第109話 人工知能、希望を捨ててはいけない②

 ロベリアは、一瞬表情から色が消えた。

 スピリトは、覚悟していた事の様だったが目を伏せざるを得なかった。


「私は、それを要求しません。それは誤っています」


 エスはそんな事を呟きながら、首を大きく横に振った。同時に魔石が僅かに明滅を繰り返す。あまりにショックなことに、魔石内の魔力が呼応してしまったのだ。


 勿論、クオリアが言葉を失ったのは言うまでもない。

 アイナの状況をラーニングすれば、それも在り得た。演算できていた。

 しかし、クオリアの何かがその解を否定していた。

 そんな未来を照らしてほしくなくて、否定していた。


 しかしその医者が暗黒の可能性を告げた事によって、クオリアの視界が一瞬昏くなった。

 アイナがいる明日が、永遠に来ないかもしれない。

 そんな環境の変化に人工知能は対応できても、クオリアは生きていく事はできない。


「……状況、分析、開始……」


 クオリアは演算を開始する。

 最適解の算出はいつも行ってきた。アイナの体内状況なら十二分にラーニングしてきた。

 後はシャットダウンとしての演算能力によって、アイナの目が覚める最適解を算出すればよい。


「……最適解、最適解……[N/A]」


 しかし、いくら演算してもクオリアの中で最適解は算出されなかった。

 

 アイナの意識が目覚めないのは、アナフィラキシーショックによって発生した脳へのダメージの為だ。もう免疫の暴走も止まっている今、5Dプリントによって脳を修復するための物質を生成すれば確かにアイナは目覚めるかもしれない。

 だがそんな事をすれば、またアイナの体はそれを異物と判定し、また免疫の暴走を起こす。アナフィラキシーショックを起こす。アイナの状況を鑑みれば、もう次は死亡確定だろう。


 脳のダメージを修復すると、免疫の暴走によってその前にアイナが死ぬ。

 人工知能でも紐解けない、板挟み状態ジレンマだった。

 

 そして突然、クオリアはこんな事を喋りだす。


「せ、説明を要請する……アイナのバックアップはどこか」

「バックアップ?」

「最適解、算出……バックアップからリカバリを実行する事で、アイナを元の状態に復元する事が出来る」

「バックアップって……何」


 この世界に、バックアップという概念はない。

 魔術人形すらも、初耳の概念だった。


「対象が破損し修復不可能になるリスクに備えて、内容を複製し、別の記憶装置に保存する技術を指す……そのバックアップから、アイナの情報を復元すれば……」

「クオリア君!」


 ロベリアに大きな声で叫ばれ、かつスピリトに両腕を握られて揺さぶられた。

 その時のクオリアの顔に、一切の余裕はなかった。

 まるで怨霊に取りつかれたかのような、強張った表情だった。


「人間に、バックアップとか、そんなのはないんだよ……? 人間は、一つしか命が無いんだから……」

「……[N/A]……[N/A]」


 誰も聞き取れない譫言を呟きながら、クオリアがその場で崩れるように座り込む。

 沈黙したクオリアに、医者はそっと肩を叩いた。


「……希望を捨ててはいけない」


 それは医者ではなく、一人の人間として託された声のように感じた。


「悪い言い方だった。目が覚めないかもしれないという事は、同時に目が覚めるかもしれないという話だ」


 医者は、辺りを見渡す。

 ロベリアにも、スピリトにも、エスにも。

 この場に居合わせた全ての人間に言い聞かせるように、力強く口にするのだった。


「いいかね、希望を捨ててはいけない」



         ■              ■



「クオリアを殺そうとした我が第零師団はどうなったのだ」

「皆殺しにあった。情けないことに、雨男アノニマス一人に。そのせいで第零師団の遺体からトロイが特定される可能性がある」

「このままでは代々トロイを支えてきた第零師団の面目が立たぬ」

「ウッドホース殿も相当焦っている」

「ウッドホース等どうでも良い。我々は血を好み肉を愛し骨も抱くのが悦び。生命を喰わねば無呼吸と同じ。殺戮を咀嚼してこその第零師団だ」


 ……ロベリア邸から少し離れた月夜の下、複数の黒衣がはためいていた。

 全員、黒い布で口元を覆っているが為にその表情は読み取れない。それでも唯一露出した眼には苛立ちが隠せないまま、建物の上からロベリア邸を睨み続ける。

 その第零師団にあって師団長を務めるロッキーは、一番前で腕組をしながら世界を見下ろす。


「もとより第零師団はトロイとは対等であれ、トロイの下に着いた認識はない。おのれウッドホース。そろそろ奴の勘違いした態度にも飽き飽きしてきた頃合いだ……」


 一同が全員頷く。


「なればこそ、もう一つの使命であったロベリア姫暗殺を果たすことで、我々の価値を復活させるのだ」

「しかしこれより姫を討ち取るというのは、武者震いがしますなぁ……」

「所詮は娼婦の子よ。しかし王女を弑するのは第零師団の歴史には無い事。なればこそ姫を討ち取るという大挙をもって、真にトロイを操り、アカシア王国を震撼させているのが誰かをはっきりさせようぞ」


 全員がマスクの下、不敵に笑う。


「さあ、各員配置に着け。最強の暗殺集団たる我々第零師団で、あの小娘共に希望の捨て方を教えてやるのだ」

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