1-5 あるいはヒーロー

 昨今、合衆国セントポール州では重大犯罪の検挙数が増加している。そして検挙の経緯が一部不透明であるという事実が、とある都市伝説を助長した。すなわち全てはヒーローのお陰というものだ。

 セントポール州においてヒーロー、エックス、ゼイ、ザ・ワンあるいはウィークエンドといった言葉は同じ意味を成す。誰も姿を見たことがないにもかかわらずここまで広まった噂をバートン警部は空恐ろしく感じていた。

 ヒーローかどうかはともかく、ウィークエンドは実在する。だからこそ発足したBIUも、連邦警察に言わせればデマに踊らされる組織である。

「なーに難しい顔してんすか」

 やけに明るい口調はグッドマン巡査である。

「まー、ずっと家帰ってないんでしょうがないっすけど。あとひと頑張りっすよ」

 日曜から働きづめで、刑事局備え付けのシャワーを浴びて仮眠をとっていても、体力が限界である。定休をちゃんと取りたいので、何とか業務に区切りをつけたいところだ。BIUの定休はウィークエンドの活動に合わせ、水木である。ウィークエンドという名称の由来でもあるが、出現は週末および休日に限られていた。

「あ、これ差し入れっす」

 バートン警部が机に山積みにしている書類の一番上に、クッキーが乗せられる。スーパーの大袋ではなく、製菓店で見るようなお洒落な包装だ。

「……いつの間に買ったんだ君は」

「昼休みに。九番通りにパティスリー出来たんすよ。甘いのいけます?」

「あ、ああ。ありがとう」

 噂ではそのパティスリーは行列ができる人気店だったはずだが、短い昼休みに並んできたのだろうか。化け物じみた体力である。日曜からずっと働きづめなのはバートン警部と同じはずなのに、疲労が表に出ていない。むしろリラックスした表情でクッキーを楽しんでいる。

 いや、昔は自分だって数日間泊まり込むくらい当たり前にこなしていた。重ねた年を意識すると気持ちまで老いてしまいそうで、バートン警部は思考を止めて立ち上がった。コーヒー染みのついたマグカップを手に、備え付けのケトルでインスタントコーヒーを入れる。甘いクッキーにはブラックのコーヒーだ。

 BIUの執務室は狭く、オープンな設計の他部署と違って閉鎖的だ。刑事局の部署というよりは個人事務所のようなレイアウトで、グッドマン巡査と二人きりで使用してちょうどいい。狭い分ピスタチオクッキーの香りが甘く充満し、疲労が微かに緩和された。

 甘すぎず、さくさくとした食感が美味しい。妻と娘のご機嫌取りにいいかもしれない、と包装紙に記載された店名を再度確認した。手土産代わりにもなりそうだ。

「そういや、科学捜査のファイル目通してます?」

「報告書か?」

 まだ科学捜査担当からの連絡は来ていないはずだ。仮眠中に届いたのだろうかと、書類の山に手をかけると、グッドマン巡査に止められた。

「いえ、速報が欲しかったんでデータだけ貰ってきました」

「……すまん、そういえば午前中に報告をくれていたな」

「疲れてるってことっすよ~。クッキーで休まないと」

 あとコーヒー、と続けてグッドマン巡査はにやりと笑った。まだ新人に分類される勤務歴で、あるいはだからこその精神的余裕である。バートン警部は毒気を抜かれて、ふ、と笑った。

「じゃあちょっと食べながら聞いてください」

 グッドマン巡査が、椅子を寄せてくる。ちゃっかりとコーヒーも忘れない。湯気の出ているタンブラーをどうするのかと思ったら、堂々とバートン警部の机に乗せた。

 覗き込んだタブレットには科学捜査のデータが映っていた。破損した室外機の写真と、破損部の拡大写真だ。事前情報によれば、K&K本社ビルの屋上で警備ドローンより射出された弾丸が、対面にそびえるインペリアルホテルの室外機を破損した。現在はK&K社、警備会社、保険会社およびインペリアルホテルで示談の最中である。

「ここ、分かります?」

 グッドマンは破損部の写真を拡大した。破損した室外機の金属片に、インクのような汚れが付着している。

「……血液、か」

「あれ? 意外とテンション低いっすね」

「血液データは重大な証拠だが、参照先がなければ意味がないからな」

 ウィークエンドのDNA情報が登録されているとは考えづらい。確かに、とグッドマン巡査が呟く。

「とはいえ重要なデータではあるでしょ。今後の捜査に役立ちますよ」

「まあ、そうだな」

 初の生体サンプルであることに変わりはない。わが国が誇る優秀な科学捜査が逮捕の足掛かりになるかもしれないのだ。分析結果が待ち遠しい。

 破損部の写真にはコメントが付けられていた。破損形状および室外機の材質から要因を推定し、候補が列挙されている。もう少し調査が進めば特定まで出来るだろう。

「最有力は7・62mm弾らしいっすよ。少なくともゴム弾じゃない」

「……なるほど」

 警備用ドローンに搭載されているのはゴム弾である。候補として上げられているのはどれも非認可の狙撃銃ばかりだ。そもそも銃社会と言われる合衆国の中でも、セントポールは規制が強く他州より入手が困難である。

 警備ドローンのシステム誤作動ではない、ということになる。

「で、俺が気になってんのはこっちっす」

 グッドマン巡査は次のファイルに移った。今度はK&K本社ビルの平面図である。各階ごとに記載された図のうち、一階部分が表示された。

「あの日は気付かなかったんすけど、この図おかしくないっすか」

「ふむ……」

 バートン警部は改めて平面図を確認した。一階に出入口は二つである。それぞれに警備室が隣接しており、カードキーを使用してゲートを通過する仕様だ。警備員の供述に虚偽はない。二つの出入口の内、裏通りに面した方は搬入口を併設している。トラックで乗り入れ、積荷を大型エレベーターに直接搬入できるが、当然カメラやシャッター開閉の記録が残っており、事件当時は閉鎖中であったと確認されている。あとは会議室とカフェルーム、倉庫があるくらいだ。

「監視カメラの配置も特に問題ないように思うが……」

「あーそれはそっすね。あるものじゃなくて、ないものが気になってて——このビル、非常用通路が確保されてないんすよ」

「!」

 グッドマン巡査は画面を縮小して一階全体が画面に移るようにした。バートン警部も改めて食い入るように平面図を注視する。

「この床面積なら必要な非常用出口は四つってとこでしょうけど、実際の出入口は二つ。人が出入りできる大きさの窓は全部嵌め殺しときてる」

「完工時に建築基準法……いや、消防法か? 正規の手段を踏めば見つかりそうだが……」

「ちゃんと確認されていましたよ。非常用出口が五つ」

 ぱっと画面が切り替わり、K&K本社ビル建設直後の平面図が示される。さらに次の画面では建設工事とは別の工事関連図書目録が示された。

 建設から十年後、K&K社はビルの改造工事を実施し防災設備を強化している。しかしその裏で全く逆の——非常用出口の封鎖が行われたのである。

 なるほど優秀な新人だ。

 グッドマン巡査は軽薄な笑みを浮かべたまま、じっとバートン警部の見つめていた。試すような視線だ。さてはクッキーを差し入れたところから観察していたのだな、とバートン警部は気付いた。この新人は、自分の上司がどのような警官なのか知ろうとしている。

 ——だから何だというのか。バートン警部は誠実に意見を述べるだけである。

「……通報が早すぎるんだよ」

「へ?」

「警備システムの誤作動でドローンが発砲し通報が行われたにしては、通報が早すぎる。実際、通報は侵入者に対して自動で行われたもので、銃声を聞きつけた警備員によるものではなかった」

「待ってくださいよ、銃声より前に通報された可能性があるってことですか? でも警備システムに侵入者を検知したなんてログ残ってなかったっすよ」

「ああ、ウィークエンドは警備システムの突破に長けている。当日もウィークエンドはシステム書き換えに成功しただろう。侵入実績がある警備会社だからな」

 問題は、とバートン警部は表情を険しくした。

「書き換えられた警備システムは侵入者を感知出来ないはずなんだよ。なのにドローンが作動して発砲した。しかも弾丸はドローンに搭載されていない非認可銃だ」

「んん? じゃあウィークエンドが突破できなかった検知方法が、警備会社のシステムとは別にあったって事になりますよね」

「そしてその検知方法、あるいはシステムが警察への通報を行い、ドローンを作動し、ドローンとは別の手段で発砲を行ったわけだ。警備会社の所掌だとは考えづらい」

 ひゅう。

 グッドマン巡査は口笛を吹いた。バートン警部の指摘と、一階の非常口数——切り口は異なるが結論は同じだ。

「K&K社、絶対なんかやっちゃってますね」

「だろうな」

「だろうなって……」

 呆れたような目が、何かに思い至りはっと見開かれる。

 そう。昨今、合衆国セントポール州では重大犯罪の検挙数が増加しており、検挙の経緯は一部不透明なのである。

「……BIUの使命はウィークエンドの逮捕だけじゃない?」

「そういうことだ。我々はウィークエンドを利用する」

 BIU案件において、被害者は何かしらの犯罪者である確率が非常に高い。K&K社も例外ではなかったという事だ。

「警察の仕事じゃないな……」

 グッドマン巡査はぽつりとこぼした。彼の以前の所属長は堅物で有名なシュナイダー管区長である。グッドマン巡査も、警察の意義とは何か職務とは何かを強く指導されたことだろう。優秀な若手のBIU異動に最後まで渋ったと聞いている。

「ここに来る前に言われなかったか? BIUでは何の経験も積めないと」

 バートン警部に指摘されて、グッドマン巡査は目を丸くした。図星だ。

 しかしたちまちその目に光が宿る。

「ははっ」

「……な、なんだね」

 いきなり笑いだした新人に、バートン警部はぎくりと体を強張らせた。

「警察がK&K社の不法侵入を調査するって大義名分で腹を探るわけだ」

「……異動願はまだ受理できんぞ」

「異動? 何でですか。めっちゃ楽しそうって話っすよ」

 きらきらと顔を輝かせている。そう言えばウィークエンドのことをヒーローと呼んでいたなと思い出す。元ヒーロー志願の警察官は意外と多い。

「でも、ターゲットが犯罪者ばかりってなると、それこそウィークエンドの正体って何なんですかね?」

 やる気漲る新人は、実に新人らしい疑問を浮かべた。

 長く調査が行われているものの、ウィークエンドについて掴んだ情報は少ない。正体や目的なんて分かっていれば苦労しないし、現状では優先順位も低かった。BIUとして重要かつ揺るがない事実は一つ。

「不法侵入者で窃盗犯だ」

 バートン警部は深く息を吐いた。

 ウィークエンドは犯罪者でしかない——それでもヒーローと呼びたくなるだけで。

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