第12話 野球小僧-12

 「おはよう」

 とぼとぼと力なく通学路を歩く亮に声を掛けたのは、津田美保子だった。聞き覚えのある声ながら思い出せず、ぼんやりと振り返った亮は、久しぶりに顔を合わす美保子を見て驚いた。慌てて顔をそむけ、前に視線を向けたが、顔が熱くなってくるのを感じざるをえなかった。

「昨日、試合だったんだって」

「ぅ、うん…」

「どうだった?出たんでしょ」

「…うん。…勝ったよ」

「へぇ、すごいじゃない」

「ぅ、ぅん」

「亮君も活躍したの?」

「……ゼンゼン」

「え?」

「全然、ダメ…」

「そうなの。でも、次の試合、がんばればいいじゃない」

「ぅん」

あまりにも元気のない亮に、美保子は、聞いてはいけないことを聞いてしまった、と思いそれ以上話題にしないでおこうと思った。

「……なんで、こんなに、下手なんだろ」

美保子の思惑とは裏腹に、亮の口からぽつりと言葉が漏れた。

「だって、始めて間もないし」

「それにしても、下手だよ。聞いてよ」

美保子は初めて見る真剣な顔の亮に圧倒されて頷いてしまった。


 ゲームは初回の緑ヶ丘学園の攻撃で大勢が決まってしまった。その後は、サンディがチームの力量を把握するために、力をセーブして打たせて取るピッチングで回は進んでいった。元野球部の面々は軽やかな(亮にはそう見える)守備力でボールをさばき、次々とアウトと自信を重ねていった。亮は、回ってくる打順ではひたすら三振を重ね、飛んでくる打球には追いつくことさえままならず、一つのアウトも取れなかった。

「あんなにボールが恐いとは思わなかった……」

 初めて打席に立ったとき、亮はプロ野球選手のようにかっとばすつもりでいた。しかし、女の子が投げたはずのボールは、たった今まで何人も自分のチームの選手が弾き返していたボールが、風を切りながらミットに収まった。1球目で恐さを感じてしまったあとは、訳もわからないままに空振りを続け、あっけなく三振。その後も一度もボールはバットに当たってはくれなかった。その代わり、やっとのことで追いついた打球が一度亮の顔に当たった。『軟』球という名前は嘘だと思い知らされてしまった。結局ボールに『触れる』ことができたのは、その一回だけだった。普段の練習は、初心者の亮向けに手加減されていたのだと、ようやく試合が終わって悟った。


 小さく、ちくしょう、と呟く亮を見ながら美保子は何も言えなかった。励ましが亮の心を傷つけそうで、怖かった。

「お~い、亮君」

校門を通り抜けるときに、後ろから二人に声が掛かった。

「おっやぁ~、今日はお二人仲良く登校ですかぁ」

室は昨日とは別人のように元気だった。

「なんだよ」

「おっやぁ、亮君、今日はミホちゃんと一緒なのに、えらくクライじゃないの」

「なんだよ、それ」

「もしかして、昨日の試合のこと、気にしてるの?」

「悪いかよ」

「も、いいじゃない。試合は勝ったんだし。よかったよかった、ってことで」

「よくないよ」

「ま、亮君の気持ちもわからないではないけどね。あんだけ下手じゃ」

「……g」

「しかも、ね、ミホちゃん、途中で新田君と交代したらさ、あ、新聞部の新田君、そしたら、新田君のほうが上手いの。ね、亮君」

「……g」

「あやつも中川君に負けず劣らず達者なヤツでね、新聞部ってのはなんであんだけの人材がおるんじゃろ。ちょっと分けてもらいたいもんだ、ん」

もう亮は沈みきるだけ沈んでいて、もうぐぅの音も出なかった。

「ところで、ミホちゃんは昨日の試合はどうだった?」

「あ、あたし?あたしは、ダブルスに出ただけだから」

「それで?」

「一応、勝った、けど、団体戦だったの。で、3回戦負け」

「ミホちゃんは勝ったってか?」

「う、うん」

「1回戦も、2回戦も?」

「うん。でも、先輩が上手だから」

「でも、たいしたもんじゃの。ね、亮君」

「……ほんとだね。…ボク、こっちだから」

階段を上がると亮は左に曲がりながらそう言った。

「こら待て、あたくしもおんなじクラスじゃないか。じゃあ、ミホちゃん、またね」

 室は慌てて追いかけた。美保子は、落ち込んでいる亮を心配しながらも追いかけるわけにもいかず、小さな亮の後ろ姿とそれにまとわりつく室を見送った。

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