1-20 そして転機が訪れる
日曜だというのに、刑事局は朝から賑やかだった。
BIUの下に匿名でK&K社の情報が送られてから二日。怒涛の週末が過ぎ去って、一連の事件もようやく全貌が見えてきた。消防法違反、人身売買、非認可の臨床試験、薬物の不法提供など、多岐にわたる犯罪は一つの課で対応できるものではなく、直ちに捜査班が結成した。
不法侵入を専門に扱うBIUは途端にお払い箱になる。これまでウィークエンドを追う過程で集めたK&K社の情報はすべて捜査班の担当刑事に引き継ぎ、疑問点には丁寧に回答した。
土曜からひっきりなしにやってきた刑事の足もいつしか途絶え、二人きりの執務室でバートン警部は大きく伸びをした。
再びBIUは本来の業務——すなわちウィークエンドの捜査に戻る。
ウィークエンドの捜査は大きく進展したはずだった。なぜなら逮捕中のマーク=キャンベルは直接対峙した唯一の人物だからだ。大量の監視カメラや録音機器もあった筈なのだが、例によってすべて跡形もなく消えていた。
「いや~、手強いっすね」
グッドマン巡査はタブレットで調書を確認しながら肩を落とした。どれほど読み込んだって、欲しい情報は含まれていない。バートン警部も同情の視線を送る。
「……まさかマークがほとんど覚えてないとはな」
逮捕中のマークはウィークエンドについての供述をしなかった。K&K社が行ってきた犯罪や、孤児院の少女誘拐については一部認める発言をしているが、ウィークエンドの話になった途端歯切れが悪くなる。あまり覚えていない、よく分からない、と言いながら、その目は暗く濁っていくので、真偽は怪しい。
そんなこんなでBIUの捜査状況に大きな進展はない。大きな犯罪の検挙に一役買った、というだけでは功績にもならない。
「もう捕まえなくてもよくないっすか」
うんざりした口調でグッドマン巡査がぼやいた。
「こんなの本当にヒーローじゃないっすか。むしろ捕まえない方が犯罪者確保に貢献できますよね」
「……はあ」
やれやれ、とバートン警部は息をつく。新人巡査なら必ずぶつかる壁だと思っていたのだ。
「言っただろう。我々はウィークエンドを上手く利用するんだ。そして追いかける。追いかけるという姿勢こそが大事なのだよ」
「なんでっすか」
「ウィークエンドが法を犯しているからだ」
バートン警部は断固とした口調で言い切った。とっくの昔に乗り越えた話だ。ぶれることなくまっすぐに言葉にできる。
「グッドマン君。正義のために法を犯すなんてことがまかり通っては、法が機能を失うんだよ。それでは結局、市民を守ることができない」
ウィークエンドがヒーローの役割を果たしているとして、だ。
ヒーローであれど一個人に特権を与えていいわけがない。誰しもが法の下に平等であるべきだ。だからバートン警部はウィークエンドを利用する。
「……じゃあ一個だけ教えてください。警部は、捕まらなくてもいいと思ってますか」
ぴし、と人差し指を立ててグッドマン巡査は尋ねた。口調は軽いが目は真剣である。
「個人的な意見かね」
「個人的な意見っす」
「そうだな……セントポールから我々の手に負えない犯罪が消えるまでは」
正直に頷く。
グッドマン巡査は苦笑した。
「しょっぱい仕事だなあ」
「やる気がなくなったか」
「いえ、楽しそうだってのは変わんないっすよ」
頭の後ろで手を組んで、背もたれに全体重をあずけた。大きく反った椅子の背が折れそうでバートン警部は少しひやひやする。
天井を仰ぐようにして、新人とは思えない深く長い溜息をついた。
「よーく分かりました。俺らは全力で捕まえて、そんでウィークエンドが要らないような警察にしないとってことっすね」
バートン警部は意外そうに眉を上げた。
そんな前向きな返答がくるとは思っていなかった。
当の本人は、よーし、などと気合を入れて最後の引き継ぎ書類をまとめている。
案外、好きになれそうな青年だ。バートン警部は口元に笑みを浮かべた。
最後の引き継ぎ書類を捜査班に渡して、ようやくBIUの業務がひと段落した。金曜の昼からずっとなので、もう二晩も刑事局に泊まり込んでいたことになる。しかもその間は多忙を極め、ほとんど寝ることができなかった。
午前中には帰宅できるようになったので、バートン警部は九番通りの例のパティスリーに寄ってみた。まだ開店直後でそこまで並んでいない。アスファルトを照らす太陽光が徹夜明けの目に沁みた。
どれを選んでいいものか分からなかったが、とりあえず美味しかったピスタチオのクッキーと、定番らしいチョコレートのパウンドケーキを二つずつ購入する。家族サービスは変則的な働き方をしている者の使命である。帰っても寝るだけになるだろうし、少しでも家族を喜ばせたかった。
バートン警部は数日ぶりに自分の車に乗り込むと、帰路についた。
通勤を自家用車にしているのは、出退勤の時間が不定で地下鉄では対応できないからだ。しかし、こうして疲れ切った日にも自分で運転するとなるとうんざりしてしまう。自動運転車とはいえ、機械に任せることに不安を覚える性分だった。
中心街を離れるにつれて高層ビルが減っていった。集合住宅が並ぶ道路も抜けて高速に乗れば、あっという間に都会の喧騒が消え失せる。
頭上には秋の青空が広がっている。車の窓をすこし開けて走ると、新鮮な空気がバートン警部の緊張を解いた。
しばらく走っていた車は、高級住宅街に入ると速度を落とした。イーストベリーでは一軒一軒の邸宅が広々と土地を使っている。広い庭や専用の車庫は標準装備で、プール付きの邸宅もある。
バートン警部は車を停めると、手土産をもって庭に直行した。
歩きながら香ばしい匂いにくんくんと鼻を鳴らす。庭に近くなるにつれ肉の香りが強くなる。腕時計を確認すると昼食にいい時間だった。睡眠不足は時間感覚が狂っていけない。
予想通り、ポートレイ家の邸宅の庭では打ち上げのバーベキューが開催されていた。いつもの三人がバーベキューグリルを囲んでおり、肉はまだ焼けていないようで皿が綺麗だ。
まずはバートン警部の姿を見つけて、アリシアがぱっと顔を輝かせた。
「バートンおじさん!」
「……おつかれさま、アリシア」
バートン警部は片手をあげて答える。いそいそとバートン警部の椅子やら皿やら用意してくれるのが微笑ましくて、気持ちが緩んだ。
まったく、この娘は危ない橋を渡っていた自覚はあるのだろうか。姿を見られたのはいいとして、問題は血液の方だ。警察にもK&K社にも生体データを与えてしまうなんて。データの差し替えが間に合わなければ今頃どの生物にも該当しない遺伝子について疑念が生じていたところだ。BIUに所属していて本当に良かったと思う。
組み立て椅子に座ると、目の前にグラスが差し出される。ダーシャお手製のレモンサイダーだ。イディの手にも同じものがあった。ビールにしたいところだが運転があるので仕方ない。
おつかれ、と声をかけてグラスを合わせる。
「おっさん、マークは何か言ってたか?」
「いや、ヒーローについては何も」
「ふーん……賢明だな」
イディはレモンサイダーを飲みながら頷く。
マークの取り調べの間、何か口走ったりしないかとバートン警部ははらはらしたものだが杞憂に終わった。あの様子ではハッカーの少年からも何も出てこないだろう。
隣で疑問符を浮かべているアリシアのために、ダーシャが解説した。
「マークは晴れてAPPLEの手がかりを知る人物になったんだよ」
「……でも、私に辿り着けるような情報なんて出てこないわよ」
「そりゃそうだ。問題は情報を持っていない事を証明できないってとこさ。APPLEを狙う人物が現れた時、情報を吐くまで尋問されるのは目に見えてる」
ひゅっ、とアリシアの喉が鳴った。
バートン警部も同じ見解だった。APPLEは核爆弾のスイッチなのだ。人類が辿り着いてはいけない技術の結晶である。マークという青年はALEXに守ってもらうほど裏社会には染まっていないようだし、このまま沈黙を守ってほしいものだ。
肉が焼けるにはもう少し時間がかかる。バートン警部はバーベキューグリルの蓋を開けたくなるのをぐっと我慢して、忘れる前に手土産を渡した。ピスタチオクッキーとチョコレートのパウンドケーキだ。二つずつ買っておいた残りは家族用である。
「わっ、美味しそう」
素直に喜ぶアリシアもバートン警部にとっては娘のようなものだった。ポートレイ博士の事件を担当した当時と比べると随分明るくなった。ここまで成長してくれて、自立した生活を送っている事が喜ばしくてならない。
だからバートン警部はバートン警部のやり方でやる。ウィークエンドを全力で追いかけると同時に、決して正体に辿り着いてはならない。
「……心配ごと?」
アリシアは黙ってしまったバートン警部の顔を覗き込んだ。心から思いやってくれているのが伝わる。バートン警部は肩をすくめた。
「BIUの新入りが優秀すぎて困ってるんだよ。人に好かれるタイプでやる気も十分……いつかバレそうだ」
「えっ」
「だからどうにか上手くやろう」
な、っと肩を叩くと、アリシアの目が左右に泳いだ。
「それはっ……頑張るけど……、バートンおじさんも頑張ってよ」
全く持ってその通りだ。バートン警部は声をあげて笑った。
やりとりを眺めているイディに、そっとダーシャが体を寄せる。三つ編みにした髪の赤紫のグラデーションがイディの方に傾いた。続服を着ていても美しい彼女からは仄かにいい香りがする。
「俺がいるから大丈夫、って言えばいいのに」
イディはたちまち顔をしかめた。
耳を寄せて何を言うかと思えば。
「うるせえババア」
「怒るなよクソガキ」
にやにやと口を歪めて、美人が台無しどころか普通に腹立たしい。
四人が傾けたグラスの中で氷が心地良い音を立て、水滴が芝生に落ちる。
空はバーベキューにぴったりの秋晴れだった。
週明けの朝三時、まだ深夜と言っても過言ではない時間にCNC社の一部オフィスでは明かりが点いている。朝の報道を担当している職員のオフィスだ。
アリシアもコーヒーを片手に自分のデスク周辺の電気を点けて、メールチェックから始めた。いくつか返信し、時間がかかるものには付箋をつけて早々に切り上げる。悠長にデスクワークをしている暇はない。
朝の報道に向けて、タブレットへデータをダウンロードした。ミーティング前に今日のニュース原稿に目を通さなければならない。分からない専門用語があればその場で検索して、原稿にメモを残した。
トップニュースはK&K社のセンセーショナルな事件だ。あれやこれやがあったものの、番組での扱いはほんの数分間である。アリシアがマークの名前を読み上げることはない。事件の中心人物として挙げられるのはもっと上の役員だ。
「そんな悪い人には見えなかったよなあ……」
声と共に、机の上にサンドイッチが置かれた。振り返るとKJがマグカップ片手に立っている。アリシアの読んでいた原稿が目についたらしい。マークとアリシアの関係まで見抜かれているのではないかと、勝手にどぎまぎしてしまう。
「……そうね、びっくりした」
「俺も俺も。あ、その卵サンド、前に言ってた俺のオススメ。この時間からやってんの」
KJはアリシアの隣の椅子を引いて、当然のように寛ぎ始めた。自分の朝食ついでにアリシアの分まで買ってきてくれたようで、ありがたくミーティング前の小腹を満たすことにした。
「てかアリシア原稿読んだ? K&K社が雇ってたハッカー、まだ十五歳なんだってよ」
「少年Aでしょ。天才っているのね」
感心しながら卵サンドを食べる。たしかにとても美味しくて、パッケージで店名を確認した。
「天才少年ハッカー! ……とか、かっこいいって気持ちはあるんだけどさあ。こんなん実名報道でいいと思うんだよね」
「へえ、どうして?」
「技術の高さが怖いしさ、ちゃんと実名出して社会全体で見守ったほうがいいじゃん。アリシアもそう思わない?」
「思わない。更生するチャンスを奪うのはおかしいでしょ」
アリシアはにべもなく告げる。
かつての少年Aを相棒にしている身として、未成年は保護されるべきだという思いがあった。いつかはこの少年もどこかのヒーローの右腕になるかも知れないではないか。
思うように賛同を得られず、KJは不満そうに頬を膨らました。ちっとも可愛くない。
そんなことよりKJには聞きたいことがあった。
「企画書読んだわ……これ、正気なの?」
アリシアは該当のページをKJに突きつけた。読んだ感想は、よくディレクターが許可出したな、である。
よくぞ聞いてくれた、とKJは語気を荒げた。拳を握り、熱意がすごい。
「正気も正気! GDCの特報! 独占! 大ニュースだ」
「……ヒーローだなんて信じられない。こんな風に大々的に取り上げるような話題なの?」
「取り上げるだろ! ヒーローだぞ⁈」
あり得ないものを見る目で怒られた。自分が企画したということでKJはいつも以上に張り切っている。そりゃアリシアにだって同期を応援したい気持ちくらいあるけれど。
「裏は取れてるんでしょうね。デマに加担したくない」
「そこはディレクターのお墨付き」
ふっふっふ、とKJは意味ありげに笑った。
アリシアも察してはいた。テレサをニールセン神父の下に送り届けた際、K&K社の告発データと手紙を一緒に渡したのは紛れもないアリシア自身だったからだ。ニールセン神父はアリシアのために良かれと思ってCNC社へ情報提供してくれたのだろう。
憶測でしかないが、そうとしか考えられない。
「せめて担当を変えてくれない?」
「なんでわざわざチャンスを逃すんだよ。ご指名だったのに」
「ご指名……?」
「やべ」
KJは口を押えた。
今の反応で明確になった。間違いなくニールセン神父の仕業だ。こんなにありがた迷惑なことはない。
「今日、都市伝説は本物のヒーローになるんだ。盛り上げないとな」
「……盛り上げなくていい!」
アリシアは悲痛な叫びを上げた。
ヒーローの存在を世に知らしめることで、抑止力になればと願っただけなのだ。ニュースとして取り上げることを望んでいたが、エンタメとして消費されるつもりではなかった! まして、コーナー化だなんて!
その日、Good Day Centporeは朝の情報番組として記録的な視聴率を叩き出した。
時事ニュースの後、普段ならエンタメニュースのコーナーに移るタイミングで、番組はK&K社の話題に戻る。しかしその内容は他局と大きく異なった。
ヒーローという強烈な単語が、朝食中の夫婦やラジオ視聴のトラック運転手の関心を大いに集めた。そこで新しいジングルが流れる。
「新コーナー、ヒーローニュースはCMの後!」
読み上げたニュースキャスターの笑顔が一瞬強張ったことを気にする視聴者はいなかった。
Ep.1 MISSING 完
2021.09.03
朝
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