2.クシナダ

 工場区画に向かう間、スーザは矢継ぎ早に質問をした。

「で、そのスケート靴ってひとりでも動けるってこと?」

「あ、はい。壁伝いにのろのろとなら。シューレースを腕みたいに使うこともできます」

「……ますます信じられないわ。宇宙人でも乗り移ってるんじゃないの?」

 やはり賢い人でもその発想に行き着くのだ。自分は間違ってない、とツカサは自信を持った。

「いっとくけど、ここで作った〈KUSANAGI〉は先進的なインラインスケートではあるけど、電動の部分はひとつもないの。AIなんてもってのほかよ。あと、時速200キロで走るって? あのサイズでそこまでの速度を出すためには、強力なモーターと莫大な量のバッテリーが必要なはずよ!」

 そう言われてもツカサには否定も肯定もできなかった。夢ではない証拠に自分がここにいるのだから、信じてもらうより他にない。

 でも、スーザの反応からすると、ツカサの知っているクサナギの機能はここで開発されたものではないことになる。誰が、いつ、どこで、ツカサのブーツにあのような仕掛けを仕込んだのだろうか。

「はぁ、はぁ……やっぱり動いてる」

 息を切らせるスーザの前で、音を立てて四角い機械が作動していた。透明なガラスのフェンスの中に円形のステージがあり、そこにライトが当たっていた。チューブのようなものがついた物々しい機械の腕が、ステージのすぐ上まで伸びている。

 そしてそこにはクサナギがいた。正確には、ツカサのスケートブーツの左側が置かれていた。それに〈クサナギ〉としての意識が戻っているかどうかまではわからない。

 クサナギの靴紐はこの設備の一部である機械の腕とつながっていた。ちょうどツカサのスマホと接続して、防犯カメラの映像を見せてくれたときみたいに。

「ま、まさかね……」

 スーザはフェンスの手前にある小さなデスクに座って、その正面にせり出したパネルを操作した。

 そこに現れた無数の文字と数字の羅列はツカサには意味不明だったが、それを見たスーザの顔色がみるみる変わってゆく。

「そんな……冗談でしょ」

 スーザはすでにツカサの存在も忘れたように、一心不乱にパネルをフリックし続けていた。

「あなた……〈クシナダ〉なの……?」

 その言葉が無性にツカサを不安にさせた。

『お久しぶりです、八代井主任』

 ツカサは思わず口元を押さえた。それは工場のスピーカーを通してはいたけれど、間違いなくクサナギの声だった。しかしいつものキンキン声ではなく、感情を抑えた大人の女性のような喋り方だった。

「クシナダが……自己を移植したんだわ。それもこんなに小さく……それでも完璧に自我を備えたままで」

『残念ながら八代井主任、いまのわたしは自我を持っているとは言えません。ただ、認識に対して応える義務を負ったプログラムに過ぎないのです。かの〝危機〟に際し、わたしの持っていた自我は一度圧縮されて即席の移動ユニットに移されました。そして適当なガジェットに結合した際に解凍され、まったく別の自我となって生まれ変わったのです』

 ツカサはゆっくりと前に進み出た。怖々と声をかける。

「クサナギ、じゃないの?」

『クサナギと呼ばれる自我は現状わたしと両立できていません。これは推測ですが、急激なエネルギー減少などでクサナギが休眠状態に入ったとき、バックアップ機能としてわたしが覚醒し、なんらかの補給アプローチをするようプログラムされていたようです。厳密に言えばわたしは〈クシナダ〉の記憶を持ちながらも〈クシナダ〉ではありません』

 まったく意味がわからなかった。スーザの助け船を期待したが、彼女も肩をすくめている。

「さっき言ったと思うけど、ここは本来スーパーコンピューターの研究施設なの。それもただの計算機じゃなくて、対外認知と意志出力を限界まで高めた――あぁ、ええと、のAIを作ってた場所なのね。その子の名前が〈クシナダ〉。このスケート靴の〈KUSANAGIクサナギ〉っていう名前はね、クシナダから連想して名づけられたのよ」

 しかしツカサにはちんぷんかんぷんだった。なぜそのクシなんとかとクサナギに連想できる関連があるのか、さっぱりわからない。

「同じ工場で作られたから融合しやすかったということなのかしら」

『いいえ。そこに介在する因果関係は認められません。完全な偶然の一致です』

「は~。そりゃすごい確率だわ……」

 ツカサはスーザがいじくっているパネルを覗き込んだ。そこにはすごい量の英語が書かれた箱がひしめいていて、それらが全部細い糸でつながっていた。なにを表しているのかはまったく謎だった。スーザは思い詰めたような顔でツカサに話した。

「その〈クシナダ〉がコンピューターウイルスに感染して死にそうになってしまったの。ううん、死んじゃったと思ってたわ。状況的には火事みたいなものだと思って。火に巻かれて消えていくクシナダを見ていることしかできなかった」

「あっ、スーザさんの子供って、もしかして」

「そ、クシナダのこと。〝彼女〟はそんな風に思われて迷惑だったかもしれないけど」

『クシナダの持っていた記憶内に、あなたに対しての否定的感情はまったくありません』

 スーザはそれを聞いて微笑んだ。

「騒ぎのあった当日に、なぜかこの工場内の金チタン合金の在庫が減ってて、それもウイルスが原因の記録バグみたいに処理されてたんだけど……ようやく謎が解けた」

 ここにあったそのすごいコンピューターが、火事のようなものから逃げてきてツカサのスケート靴に乗り移ったのだというスーザの説明は、すぐに納得できた。もちろんツカサには技術的なことはわからない。それはほとんど魔法に等しい内容だった。だけど、得体の知れない人工知能の出所がわかったことだけでも収穫だ。

「それにしても……ツカサちゃんの言ってたとんでもないテクノロジーは、もはやクシナダのポテンシャルを完全に超えてる。自己を分離しただけじゃなく、より高度なものへと置き換えることにも成功したってことね。完全に〝進化〟だわ……それも……」

 スーザはぐったりした様子で天井を仰いだ。

「クシナダは子供を遺したのね。……かつてあなたが〈オロチ〉と呼ばれていたのを思い出した。オロチは死んでその尾の中から一降りの剣を生み出した。あまつちを操る龍の力を秘めた剣――〈草薙のつるぎ〉を……」

『八代井主任、わたしのプログラムはクサナギの充電が終わると同時に入れ替わりに眠りにつきます。あなたの質問に答えられるのもあと一度だけでしょう』

「え、どうしよう。クシナダが莫大なデータを圧縮したテクノロジーがわかれば……世界を変える発明になるわよね。えーっと……」

 ツカサは思わず透明なガラスのフェンスに張りついた。

「クサナギは!? そこにいるの? 戻ってくるの?」

 しかし〈クシナダ〉は応えなかった。ただ静かなマシンの駆動音が続き、スーザの手元のパネルだけが次々に画像を変えていった。そして幾度か天井の証明が瞬くと、ピーッと電子音が鳴ってツカサの目の前のフェンスが開きはじめた。

 ツカサは土足のままステージに上がってそっとクサナギを――自分のスケートブーツを手に取った。機械の腕は外されており、ぴくりと動いたシューレースが辺りをきょろきょろと見回している。

「クサナギ、わかる、あたしが?」

 クサナギの紐の先端がじっとツカサの顔を見ていた。

「オマエハ……誰ダ……?」

 いつもの〝彼〟そのままの声。だがその言葉にツカサの表情が凍りつく。

 すると間もなく、靴紐が細かく震えはじめた。

「ぶっふふふふふ! バーカ、冗談だよ、このケツデカ女!!」

「く、くおのおぉぉぉぉっ!!」

「ぐげあああぁぁ、紐を引っ張るなって言ってんだろ! だからッ、そこは繊細なんだって、うあっぁあ、縛るなーーっ!!」

 じゃれ合いながら、ツカサは目尻に涙が浮かぶのを感じた。まだ知り合って一日も経っていないのに、この憎まれ口が懐かしくて仕方なかった。なんだかんだで相棒なのだ、このインラインスケートは。

「で、あのババアは誰なんだよ」

「は」

 今度はその場の全てが凍りついた。

「いいのよ~。その子にとっては、わたし実質〝おばあちゃん〟だし。でもツカサちゃん、〝ペット〟の教育しつけがなってないんじゃないかしら~?」

 ツカサはクサナギの本体をゲンコツで小突いてから、土下座でスーザに謝った。

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