第13話:蝦夷開拓と加増

「神使様、当麻様と各務御家老が御目にかかりたいと申されています」


 敵を逆檄した人達が戻ってきてくれたようです。

 朝に田沼意知が教えてくれた話しでは、まだ逆撃に向かった家臣達が帰って来ていないという事でした

 本来なら田沼意次か田沼意知に報告すべきなのでしょうが、二人とも登城しているので、私に報告するのでしょう。


「姫様、只今戻りました。

 入らせていただいて宜しいでしょうか」


 部屋の外から久左衛門殿が部屋に入る許可を求めてきます。

 当麻殿は久左衛門殿に話すのを任せているようです。


「いいですよ、入って来てください」


 そう言うと、田沼親子と同じように膝行で部屋の中に入って来てくれます。

 まあ、主君が膝行までして礼を尽くしている相手に、家臣がぞんざいな態度を取る事など不可能ですものね。


「姫様の麗しき御尊顔を拝し奉り、わたくしめ恐悦至極に存じ奉りまする」


 仰々しい態度と言葉に、思わず吹き出してしまいそうになりました。

 何時もならそれほど気にならないのですが、何故なのでしょうか。

 当麻殿に神使だと知られないように、姫様と言っているからでしょうか。


「誠に申し訳ない事なのでございますが、逆撃に失敗してしまいました」


「誰かが死傷してしまいましたか。

 それとも取り逃がしてしまったのですか」


「御心配頂き心から感謝いたします。

 多少手傷を負った者はございますが、当麻殿の武勇の御陰で、生死に係わる傷を負った者はございません。

 一味の者に関しても、根城にいた者は全員討ち果たしました」


「討ち果たされたのですか。

 生きて捕縛する事ができなかった事を詫びておられるのですか」


「はい、仰せの通りでございます。

 刺客を肝煎するだけあって、捕まるよりも死を選んでしまいました。

 我らの力が足りず、御詫びのしようもありません」


「謝る事など何もありません。

 相手が死を恐れぬ者達なら、仕方のない事です

 久左衛門殿と当麻殿の責任ではありません。

 命懸けで戦ってくれたのですから、謝る必要など何もありません。

 むしろ、手練れの刺客と戦って生き延びた事を誇ってください」


「御優しい言葉を賜り、感涙の思いでございます」


「逆撃に参加した人達は休んで下さい。

 お登勢さん、彼らに風呂と食事を用意してあげてください」


「はい、直ぐに手配させていただきます」


 私がそう言うと、お登勢さんが女中達を指図して出て行きました。

 久左衛門殿と当麻殿も、部屋を出て行きました。

 今後どうするかなんて、私にはとても決められません。

 向こうの世界の知識が役に立つ事なら助言もできますが、それ以外の事は何の役にも立ちません。


「神使様、殿と若殿が御挨拶したいと申し出ておられます」


 切絵図を見て江戸の街並みを覚えようと眺めている間に、何時の間にか時間が経っていました。

 下城時間になっているという事は、午後の二時頃でしょうか。

 それとも、残業してもっと遅くなったのでしょうか。


「ええ、何時来ていただいても大丈夫ですよ」


 何時も通りの挨拶の後で、田沼親子が部屋に入ってきました。

 大切な話しがあるのかもしれませんが、最初は雑談からです。

 毎日会っているので時候の挨拶などはありませんが、直ぐに本題に入ったりせずに、色々と取り留めのない話しをしてから大切な話に入ります。


「話しは変わりますが、神使様が今朝献策してくださった事でございますが、上様も幕閣もとても乗り気になりました」


 それはよかったです。

 とはいえ、色々と献策させてもらったのですが、どれが乗り気になってもらえたのでしょうか、はっきりと言ってもらいたいものです。


「最初に献策していただいた、噴火に伴う干拓の見送りと飢饉対策でございますが、上様より備蓄米を用意するように命じられました」


「それはよかったです、これで上様の善政が、後々の世まで語り継がれます」


「はい、臣も上様の御名が後世に光り輝くのなら、多少備蓄金を取り崩してもよいと思っております。

 それと松前藩の転封でございますが、密偵を送って、アイヌの叛乱とロシアとの関りを隠していないか、徹底的に調べることになりました。

 確かな証拠が見つかれば、転封させる事になりました」


「それはよかったです。

 それで開拓の方法は決まったのですか」


「はい、アイヌに米作りを認めることは、幕閣の全員が賛同致しました。

 八王子千人同心から開拓希望者を募る事も、全員が賛同致しました。

 弾左衛門達を開拓に参加させる事には、多少異論がありましたので、直ぐに決められませんでした。

 アイヌと千人同心の成否を見て、決めようという話になりました」


「商人や豪農達の資金を利用して、無宿非人を蝦夷に送るという話はどうなっていますか、認められたのですか」


「はい、これも全員が賛同致しました。

 微禄御家人から希望者を募り、屯田させるという献策も、全員が賛同致しました」


 これだけの献策が取り入れられたのなら、まず大丈夫ですね。

 無宿非人五十万のうち、何人を蝦夷に送れるかは分かりませんが、二割の十万人を送れたとしても、弾左衛門達の七万人よりも多いのです。

 問題は資金ですが、北前船で莫大な利益を上げている船主や、日本最大の地主と称された、大庄屋の酒田本間家のような、武士以外の金持ちが資金を出してくれれば、蝦夷地開拓も成功するはずです。


「そうですか、それはよかったです。

 千人同心達に、どれだけ開拓したら分家を認めるかとかは、細かく話し合われたらいい事ですから、幕府のためには開拓に送る事さえ決まればいいのです」


「それももう大筋が決まりました」


 流石田沼意次ですね。

 決めるべき事を後回しにはしないのですね。


「どう決まったのですか」


「千人同心の扶持は十俵一人扶持でした。

 蝦夷地の田畑が、一反でどれだけ米が収穫できるか分かりませんが、取れ高換算で三十石の田畑を開拓できた時点で、蝦夷同心として認めようと思っております」


 ええ、と、取れ高三十石ですか。

 四公六民だと、そのうちの十八石が開拓民の取り分ですね。

 幕府に年貢として納められるのが十二石です。

 十俵一人扶持だと十五俵ですから、石高だと六石ですね。

 蝦夷地なら、冷害で年貢を減免する事も度々あるでしょうから、幕府の収支を考えれば、取れ高三十石で同心資格と扶持を与えるのは妥当でしょうね。


「私もそれ位が妥当だと思います。

 ですが屯田兵と考えれば、千人のうち五百人位が開拓に志願したとしても、兵力としては不足ですね。

 微禄御家人の志願者は、どれくらいに集まりそうですか」


「さて、いかほど集まりますでしょうか。

 急ぎ調べさせたのですが、禄高五十俵以下の者が幕臣の九割を超えております。

 人数にして一万六千人くらいでしょうか。

 そのうちの一割でも願い出てくれれば、千六百人となります。

 最初の開拓団が成功すれば、ほぼ全員が志願すると思われます」


「確かにその通りですね。

 最初の開拓団の成否が、幕府の命運を決めるかもしれません」


「神使様にここまでの御告げを頂けたのです。

 上様と幕府を守るために、何としても成功させなければなりません。

 最初に開拓団の人選は、厳しく行わなければなりませんな」


 田沼意次の眼がとても真剣です。

 神使だと思っている私に、異国が日本を狙っていると御告げされたのです。

 信心深い田沼意次なら、危機感を持つでしょうね。

 まして昨日男性機能を回復させてもらった実感があるのです。

 生半可な危機感ではないでしょうね。


「そうですね、そうしてもらえたら一番ですね」


「ですが、裏で商人や農民が資金援助をして、旗本格を手に入れてしまうようだと、三河以来の名門旗本が邪魔をするかもしれません。

 まずは旗本格が手に入らない、千人同心の詮議を甘くする事にします」


 田沼意次は何を言っているのでしょうか。

 ああ、そうか、そういう事ですか。

 御家人株の購入の事を言っているのですね。

 商人や豪農が御家人株を買い、蝦夷地で二百石の開拓に成功してしまったら、農民や商人が簡単に旗本に成ってしまうのですね。


 しかもそれでは、幕府の蔵入地にはなりません。

 年貢を納める必要のない、旗本の領地になってしまいます。

 そんな事態になってしまったら、田沼意次の評判が悪くなってしまいますね。

 それでは、私の願いとは全く違う結果になってしまいます。

 これは根本的に考え直さないといけないですね。


「確かに御家人を蝦夷地に送るのは問題ですね。

 近年御家人株を購入した家は、蝦夷地に送ってはいけませんね」


「はい、上様や幕府の為なら、臣の評判などどうでもいいのですが、佞臣奸臣を取り除くまでは、力を失う訳には参りません。

 ですが御安心下さい、神使様、打開策を考えつきましたから」


「千人同心の詮議を甘くするという事でしたが、具体的にはどうするのですか」


「次男三男だけでなく、養子の開拓参加も認めます。

 そうすれば、多くの豪商や豪農が参加する事でしょう。

 大商人や豪農が、すすんで千人同心として開拓に参加してくれれば、幕府の蔵入地が確保でします」


「確かにその通りですね。

 だとしたら、旗本御家人の参加は認めないようにしましょう。

 後々認められるという話が、どちらからか漏れてしまったら、千人同心として開拓に参加する、豪商や豪農が現れなくなってしまいます」


「左様でございますな。

 では旗本御家人を蝦夷に送る場合は、警備役として、御先手組や徒士組として送ることに致します」


「はい、その方がいいと思います。

 間違った御告げをしてしまいましたね」


「いえ、いえ、御詫びを言って頂くなど、とんでもない事でございます。

 神使様の御告げの御陰で、幕府の勝手向きが劇的によくなりそうです。

 上様もとても喜んでおられました」


「それはよかったです」


「そこで話は変わるのですが、神使様の御告げに対して、上様が直接御礼を申し上げたいと仰られているのです。

 私と一緒に、またこの後直ぐに、登城して頂けないでしょうか」


 もしかしたらと思っていましたが、本当にそうなってしまいましたね。

 これで三度目の御目見えですか。

 私は奥医師の御役目を頂いているので、もう既に御目見え以上になっていますが、一緒にいるお登勢さんは、どういう扱いになるのでしょうか。


 私の疑問などどうでもいい事で、上様に登城してくれと言われて、逆らえるはずもなく、私はお登勢さんに付き添われて、又も江戸城に登城しました。

 今回は、大奥で多くの女中達を前にして御礼を言って頂けるという事で、奥医師として頭を下げての御目見えとなりました。 

 

「この度の施術と献策は誠に天晴なものであった。

 その献策の素晴らしさは、三国一と申しても大袈裟ではないほどであった。

 褒美として奥医師の家禄二百石を四百石に加増する。

 屋敷も音羽に八百坪を与える」


 ええと、なにがなんだかわかりませんが、随分と好待遇な気がします。

 しかし私が家禄四百石を貰っても仕方がないのですが。


「奥医師とは言っても、大奥にいる訳ではない。

 結婚して生まれた子供に家督を継がせてもよいし、養子に家督を継がせてもよい」


 本当に好待遇なので驚いてしまいます。

 

「薬箱を持っているのは、主殿頭の家老の妻女であったな」


「はい、田沼家で家老を務めさせていただいております各務久左衛門の妻、登勢と申します」


「うむ、これで三度の御目見えであったな」


「はい、身に余る光栄でございます」


「今日より各務家は、陪臣ではあるが御目見えとなった」


「有難き幸せでございます」


 これは流石に妬まれるほどの厚遇なのではないでしょうか。

 しかもこれに加えて田沼意次に対する褒美もあるのでしょうか。

 それでは今以上に田沼意次が妬まれるのではないでしょうか。

 史実では、松平定信が田沼意次を殺そうと考えたと述懐していました。

 史実にはない、田沼意次襲撃が起こってしまうのでしょうか。

 そんな事を防ぐために、何か私に出来る事があるのでしょうか。

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