42 彼がかける魔法が終わらない


 ベッドに寝転びながら、私はスマートフォンを見やる。

 今日のことはウソじゃないんだろうか? コレは夢じゃないんだろうか? そう思ってしまう。


 でも美樹さん経由で、冬君からから送られてきたたくさんの写真。それがウソじゃないと、証明してくれる。


 冬君と私の距離が今までで、一番近い。そう思う。

 冬君が笑ってくれる。


 冬君が私を見てくれている。

 冬君が私の手を握ってくれた。


 今までだって、彼はそうしてくれていたけど。

 今までとは意味がまるで違う。そう思う。


 冬君が私に魔法をかけた。ずっとそう思っていた。それが本当なら今日で一区切りのはずなのに――冬君がかけた魔法が、止まってくれない。

 






■■■





「冬君、好き。このカフェオレ、本当に美味しいよ――」





 思わず出てしまった、本音。

 慌てて、私はカフェオレの感想で、その本心を隠した。


 冬君の淹れてくれたカフェオレが美味しかったのは本当。冬君が淹れてくれたカフェオレが味以上に嬉しかった。


 冬君の淹れたコーヒーが飲みたい。そのワガママから始まった。

 今考えると、なんて厚かましいお願いをしたんだろうと思う。でもあの時の私は、寂しさと悔しさ、それから嫉妬に囚われていたような気がする。


 ――私の知らないところで、冬君が誰かに微笑んでいる。

 それがたまらなくイヤだった。


『姉ちゃんの冬希兄ちゃんへの感情ってさ、吊り橋効果ってヤツなんじゃない?』


 何気なく言われた空からの言葉が響く。

 吊り橋効果について調べてみた。


 ――吊り橋のような恐怖をや不安を抱きやすい場所で出会った人に対して、恋愛感情を抱きやすい心理学上の実験。


 この気持ちは、吊り橋効果なんだろうか。

 確かに冬君がいてくれるだけで安心する。気持ちが落ち着く。呼吸が苦しくなっても、冬君が癒やしてくれる。


 初恋もまだなのに。好きという感情がどういう意味なのかも分からない――そう思っていた。


 呼吸が苦しくなったあの日。

 あの公園で。

 彼は私の名前を呼んでくれた。


『――雪姫!』


 閉塞していた気管が再び開いて酸素が再び流れ込んでくる――そんなイメージ。私はこの日、彼に恋をしてしまったんだと思う。吊り橋効果でもかまわない。そう自分に言い聞かせて。

 彩ちゃんが、冬君の名前を呼んだ日。私は明確に拒絶をした。


『名前は、ダメ。絶対にダメだから』


 私はこの日、知ったんだ。友達という関係じゃ満足できないって。冬君にとっての一番は、私じゃなきゃイヤだって。


(だから、もっともっとリハビリを頑張るんだ)


 冬君の隣にいたい。冬君の傍にいたい。冬君と一緒に色々な場所を見て回りたい。冬君と学校に行きたい。冬君の笑顔をもっともっと見たい。

 だから――。


 私はもっと頑張るんだ。もっと頑張って、冬君の隣で。自分の足で踏ん張って、歩いて。冬君のことをしっかり支えるんだ。


 冬君は表情が大人びているけど。実は少し寂しがり屋で。孤独を耐えるほど、強くなくて。

 みんなはきっと、知らない。彩ちゃんや海崎君、瑛真先輩だって。


(だから私が支える)


 自分の足で立って。歩いて。貴方を支えて。私が冬君でいっぱいになっているように、少なくとも私の方を見てもらえるようにそのうえで、自分の気持ちを言うんだ。


『えっと、雪姫……。その好きって意味は、カフェオレがって意味――?』


 冬君に放たれた言葉で、私は全てが終わってしまったと思った。

 それはそうか。そう思う。冬君はあくまで友達として、私に接してくれていたのだ。私のことを想ってリハビリに付き合ってくれた。それこそ真剣に。私のように、浮かれた気持ちなんか、ソコにあるはずがなくて。


(バカだな、私。本当に大切なものを、全部自分で放り投げてしまった――)


 と胸の中で後悔を渦巻かせていると、冬君が深呼吸をする。


「――下河雪姫さん。聞いてくれないか?」


 怖いと思う。冬君から突きつけられる現実が。冬君を失いたくないと、そう思う。でも私はコクリと頷くことしかできなかった。

 冬君が静かに言葉を紡いだ。



「俺、雪姫のことが好きなんだ」





■■■




 私は耳を疑った。


 その言葉を理解するまでに、どのくらい時間をかけてしまったんだろう。思わず、掌で口を押さえる。溢れ出す感情を抑えるのに必死になって。


 冬君が目を逸らす。


 何度も、何度も冬君が今、漏らした言葉を反芻する。

 私が欲しかった言葉。貴方に私が伝えたかった言葉。


 まだまだ、貴方の隣を歩くのには、私は相応しくないと思っていた。だから、もっともっと頑張らないといけない、そう思っていたのに。


 でも、その反面。譲りたくないと思っていた。誰にもこの隣は譲りたくない。私以外の誰かが傍で、冬君と笑っているなんて耐えられない。私が良い。私じゃなきゃイヤだ。私と笑って欲しい。そう思ってしまう。


 何度めだろう。何度そう思っただろう。その度に、私達は友達だから。そう言い聞かせてきた。

 でもダメだ。もう気持ちを抑えるできなかった。


「本当、なんだよね?」


 私の言葉はもう止まらない。


「え?」


 冬君が目をパチクリさせた。


「今、冬君が言った言葉。ウソでも冗談でも無いんだよね?」

「ゆき?」

「……今さらウソだって言っても、取り消してあげないから。呆れても離してあげない。冬君の隣、絶対に誰にも渡してあげないから――」


 私は衝動にかられて、冬君を抱きしめていた。背が高い彼に背伸びをして、その首に腕を回して。冬君の胸に顔を埋めて。冬君の心音が聞こえる。その鼓動が心なしか、早く感じる。


 冬君もドキドキしてくれているんだろうか。

 それなら嬉しい。


 私だけじゃ無いって。私だけがそう思っているわけじゃないって。冬君の心音が教えてくれた気がしたから。


 だから――もう遠慮しない。冬君と釣り合ってなくても、相応しくなくても良い。この気持ちはごまかせない。ごまかしたくない。もう止まらない。

 だってだって、貴方が私に魔法をかけたんだから。


「私も、好き。冬君が大好き。冬君が悪いんだからね。いつも優しくて。こんな私に愛想を尽かさず背中を押してくれて。だから、ずっと私の頭から離れてくれなくて。冬君が傍にいてくれるだけで、呼吸が落ち着くの。苦しくないの。でも冬君は善意で関わってくれていて。友達として一緒にリハビリを応援してくれているって思っていたから、ずっと我慢してたけど。もう我慢しなくて良いんだよね?」


 気持ちが溢れて止まらない。貴方にかけられた魔法が止まらない。知っていた。冬君がこんなにも大好きで。知らなかった。こんなにも冬君が大好きで。

 冬君にかけられた魔法が止まらな――。




■■■





『にゃん。LINKだにゃん』

 スマートフォンが着信を告げた。





■■■




 私の抑えきれない感情を止めたのは、彩ちゃんからのLINKメッセージだった。



aya:上にゃんのカフェオレどうだった?


 そう彩ちゃんは聞いてきた。私は少し思案してから、冬君の淹れてくれたカフェオレの写真を選択。照れ臭さを感じたけれど、送信する。

 送信して息をつく。でも結局、目蓋の裏に浮かぶのは冬君の笑顔で。


(私、重症だなぁ)


 そう思う。笑顔だけじゃない。照れた顔も。今日守ってくれた時に見せた怒った表情も。時折見せた寂しそうな顔も。表情だけじゃなかった。声も、仕草も。私が落ち込んだ時に、髪を梳いてくれることも。全部、ぜんぶ。私を掴んで離さない。


 と、また着信音。今度は彩ちゃんから音声通話で。

 私はスマートフォンのストラップに触れる。

 前回も彩ちゃんとしっかり話せた。だから、今回も大丈夫――。


『――雪姫が不安になるんだったら、何回でも言うよ。俺、雪姫が好きなんだ』


 瞳を閉じれば、今日たくさんくれた冬君の言葉も、表情、その振る舞いだって全部、再生リピートされる。それだけで、私の不安は霧散していく。


(私って、本当に単純だ)


 そう思うけれど。

 目を閉じたら冬君が傍にいる。それだけで、勇気が湧く。

 だから私は――通話アイコンを躊躇わずタップできた。




■■■




「ゆっき、何があったの?」


 やけに興奮した彩ちゃんの声に私は面食らってしまう。


「え?」

「いや、もともと上にゃんとゆっきの距離は近かったよ? 近いと思っていたけれど、これは何て言うか……」

「待って、彩ちゃん! 私送ったのって、カフェオレの写真だけだよね?」


 もうイヤな予感しかない。


「うん? 枚数にしたら15枚くらい? カフェオレはすごかったね。あれ、コーヒーアートでしょ? ゆっきのために上にゃんが淹れたんだよね? 本気度がスゴイわ。でもね、私がビックリしたのはさ――」


 聞きたくない、聞きたくない。でも彩ちゃんの声はあまりに無情だった。


「一番衝撃だったのは、上にゃんの膝の上に乗って抱きしめ合ってる写真かな。お互い、相手のことしか見てないし。これ放っておいたらキスしそうな勢いじゃ……」

「わー! わー! わー!! 彩ちゃん、す、ストップ、ストップ! その話は――」


 まさか撮ってもらった写真を全部、彩ちゃんに送っていたとは思わなかった。冬君のことを考えすぎて、周りが見えな過ぎだ、私。


「でもゆっき? その反応って、もしかして?」


 電話の向こう側で、彩ちゃんがあからさまにニヤニヤしている気がした。私は項垂れて、観念するしかなかった。


「その……。冬君から告白をしてもらって、その……。こんな私だけど……。付き合うことになりました」


 一瞬の間。電話の向こう側で、彩ちゃんふわっと微笑んでくれたような気がした。


「ふふ。やっとですか、姉さん」

「え?」

「おめでとう、ゆっき」

「彩ちゃん?」


 混乱する私の思考。彩ちゃんの言葉を理解するには時間が足りなかった。


「だって、ゆっきは上にゃんの一番になりたかったんでしょう?」

 そう言われて、前に彩ちゃんと言葉を交わした時のことを思い出した。


『冬君が私に向けて笑ってくれるのと同じように、誰かに笑っているとしたら、それはイヤだって思っちゃって。一番冬君のことを知っているのは、一番近くにいるのは、一番、冬君のことを好きなのは私だって、誰にも負けたくないって――』


 頬が熱い。もう彩ちゃんに対して、冬君のことを好きって言っていたようなものだった。


「まぁ、最近。事あるごとに上にゃんは、ゆっきの話題ばかりだからね。あの気まぐれ猫がデレて、笑顔が増えてたからね。勘違いする女子もいたから、良かったんじゃない?」

「え……?」


 思考が追いつかない。あんなに素敵に笑うし、優しいし、行動してくれる人だ。そう思われて不思議じゃない。


 でも私だけが知っている冬君の良さを、他の人も知り始めていることに、複雑な気持ちになった。


「でもね、ゆっき。『こんな私』とか、そんなこと言ったらダメだよ。きっと上にゃん、怒るよ? ゆっきが、上にゃんしか見てないように、上にゃんもゆっきしか見てないからね?」

「うん。冬君が私を見てくれていることは分かって――」

「分かってないって」


 彩ちゃんは呆れたと言わんばかりに苦笑する。


「彩ちゃん?」

「上にゃん、学校じゃほとんどゆっきの話ばっかりするからね? お弁当はどれも最高だったとか、作ってくれたお菓子は食べたら幸せになるとかとか。ゆっきがリハビリを頑張っているって話も、ゆっきにカフェオレを淹れるために練習してる話とかもね。ゆっきの好きな小説も。それは私も知ってるよって言いたいけれど――楽しそうなんだよね。ゆっきの話をしてる時の上にゃんって」


 それは――かなり嬉しい。学校での冬君の姿を私は知ることができないから。


 でもそれじゃ、満足できない自分がいて。そういう冬君の顔を私は今、見ることができない。彩ちゃんや、他の人は見ることができているのに。

 私が見たい。冬君の一番近くで、一番傍で。私だけの冬君の色々な表情を――。


「学校じゃ、ゆっきに見せる表情の8割減なんだろうね。孤高でクールな『気まぐれ猫』とか『図書室の王子様』とか勝手に言われているけど、そんなの上にゃんは望んでないだろうし」

「気まぐれ猫? 図書室の王子様?」


 確かに冬君を例えるなら猫だとは思う。自由で、誇りをもって。でも必要な時に寄り添ってくれて、時々甘えてくれて。でも図書室の王子様と言われていることは――心穏やかに流してあげることができなかった。


「一時期、司書室で上にゃん、私とひかちゃん、弥生先生でご飯を食べていたからね。司書室開けるまでの間、上にゃん図書室で本を読んでいたのが理由かな? みんなの持っているイメージって、そつなく器用にこなして、一人の時間を愛してる。孤高系男子なんだよね、上にゃんって。そこに密かに憧れている子がいてね」


「そんなことないのに……」

「ゆっき?」


「冬君はずっと学校に馴染めてなくて悩んでた。そつなくこなしていたように見えたのは、冬君が一人で努力するしかなかったからだと思う」


 冬君は友達を欲しがっていた。孤独を怖がっていた。つまり、そういうことなんだと思う。


「そうだね。最近の上にゃんを見ていると、本当にそう思う。私達は勝手なイメージを抱いていたんだなぁって。だからこそ、ゆっきが必要なんじゃない?」

「え?」


「だって、上にゃんは本当にゆっきしか見てないからね。上にゃんの本当の姿を、ゆっきは見ていたってことでしょ? 私達は、そんな上川冬希は信じられなかったからね。だから、上にゃんにはゆっきが必要なんだって思うよ」


 私はコクンと頷く。それに、と思う。相応しくても、相応しくなくても。私は冬君の隣を誰にも譲るつもりがない。


 やっぱり、と思った。

 冬君は素敵な人だから。周りが放っておくわけはないと、そう思っていた。


 でも、そのまま勘違いしてくれたら良い。

 冬君の本当の姿も、本当は繊細な心根も。私は卑怯にもそれで良いと思ってしまう。みんなが勘違いしてくれている間に、私は学校へ行く。まだ怖くて、思うだけで息が苦しくなるけど。

 自然と冬君の笑顔が、瞼の裏側に浮かび上がって。それだけで呼吸が自然と落ち着くから私って、単純だ。


 学校に行って。冬君の隣に私がいて。冬君の隣で笑って、冬君の寂しさも不安も私が全部受け止める。冬君を私が幸せにしてあげたい。そう思う。だって、私が冬君の彼女だから。冬君の一番は私で、絶対にこの隣は譲らない――。


「前にも言ったけどさ」


 と彩ちゃんは優しく言う。


「だから、文芸部で待ってるね。焦る必要は全くないけど」


 私はコクンと頷く。冬君が私に魔法をかけた。怖いけれど、閉じこもってばかりの私じゃいたくない。冬君の隣は絶対に譲らない。冬君のかけた魔法が、今現在も止まらない。

 だから。

 私は深く深呼吸をした。


「冬君と一緒に行きたいって思っているから。彩ちゃん。その時はよろしくね」

 満面の笑顔で、そう言えた。




 

 





________________


「おめでとう、なんだけど。思い悩む数人に心当たりが、ちょっと頭が痛いね。でもあの二人の間に入り込むことなんか、誰もできないだろうし。なるようにしかならないよね。それに……私も頑張らないと、かな。とりあえず――ゆっき、おめでとう」

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