけど。


 通ってきた道には自分なりの目印をつけていたので、仮称クルミア家に帰る手立てがあった。

 太くはないが細くもないあいつなら、路地の細道で撒けるはず。

 さっきから蚊帳の外になっているクルミアは気がかりだが、彼女もこの辺りの地理には詳しいようだし、後で合流し直すのが最善手。

 瞬時に判断し、回れ右をして遁走する。


「おいこら待て」


 そうは問屋が卸さなかった。

 目算よりも恐るべき勢いで伸びた魔の手が、フードごと頭をがっちり捉えたのだ。

 首だけで制止され、前につんのめっていた体との乖離で脊髄がもげそうになる。

 無様にも再び尻もちをついた僕は、何度目かも分からない痛みに、そろそろ尻が裂けるんじゃないかと本気で考え始めた。


「手前のケツには興味ねぇ。ったく、人を怒らすのが上手い奴だな」


 どうやら声に出でいたらしい。

 魔族は怒りに呆れを滲ませて、逃げようとしていた小道の前に立ち塞がる。


「謝りもしないかと思えば、すぐさまトンズラここうってその性根、全てが最悪。親の顔が見てみたいもんだぜ」

「……ごめんなさい」


 策が潰されて諦めたという面があるにせよ、店主らしい魔族の態度で面目ないと思ったのも事実だ。

 クルミアと同じく、理性を持ち合わせた者の顔をしている。

 考えてみれば言語や独自の文化を持っている時点で、野蛮な無頼漢ばかりという事はないはずだった。


「少しは素直になったか。おし、あばら一本くらいで勘弁してやるよ」


 と考えていた僕が愚かだった。

 恩赦があると油断してみればこれだ。顔面ならまだしも、胸骨を折られて臓器に刺さったらどうするつもりなのか。


「胸に力入れとけ!」

「いきなり撃ちにかかるのは反則だろ!」


 あと胸筋に力を入れるのって結構難しいんだぞ。


「オラ、ァ……!?」

「っ――」


 これ以上の御託はいいとばかりに僕は立たされ、必殺級の右ストレートが間髪入れずに繰り出される。

 僕は左に重心を傾けて避けようとしたのに、筋肉が痙攣する鈍い痛みで反応が遅れた。

 前日の疲れが寝ただけで回復するわけもなし。


 そもそも今日の観光案内は魔力と体力回復に効く丸薬を買うという目的も含まれていたのに、何をどう間違えてこんな事になっているんだ。

 矜持として目を開いたまま痛みを待ち構え、ついでに現実逃避も織り交ぜておく。


「あれ、痛くない……?」


 裏腹に寸刻経っても衝撃が訪れず、戸惑ってしまう。

 すると不思議な事に胸の前でその拳が止まっており、よく見ると店主魔族の剛腕に蛇柄の尻尾が絡みついていた。


「王女様にしちゃ、連れを助けるのが遅すぎるんじゃないですかね?」


 土俵からしばし退場していたクルミアが、剣呑かつ威厳たっぷりの仁王立ちで話す。


「ギンジ君にも非があるにせよ、これ以上の狼藉は認められないわ。ガロック・ゲオーロギア、魔王国アズルカナンド王位継承権第二位、ラミーリィ・クルミアルドが命じます。今すぐ矛を収めなさい」

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