3.飛翔
風がばぁん、とツカサの顔をはたいた。痺れるような感覚が気持ちいい。自分が呆れるほどのスピード狂だと気づいたのはつい昨日のことだった。
速度が乗ると、クサナギの指示でツカサは車から手を離し、スキーの滑走姿勢で風を切った。
〈リニミュー〉が軽快に稼動し、ツカサはぐんぐんスピードを増していった。
ロケットまでの距離はあまりにも短い。そこに辿り着くまでにトップスピードに達するため、クサナギは全力運転だ。皮肉なことだが、その加速こそロケットのようだった。ロケットスタート、とはよく言ったものだ。
加速によって血流が背後に回り、ツカサは目の前が暗くなるのを感じた。と同時に、視野の外側がオレンジ色に輝きはじめる。そんな経験は初めてだった。脳への血流も減り、ツカサの意識は断続的に途切れては戻った。
ほんの一瞬だが、走馬燈のようなものさえよぎった。辛い出来事が多かった幼少時代。世間を恨んでも仕方ないのに、どうして自分はこんな風に生きられたのだろう。
と、そのときクサナギの骨伝導が電流のように背骨を駆けた。
『なにしてる、ツカサ、もうすぐだぜ!!』
はっとしてツカサは顔面の筋肉に力を込めた。どうしてかわからないけど、そうすることで血液を頭に送ろうとしたのだ。
まるで発射される弾丸のように、暗いトンネルをかっ飛んでいく。その小さな視野の真ん中に、太陽の光を跳ね返す鏡のような板が見えた。それはさっき鯨岡たちが設えた、鉄板で作った即席のジャンプ台だった。
「いっ……けええぇぇぇぇぇっ!!」
スケートのウィールがわずかに斜面を捕らえた瞬間、ツカサの全身がバネとなって鉄板を蹴った。一気に景色がパースを変えて、急上昇するドローンのようにツカサは宙を舞っていた。
――すごい。
はるかに広がる海が見えた。だがそれだけでは終わらない。ツカサは放物線を描いて真珠色をした巨大な円筒――磨き抜かれた〈リュウジン〉の胴体へと跳びかかった。
身体を捻り、両脚を前に出して垂直の壁面に〝着陸〟する。それはついさっき、樹の幹を蹴ってコンテナの屋根に飛び移ったときの動きによく似ていた。
猛回転する車輪が円筒の周の一点を捕らえ、強大な摩擦力それに食らいつく。慣性によってつんのめったツカサは思わずロケットに手をつくが、太陽によって熱せられた鉄板は熱く、手袋越しにやけどしそうだった。
『行くぜえぇぇっ!!』
クサナギが気合いを入れた。メカでもそういった気持ちを声に乗せるのはクサナギらしいところだった。ツカサは大きく前後に股を開いて、スピードスケートのスタートのような姿勢をとった。そしてそのまま、静かに、一気に、急上昇していった。
ロケットの胴体をレールとし、重力の束縛の真反対へと疾走するツカサ。その開放感に、目的を一瞬忘れそうになる。壁を真上に駆け登っていくなんて――もう二度とできない経験だろう。すぼまった〈リュウジン〉の先端がわずか数秒で目前に迫った。
だが間もなく、息切れするように速度が落ちた。あっと声を上げて、ツカサは思わず下を見てしまった。地面が恐ろしいほど遠い。まだ小さいときに初めて崖登りをしたときの恐怖がぬっと頭をもたげた。
ツカサは本能的に手を伸ばした。岩から落ちそうになったとき、まず最初にやることは手を伸ばすこと。そこにわずかに引っかかりがあれば神様が
そしてそれはあった。〈リュウジン〉ロケットは三段階に分離する構造のため、そのブロックの境目には必ず上下をつなぎ留めるツメのような部品がある。ツカサはそれにぶら下がった。
『あ、あぶねぇ! おまえロック・クライミングやっててよかったな……』
「たぶんそれ関係ないと思う……運だよこれ」
それでもツカサは次の行動に考えを切り替えていた。ぶら下がったまま時間を無駄に食うわけにはいかない。わずかなツメの出っ張りを辿り、ロケットの反対側に回り込もうとする。そちらには鉄骨を組み合わせた発射台があって、はるかに足場がしっかりしていた。
「も、もうすこし……」
腕の筋肉が悲鳴をあげ、指の爪がどれか剥がれてしまいそうな激痛の中、インラインスケートの爪先が鉄骨の縁をわずかに捕らえた。
と思ったら豪快に滑った。文字通り潤滑油に滑ったのだ。
「ひいっ!」
そのままバランスを崩すと思われたが、落ちたはずの爪先が見えない足場に踏み止まった。不思議に思って眼を凝らすと、なんとクサナギがシューレースを鉄骨の穴に結びつけていた。その勇気ある機転にツカサは感謝した。
『うえぇ~。すっげぇ油まみれになっちまった~』
「サンキュー、クサナギ。終わったらお風呂に入ろうね」
『おまえさ、ここでよくそんなセクハラ発言できるよな』
ツカサはうっかりクサナギの弱点を忘れていた。でも今はそれどころではない。ツカサは改めて発射台の鉄骨を踏みしめ、手で梁のような構造物をつかむと、ようやく不安定なロケットから離れることができた。
『よし、場所もバッチリだ。オレ様の計算はカンペキだな』
満足げなクサナギに、ツカサは当然の疑問をぶつける。
「その、AIを操ってる基盤ってどこにあるの?」
『中だ』
あまりにあっけない返事。
「なかぁ?」
『うるせぇな。もちろん方法はある。目の前にあるのはロケットの先端部分だ。ほら、そこに縦に割れ目が走ってるだろ。今はぴったり閉じてるが、本来はこれがまっぷたつに開いて中から人工衛星が出てくる。フェアリングと呼ばれる部分だ』
ツカサの正面には、紙コップを逆さにしたようなロケットの先端パーツがあった。紙コップといってもちょっとした灯台くらいある巨大なものだ。それを含めた最上段のブロックそのものが、左右に分離できる構造になっている。
『こいつはメンテ用に開いたり閉じたりできる。センサーを騙してフェアリングを開かせることは可能だがな、例の自己診断AIがすぐに異変を察知して閉じちまうだろう。だから開いた一瞬を狙って飛び移れ』
ツカサは頷いた。
「それはいいけど、おんなじAIならなんとか説得できないの?」
クサナギが見せたのは、例によってバカにしたような紐の動き。
『こいつはな、AIっつっても虫みたいに本能と思い込みで行動してるタイプなんだよ。虫に話が通じるか? どいつもこいつもがオレみたいに自由意志を獲得した神AIじゃねーの』
そういうもんなのか、とツカサは納得するしかなかった。
『準備はいいか? いくぞ!』
クサナギがいつ信号を発したのかはわからない。しかしツカサの目前で、確かにフェアリングが音を立てて開きはじめた。それは下段ロケットとの接続部を軸にして、巨大なチューリップが開くような動きだった。それが三分の一ほど動いたとき、クサナギが叫んだ。
『やばい、気づかれた。早く飛び移れ!』
ツカサは瞬時に判断して発射台から飛び出した。足の下には三〇メートルの谷底が口を開けていたが、迷うことも戸惑うこともなかった。パルクールで鍛えた度胸がものを言う。
ロケット内部の半円状の空間に着地すると、すぐにフェアリングは閉じてしまった。あっという間に陽の遮られた漆黒の世界に取り残された。
「明かり、明かり……」
ツカサはポケットに入れた小さなペンライトを取り出し、スイッチを入れた。万年筆くらいの大きさなのに、ちょっと感動するくらい明るい。行きがけに鯨岡が渡してくれたものだが、さすが軍用装備といった驚きの性能だった。
『この壁のすぐ向こうにプルトニウムがある。放射線は安全レベルだから問題ないぜ。そして基板もあった。これだ』
ツカサはクサナギの紐が向いた方向に光を当てた。パソコンの中に入っているような、配線やICが剥き出しのプラスチック板が、壁にビス留めにされてくっついていた。そばには数字を減らしつつある小さなタイマーと、記号や数字のついたハーフサイズのキーボードも貼りつけてあった。まるで時限爆弾みたいだな、とツカサは思った。
何個も口を開けた端子の中に、クサナギは紐の先端を差し込んだ。そして満足そうに唸って、ツカサに言った。それはスピーカーを通したいつもの声だった。
「あと五分。余裕で間に合うタイムだな。ありがとうよ、ツカサ」
ツカサはぽかんとして自分の靴を見つめる。いま、「ありがとう」って言われたよね。なんだかもうひとりの自分に確認したいような気分だ。
この国をテロから救う大事をこなしたのだ。それも当然かな、と思っていると、クサナギは意外な言葉を口にした。ツカサは一転して雷に打たれたような気持ちになった。
「そして謝るぜ。わりーな、おまえをずっと騙してた」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます