白銀の魔法使い

飴色あざらし

プロローグ

第一話 少年と少女

 八月。

 羽虫たちが騒がしい音色を奏で、夏の香りが鼻をくすぐる。


 僕は口笛と共に、踏み固められた道を迷いなく進んでいく。

 ここは僕が暮らしているオーリッド村。人口が約百人程の小さな村で、周りを見渡しても緑しかない。

 農業が強みらしいけど、作ってるのは普通の野菜ばかりで名産とはお世辞にも言えない。

 ――この前村長にそのことを冗談半分に言って、強制耕作の刑になったけど。


 叱責された時の事を思い出し、僕は口笛を吹くためにすぼめていた口をへの字に曲げてうなだれる。

 何を隠そう、その罰は今日になっても続いているのだ。

 村長のおじさんと畑を耕すのは全くもって楽しくない上に、収穫した野菜の運搬という一番大変な作業を押し付けられてしまった。


「ふぅ、この重さからして村長、僕のカゴだけ多く野菜入れてるだろ」


 歩く度に増していく野菜の重さに愚痴をこぼしつつも、一定のペースで目的地へと向かう。

『奇跡』が使えない僕にとって、真夏の運搬作業というのは地獄極まりないものだ。

 荷重に耐えなくてはならないし、移動も徒歩のみ。カゴで野菜を運ぶなんて特定の人からすると笑いの種だ。


「どうせ僕は無信仰者のちんちくりんですよーだ……いててて」


 重労働のせいか腰に痛みが走りだしたものの、ここで倒れれば納品未達成で仕事追加、そんな最悪の事態も有り得る。

 ここで倒れてなるものか、と僕は仕事からの解放を目指して気合を入れ直す。


「おーい! こっちこっち!!」


 そのまま歩き続ける事十分。ようやく着いた。

 手を振っているのはアカネ。整った目鼻立ちに、快活という言葉が良く似合う少女だ。

 アカネは小さい頃からの幼馴染であり、僕の親友だ。

 今日の仕事は八百屋をやってる彼女の家に、この野菜を届ける事。


 長かった1週間の罰もようやくお終いかと思うと、足にどっと疲れが溜まってきた。

 僕はカゴを地面に降ろして、そのままへたり込むように座る。


「お疲れ様ー! ここまで来るの大変だったでしょ」

「野菜が重すぎて死ぬかと思ったよ」

「カゴからはみ出るくらい入ってるもんね」


 朱色の髪を揺らしながら、僕の隣にアカネが腰掛ける。

 太陽の光を浴びて髪が輝き、一瞬目で追ってしまう。


 アカネはカゴから野菜を取り出し、井戸水のたまった桶に入れていく。

 村に一つしかない八百屋の看板娘であるアカネは、毎日こうして家の手伝いをしているそうだ。

 学校に通いながら働くアカネに、僕は心の中で敬礼した。


 隣で野菜の泥落としを手伝いつつ、他愛もない話を楽しむ。

 今日はこの時のために頑張ったのだ。少しくらい休んだって誰も文句は言うまい。


「今日でギンジの仕事もお終いだっけ? 毎日ヘトヘトになるまで頑張って偉かったね」

「おかげさまで毎日筋肉痛だけど、体力がついてよかったと思うことにする」


 それを聞き、にやりとしたアカネが僕の太ももを人差し指で小突いてくる。

 疲労困憊の足に刺激が加わって、危うく攣りそうになった。


「いてぇ! 何するんだよもう」


 しかめっ面で抗議するとアカネは「ごめんごめん」と、全く悪びれない笑顔でそう言った。すると、それだけで僕の釈然としない気持ちは、どこかへ吹っ飛んでしまう。

 

「まあいいけどさ」


 アカネの顔を見ていると、細かい事がどうでもよくなってしまう。

 熱くとも、僕らを柔らかく照らしてくれる陽だまりで、当たり前の日常が過ぎていく。

 落ちこぼれの自分を忘れ、没頭できる時間。

 これに勝る幸福はない。


「全然減らないね」


 その後、アカネが桶の水を僕にぶっかけるハプニングが起こった事以外は手際よく作業を続けていたけど、ふとした瞬間にアカネがそうぼやいた。確認すると籠の中の野菜は多少減っていたものの、依然として底が見える様子はない。

 

 あの村長やっぱり多めに入れやがったな、と心の中で悪態をつく。特産品の悪口だけでそこまでするのか。

 アカネと話す時間が長くなるのは願ったり叶ったりでも、正直この無限に続く単純作業に辟易している自分がいるのもまた事実。


「仕方ないなぁ。使っちゃおうか」


 アカネは額の汗を拭いつつ、仕方なくと言った様子で腕をまくる。

 ばつが悪そうな視線をちらちらと向けてくるアカネ。気にしないと言っているのにいつもこうだ。


「いちいち確認しなくてもいいって」

「でもギンジに悪いかなって……いや、やっぱなんでもない!」


 何かを訴えかけたアカネに、半眼で不服の意を伝える。

 見下されるのは辛いものの、気遣われるのも御免だった。

 度を超えた優しさは時に残酷で――虚しい。


 今ので気持ちを切り替えたらしいアカネは、絡めた両手を野菜に、正確には野菜をぷかぷかと浮かしている水に向けて目を閉じ、見えない何かに祈るように集中する。   

 ここが教会であれば、アカネは敬虔な信徒に見えた事だろう。


 アカネの額から大粒の汗が吹き出し、頬を流れ落ちたその時。

 奇跡が起きた。

 アカネが一心に意識を注いでいた水が何の予兆もなく、ひとりでにさざ波を立て始めたのだ。


 その波は次第に大きなうねりとなっていき、野菜同士がぶつかり合う程の水流となる。

 そして、それで終わりではない。

 アカネがその場に立ち上がり両手を包むと、その水流は意志を持っているかのように野菜にまとわりつき、こびりついていた泥を一つ残らず落としていくではないか。

 

 固まって落としにくそうな汚れまでもが、一瞬で水に吸い込まれていく。抵抗していた野菜が急に大人しく、無抵抗になったかのようだ。

 野菜達はそんな超常現象によって、ものの数十秒でピカピカに磨かれたのだった。


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