1-4 AI始動
マンションに帰宅してすぐ、待ってましたとばかりに携帯が鳴り響いた。相手を察したアリシアはおそるおそる通話ボタンを押す。
『元気らしいな』
案の定、裏稼業の相方だった。冷たい口調に背筋が伸びる。椅子に座ることも憚られて棒立ちだ。
「……げ、元気です」
『なんだよぎこちない返事して』
「へ、へへ……ブートも元気そうね」
『よっぽど楽しかったんだな、昨日は』
「!」
ブートは普段からクールだが、より淡々として聞こえる。恐らくは罪悪感のせいで。
「ごめんなさいっ! 迂闊でした!」
謝罪とともに潔く頭を下げる。ブートの事だ、ベイサイドガーデンで寝落ちしてマークに介抱されたのは筒抜けだろう。
『いいか、家に帰るまで気を抜くべきじゃない』
「はい……」
アリシアがやっていることはとどのつまり不法侵入と窃盗だ。警察に追われる立場でのんびり寄り道なんてお気楽が過ぎる。
『それに、夜中の公園で寝落ちするもんじゃない』
「はい……ごもっとも……」
『昨日襲われてたとしても同情しないからな。昨日は無事だったっぽいけど』
「……うん、マークはそういう人じゃないから」
『へえ、そう』
ただでさえ冷たい声の、温度がさらに下がる。不用心を叱っている態度としては違和感がある。叱責というよりは、むしろ。
「ひょっとして……心配してくれた?」
『撃たれた仲間が知らない男に連れてかれてんだよこっちは』
「あ……うん、そうか。ごめんなさい」
アリシアは電話口でこそ殊勝な言葉を吐きながら、にやつく口元を押さえた。反省しているし二度と繰り返さないつもりだが、心配の裏に愛情を感じる。
『大体な、マークとやらがどんな奴かは知らないが、大分クレイジーだぞ。どこの誰が酔いつぶれた他人を連れ帰るんだよ』
「そんなことないわ。他人を放っておけない人なんでしょ」
事実、連れ帰ったアリシアに手を出していないのだから、聖人と言っていい。ランチの間もずっと優しくて、スマートで、何もかもが完璧だった。
『……やけに庇うじゃないか』
「えっ!」
『なんかあったろ』
「えっ!」
アリシアの脳内なんて簡単に見透かして、ブートは鋭く指摘する。電話越しなのに目が泳いでしまう。別に、何もなかった。携帯を返してもらったら用件はなくなるわけで、連絡先さえ交換しなかった。
——ただ、童話のような出会いが、アリシアにチープな運命を連想させただけだ。
『……ま、いいけど。というか本題はそれじゃないんだよ。ちょっと窓を開けてくれ。CT-8改を送った』
「うん?」
言われるがまま、リビングの窓を開ける。殺風景なベランダにふわりと飛んできたのは、グレーの迷彩柄をまとった楕円形の機体だった。一般的にキャリーケースや個人宅送に用いられるドローンCT-8をブートの手で改造したものだ。
CT-8改は音も無く滑空し、アリシアの頭を越えてリビングテーブルに着地した。CT-8改も裏稼業の相棒である。昨晩も物資の運搬にハッキングにと大活躍だった。アリシアはリビングの窓とレースカーテンを閉めると、CT-8改の機体上部に手をかざして開錠した。
「小瓶が並んでるわ。これをどうしろって?」
てっきり、損傷したスーツを修復して送ってくれたのかと思った。あるいは新作スーツやブーツの試着かと。
『簡易な診察だよ。ちょっと上脱げ』
ブートの言葉と同時に、CT-8改の側面が変形し二本のアームが伸びる。アームの先に合計三つのセンサーが搭載されている。
「……従いますけどぉ」
アリシアは大人しく服を脱ぎ、患部の包帯を解いた。流血は止まっているものの、一部で包帯とともに瘡蓋がはがれ、ぐう、と呻く。新しく血が滲んだ。CT-8改のアームが脇腹の傷口に伸びてスキャンを始める。
『自動診断を改善してみたんだよ。サーモと画像と三次元測定の合わせ技』
「楽しんでない?」
『楽しめる程度の怪我でよかった』
からっとした口調にアリシアは口を尖らせた。アリシアが無事だとわかった今、ブートは診断システムに夢中で結果を楽しみにしている。
アリシアはCT-8改のモニターに映された質問事項に淡々と答えていった。この回答も自動診断に反映されるようだ。
待ち時間ができるならコーヒーでも用意しておけばよかった、と考えていると電話の向こうからコーヒーを啜る音が聞こえた。
『そういえば昨日の発砲騒ぎだが、警備ドローンの誤作動で受理されるようだ』
「……やっぱりね。狙撃手はどうなったの」
『警察の調査ではそんな人間はいない——順当に考えればK&K社が隠蔽したんだろうな』
予期していた状況だが、溜息が出てしまう。実際に撃たれた被害者がここにいるのに、こちらはこちらで侵入した側なので泣き寝入りするしかない。なんと嘆かわしい、とふざけるものの、実のところ発砲騒ぎの処遇なんてどうでもいい。
「K&Kで獲ってきたデータ、チェックしてくれた?」
大事なのは、K&K社が保有するデータだ。ブートもそれはよく理解している。
『白かったよ。真っ当なデータばっかだ』
「K&Kはハズレってわけ。いいけど別に。ええ、全然」
アリシアは唇を尖らせた。被弾してまで侵入したのだから有益な成果があって然るべきなのに、なかなか上手くいかない。
『そうでもないさ。本社ビル内に他にもあの規模のサーバーがあるらしいことが分かった』
あの規模、と聞いて思い出すのは昨夜侵入したK&K社のセキュリティルームだ。CT-8改を利用して接続した大型サーバーは物理的にも大きく、K&K社の事業内容ならグループ会社の分も含めて余裕でカバーできると思われる。そもそもセキュリティルームは十分な広さであり、警備も厳重だった。
「セキュリティルーム二つは多くない?」
『多いな。やっぱりK&Kはかなり黒いよ』
独自に狙撃手を雇っている時点で自明だけど、とブートは続ける。
「もっと調べないとね……」
『……データ解析を進めて、プランを練ったらまた連絡するよ』
「うん、お願い」
アリシアはデータ解析において無力だ。何もできず、ただ平和な日常生活を送る。それがもどかしかった時期もあるが、適材適所なので仕方がない。
電子音がCT-8改の診察完了を告げた。データはすぐさまブートの元に送信される。自動診断が上手く作動したのか、口笛が聞こえた。
『スーツは焼き切れてたが体はそうでもねえな。送った薬で対処可能だ』
CT-8改の中に並んでいた瓶などの容器は処方薬候補だったらしい。センサーを取り付けたアームが、今度は容器の中からいくつかをリビングテーブルに並べていった。鎮痛剤と塗り薬、あとはガーゼや包帯などだ。アリシアは思わず感嘆の声を上げた。
CT-8改は役目を終え、機体を閉じてアームも収納した。元の迷彩柄の楕円形に戻ると、そこらを飛んでいる他のCT-8と見分けがつかない。ブートの技術は流石だ。
『じゃ、診察が終わったところでお披露目といこうか』
「お披露目……?」
『CT-8改にオペレーションAIを実装した』
アリシアは大きく目を見開いた。ブートからオペレーションAIなんて初めて聞く。反射的に目をやったCT-8改の機体に変化はない。
『AIブルーバック起動』
ブートの声とともに機体の縁が青く光った。他のCT-8型ドローンでは見たことがない色だ。寒色なのに、どこか柔らかな光。
綺麗、と思わず呟いていた。AIブルーバックの機体にそっと触れ、青い光が指先に絡むのを楽しむ。CT-8改から機械音が流れるとともにそのAIはアリシアの姿を認識した。
「はじめましてヒーロー。よろしく」
礼儀正しい挨拶が出会いの言葉だった。アリシアは目を丸くする。
「……私のこと知ってるみたい」
『事前に設定しておいた』
「はあ? 当たり前だろ」
AIブルーバックとブートが同時に答えた。一般的なAIと異なるあまりに巧みな言葉遣いに、一人慄く。美しいと思った青い光も今は空恐ろしい。
「何も知らねえじゃん」
「い、生きてる……」
「生きてねえわ」
「ブート⁈ ねえ、生きてるんだけど!」
アリシアはAIブルーバックから逃げ出した。部屋の隅で体を丸くしながら、目線はCT-8改から離せない。先ほど同様にリビングテーブルに鎮座しているが、目なんてついてないのに機体と目があった気がする。実際、カメラに捕捉されているはずだ。
「意味わかんねえ、何びびってんだヒーロー」
機械音声というだけで口調は人間そのものだ。それも、とびっきり生意気な。
電話口の向こうでブートは笑っていた。
『くくっ、最高のリアクションだな』
「何笑ってんのよ。ほんとに色々作るわね……これAIなの……?」
あまりに流暢なので、人間の声にしか聞こえない。まるで他人が侵入してきたようで、自分の部屋なのに肩身が狭かった。
AIブルーバックはリビングテーブルから浮上してなぜかキッチンに向かって飛んでいく。
『正真正銘AIだよ、いい出来だろ。前々から試運転はしてたんだが、やっと実機投入できるレベルに仕上がった』
「仕上がりすぎでしょ」
AIブルーバックから目が離せない。ケトルのスイッチを入れ、戸棚からマグカップを取り出し——どうやらコーヒーを用意している。
『今週末はK&K社とは別件で動いてもらうんだが、AIブルーバックの正式デビューになるから、よろしく』
「えっ! 不安なんだけど!」
AIなんて、いざというとき機転が利くのだろうか。自動で判断して、勝手な行動を取られる未来が容易に想像できる。ブートは軽く言うが、これは新技術の稼働が楽しみでわくわくしているだけであって、AIブルーバックが安心安全の高性能を誇るからではない。
渋面を浮かべるアリシアの前に、マグカップが差し出された。ブルーバックがコーヒーを入れて持ってきてくれたのだ。
「安心してくれよ、頑張るからさ」
『ほら、AIブルーバックもこう言ってることだし』
「……」
真正面から言われては不満もぶつけづらく、アリシアはAIブルーバックのアームからマグカップを受け取った。アリシア好みの香り高いコーヒーだったのだが、不安が払拭されることはなかった。
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