第二十一話 魔王国アズルカナンド

「は? ん? え?」


 一音節を三回繰り返してから、僕は地面の感触を探る。

 いや、もはや地面ですらなかった。力を入れればやんわりと跳ね返す低反発の感触に、思わず勢いをつけて跳ね起きる。


「森の中にいたはずなのに……どうなってるんだ」


 室内である事は疑いようもない優美な空間だった。

 自分がちょうどお尻を置いているのは、指紋の凹凸すら感じられそうな滑らかなシーツの上で。

 右を向けば朝鳥をあしらった透明な素材で作られた水差しと、渋茶の棚が絶妙な調和を生み出しており。

 左には採光窓に短冊状の格子がかけてあり、柔らかな陽光を部屋いっぱいに伝えている。

 他にも辛うじて魔族語だと分かる本がぎっしり詰まった本棚や、豪奢なドレスとアクセサリーが覗く洋服入れ、ひいては巨大な三面鏡が目を引く。


「不可抗力だったし仕方ないけど、ここに連れてくるのはもう少し後にしたかったわ」

「そろそろ説明してくれないと、状況の変化に頭がおかしくなりそう」


 クルミアにしか理解できない独り言を続けられても困る。あと、いつの間に横に座ったんだ。


「どんな手品を使えばあの窮地から抜け出せるのか、さっぱり分からん」


『五里霧中』の移動も霧が伸ばせる範囲に限られている。乾燥した場所では難しかったはすだ。

 それにクルミアの魔力は回復していなかった。依然として悪い顔色が、それを証明している。


「そんなの、入れ替わり人形の『魔具』を起動させたに決まってるじゃない。これも教えたはずなのに、もう忘れちゃったの?」


『魔具』――特定の魔法をあらかじめ込めておき、微弱な魔力でも起動させられる代用品。

 いざという時の切り札として、また自営用として戦闘を生業としていない商人などが持つという。

 なるほど確かに、転移の魔法が入っている『入り替わり人形』は、安全圏への退避に最適ってわけだ。


「持ってるなんて一言も言ってなかったし、あるならあるでもう少し早く使えよ!」


 それにしても、死ぬ直前になってから使うのでは悠長すぎやしないだろうか。

 下手すると人形が助かって、身代わりの身代わりになるというなんとも本末転倒な最後もありえた。

 死ぬ気で駆けずり回った僕の労力を返せ。


「ふふっ、ごめんね。ギンジ君を次の段階に連れて行っても大丈夫なのか迷っちゃって」

「それはもう聞き飽きた……ん?」


 笑顔を貼りつけているのに、どこか物憂げな表情をたたえるクルミアを横目で気にしてから、発言の意味をゆっくり咀嚼する。


「って事はつまり――」

「――うん。思い切って、ギンジ君を招待する事にしたの」


 ぼふん、とベッドから立ち上がったクルミアが窓の外を指し示す。

 柵に囲まれて外が見えずらいだろうと想像していたのに、傾斜をつけて設置されたそれは、景色を阻害させない工夫が施されていたのだ。


「なんかもう、驚き過ぎて逆に落ち着いてきた」


 クルミアに倣って外を見れば、オーリッド村とは一線を画す異世界が広がっていた。

 紫色の大地を軽快に歩く二足歩行の馬男。

 向かいの商店では、店先の両端まである怪鳥の姿焼きが香ばしく香り、値切りの言い合いをしている軟体動物と鳥女。

 目線を下ろせばゲル状の生き物が目と体内の臓物を透かし、粘液を引きつつ通りを闊歩している。

 どこにも人間はおらず、姿形が同一の存在も見受けられない。


「ここは魔大陸唯一の国にして、最後の亡命線『魔王国アズルカナンド』。客人として、君を歓迎するわ」

「……さんざん勿体ぶってた理由も、とりあえずは納得しとく」」


 言い回しに含みを感じるが、元々母国語で話していないのだ。

 スカートの端をちょこんとつまんで、得も言わぬたおやかさを滲ませるクルミアに、僕は曖昧なお辞儀をした。


「お、急に眩暈が」


 そして、酩酊にも似た疲れによろめく。

 汗を手の甲で拭ってから、壁伝いに笑う足を持ち上げて――自然と元のふかふかシーツへ逆戻りしてしまう。

 安全だと気を抜いた途端の途方もない虚脱感。

 まだまだ積もる話と文句が残っているのに、もう首が座らない。


「私も疲れたし、一緒に寝ちゃおうかなー」


 あえなく甘い香りがする枕にうつ伏せで倒れ込むと、からかうような声色が左から聞こえてくる。

 次にぼふん、という眠気を増幅させる振動と一緒に、汗臭い香りが混じる。

 十中八九クルミアだろうが、もはや言い返す気力が残っていなかったし、僕も最近は女心を理解しつつある(というか、自分が言われたくない事に気をつければいいのだ)


「うん、おやすみ……」

「うえーつまんな。そんなんじゃモテないわよ」」

「無信仰者は結婚禁止だから関係ない……」

「それ、一番めんどくさい返し方ね……」


 薄目を開けば尻尾と足を僕の太ももに置いて、やはりうつらうつらしているクルミアの顔がすぐ横にあった。

 普段は恥ずかしがっているのと、一連の不埒な行為によって距離を置いて寝ているので、やはり相当に疲れているのだろう。


 にしても、聡いクルミアなら危ない橋を果たらず逃げ道を教えるなりするだろうと踏んでいたのに、当てが外れて死ぬ思いをした。

 次の段階、魔王国アズルカナンドに並々ならぬ思い入れか、僕を連れてきたくない事情でもあったのか。

 いや――クルミア頼りになっていた僕も反省しなくては。逃げ道がある前提で話を進めて、本当に無策だったらどうするつもりだったんだ。

 足掻くのだけは上手くなって、おつむが足りないったら。


「ギンジ君臭いし、明日はまず洗濯ね……」


 反省していた僕の耳元で、まどろむクルミアの声がする。


「……そっちが言うのかよ」


 起きてからの質問も考えようとしていた僕は、心のメモ帳をびりびりに破く。

 明日の事は明日考えよう。きっと、準備が無意味になるような予想外の連続に決まっているのだ。

 穏やかな寝息に合わせて、自分自身にそっと囁く。


「お休みなさい」

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