エピローグ

NEW DAYS

 糸居紘太失踪事件から一週間が過ぎ、ツカサは徐々に元の生活を取り戻していった。とはいっても、仕事は相変わらずのペット探し。なにもないときは公園でスケートの練習をしたりして体を動かすだけだった。

 紘太の母親に真実を告げたのは警察だった。ツカサは自分に責任があると感じてその役割を担おうとしたのだが、鯨岡が頑なに止めた。その理由は正直わからない。だが、鯨岡の行動が自分を護ろうとするものだということはわかる。そこに以前より信頼感が増したのは間違いない。

「ツカサー、暇だぞー、どっかいこーぜー」

 部屋の奥でめんどくさい同居人が声を上げている。一緒にいても正直ケンカばかりであまりいいことはないのだが、このAIをきちんと〝養う〟のもツカサの役目だった。

 ちなみにあの日、ロケットの内部でクサナギが話したことは誰にも言っていない。それを誰かに話すことによってなにか不利益があるのか、そういうことを計算したわけではなかった。

 ただもしかすると自分は、またこのスケート靴と冒険する日のことを考えているのかもしれない。ツカサは最近になってそんなことを強く思う。

 ツカサが朝ご飯を片づけていると、玄関のチャイムが鳴った。

 ドアののぞき穴から、サングラスをかけた剃り込みオヤジが無粋な表情で突っ立っていた。なんだかこのごろ毎日のようにうちに来る。

「なんか用?」

 玄関を開けて素っ気なくそう言うと、いつもは車にいるはずの白蛇もすぐ近くに立っている。

 普段ならあからさまに不快な顔をするツカサだったが、今日に限っては眼が少女マンガのようにきらめいた。

「よ、よるちゃん!?」

 白蛇が抱いていたのはマンチカンのかわいい子猫。ツカサの顔を見てしきりに鼻を近づけようとするその姿を見間違えるはずはなかった。

「け、結局白蛇さんが飼ったの?」

 白蛇は小首を傾げて鯨岡の方を見た。なんだか艶っぽいアイコンタクトが気持ち悪い。

「ほら」

 鯨岡がひと言。ほら、じゃないなんなの、とツカサは唇を尖らせる。

「飼え」

 ツカサはずっこけそうになった。この単語の応酬はなんなのか。しかも鯨岡は心なしか頬を赤らめていた。いきなりうちに来て猫を飼えと照れながら言う中年親父を前にして、どんなリアクションを取れというのか。

 ――え、飼え?

 そこでようやくツカサはこの事態の異常さを実感した。

「よるちゃんを? なんで? だってこのマンション……」

 鯨岡はひとつ咳払いをした。ちなみに彼の場合、咳払いにも昭和ロボットのエフェクトがかかる。

「WOPでは保護動物の里親募集に力を入れている。しかしだ、一方でWOPが管理運営するマンションの一部で、ペットの飼育が禁止されているのはどういうことだ、という苦情が入った。そこで本部は実地試験もかねて集合住宅でのペット飼育を認めることとなった。ここはそのテストケースに選ばれている。だから猫も飼っていい」

「は、はあ」

 長い話は半分も耳に入っていない。すでにツカサは子猫を手にとって愛でまくっていた。ツカサの匂いを覚えているのか、よるちゃんの方もリラックスして眠たそうにしている。

「ここのマンションがテストに入るよう骨を折ったのは隊長――鯨岡さんなんですよ」

「よ、余計なことを言うな!」

「へー、ありがと、オジラ」

 ツカサはこれまた素っ気なく言った。鯨岡はしばらくそこに突っ立ったままだ。

「まだなんか用?」

 意地悪そうにツカサが言うと、後ろで白蛇がくすくすと笑った。

「鯨岡さんはハグしてキスしてほしいんですよ」

「ぶっ、パイシエ、貴様!!」

 ツカサは鯨岡に向かってあかんべーをした。そりゃ、素直に感謝したい気持ちはある。しかしさすがに朝っぱらからこの男に抱きつくのはごめんだった。国籍不明ではあるものの、自分の精神性は完全に日本人なのだ。しかも思春期真っ盛りなのに……。

「い、いいか、ちゃんと面倒を見るんだぞ。絶対に捨てたりするなよ! ここを推薦した俺の面目が台無しだからな。あと――」

 鯨岡は部屋の奥の方を覗くようにして、

「あのスケート靴もよく監視しておけ!」

 そう言い捨てて玄関から出て行く。ドアを閉めようとしたとき、ツカサは声を上げた。

「サンキュー、みんなによろしく!」

 鯨岡は視線だけをこちらに向けて――それからふっと微笑んだ、気がした。ツカサはその姿に多少衝撃を受けた。あの男の微笑みを、嬉しいと思う自分がいる。そのことに気づいて、なんとなくツカサは寂しい気持ちになった。

 なんで自分は、あの人と〝他人〟なんだろうな……。

 ツカサはそんな自分の感情を追い払うように首を振った。そして子猫を抱いたままリビングに向かった。

「げげ。騒がしいと思ったらその小動物はなんなんだよ。てめぇ、オレに無断で同居人を増やそうってんじゃねーだろーな!!」

「なんであんたの許可が必要なのよ! 第一ここはあたしの部屋なんだからね!」

「へへーん、その家賃を出してもらってるのはどなたですかー。悔しかったら自分で家が買えるくらい稼いでみろよ!」

 相変わらずに口が悪いし、痛いところをつくのもうまい。こんなのがいるところでペットを飼って、果たしてうまくいくのだろうか。

 ツカサが苛ついていると、腕の中にいたよるちゃんがぴょんと飛び出してクサナギの方に向かっていった。ひらひらと動くシューレースに興味津々のようだ。

「にゃーん」

「にゃーん、じゃねーよこの猫ちゃんがーっ! ほれほれ、遊んでほしいのか? これでどうだ、これでもくらえ、ふえぇぇーっ、嬉しいでちゅか、よいこちゃんでしゅねー!」

「は……」

 ツカサは最初、クサナギが皮肉たっぷりにふざけてるのだと思った。子猫が嫌いだから逆に好きなふりを演じているのかと。しかし違った。巧妙に猫を操り、可愛いしぐさを引き出しながら、びゅんびゅん靴紐を振り回して喜んでいる。

「な、なんなんだよこいつ。めちゃくちゃかわえー、た、たまんねーーーっ!!」

「いや、引くし……」

 完全に猫の魅力に取り憑かれたスケート靴と、その予想できない動きに大興奮のよるちゃんを、呆然と立ち尽くして見つめるツカサ。

「ち、ちくしょう、これはネットのビッグデータによる人格形成のもうひとつの副作用だ。ね、ね、猫が好きでたまらん!!」

 確かにネットには異様なほどの猫の写真や動画が溢れかえっている。インターネットが普及してから、猫の飼育数が初めて犬を追い越したというのをテレビのワイドショーでもやっていた。

 ツカサは意図せずクサナギの弱点をもうひとつ発見してしまった。

「ツカサ、おまえわかってんだろうな! 猫を飼うにあたってはさまざまな準備が必要だ。トイレのしつけも必要だし、壁紙を保護するツメ研ぎマットも買う必要がある。家の外には出すなよ。外は危険が多すぎるからな! 餌は品種に合ったものにしろよ! うおおおっ、それよりまずは予防接種だ! なんにしろ出費がかさむな。よし任せろ、オレが国家機密費をちょろまかして振り込んでやる!」

「そ、それだけはやめて! ちゃんとあたしがお小遣いで買うから!!」

 ツカサはいつかのようによるちゃんをデイパックに入れた。そしてクサナギをつかんで玄関に運び、ブーツを足に装着する。以前と違うのはクサナギが勝手に紐を締め、ほどよくフィッティングさせてくれることだ。

「ホントは公道を走っちゃダメなんだけどね」

「バカ言うな。他でもないよるちゃんの生活用品を買うためだ。安心しろ。この街の防犯カメラは完全に掌握し、おまえの姿を消去するように調整してある」

 ――なんか、完全に犯罪だと思うんだけど。

 とはいえ、クサナギと走る爽快さを思えば、その欲求には抗いがたかった。

「クサナギ、あのさ……」

 立ち上がってストレッチしながら、ツカサが訊いた。

「ロケットの中で言ったよね。またあたしと走りたいって。あれは本音でしょ」

『はぁ? 覚えてねーなー。どっちにしろ選択肢がねぇじゃねーか。この地球上でおまえ以外の誰にオレが扱えるんだよ。その辺の馬の骨に乗りこなせるもんかよ』

 いつも通りの憎まれ口。だけどそれが聞けてツカサは嬉しかった。だいたい、自分で性能を自慢するくらいのスーパーコンピューターであるクサナギが、言ったことを〝覚えてない〟なんてあるわけないのだ。

『大泉のホームセンターでセールやってるぜ』

「よーし、まずはそこにいこっか!」

 ツカサは玄関のドアを開けた。

 眩しい光が、空の隅々までを照らしていた。

 暑くて熱い新しい季節が、今年も始まろうとしていた。



〈完〉

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高速探偵ツカサ ~パラドキシカル人工相棒~ フジシュウジ @fuji_syuzi

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