第12話:献策

「神使様、御目覚めになられましたでしょうか」


「ええ、目が覚めたわ」


「では朝の御支度をさせて頂きます」


 昨日はよほど疲れていたのか、夢も見ずに熟睡してしまいました。

 もしこれが夢の世界だとしたら、夢の中で眠って夢を見るのでしょうか。

 とても気になる事です。


「まず化粧をさせていただきます」


 私が一人暮らしなら、朝食を取った後で御化粧するのでしょうが、今の私は田沼家の御世話になっていて、必ず田沼意次と田沼意知が朝の挨拶に来てくれます。

 しかも、ほとんど毎日朝食を一緒に食べることになります。

 だから、朝一番に化粧をしなければいけませんし、朝食後に化粧直しをすることになります。


「神使様、御部屋に入らせて頂いて宜しいでしょうか」


「どうぞ御入り下さい」


 今日もまた膝行で田沼親子が部屋に入って来てくれます。


「神使様の麗しき御尊顔を拝し奉り、わたくしめ恐悦至極に存じ奉りまする」


 日に日に田沼親子の態度が恭しくなってきます。

 私の正体が露見した時の事を考えると、とても恐ろしいです。


「そんなに畏まらないでください、主殿頭殿、大和守殿。

 今は私が田沼家の屋敷に御世話になっているのですから」


「いえ、御世話させて頂けることは、とても光栄な事でございます。

 それに将軍家のために御告げ下さって神使様の御世話をさせて頂くのは、将軍家に仕える家臣として当然のことでございます」


 改まって真剣に言われると、ずしりと肩に重みがかかります。

 これは何としてでも徳川家基の死を防ぐか、史実では生まれていない若君を誕生させなければいけません。


「では神使様、神使様に御登城して頂いてから、昨日屋敷にどのような事が起こったのかを説明させていただきます」


 私が物思いに耽っていると、田沼意知が話しかけてくれました。

 私が疲れたと言って早々に休んでしまったので、報告を遅らせてくれたようです。

 よく考えれば、襲撃犯の根城に逆撃を仕掛けているのです。

 その成否を聞いておかなければいけません。


「神使様に助太刀してくれた当麻錬太郎殿の案内で、襲撃犯の根城を奇襲して多くの浪人を捕らえることができました。

 今はその者達を厳しく詮議して、黒幕の事を聞きだしております。

 正直何処まで辿れるかは分かりませんが、探索の手が伸びていると分かれば、黒幕も動きを止めるかもしれません」


 田沼意知は、手先が捕らえられた事で、一橋と松平定信が大人しくなると考えているようでですが、史実で分かっている二人の性格を考えると、そう簡単に諦めるとは思えません。

 どう考えても、あの二人なら執念深く狙い続けると思います。

 問題は本当にあの二人が犯人かどうかです。


 状況的にはあの二人が犯人に間違いないと思われますが、何の証拠もなく証明されているわけでもないのです。

 徳川家基が死んで誰が一番得をしたかという事と、後に将軍となった徳川家斉が、祟りを恐れてとった行動で推測しているだけです。

 しかもその推測には、面白い小説を書きたいという私の欲が加わっています。


「そうですね、そうなってくれたら最高ですね。

 ですが黒幕がこちらの思い通りに動いてくれるとは限りません。

 いえ、はっきりと言い切りましょう。

 一橋公と白河公の性格は、主殿頭殿ならよくご存じでしょう。

 この程度の事で将軍の座を諦めると思われますか」


「いえ、決して御諦めにはならないでしょう。

 執念深く、どのような手段を使ってでも、権力を手に入れようとされます」


「私は、二人が主殿頭殿を陥れようと暗躍すると考えています。

 主殿頭殿には、それを防ぐ手立てがおありですか」


「神使様が私のような者を心配してくださっているのは、とてもありがたい事だと思っております。

 しかしながら、特に何か手立てを講じる気はありません。

 将軍家の臣として、誠心誠意上様に御仕えするだけでございます」


 これは困りましたね。

 田沼意次は思っていた以上に誠実で忠義な臣下のようです。

 ですがそれでは私が困ります。

 万が一にも私が元の世界に戻る前に、田沼意次に没落されては困るのです。


 徳川家基を助けて、徳川家治に史実ではいない子供をもうけさせる以外に、田沼意次の権力を維持させる方法があったでしょうか。

 ここは小説のネタに考えていた、アレをやらせるしかないでしょうか。

 思いっきり歴史が変わってしまうのですが、これだけ色々歴史を捻じ曲げるような事を提案した後では、今更な話ですよね。


「主殿頭殿、これも神使同士の雑談で出た話なのですが、浅間山が噴火して洪水が起きたり凶作になったりするかもしれないのです」


「なんと、誠でございますか」


 ここが別世界なら、絶対に噴火が起こるとは言い切れませんが、可能性がある以上備えておくべくです。


「何度も申し上げましたが、絶対はないのです。

 人の決断と努力によって歴史は変わるのです。

 噴火がすると分かっていて、ちゃんと備えていれば、凶作になったとしても、何も恐れることはありません」


「確かにその通りでございますな」


「印旛沼と手賀沼の干拓計画は聞いておられますか」


「何故それを御存じなのですか。

 いえ、これは愚問でございますな。

 神使様は何でも御見通しなのでしたな。

 確かに印旛沼と手賀沼は、干拓を願い出ている者がおります」


「浅間山の噴火と噴火で降り注いだ灰によって、大洪水が起こります。

 折角の干拓も失敗に終わってしまいます。

 それを主殿頭殿を非難する事に利用する者が現れます。

 絶対に干拓の許可を与えないでください」


「貴重な御告げを頂き、感謝の言葉もありません。

 絶対に干拓は許可しませんので、御安心下さい」


 これで田沼意次を非難する材料を一つ潰すことができました。

 他に何かあったでしょうか。

 非難の材料にはされましたが、後の世に役に立ったことは断じてやってもらわなければいけませんし、何を中止してもらうかの判断が難しいですね。


「そういえば、松前藩にロシアが接触しているはずです。

 このままでは、蝦夷地がロシアに攻め取られてしまうかもしれません。

 万が一松前藩がロシアに寝返ったら、出羽や陸奥の大名家もロシアに寝返ってしまうかもしれません。

 蝦夷地を松前藩から取り上げて、幕府の直轄領にするわけにはいきませんか」


 今ならまだロシアの南下を止められるはずです。

 幕府の力が強い間に、英米が日本に興味を持つ前に、まだシベリア鉄道がなくて、モスクワからの援軍を直ぐに送れないうちに、北海道と樺太、千島半島を奪われないようにしておくべきですね。


「それは少々難しいかもしれません。

 何の証拠もなしに、外様を転封させる訳にはいきません。

 それに、蝦夷地を手に入れたとしても、幕府の利益になるとも思えません」


「それなら大丈夫です。

 松前藩はロシアとの接触を幕府に隠しております。

 幾度もアイヌに叛乱を起こされて、統治に失敗しています。

 何より蝦夷地の開拓に成功すれば、五百万石以上の直轄地が手に入ります。

 幕府が開拓を負担をしたくないのなら、主殿頭殿の領地して、独力で開拓されればいいのです」


「それは、幾らなんでも無理でございます。

 それでは、臣が蝦夷地欲しさに松前藩を陥れたことになります」


「ではやはり幕府の直轄領にすればいいのではありませんか。

 幕府の今の直轄領は四百万石ほどだったのではありませんか。

 それが五百万石以上増えるのです。

 幕府は今の倍以上の力を手に入れられるのですよ」

 

「しかしながら、開拓のためには莫大な資金が必要になります。

 ようやく幕府の勝手向きが改善したのです。

 今の幕府に開拓に使える金はないのです」


「何も幕府の御金を使う必要はありません。

 印旛沼と手賀沼の干拓と同じですよ。

 願い出てきた商人と現地の地主に、金と人を出させればいいのです。

 今の松前藩は、アイヌに米を作る事を禁じていますが、幕府が年貢を納めることを条件に、アイヌに米作りを許可すれば、アイヌの人数だけ年貢を手に入れることができます。

 それと、八王子の千人同心から開拓を希望する者を募ればいいのです。

 確か千人同心は、軍役中は武士で普段は農民だったのですよね」


「はい、確かに彼らは武士であり農民でもあります。

 軍役帳には武士として記載され、宗門人別改帳には農民として記載されておりますから、武士と言うよりは武家奉公人と言った方が正確かもしれません」


「主殿頭殿がそう言われるのならそうなのかもしれませんが、将軍家に対する忠誠心は、とても高いのではありませんか」


「将軍家に対する忠誠心が低い幕臣などおりません」


「それは一橋公や白川公、彼らの一味にも言えるのですか。

 彼らは将軍家に対する忠誠心よりも、我欲の方が強いのではありませんか」


「それは、確かに、神使様の申される通り、情けなきことでございます」


「話を戻しますが、武士でも武家奉公人でも構いません。

 将軍家に対する忠誠心が強ければそれでいいのです。

 彼らは武士としての鍛錬をしている上に、農民としての経験があります。

 彼らを蝦夷地開拓に送って、開拓した農地から扶持を渡せば、幕府は全く負担なく直轄領を手に入れられるのではありませんか」


「左様でございますな。

 確かにある程度の開拓に成功してくれれば、彼らの扶持を彼ら自身で賄ってくれるかもしれません。

 前向きに考えさせていただきましょう」


 田沼意次がようやく興味を持ってくれたようです。

 ここは史実を知っている強みを生かして、もう一押しさせてもらいましょう。


「他にも蝦夷地の開拓に、長吏頭の矢野弾左衛門殿を利用する方法があります」


「ほう、彼らを利用すると申されるのですか」


 田沼意次は、穢多と非人を利用すると言っても罵ったりしないのですね。

 身分差をあまり気にしないのでしょうか。

 ここは一気に畳みかけるべきですね。


「矢野弾左衛門殿は、格式一万石財力十万石と言われるほど富裕です。

 彼の財力と配下を利用すれば、幕府は莫大な直轄領を手に入れることができます」


 私の記憶が確かなら、弾左衛門は配下七万の穢多と非人を蝦夷地に送り、千百六十六万四千町の広大な蝦夷地のうち、十分の一くらいは農地に開拓してみせると豪語していたはずです。

 いえ、誰かが調べた広さに、自分達の労働力を重ねただけだったかな。

 まあ、その辺はどうでもいいです。

 

「確かに彼らの財力は侮れないものがあります。

 彼らが自らの蓄えと力を使えば、かなりの開拓ができるでしょう。

 ですが彼らが開拓した田畑は、穢多田として年貢を免除しなければなりません」


「別に年貢を免除する必要はありません。

 今でも豊かな穢多は、良民の田畑を買って耕し、年貢を納めています。

 蝦夷地で開拓した田畑は、年貢を納める田畑と決めておけばいいのです」


「しかしそのような条件で、彼らが開拓をする気になるでしょうか」


 弾左衛門が出す条件は分かっています。

 関八州だけではなく、西日本の穢多と非人も支配下に置かせろという事です。

 それがどのような影響を日本に与えるのか、私には分かりません。

 私に分かっているのは、今ロシアの南下を防げば、日本の歴史が大きく変わるというだけです。


「それは分かりませんが、幕府がやらなければいけない、大切な事さえ押さえておけば、それでいいのではないでしょうか」


「神使様御考えになられている、幕府がやらなければいけない大切な事とは、いったいどのような事でございますか」


「この日本の国を異国から護る事です。

 それが武家の頭領である征夷大将軍の務めではありませんか」


「確かにその通りでございます」


「その為には、幕府が強くなければいけないのではありませんか」


「確かにその通りでございます。

 出来ないとか大変だとかとか言っている場合ではありませんな。

 断固としてやるべき事をやらせていただきます」


「ではもう一つ提案させていただきます」


「まだ御告げをしていただけるのですか。

 有難い事でございます」


「江戸には各地から人が集まり、人別帳に記載されていない民が五十万人ほどいるのですよね」


「情けない事ですが、詳しい人数は把握できておりません。

 神使様が五十万人と仰るのでしたら、そうなのだと思われます。


「そのような無宿非人や野非人は、もう非人頭も抱えきれないくらいの人数になっていると思われます」


「確かに五十万も無宿人はどうしようもありません」


「その者達を郷里に送り返しても、野垂れ死ぬか再び江戸に舞い戻ってくるかです。

 ならば商人や豪農に雇わせて、蝦夷地開拓に送ればいいのではありませんか」


「なるほど、確かに何度江戸から追い払っても、郷里で生きていけないのなら、舞い戻ってきてしまいますな。

 彼らや彼らが必要とする物を蝦夷に送る負担を、責任もって商人や農民がしてくれるのなら、幕府は何の負担もせずに直轄領を手に入れることができますな。

 五百万石などとは申しません。

 十万石でも二十万石でも直轄領が増えてくれるのなら、幕府の勝手向きはとても助かります」


「船主が蝦夷に開拓民や家財を送る代償に、蝦夷の産物を持ち帰り長崎で売る許可を与えれば、商人や豪農の負担も少なくなります。

 蝦夷の産物が増えれば、長崎の運上も増えて、幕府も助かるのではありませんか」


「それはよき考えでございますな。

 確かにその方法なら、負担もなく運上金を増やすことができます。

 それに負担が少なくなれば、蝦夷地開拓に参加する者が増えてくれるでしょう」


「ただ問題なのは、それだけではロシアの侵攻が防げない事です。

 出来る事なら、旗本御家人にも開拓に加わってもらいたいのです」


「それは、流石に難しいと思われますが」


「旗本は兎も角、御家人には、その日の食事にも事欠く者がいると聞いています。

 子弟を幾末に困っている御家人も多いと思います。

 無役の微禄旗本を蝦夷警備に派遣して屯田させれば、少しでも開拓地が増えるのではありませんか。

 開拓した農地がある程度の広さになったら、八王子の千人同心格で扶持を与えるとなれば、役目中は武士となれますし、農作物を売って、御家人時代よりも豊かな生活ができるのではありませんか。

 幕府が直轄領に拘らないと言うのなら、屯田して開拓した田畑を、御家人の領地としてもかまいませんし、二百石を超えたら旗本に取立てると言えば、進んで蝦夷地に向かうのではありませんか」


「神使様、貴重な御告げを頂き、感謝の言葉もありません。

 早々に上様に言上して、幕閣で計りたいと思います」

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