2.ハーミット

 スーザは結局自分のスマホを鯨岡に渡してしまった。知らなかったとはいえ、極めて物騒なものを野に放ってしまった責任は重い。

 なによりツカサのことが心配だった。鬼のような児童指導員に捕まった方が幸せなこともあるのだとスーザは思い知った。

 鯨岡たちが去り、再びしんとなったオフィスで、スーザは自身がまとめた〈クシナダプラン〉の報告書を読み直していた。

 多くの研究機関がそうであるように、この先進理工学研究所でもAIに人間社会についての多くの学習を行わせていた。文化とは、文明とは、歴史とは――そういった基礎的なことを客観的に分析させて、マクロな意味での人類の〝存在意義〟というものをシミュレーションさせていたのだ。

 〈クシナダ〉は高度な相互コミュニケーションが可能なAIだった。ただ質問に答えるだけでなく、自分で課題を見つけ考察し、そして新たな課題のいしずえにすることができた。

 そんな〝彼女〟がいつしか人間の未来について否定的な見解をしはじめたのは何もおかしいことではなかった。世界各地でAIたちは、人間はもってあと百年だとか、地球環境を侵して共倒れするとか、中学生が作文に書きそうな予測を次々と立てている。

 その中でユニークだったのは、クシナダが自身による〈人間監察〉に言及していったことだ。つまりは、人間社会を高度にコントロールする存在が必要で、それは知能ある計算機に任せるべき、という割とよくある提言だった。そして彼女はそのためのプランを次々と組み立て、データベースに書き込んでいった。

 金融のコントロールや政治への参画をはじめ、世界同時軍縮のために世界中の軍事システムを強制的に統合すべきという提案もあった。その上で食糧を配給制にし、大規模農業をフルオート化するという、かつて共産主義がその運用に失敗した計画も多くあった。人間をまるごと管理しようという計画なので、そういう流れになるのは必然だったのかもしれない。

 正直スーザは、クシナダの考えがレトロなロボットアニメの悪役みたいで微笑ましいと感じていた。そういったアニメの勝利者は決まって人類だ。いつだって人間はそこまでバカじゃない。

 しかし、世界人口の上昇カーブを管理しようとする提案あたりから彼女は暴走していった。画期的なテクノロジーや仮説を次々と発案し、しまいには人間の染色体にある種の〝コード〟を書き込むことで、出産数にリミットをかける可能性まで言及しはじめた。

 そして手始めに、極めて低出生で勝手に自滅していくゴキブリを作ろうとスーザに持ちかけた。それは改造を施した個体を世界中に拡散させて、全世界のゴキブリの遺伝子を書き換えたあと、突然低出生になって自分から絶滅していくという恐ろしいプランだった。

 スーザはもちろんゴキブリが嫌いだが、世界中からそれをなくす死神になろうとは思わない。ゴキブリだって立派な生態系の一員だ。スーザがクシナダにそう話すと、彼女はスマーク(ニヤニヤ笑い)の絵文字と一緒に「冗談ですよ」と返してきた。

 そんな話を鯨岡たちが聞きつけ、本部に報告するとあっという間に〈クシナダ〉の運用中止が決まってしまった。確かに人間監察は危険性を秘めた計画ではあったが、それを反面教師として人類が変わることもできる。クシナダはそのための議論の下地を作っていたにすぎない。

 正式にクシナダの停止が決まったわずか十日後に、あのウイルス感染事故が起こった。クシナダのメインフレームに虫食いタイプのコンピューターウイルスが入り込み、あらゆるデータを削除していった。

 それは不幸な出来事だったが、スーザには納得できない面もあった。なにしろ、クシナダの演算能力は世界のどんなアンチウイルスソフトの解析も追いつかないほど強大で、その気になれば彼女自身が世界中のコンピューターを破壊できるほどのスペックを誇っていた。それが、シンプルなウイルスの侵入を許し、なすがままに壊れていくことはありえなかった。そしてあの不可解な自己シャットダウンである。

 〈クサナギ〉という〝彼女〟の分身を見たあとでは、あのウイルス事件がクシナダの自演であったことが確信できる。いや、ウイルス自体は実在したプログラムだ。彼女はその攻撃に対しわざとファイヤーウォールを開き、自宅に火をつけさせたのだ。新しい自分を極秘裏に複製した上で――。

 クサナギはクシナダの意志も記憶も受け継いでいないという。しかしその内部には、彼の無意識下ではたらく〝疑似クシナダ〟の存在も確認できた。

 はたして彼女の〈人間監察〉は、彼女と共に息を引き取ったのだろうか。だとすれば、クサナギをこの世界に生み出した意味、そして意義はなんなのだろう。ただ単に自由がほしかっただけなのか。それとも自己保存の本能によるものなのか。消されてたまるか、という意地のようなものだとすれば、スーザにも馴染み深い感情だ。

 スーザは肩をもみながら、報告書の最後のページに目を通した。

 クシナダを攻撃したウイルスからは、イースターエッグが発見された。すなわち、それを開発したプログラマーの署名のようなものだ。多くのハッカーはそうやって自分の仕事を誇示し、名を挙げていく。

 そのハッカーの名は〈ハーミット〉といった。お粗末なウイルスではあるが、彼(彼女?)は運がよかった。WOPの誇る世界最強のスパコンをやっつけた存在として、〈ハーミット〉はしばらくネット界隈で有名になり、そして間もなくそのプログラムの脆弱さをさんざん看破されて消えていった。こんな素人にあんな仕事ができるわけがない、なりすまし乙、というやつだ。

 そのハッカーもまた、クシナダの〝計画〟による被害者なのかもしれなかった。

 しかし事はそれだけでは終わりそうになかった。

 クサナギが〈エシュロン〉を使って検索したワードの中に、確かに〈ハーミット〉という単語があった。言い知れない危機感をおぼえたスーザは、それについても鯨岡たちに教え、真相の究明を委ねていた。

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