3.糸居紘太

 紘太の母は、ツカサを紘太の部屋の前まで連れて行った。閉じられたドアの前に、お盆と手つかずの食事が置いてあった。

「いつもここに食事を置いておくと、勝手に食べて空の器が出されてるんです。でも今日は食べてなくて……声をかけたけどまるで返事も物音もないし」

 彼女は泣きそうになって声を震わせていた。

「もちろん家の中にはいないんですよね」

「ええ……」

「部屋に入っていいですか?」

「あの、でも……鍵がかかっていて入れないんです。無理に入ろうとするとすごく怒るので……」

 ツカサは構わずドアをノックした。しかしなんの反応もない。扉に耳をくっつけてみたが、まるで気配が感じられなかった。

『無人だな。間違いない』

 背中のデイパック越しでもかすかに骨伝導の声が聞こえた。

「なんでわかるの?」

 ツカサは小声でクサナギに声をかけた。

『相変わらずトロいなー、ちょっとは考えろよ。これも骨伝導の応用だぜ。周波数をコントロールすれば跳ね返った音波の種類で〝動体〟が検知できる。つまり、動くものの有無がわかる』

「外からでもわかるの?」

『ある程度の距離なら問題はない。この家にはあの女以外の反応がなかった。だから紘太ってヤツが消えてるのはすぐにわかったぜ。まったく遠回りで面倒くせえんだよ、おまえらはよ』

 それが本当ならすごい機能だとツカサは感心した。いつの間にか自分のブーツはどんなスマホよりも高機能になってしまったようだ。これで口の利き方を覚えればカンペキなのだが。

「紘太くんって、いつも部屋に閉じこもりっきりなんですか?」

 紘太の母は眼を伏せて頷く。

「はい……。実は私ももう何ヶ月も息子の顔を見てません。食事とトイレの時だけドアが開いて、様子を見ようとすると怒鳴るんです。だからそっと後ろ姿を見ることだけが精一杯で……」

「昨日は姿を見たんですか?」

「ええ、確か夕食後にトイレに行ったときにこっそり確認しました。夜八時くらいだったかと」

「あの、お父さんとかはなにしてるんですか?」

 なんの気なしにツカサは訊いた。ふと脳裏をよぎったのは鬼のような鯨岡の顔だった。

 児童指導員でありながら〝オジラ〟の教育はひどくスパルタだった。わがままを言ってあいつを部屋に入れないようにしていたら、ハンマーで窓ガラスをぶち破って入ってくる。これが比喩じゃないから凄まじい。

「恥ずかしいんですけど、あの子が小学校の時に主人とは別れたので……」

「あ、そうなんですか……」

 なかなか複雑な事情の家庭のようだった。紘太が高校でどんな生活を送っていたかわからないので、ツカサには彼の精神状態を推し量ることはできなかった。

「よし、ベランダから中の様子を覗いてみよう」

「えっ?」

 母親が驚くのも無理はない。

「ちょっとよじ登らせてもらってもいいですか?」

「え、あ、はい……」

 まるで外装工事の業者のようなツカサの言葉に、彼女は気圧されるように頷いていた。

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