61 彼がいるから怖くない


 冬君の様子がおかしい。


 普段と変わらないし、しっかり私を見てくれている。その瞳は、濁りのない黒曜石を思わせる。何度、彼のその瞳に吸い込まれそうになったんだろう。何度、この人の瞳に私だけを映したいと思ってしまうんだろう。その度に思う。


(私って、こんなに独占欲が強かったんだ――)


 まるで子どもみたいって思う。こんなワガママばかり言って。でも、どんな風に見られても、冬君を独り占めにしたい。


 昔はこんな風じゃなかったのに――。


 本当に変だ、とそう思う。彩ちゃんも、空も、海崎君も、瑛真先輩も、こんな私を見て戸惑っているのが分かる。だって、幼馴染たち以外と接点を作らなかったのが私だ。推しは二次元で良いって思っていたのは私だ。だから誰に何も思われても良いと、自分の正義を振りかざした。その結果、反発を受けた。自分が呼吸ができなくなるほど、人と関わることに恐怖してしまったのだ。


 今から考えると、本当にバカだなぁって思う。


 彩ちゃん達も関わることも無理だったのに。冬君、あなたは私を包み込んでくれる。いつも思う。どんな魔法をあなたはかけてくれたんだろう?


 あの時の記憶が、強迫観念となって首を絞めてくる。だから人と会うのが怖い。そうなったら、どんなに酸素を求めても、息ができない。

 もう関わることも接点をもつことも諦めていたのに――。


(息が苦しくない?)


 コゲコゲオムライスを焼いた彼には、息が苦しくなくて。どうしてなんだろう? 何故なんだろう? ずっと考えていたことだ。


 ――俺が一番、下河さんと友達になりたいって思っていたんだ。


 あの時の冬君の言葉が、何度も何度も私の頭の中で鳴り響く。冬君が寂しがり屋なことを私はあの時、知った。彼が私を求めてくれた。それも大きい。でもそれ以上に――冬君は私を見てくれた。


 みんなが望む過去の雪姫。あの姿にはもう戻れない。みんながどれだけ声をかけてくれても、それは過去の私を求める声で。恐怖心が勝って、同じように振る舞うことなんてできない。


 でも冬君は――今の雪姫を肯定してくれる。


 お姉さんのように振る舞わなくても良い。感情を飲み込まなくても良い。一人で何もかもしなくても良い。自分を曝け出して良い。


 感情が抑えられなくなて、甘えるように冬君との距離を埋めても、彼は全部受け止めてくれる。そして愛情で、私に返してくれる。


 だから――誰にも渡したくないし、離さない。他の子に笑わないで欲しいし、その笑顔を私に向けて欲しい。その瞳に私だけ映して欲しい。


 なんて独占欲の固まりなんだろう。


 でも実感する。冬君は私を見てくれている。だから不安と焦燥感がさざなみとなって押し寄せても、それ以上の暖かさで上書きされてしまう。

 冬君が見ているのは、私。それを実感するだけで、安心してしまうから私ってチョロい。でもその目の奥底に映る私が、揺れていた。


(冬君は何か不安があるの――?)


 すぅっと腑に落ちた。


 ――海崎君にLINK?

 ――違う、違う。大地さんに。今日、ちょっとお話をしたくて。

 ――娘さんをくださいって?

 ――そ、それは。思わないわけじゃないけど、もうちょっと先で、ね。


 冬君が朱色に頬を染めていたけれど、それは私だって一緒だったんだと思う。最近の冬君の行動は、いつも私を想ってくれ……て?


 私は小さく、息を吸い込む。納得してしまったんだ。いつだって冬君は私のために駆け回って、全力を注いでくれていた。自分のことを後回しにしてでも。


 そんな冬君がお父さんと相談があるって言う。自意識過剰かもしれないけれど、思い当たることは一つしかない。眼底に揺れる感情。でもその視線を離すことなく、冬君は私のことを見てくれている。


 途端に、不安になってヤキモチを妬いたことがどうでもよくなってしまった。

 海崎君のことを、冬君が名前呼びしても。


 私にとって、名前で呼ぶことは特別だったけれど。

 だって、冬君に友達ができた。私がよく知る海崎君だから、それは喜ぶべきことだから。


 部活の子が、冬君にアプローチをかけても。COLORSの真冬が彼女にとって推しだったとしても。冬君がこうやって見るのは、私だけ。そう思ったらあれほど不安だったり、心細かったのがウソのように、心の中が晴れ渡った。


 私は、冬君の彼女は私なんだぞ、って。そう心のなかで呟いた。COLORSの真冬なんて、冬君が見せる表情の一瞬でしかないから。まだ顔も知らない芥川さんにそう私は囁いてやるんだ。あなたは知らないでしょう? 冬君の優しいところも、現在進行系で格好良いところも。そして寂しがり屋なところも。私しか知らない冬君がたくさんあるんだから。


(でも、絶対に教えてあげない)


 だって私だけの冬君だから。私はとっても意地悪だ。でも譲ってあげる気はないから。あなたにも、誰にだって冬君を渡してあげない。だって冬君は――。


 と、冬君が背中に手を回して私を抱きしめた。一瞬、息が止まりそうなくらい強く、強く。私は目をパチクリさせた。驚き――それから押し寄せてくる喜びと。


 嬉しい。本当に嬉しい。でも少し寂しい。そんな感情が折り混じる。あなたの奥底の不安は、私が理由だ。それなのに、私はただ守られるだけ。それじゃイヤだ、と思ってしまう。


(じゃあ私に何ができるの?)


 そう考えればきっと、何もできない。でも待ってるだけも、自分のことなのに冬君に任せて行動しないのも違う。


 言って欲しい。些細なことで不安になったり、あなたを困らせてしまうかもしれないけれど。


 冬君をからかうように、私は言葉を紡いだけれど。もっとちゃんと言って欲しい。あなたが不安に思うことも。今日知らない間に出会った出来事も。その物語のなかに、私が不在いないのは、寂しいと心底思ってしまうから。

 と、冬君が私の目を覗き込む。


(冬君?)


 彼の眼底で揺れていた、不安が忽然と消えていた。私は目をパチクリさせる。

 冬君は迷いなく言葉を私の耳元で優しく囁いた。


「今日、大地さんとこれからのことを相談しようと思ってたんだ。雪姫も一緒に聞いて欲しい」


 これからの私のこと。つまりそういうことなんだと思う。以前の私だったら泡立つようにふつふつと現れる恐怖心に怯えていた。不思議と今は平静で。――それはウソだ。今は、こうして冬君に包まれているから。きっと一人になったら怖くなる。


 それでも。私は歩み出したい。

 動機は不純。


 ――だって、私の知らないところで冬君が笑っているのは耐えられないから。冬君の一番傍で、私があなたと笑いたいから。全部、独り占めしたい。


「やっと、冬君が教えてくれた」


 私は素直にそう言う。だって嬉しい。弱いままの雪姫じゃないって冬君に認めてもらった気がして。


「冬君ずっと、何か我慢している顔をしていたから。どうしたんだろうって、心配していたの。それなのに海崎君のこと名前呼びだし、他の子からアタックされたって言うし。本当のことを言ってくれないし。だからちょっとぐらい、ヤキモチ妬いても許されるよね?」


 冬君が呆気にとられ――言葉を失っていた。これは私の本心。だって冬君を独り占めにしたいから。


「冬君が自覚が足りません。私はあなたが必要なの。あなたにも私を必要として欲しいの。私が理由で悩むのなら、まずは私に言って欲しい。だって私のことだもん。他の人が一番じゃイヤ。私はワガママだから、一番に私を見てほしいし、遠慮して欲しくない。だから海崎君は仕方がないけれど、他の子を名前で呼ぶのはイヤだし、他の子を可愛いって言うのもイヤ」


 本心を恥ずかしげもなく言葉が出てくる。冬君がいてくれたら、何歩でも前に歩むことができる。膝を抱えてベッドの上で閉じこもる理由は、もう私には無い。私の言葉は溢れて、止まらない。


 でも、気持ちに蓋なんかしない。だってそう決めたから。今さらだ。言葉も気持ちも止まらない。冬君を感じるだけで、外の扉を開けることも怖くない。

 だから私から、冬君の唇を奪う。


「――何回も言うからね。冬君の一番は私じゃなきゃイヤだから」


 なんて不純でワガママだって思うけれど。

 だから私は踏み出せる。





■■■





 ぶすっ。

 多分、擬音で表せるほど、私は不満で頬を膨らましていると思う。


 冬君がいるから踏み出せる。そうは思っていても、自分なりにかなり勇気を振り絞った結果だと思っている。


(それなのにお父さんったら――)


 冬君をご飯に誘ってくれたのは嬉しい。翼ちゃんを誘ったのも良い。でも目の前の光景は――ちょっと、ひどい。


 庭の中央に引っ張り出されたバーベキューコンロ。すでに炭には火がおこされていた。ジュージューと食欲を刺激する匂いがたちこめる。幼い時は幼馴染達とともに、よくバーベキューをしていた。今となっては懐かしいと思うが――なんで、それが今日なんだろうと、不満が募る。


 海崎家、黄島家、長谷川家が勢揃いだ。お父さんが冬君に食事を誘った時点で、各一家に声をかけていたらしい。


 他はともかく長谷川さんまで、と思うが【cafe Hasegawa】は予約が入っている時以外は、比較的自由な営業スタイルだ。だからマスターさんが、友人たちの誘いを優先するのもまぁある話で。それも分かる。

 でもふと視線を向けて、奏ちゃんや彩翔君も大きくなったなぁ、と思う。


「雪姫さん、お久しぶりです」


 礼儀正しい彩翔君を彩ちゃんは吹き出すが、それはちょっと酷いと思う。案の定、彩翔君はむくれてしまった。そんな彩翔君を空や奏ちゃん、翼ちゃんがなだめるという図。微笑ましいな――とは思うけれど。

 でも自分の勇気を台無しにされた気がして、不満は消えない。


「雪姫、そろそろ焼けたよ」


 と冬君が鶏肉を摘まむ。私の取り皿に置こうとして――そのまま、私の口元に運ぼうとした。


 むぅ。冬君はズルい。


 私が鶏肉が好きなことも、何よりあなたの笑顔が好きなことを知っていて、そんな表情を見せる。怒っているのがバカらしく思えるくらい、感情は入れ替わってしまった。

 私が自然と口を開くと、


「あ、ちょっと待って。少し熱いかも」


 冬君は少し“ふーふーっ”と息を吹きかけて肉を冷ます。それから私の口に運ぶ。悔素直においしい。猫舌の私にはちょうど良い温度で、塩胡椒も強くない。自然と笑顔で私の顔が綻んでしまう。


「冬希兄ちゃんは姉ちゃんをちょっと甘やかしすぎだと思うよ」


 空が呆れた表情で、私たちを見る。


「そんなに羨ましいんだったら、翼ちゃんにしてもらったら良いじゃない」

「つ、翼は関係ないだろ?!」


 そんな私たちの応酬を翼ちゃんは嬉しそうに、冬君は――何か真面目な表情で思案していた。


「冬君?」

「兄ちゃん?」

「冬希?」

「上にゃん?」


 海崎君と、彩ちゃんも冬君の言葉が気になるらしい。もちろん一番は、私なんだけど。


「……あ、いや。そんなたいしたことじゃないから。甘やかすとか、そんなことじゃくて。ただ、雪姫はいつも俺が喜ぶことを考えてくれているって思ってね。俺も雪姫に喜んで欲しいって思ってるんだなぁ、って。今まで深く考えてなかったけどね。雪姫が嬉しそうに笑ってくれる顔を見たら……やっぱり好きだなぁ、って」

「だ、誰がみんなの前でノロケろって――」


 空の言葉を聞くより早く、私は冬君の胸に飛び込んでいた。


「ゆ、雪姫? み、みんな見て、見てるから。知らない人もいるから――」


 冬君にとっては初対面の人が多いかも知れないけど私にとってははみんな知っている人だから。だから気恥ずかしさがあるけれど、それ以上にこの感情は抑えられない。抑えるつもりもない。


「大地、君が八つ当たりしたくなる理由がよく分かったよ。まさかあの【雪ん子】ちゃんが、あんな表情を見せるなんてね」


 そう言ったのは海崎君のお父さん。


「彼氏君も雪姫のことしか見てないものね。ありゃ誰も入り込めないね」


 そう苦笑したのは彩ちゃんのお母さんだった。

 みんなの視線を受けながら、でも結局――冬君は私を拒絶しない。


 こんなにたくさんの人がいるのに。

 呼吸は苦しくない。


 むしろ、冬君の視線が誰かに向けられた時の方が、胸が苦しくなる。私以外の人にそんなに笑わないで、ってそう思ってしまう。でも今のように、私だけを見てくれている瞬間は、本当に満たされる。


 冬君が傍に居てくれる――ただ、それだけで。

 私は外の世界へ踏み出せる。


 あんなに怖かったのに。あんなに背中を向けていたのに。

 まるで灰色の世界が、鮮やかに少しずつ色を塗られていくようで。

 冬君のかけた魔法はどんどん広がっていくのを感じて――愛しさが止まらなかった。






「それでは仕切り直しということで、乾杯しようかな」


 とお父さんは言う。


「父ちゃん、まったく仕切り直しになってないからね」


 空が呆れて言う。明らかにその視線を私達に向けて。


 でも誰が何と言っても、私はこの場所から動くつもりはない。冬君の膝の上で、彼のことを独占する。色々な人に『私の冬君』だって、ちゃんと伝えるって決めたから。


「見えない、見えない。俺は何も見えないから」

「大地さん、現実逃避しても何も変わらないからね」


 お母さんが苦笑している。私にはお父さんが、なんで現実逃避をしているのかよく分からない。

 お父さんは気を取り直すように、咳払いをした。


「みんなが、こうやって集まれたことを祝して」


 瑛真先輩や彩ちゃん、海崎君たちの優しい視線を向けてくれているのを感じた。みんなが受け入れてくれるから、私はココに出てこられた。それを実感するから、素直にありがとうって思う。


「それから、これからもアップダウンサポーターズの活躍を祈念して」


 私と冬君は目をパチクリさせた。なに、それ?


「そして、スカイウイングサポーターズの結成を祝して!」

「「なに、それ?」」


 今度は空と翼ちゃんが首を傾げていた。



――アップできるようにサポート! ダウンしてもフォロー!

――大きく受け止めてスカイ! 両手広げたらウイング!

――もっと踏み出せる、アップダウンサポーターズ!

――もっと羽ばたけ、スカイウイングサポーターズ!


 突然、みんなのテンションが最高潮に上っていく。私は冬君と思わず顔を見合わせてしまう。その勢いのまま、全員の声が重なった。


「「「「「「かんぱーい!」」」」」


 グラスや紙コップが高々と掲げられて。

 冬君が、私の紙コップに自分の紙コップを当てて。


 みんなが乾杯で、コップを打ち合うのを尻目に、誰よりも一番に私達は乾杯をした。それだけで、私の頬が緩んでしまう。


 もっと踏み出せる。

 もっと羽ばたける。


 その言葉をなぞる。

 冬君と一緒なら、きっとできる。だから扉を開けて、外に向かうことも今は怖いと思わない。




 冬君がいるから、私は怖くない――。

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