47 彼はそんなことじゃ笑わない


「それで、ね。コレは私からの提案と言うか、思いつきなんだけどさ。お昼をみんなで持ち寄って、この公園でピクニックとしゃれこまない?」


 彩ちゃんは、イタズラを思いついた子どものように、ニンマリと笑っている。

 冬君に手を握ってもらいながら、私は夢うつつの気分になっていた。


 外に出て、彩ちゃん達と会って――それだけじゃない。あの子達とも触れ合った。それなのに、まったく息が苦しくない。

 まるで夢を見ているみたい。でも冬君の手の温もりが、夢じゃないと確かに伝えてくれる。


「ゆっきはしんどくない? 大丈夫?」


 彩ちゃんの言葉に、私はコクリと頷く。冬君の手の温もりに守られているから。むしろ、と思う。今日はもう会えないと思っていたのに、冬君に会えた。この後も一緒にいられると思っただけで、喜びの感情がこみあげてくる。


「まぁ、聞くまでもなかったよね。でも、しんどい時は――上にゃん、よろしくね」

「あ、う、うん。俺、たいしたことはできないけど……そりゃ、できることはするけどさ……」


 冬君の言葉を彩ちゃんは、呆れたと言わんばかりに苦笑を漏らす。うん、私もそう思うよ。冬君が私に叶えてくれたことが『たいしたこと』じゃなかったら、私はこれからどれだけ驚きと喜びをあなたから貰うことになるのだろう? そう思っちゃう。


「みんなでお昼それぞれ準備? 僕はそんなに得意じゃないから、コンビニで適当にチョイスでも良い?」


 と海崎君が不安そうに言う。男の子って、料理に苦手意識あるものね、と冬君を見て苦笑が浮かぶ。思い出されるのは、あの時のコゲコゲのオムライスだった。

 あの時から不思議な人だな、って思う。過呼吸にならなかったのもそう。私のことを否定する言葉、何一つ出なかったことも。私のことだけ考えて、その時の精一杯を一生懸命考えてくれていたことも――。


「はいはい、ひかちゃんは私と一緒に作るから安心してね。ひかちゃんに作らせたら、世紀の実験作になるし。コンビニで買ったら美味しいけど、コスパ悪いでしょ?」

「え、あ、そりゃそうかもだけど? それなら彩音だけで良くない?」

「いつものように、しっかりと手伝ってもらいますからご安心を」


 ニッと彩ちゃんは笑う。やれやれと肩をすくめる海崎君がおかしくて、笑みがつい溢れてしまう。


「良かったじゃん、姉ちゃん。朝に作った弁当がムダにならなくて」

「ちょ、ちょっと、空!」

「お弁当?」


 私は慌てて、空を止めようとするががもう遅かった。冬君が目をパチクリさせる。そんな私の反応なんかお構いなしに、空はご丁寧にも説明を始めだした。もう最低、と項垂れてしまう。冬君に色々な私を見て欲しいと思っているが、情けない自分はあまり見られたくない。


「姉ちゃんね、いつもの感覚でお弁当作ってたの。冬希兄ちゃんに食べて欲しくて、ね。昨日に続いて今日も。冬希兄ちゃんのことしか考えていない証拠だけどね。本当におっちょこちょいと言うか、何と言う――」

「土曜日……も?」


 と呟く冬君の言葉が、心なしか落ち込んでいるように感じて、私は首を傾げる。


「そうそう。土曜日の弁当は仕方なく、俺が食べたんだけど……って、冬希兄ちゃん?」


 空も冬君が明らかに気落ちしているのを感じ取り狼狽する。


「あ、いや、違うんだよ? そんなたいしたことじゃないんだ。ただ、ね。空君は雪姫のお弁当食べられたんだなぁ、って。最近ね、ずっと楽しみにしていたからさ」


 そう言う冬君の口調が、心なしか弱い。

 私の脳裏に、かつて叩きつけられた言葉がリフレインする。


 ――下河って真面目ぶっているクセに、そういうところ抜けているよな。

 ――偉そうにするくらいなら、まず自分のこと改めるべきでしょ?

 ――そういうトコがあざといんだって。そんなに良い子に見られたいのかな?


 失敗をする度にそう言われていた。それも囁くような声で。


 あの言葉達を思い出せば、いつも動悸と耳鳴りがしていたのに。失敗をしないように、失敗をしないように。そう顔色ばかり伺っていた気がする。次はうまくやろう、次はもっと嫌われないように行動してみよう、そう思えば思うほど逆効果になっていって。


 それが今、呼吸は全く乱れないのが不思議で――も何でもないか。だって冬君は私に魔法をかけた。呪いのようにこびりついた影を払ってしまうから。こうして囚われそうになっても、あっさりと冬君が私を引き戻してくれる。


「冬君は笑わないの?」

「え?」


 今度は冬君が首を傾げる番だった。


「なんで?」

「え、え? だって、私、失敗しちゃったんだよ? 日付を確認すれば済むことなのに。それも2日連続で。本当にバカみたいで――」


「俺にはそれで非難する人の気持ちがよく分からないんだよね。空君だって、非難するつもりははなからなかったと思うしね。間違えても誰も困らないし、失敗なら誰だってあるわけでしょ? むしろ失敗しない人がいたら教えて欲しいと思うけど。それよりもさ……恥ずかしい話なんだけどさ、タイミングが合えば雪姫のお弁当が食べられたのかって思うと、そっちの方がショックだっただけ。どれだけ楽しみにしてたんだよって話だけど――」


 もう冬君の言葉を最後まで聞く余裕はなかった。今日何回目だろう? 私は無意識に冬君の胸の中に飛び込んでいた。


「ゆ、雪姫?」

「冬君は私を喜ばせる天才すぎる! どれだけ喜ばせたら気がすむの?」

「え? いや、純粋にそう思っただけで――」

「そういうところ、そういうところなんだからね」


 冬君の胸に顔を埋めるように、私は冬君の温もりを求めてしまう。冬君が発する言葉の一つ一つに、否定も批判もない。でも全てを無条件で受け入れているわけではなないから。しっかりと私を見てくれたうえで、冬君の気持ちで判断していることを実感する。


 勇気を持てたかと思えば、些細なことで不安になったり。今さらだと思う。冬君は私との関わりを否定から始めない。そんなこととっくに分かってるはずなのに。それなのに、こんなにも嬉しいと思う感情が止まらなくて。


 と、冬君の心音が心なしか早いのを感じる。ドキドキ……してくれているんだろうか? そうだったら、本当に嬉しい。


(やっぱり冬君が好き――)


 そんな感情が私を埋め尽くしていた。






■■■






「なんで、またイチャつきだしたの?」


 空が呆れた視線を送ってくるが、まるで気にならない。気にしている余裕なんかなかった。


「ま、今回のは空っちが悪いからね。冷やかしたかっただけだと思うけどさ」

「え? 黄島先輩? 俺の発言のドコに燃料投下の要素がありました? 餌はばらまかないようにしていたんだけどなぁ」


「あー。燃料とかそういうことじゃなくて、ゆっきにとってのトラウマだったんだと思うよ。頑張ろうとしたことを否定されたり、陰口を言われていたから」

「あ……。 俺、姉ちゃんにそんな風に言いたかったわけじゃなくて――」


「それは下河も分かってるって。上川が一番理解を示してくれていたでしょ? だいたい、近くで気付けなかったのは、僕達も一緒だからね」


 ごめんね、って思う。多分、みんなが私のことを心配してくれていた気がする。でも、その声が届かないくらい、私は冬君でいっぱいだった。    

        




■■■





「ゆっき、落ち着いた?」


 にっこり彩ちゃんが笑って言う。今になって冷静になった私は、頬が熱い。きっとみんなから見て分かるくらいには、私の顔は赤いと思う。でも、それでも冬君の手を離したくなかった。


 遠慮しない――そう思った途端に、欲が溢れてくる。冬君と海崎君が仲良くなった。それは本当に喜ぶべきことなのに。冬君が子ども会の清掃活動を一緒に手伝ってくれた。それは本当に嬉しいことなのに、女の子達と冬君とじゃれあっている姿を見るだけで、胸がチクチク痛んだ。


(バカみたい)


 そう自分を笑い飛ばしてみても、気持ちにウソをつけない。だから恥ずかしくなっても、照れ臭くても、冬君の手は絶対に離してあげない。誰にもこの隣は譲らない、そう思ってしまう。


「ゆっきのお弁当は、上にゃん限定?」

「え?」


 私は目をパチクリさせる。


「いや、一応聞いておかないとね。ゆっきの彼氏さん、弟君がお弁当食べただけでヤキモチ妬いたみたいだし?」


 にぃーっと笑む。私は思わず冬君を見ると、慌てて目をそらした。


「だって……仕方ないじゃないか。最近の楽しみだったんだからさ」

「だから、でしょ? 上にゃんをあそこまで笑顔にする、ゆっきランチだもん。ずっと気になっていたんだよね」

「別に俺が独占するものじゃないし……」


 さらに冬君の表情が不機嫌になるので、つい私は笑みが零れてしまう。私は本当にワルイ子だ。そう思う。冬君が私を独占したいと思ってもらった、そんな気がして。


「一番は、冬君に食べて欲しいからね? でも今日は冬君も手伝ってくれる?」

「え?」


 冬君が目をパチクリさせる。私のワガママは本当に止まらない。一分でも一秒でも、冬君と一緒にいたい。ついそう思ってしまう。それに冬君と一緒にできることは、どんなことでも挑戦したいと、素直にそう思ってしまう。


「だって、みんなでピクニックでしょう? 冬君と一緒に準備できたら嬉しいって、そう思っちゃったの。ダメ?」

「足手まといかもしれないけど?」


「冬君は私を足手まとい、ジャマって思うことあるの?」

「……そんなこと、あるわけ無い」

「だったら、私の答えも分かるでしょ?」


 私は多分、今までにないくらい、満面の笑顔を浮かべていたんだと思う。今日作ったお弁当も活かしながら、冬くんの好きなおかずをたくさん入れてあげたいと、つい意気込んでしまっていた。




________________


【弟くんの切実な相談】


「あの、黄島先輩……」

「はい。何かな空っち?」

「俺はデザート買い出し班で良いかな?」

「まぁ、上にゃんとゆっき、本当に周り見えてないもんねぇ。じゃあ私達と一緒にお弁当作る?」

「それはそれで、いたたまれない……」

「私達は普通にお弁当作るだけだよ?」

「まぁ主に作るのは彩音だけどね」

「ひかちゃんにも、しっかり手伝ってもらうけどね」

「はいはい」

「お二人とも、もうすでに甘い空気を醸し出している自覚ありますか?」

「ん? 何か言った、空君?」

「タイミングよく難聴になるのは、ラブコメのテンプレだよね! 知ってたよ!」

「じゃぁ、空っちにはデザートとドリンクの買い出しをお願いしようかな」

「了解で――」

「空、帰るよ? 空もキリキリ働いてもらうからね♪」

「姉ちゃん?」

「空君、頼りにしてるね?」

「冬希兄ちゃん?」

「「レッツゴー!」」

「イヤだー! 愛の巣に引きずり込まないでー! 俺は買い出しに行くのー! 兄ちゃん、俺を巻き込まないでー!」



弟君の受難はまだまだ続くのであった。

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