AQW

エリー.ファー

AQW

 不思議なことを言ってみようかと思う。

 しかし、思いつかないから言わないが。

 高校生の頃、地域には必ずサイショウさんがいた。

 サイショウさんは、無口であり基本的に人間に近づこうとはしなかった。みんな、少しばかりの敬意を払っていたが、それのみであった。人間ではないし、かといって犬や猫や鳥のようなものでもないし、無機物でもないし。

 市民権のようなものは持っている。しかし、そのようなものでしかない。

 いずれ、サイショウさんはこの辺りからも出て行ってしまうと聞いた。その言い方だと、前はどこかにいて、その前もどこかにいて、というように渡り歩いていると思われた。

 サイショウさんはずっと、ここにいた。

 私が、まだいるんだ、と思うくらいにはいた。

 そして。

 ある日、消えた。


 サイショウさんのことについてこの町では多くのことが語られているが、そのどれもが核心をついていない。その一番の理由は、町の外れにある背省教会による圧があるためである。町に住む人の八割以上が信者である現在の状況では、サイショウさんに関する正しい情報を得ることはできない。

 サイショウさんのことを知りたいのであれば、この町にい続けるのは望ましくない。サイショウさんのことを隠す人間の思想を理解するという点であれば、これは正しい。

 サイショウさんについての記事は一切ない。表に出ることが内容に誰かがコントロールしていると言われている。それは、この町の話ではない。この国の話だ。日本の話だ。

 いずれ、サイショウさんは町の外に出るかもしれない。その時には、サイショウさんのことを誰もが知ることになるだろう。

 本当のところは一切不明のまま。

 それがサイショウさんである。


 サイショウさんは必ず夕焼けが空を染め上げる頃にやってくる。

 大体は迷子の手を引いて、その子の家までやってくる。

 そして。

 その手をはなして。

 どこかに行ってしまう。

 迷子は何故、ここまで来たのか忘れてしまう。

 でも、たまに忘れずに覚えている子もいたりする。

 いなくなった子どもがいつの間にか家に帰ってくるのはサイショウさんのおかげだと言われている。

 詳しいことは分からない。

 サイショウさんは洋楽が好きだ。カルボナーラが好きだ。ハンドクリームは桃の香りがするものを使っている。

 だから。

 サイショウさんがちゃんと家まで送り届けた子どもからは桃の良い香りがする。


 サイショウさんの噂話を聞かなくなって六年が経過した。

 町はいつもサイショウさんの話題であふれかえっていたはずなのに、それも過去になり、それがいつから過去になったのかも分からない。往々にして、こういうものは何の書物にも残らないし、明確な記録も存在しない。だから、忘れられたら、それまでなのである。

 サイショウさんを守ろうとしていた多くの大人たちや、サイショウさんに関する厳しい決まり事があったはずなのに、今はどこにも見当たらない。

 でも、たまにサイショウさんのことを覚えている人が現れる。誰も相手にしないのだが。

 サイショウさんは、たぶん常識とか理とか、真実とか現実とか、物理的法則とかモラルとか。

 そういうものから解き放たれた人間のなれの果てなのだと思う。

 だから、親切をしたい時に親切をして、殺したい時に殺して、微笑みたい時に微笑んで、睨みたいときに睨んで、忘れられたい時に忘れられるように姿を消してしまう。


「サイショウさんって知ってる、かなあ」

「しらなーい」

「あ、そう。そうよねえ」

「でも、イノウさんは知ってるよ」

「イノウさんって、誰のことなのか教えてくれるかしら」

「もうぜんぶ教えたから、あたしのところじゃなくて、そっちにずっと来るよ」

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