43 彼がいない日曜日


 カーテンの隙間から差し込む陽光を浴びて、私は目を覚ました。


 最近、夜がしっかり眠ることができる。イヤな夢も見なくなった。その理由は、上川冬希という男の子と出会えたから。それは間違いないと思っている。


 でも、夢を見なくなったわけじゃない。

 彼が微笑んで、傍にいてくれる夢を多く見るようになった。


 夜しっかり寝られている。今までじゃ考えられないことだ。

 早起きしてお弁当を作ることも、そんなに苦じゃない。むしろ冬君が喜んでくれるのなら。そう思うだけでパワーが湧いてくる。


(だから今日も――。やりますかっ)


 そう気合を入れる。顔を洗って、着替えて。私は台所に立つ。エプロンをつけて背伸びをした。


 今日のメニューは、ハンバーグですでに決定。あとは少し甘めに卵焼きをやろう。それからそれから――。

 考えるだけで、幸せになってしまう。


 トントンと包丁のリズミカルな音を自分の耳で聞きながら。自分でもこんなに料理をするとは思ってもみなかった。


 だいたい私にとっての食べるって、エネルギー補給くらいの感覚だった。食事への欲求はかなり低かった気がする。そんな私が、冬君の栄養バランスを心配するのだから、おかしな話で。


 だから――。冬君が美味しそうに食べてくれた。自分の作ったお菓子を美味しいと初めて感じられた。

 モノクロで味気ない世界が、冬君のおかげでカラフルになった。


『大変だと思うから、無理はしないでよ?』


 冬君は心配そうに言ってくれる。分かってないなぁ、冬君は。ふふっとつい笑みが零れてしまう。冬君のことだから全然、大変じゃない。大変だって思ったことがない。冬君が「美味しい」と言ってくれる。それだけで単純な私は嬉しくなってしまう。


「姉ちゃん?」


 と空の声に振り返える。まさにお弁当が完成した瞬間だった。


「昨日に引き続き、今日もやっちゃったの? 今日、日曜日だよ?」


 空の一言に私は、愕然としてカレンダーを見る。昨日も同じように、お弁当を作って項垂れたのを今さら思い出す。昨日は冬君のカフェオレを飲めるから、まだ持ち直せたけれど。


 今日は――無理かも。だって今日は冬君に会えない日だった。

 私は盛大なため息をついていた。





■■■





「まぁ、姉ちゃんの弁当は美味しいから、喜んで食べるけどさ。そうあからさまにお前じゃないって感じでショック受けられると、俺が辛いんだけど?」


 そう言いつつ、空はニヤニヤしている。一方の私はふてくされてソファーに体を投げ出していた。


「冬希兄ちゃんがその格好を見たらどう思うだろうねぇ」

「冬君には見せないもん」

「ふーん」


 と意味深に頷いて、パシャリとシャッター音がした。


「え? ちょ、ちょっと空?!」


 ガバッと私は起き上がる。


「兄ちゃんとこの前、LINK交換したからね。送って――」

「そ・ら?」


「ちょ、姉ちゃん? 暴力、反対。だってだらしなく横になったのは姉ちゃんでしょ? 俺、悪くない――痛ッ、イタッ」

「そんなにスマートフォンごと消滅させて欲しいんだね? お姉ちゃん、空の気持ちがよく分かったよ」


「待って、姉ちゃん。モノは大切にするべきだと思うんだよ、ね? 姉ちゃん? 話し合おう? ね? ね?」

「うん、奇遇だね。お姉ちゃんも、しっかり空と話しする必要があると思っていたから。丁度、良かった。でもまずは、写真の削除からかな?」

「ごめん、兄ちゃんに送信しちゃった。てへ☆」


 弟が可愛く舌をペロッと出して謝るので、許してあげる――ワケがない。

 姉弟きょうだいが休戦協定を結ぶまで、ゆうに30分を要した。





■■■





「姉ちゃんの鬼、ヒドいよ。冗談だって言ってるのに。送ってないのにさ――」


 と言いながら、弟がニマニマ笑ってくるので何だか気持ち悪い。


「本当に送っていたら、空の命はなかったよ」


 私は心から言う。冬君には絶対見せない、黒いオーラを纏いながら。だって、と思う。自分が可愛くないのは知っている。でも、それでもだ。冬君の前では、少しでも可愛い女の子でいたいと、ついそう思ってしまう。

 それにしても、とため息をつく。


(冬君に会いたいなぁ)


 ため息が出てしまう。

 今日は午後からアルバイト。夕方からは、お祖父ちゃん達と会うと冬君は言っていた。


『だから、また月曜日ね』


 そう冬君に言われて、それ以上の言葉が出てこなかった。会えないのが当たり前の関係で。ただプリントを届けに来てくれたクラスメートでしかなかったのに。間違いなく、冬君は私の生活のなか必要不可欠な人になっている。


「姉ちゃんって、冬希兄ちゃんの前だと本当に乙女だよねぇ。でも、こうやっていると、昔のワンパクな姉ちゃんも感じられて、俺は嬉しいけどね」


 楽しそうに空は言うけれど、私は複雑だ。

 幼い時は、何でもできると錯覚していた気がする。でも、自分が正しいと思っていたことが、自分以外の人の【正しい】であるとは限らないのだ。今更気づくのは、自分が思っている以上に、この世界は息がし辛い。


 でも、と思う。冬君がそんな私を肯定してくれる。こんな私でも息をして良いと、支えてくれる。私のペースで一緒に歩いてくれる。


 だから、なおさら思ってしまう。今日、冬君と会えないという事実。それが私の視界をこんなにも灰色に塗り替えてしまう。


「月曜日にはまた会えるわけでしょ? そんな世界が終わりそうな顔をしなくても、ね」


 と空は、トーストしたパンをかじりながら、ゴソゴソと準備を始めた。


「また、そういう行儀が悪いことを。お母さんに怒られるよ?」

「母ちゃんは昨日の女子会で二日酔い、再起不能。父ちゃんは謎の筋肉痛で戦線離脱。だから、俺を咎める人はいませんよーっと。おかげで町内清掃、俺が出なくちゃいけなくなったんだけどね」

「あー。そっか……。なんか、ごめん。朝ご飯くらい用意してあげたら良かったね」


 ますます気落ちする私に、空はトースト、最後の一切れを牛乳で飲み干した。


「冬希兄ちゃんのことしか考えられない姉ちゃんに、そりゃ無理だって。まぁ、昨日も言ったけどさ。良かったじゃん。おめでとう」

「あ……、うん」


 思わぬ祝福の言葉に私は、頬が熱くなってしまう。お父さんもお母さんも聞いてもらえるような状態じゃなかったから、昨日は空にだけ報告をした。結局、一番近くで見守ってくれていたのは空だった。そう思う。


「お互い、好きを隠せてないクセに『友達』って言い張るから、どうしようかと思ったけどね。あ、イチャイチャは、二人だけの時にしてよ? 二人とも無自覚だから、見せられる方はかなり目に毒だからね」

「そ、そんな、イチャイチャしてないし――」


「膝枕、テーブルの下で手つなぎ、お菓子を焼いて、お弁当を作ってあげて。それで仕舞いには、膝の上で抱っこですか。世間一般のイチャイチャのボーダーラインをとっくに越えているからね。まぁ、改めて思ったけど、姉ちゃんって尽くすタイプだったんだね」


 空は、私がスマートフォンの待受にしている写真を含めて指摘する。思わず、私の頬が熱くなった。


「でも、もう遠慮するつもりなんてないんでしょう?」


 空に言われて、そこだけは大きく頷く。だって友達じゃ満足できない。冬君の一番は私じゃなきゃイヤだし、一番傍にいたい。その想いはどんどん強くなっていく。

 空は私のそんな表情を見て、小さく笑んだ。


「冬希兄ちゃんとリハビリ頑張ってるから、また子ども会も手伝ってもえるかもって思っちゃったんだけどね。流石に、兄ちゃんがいないと、キツい?」


 私は弱々しく頷く。頑張れないかな、と思った瞬間に喉元がひゅーひゅーいう。慌てて、スマートフォンのストラップを握りしめる。無意識に冬君の笑顔が浮かんで――呼吸が楽になった。


 空の言わんとすることは分かる。以前。子ども会の手伝いは私がしていたから。今は空が私の代わりに手伝ってくれている。


 あの子達が私に会いたがっている――度々、空から聞いていたことだ。結局、私一人じゃ外にでることもかなわない。思わず、悔しさでぐっと拳を握り込んでいた。


「ムリしなくて良いって。姉ちゃんは頑張っていると思うよ。俺、ある意味尊敬してるんだからね」


 空の言葉に私は虚をつかれ、そしてつい笑みが溢れてしまう。


「ん? 姉ちゃん?」

「あ、ごめん。空まで、冬君みたいなことを言うんだなぁって思ってね」


 ――雪姫はがんばっているよ。

 思い悩んでいたあの日。ルルちゃんに背中を押されたあの日。冬君が囁いてくれた言葉が、私に何度も何度も囁く。何もできないと体が冷え切ってしまいそうになるのに、冬君の言葉はいつだって、弱気な私の思考を止めて――暖かくしてくれる。


 見ると、空は軍手をはめ、真っ赤な野球帽を被って、町内清掃の準備は完了させていた


「じゃ、姉ちゃん。行ってくるから!」


 私の気持ちを見越してかどうかは分からないけれど。今日、一番の明るい声で、空は手を振ってくれた。





■■■




 ソファーで、朝ご飯も食べずに、私はうつらうつらとしていたらしい。

 

 冬君に作ったお弁当が無駄になってしまった。

 正確には、空が食べてくれるからムダでは無いけれど。


 空が悪いわけじゃないけれど。やっぱり冬君に食べて欲しい。どうしてもそう思ってしまう。


(冬君に会いたい――)


 どうしても二言目に出てくる言葉は、そればかりで。好きすぎでしょ? って自分でも思うけれど、仕方ない。好きなんだ。冬君のことが好きなんだから。片時もその想いが萎まなくて。


 冬君に会えないって思うだけで、こんなにも目の前の視野が色を失せてしまう。あっという間に、視界に映る全てがくすんで見えてしまう。

 と、スマートフォンが鳴った。見れば、空からで。


「どうしたの?」

「姉ちゃん、忘れ物しちゃってさ。悪いんだけれど、玄関まで出てくれない?」


 と言うや否や、早々に空は電話を切ってしまう。何を忘れたのか言ってくれなかったら、渡してあげようがないじゃない、まったく。


 ああいうそそっかしいトコロは本当に進歩がない。本当に困った。そう思う。

 私は小さく息をついて玄関に出た。


「あ、お、おはよう?」

 少し息を切らして。玄関前に立っていたのは冬君だった。






■■■





 気付くと、私は冬君の胸に飛び込んでいた。

 さっきまで、色褪せていた視野が、途端に色彩で溢れて。


 彼の心音が聞こえる。

 トクン、トクンと脈打つ。


 冬君の心臓の鼓動がいつもより早い。


 急いで来てくれたから?

 それとも、冬君もドキドキしてくれているの?


 彼の大きな背中に手を回して。

 今日は会えないと思っていたから。本当に嬉しい。嬉しいって言葉じゃ、とても足りないくらいに――。


「あのさ、雪姫? 無理でなければ、ちょっとお願いがあるんだけど。少し手伝ってもらっても良いかな?」


 視覚が今、鮮やかに世界を彩って。酸素が体中を駆け巡るような感覚をおぼえる。

 不安なんか、今は何一つなくて。


 私は満面の笑顔で、冬君に頷いていた。

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