第5章 テンポラリー里帰り
1.スーザ
「ええーっ!? あなたあの鯖城ツカサちゃんなの?」
ツカサは食べていたサンドイッチを噴き出しそうになった。
「えっと、それはどういう……」
「WOPのシルクスレッド・プランの子でしょ? 十六で独立して開業したって、会社では有名なのよ。同じ支援を受けてる子のひとつの目標になるわね」
ツカサは真っ赤になった。まさか自分がそんな風に評価されているとは。自分としては、やりたくないことや向いてないことを外していったら自然とこうなったに過ぎなかった。完全に消去法の人生なのだ。
「ふうん。ミックスの子にとっても希望になるわね。わたしも苦労したもん」
スーザは研究所の食堂でツカサのために軽食を作ってくれていた。その前に出来合いの食べ物を出してくれたのだが、ツカサは我慢できずに食べてしまった。考えてみたら朝ご飯を食べ忘れて以来なにも口にしていなかったのだ。それはもう、巣立ち前のひな鳥のような勢いでサンドイッチをほおばっていた。
「わたしも……って?」
小さな厨房の方から油でなにかを炒める音がする。その音に負けないように、スーザは大きな声で応えた。
「わたしカンボジア人とのハーフなのよ。スーザってのはカンボジアっぽくない名前なんだけどね」
「カンボジア……」
ツカサは頭の中に地図を思い浮かべてみたが、その地図は中国より南が空白だった。でもなんとなくそっち方面だというのはわかる。
「あの、島がいっぱいある……」
スーザは大きな声で笑った。
「それフィリピンでしょ! あとインドネシアかなんかと間違えてる?」
「す、すいませんでした!」
「いいのよ、うふふ。そうやってすぐに謝るとこはしっかり日本人ね。結局誰でも育った環境で変わっていくんだから、生まれや人種なんでどうでもいいのにね」
スーザはお皿に豚肉とキャベツの炒め物を盛ってツカサに差し出した。上には目玉焼きまで乗っている。しかもコンビニで買ったどら焼きまでついてきた。その匂いを嗅ぐだけで、どんな宝物より魅惑的に思えた。
スーザはツカサの正面に座って、がっつく彼女を興味深く見つめていた。
「なんかわたしの子供みたい」
その言葉にドキリとした。しかし目の前のスーザは、ツカサの姉と言ってもいいくらいにまだ若い。
「実はわたしね、最近自分の子供を亡くしたの」
とんでもないカミングアウトにツカサの箸が止まる。するとスーザはハッとしてから慌てて顔の前で手を振った。
「ああ、ごめんごめん、人間じゃなくてたとえ話。最近仕事で失敗しちゃって、みたいな意味」
「はぁ、でも、あの……」
どう声をかけていいのかわからない。〝ごしゅーしょーさま〟とかは大人が使う偉そうな言葉のような気がした。こういうときは話を変えるに限る。
「でもスーザさん、あまり日本人と見かけが変わらないからいいな」
するとスーザはため息をついた。
「うーん、でも外見的な特徴がないわけじゃないし、そういう微粒子レベルな違和感の方が日本人の目につくというか。ハーフとわかった瞬間、あぁやっぱり、ずっと引っかかってた~みたいな反応されるし」
確かにツカサはそういう反応はされたことがない。いきなり第一声で「外人?」と聞かれる方が多かった。もっとも相手は養護院の子や小中学生ばかりだったので気を使えという方が野暮だ。
「しかも親の母国がカンボジアでしょ? ポル=ポトに虐殺された後進国ってイメージがバリバリなわけよ。なんせ教養人がみんなやられちゃったからね。あとに残ったのはお察し、みたいなイメージが強すぎて。ハァ……」
スーザの語ってくれた内容がツカサにはまるでわからない。たぶん歴史の話なんだろうけれど――。
ここでツカサは学校の教育がいかに人生の役に立つか思い知ったような気がした。知識というのは、別に使おうと思って使うようなものではないのだ。ただ、自分の食事を作ってくれた優しい人に対して、〝知らない〟ことが失礼になる。勉強しないことでここまで自分が恥ずかしくなる状況が今までなかっただけなのだ。
「あ、ごめんね。どんどん食べて。そうね、話を戻すと……わたし自分の境遇が悔しくて、カンボジアのイメージと真逆の道に進もうって決めたの。もともと日本で生まれた日本人だったんだけど、工学の分野を究めたくてアメリカに留学したりして。んで、向こうでWOPに就職。気がついたらニッポンでスーパーコンピューターの研究主任になっちゃったりして」
「……すっごい。すごいですね……」
学問の分野でブイブイ言わせてるだけで、ツカサにとってはもうすごい。
「でも意地と根性だけで突き進んできたから、ひとつの失敗がけっこう響いちゃって。今日も未練たっぷりの事後処理で残業なわけよ。我ながら情けないわ」
ツカサにとってはラッキーだったが、なんだか複雑な事情のときに押しかけてしまったようだ。確かにこの施設には、当直の守衛さんの他には職員がいなかった。積まれた段ボールや書類の山などがそこかしこにあり、まるで引っ越し作業中のようにも見える。
「あたしは両親がどこの国の人かもわからないんです。片親が日本人だから日本にいるのかもって思ったけど、国籍も戸籍もなくて。せめて国だけでもわからないかなと思って、混血の人の写真とかけっこう調べたんですけど、あんまり決め手もないし」
するとスーザは身を乗り出してツカサの顔をまじまじと見た。そしてそのままツカサの顔についた食べカスを取ってくれた。もう心臓が爆発しそうなくらいに恐縮する。
「アメリカは人種のるつぼで周りも混血だらけだから、似たような人たくさんいるわよ。でも褐色の肌に緑の瞳っていうのは珍しいよね。たぶんご両親も純血種じゃないんだと思う」
そう聞くと、ますます自分が雑種っぽく感じられた。
「遺伝子には顕性と潜性があって、発現のしやすさは圧倒的に顕性が上なんだけど、でも隔世遺伝みたいに条件つきで出てくるものもあるし。要するに、ツカサちゃんもいろんな人種の遺伝子が溶け込んでいるから、イレギュラーになってるんだと思う。ご両親はジプシーみたいに、旅をしながら暮らす民族だったのかもね」
ジプシー。そのエキゾチックな響きはどことなくツカサをわくわくさせた。それも結局は仮定の話に過ぎないのだが。
ツカサはあっという間に食事を食べ終わって、残すはデザートだけになった。しかしそれは間違いなく、スーザが自分のために買ってきたどら焼きなのだ。それを食べる資格は自分にはないと感じていた。
「あの、ごちそうさまです。もうおなかいっぱい」
スーザは悪戯っぽく笑った。
「うっそだぁ~! さっきからチラチラ見てるじゃん、そのどら焼き~」
――ううっ。
なんて観察眼なんだこの人。この的確でそれでいてイヤミっぽい言い回し。よどみなくよく喋るこの性格はどこかで……。
「ああっ!」
ツカサは思いっきり叫んでしまった。
「なっ、なに?」
「こ、ここに来た目的忘れてた! あの、あたしのスケートなんですけど!」
「そうそうそれそれ! わたしも気になってた!」
「「クサナギ!」」
ふたりが同時にその名を口にしたので、ツカサは唖然となった。スーザはツボに入って爆笑している。
「あっははははー。あなたのスケートって〈KUSANAGI〉モデルでしょ。それここで開発したものなのよ。懐かしいなぁ~」
「へっ?」
ツカサは目が点になった。しかし納得できた部分もある。クサナギがここをナビしたのはきっと、ここにクサナギを修理する設備があるからなのだ。
「じ、実はそれが壊れてしまって……」
「え、もしかしてそれでわざわざ長野まで? でも遠かったでしょ。新幹線できたの?」
それを聞かれると、かなり法律を無視してしまったところもあるので言いづらかった。ツカサは肝心なところだけ伝えることにした。
「えっと、この靴ってAI入ってますよね。それが、それはもううるさいくらいよく喋ってたんですけど、あの……実は事故でぶつけてしまったのか、喋らなくなって……」
機械のことがわからないので、ツカサは必死で現象だけを説明した。まるで家電の修理を頼む主婦のようにたどたどしかった。だがスーザの顔は険しくなる一方で、まるでツカサが外国語を話しているようでもある。
「しゃ、喋る……?」
「あ、はい。スピーカーでも喋るし、骨伝導でも喋ります」
「イ、インラインスケートが?」
「喋り……ますよね?」
そのままふたりともがポカンとしたまま固まってしまった。まさにコミュニケーションのすれ違い状態。壁掛け時計の秒針の音がしばらく聞こえた。
「え、ちょっと待ってね。まずはスケートを見せて……」
その瞬間、部屋の電気が突然落ちた。突然の暗転で再びツカサの身体が硬直する。すぐに非常灯が点灯し、食堂に内線がかかってきた。
「ハァ? ブレーカーが落ちたぁ!?」
相手は守衛さんなのだろうか。停電なんて珍しくもないことだとツカサは思ったが、スーザの反応は異常なほど大袈裟だった。
「バカ言わないでくださいよ。〈クシナダ〉を維持するために製鉄所並みのアンペアを取ってるんですよ! なんでそんな負荷がかかってるんですか!」
「あの、スーザさん、あっちは明るいです」
ツカサは食堂の窓から見える建物を指差した。それは渡り廊下でつながっている別棟の一部だった。スーザもそれを確認して顔を曇らせている。
「工場区画だわ。なんで……?」
ツカサはなんとなくいやな予感がして、デイパックの横に立てかけてあったインラインスケートに目をやった。
そこには、右足の靴しか残されていなかった。
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