第二十話 霊木

 見上げた先には、空を覆っていた巨木すら霞む、霊木と評するべき大樹があった。

 大地の栄養を根こそぎ吸収して成長してきただろう周りには、むき出しの地面が広がっているだけで。

 他の植物は芽吹く事すら許されていないようだった。

 燃えていなければ、さぞかし霊験あらたかな雰囲気を醸し出してくれただろう。


「ちょっとずつ傾いてるわね」

「何で冷静なんだよ!」


 見通しがよくなったせいで、それだけで森を半分潰せてしまいそうな幹が、こちらへ倒れてくると分かってしまったのだ。

 随分前から引火していたようで、枝葉の先まで煌々と灯っている。

 煙に巻かれて、遠くまで把握していなかったのが裏目に出た。こんな事になっているなら、もう少し頭を働かせたものを。


 引き返そうにも、後ろは既に火の海だ。

 それに、我武者羅に走ったせいで正しい方向感覚が失われている。道が開けていても、海に出られる保証はどこにもなかった。


「でっかい木なんだから、もうちょっと踏ん張ってくれ! って、あっち!」


 背中までちりちりと焦げる音がしたので、慌てて広場になっている霊木の前へと躍り出る。

 さっと振り返ると、つい先刻まで立っていた雑草と落葉の地面が赤染めされ、瞬きする間に炭になっていた。

 自然の檻に閉じ込められた――ともすれば、死ぬのが多少遅くなっただけとも言えるのか。


「さっきから落ち着いてるって事は、何か策があるんだろ! なぁクルミア!」

「うーん。一匹倒したなら条件は達成。でもこのまま連れて平気かしら……?」

「まだその話!?」


 一体どれだけの間迷っているのか、抱きかかえられた姿勢のまま、クルミアはあずかり知らぬ何かに逡巡しているようだった。

 こうしている間にも僕たちは押し潰されようとしているので、ある意味尊敬すべき精神力なのかもしれない。

 でも。


「ねぇねぇ、このままだと冗談抜きで天に召されるんだけど!!」


 無信仰者の僕は天ではなく奈落へ落ち、来世など存在しない的な罵詈雑言を浴びた経験から、ここは普通に死ぬと言った方がよかったかもしれない。

 ただし、この突っ込みをしていいのは煙で燻製にされ、火に体を炙られた経験のある者に限る。


 久々に見えた太陽は圧倒的質量に阻まれてすぐに隠れ、一際強い振動と共に根っこも千切れる。

 乾燥した地面が罅割れ、その境目にまで煉獄が伝う。

 さっと視点を上げ直すとあら不思議、あと少しで勢いよく倒れてきそうではありませんか。


「あーこれもう終わりなのかな!? ギンジの大冒険はここで幕切れ来世にどうぞご期待ください!」


 半ばやけになって、クルミアを抱いたまま疾走。

 どこかにまだ道が隠されていて、助かるのではないかと。

 諦めるのは簡単でも、取り戻すのは難しい。

 限界だからこそ、自分が試されてると思うんだ。


 ――なんちゃって、本当は発狂しそうです。


「全方向きっちり塞がれてる感じだこれ」


 結果からして期待外れもいい所、鼠一匹通れそうにない灼熱の嵐だった。

 狂乱ゲージが切れて、その場にしゃがむ。


「ギンジ君……」

「心苦しさを押し殺して最後に言わせてくれる? ――そんな悲しげな顔をするんだったら、最初から脱出経路を教えてほしかったです!」


 弱音を吐くのは次死ぬまでなしにしようとか殊勝な考えをしていた自分は、熱と共に蒸発してしまった。

 次の段階とやらに随分ご執心だけど――いや、僕も人の事は言えないが――それでも、死んだら元も子もないじゃないか。


「耐えて、そんであわよくば反対側に倒れろ!」


 ギイイイイイイイイ!


「ことごとく期待を裏切っていく!」


 願いも虚しく、主要な根が地面からその足を離した。

 耳をつんざく轟音と、揺蕩いうねる猛火に肌の呼吸さえも止めそうになる。

 汗をかく水分はとうに残っておらず、補填するように瑞々しくも苦い思い出が体内を満たす。

 義父母と仲良くなかった幼少期、奇跡の迫害に怯えた少年期、短いながらに激動だった青年期。

 断片的な記憶と風景が駆け巡るこれは、走馬灯というものだろうか。


 目が一瞬で充血する乾燥具合に、これから死ぬのだという恐怖も相まって、無意識の内に瞼を下ろしていた。


「よく頑張った方、なのか」


 唇を微かに開く。

 時を同じくして、空気を切り裂き、焼け焦がす自然の炎刀が肉体を潰さんと襲いかかって。

 嫌な思い出ばかりだったけど、アカネと過ごしたかけがえのない日々、そして変わり者の魔族と一緒に成長できたこの瞬間だけは、悪くなかった。


「――ってやっぱり嫌だ!」


 一生を振り返ってから改めて思うと、僕めちゃくちゃ未練残してるじゃん。

 アカネとは会えずじまいだし、クルミアへの恩返しが済んでないし。

 それに、魔法が使えるようになって修行が楽しくなってきたんだ。

 まだ死にたくないんだけど。


 しかし悲しいかな、絶叫して瞼をこじ開け、振り仰いだ僕の視界に入ったのは、赤、赤、赤。

 ひとたび傾いた後に残された時間が、多いはずがなかったのだ。

 炭特有の黒く、それでいて重圧感のある木肌が鼻先をかすめ


「仕方ない、進みましょう!」


 たかと思えば、僕はふかふかの地面に寝そべっていた。

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