9 彼の笑顔が頭から離れない
ルルちゃんの写真を見て、ふわっと、つい微笑んでしまう。頭が良い子だというのが、見て分かる。それに名前で勘違いをしていたけど、彼――男の子だということを知って、なお安心している自分に驚く。
まるで私じゃないみたいだ。
今まで、諦めることは得意だった。だって諦めたらそれでお終い。そうしたら、もう辛くならないし、何も感じなくなる。このまま深海に落ちていくように、痛覚も何もかもなくなれば、もう楽で。それで良いと思っていた。
それなのに、冬君と出会ってからの私は、なんだか変で。自分はこんなにワガママで、欲張りだって初めて知った。
写真をフリックしていく。ルルちゃんも可愛いが、冬君の生活感が見ることができて嬉しくなる。ストーカーみたい、と後ろ向きになるが、衝動は抑えられない。
だって、知りたいのだ。冬君のことを何も分かっていない。そう思うから。
と、ルルちゃんの写真が終わって、4人の記念撮影の写真。
一人は冬君。もう一人の男子と肩を組んでいる。寄り添うように2人の女の子。見てはいけないものを見てしまった気分になって、慌ててしまった。
何をやっているんだろう。浮かれたり、落ち込んだり。自分が冬君にとって、面倒くさいクラスメートにしか過ぎないのに。
私の口から出たのは、謝罪の言葉だった。
「あ、あの、ごめ、ごめんなさい……」
そんな私を冬君は、微笑を浮かべてやっぱり受け止めてくれる。
「大丈夫だって。あっちの友達ってだけだから。見られて困る写真じゃないしね」
「うん……」
もう一度、ルルちゃんの写真を見やる。ルルちゃんのように。もっと冬君の傍に行けないだろうか。
それを望むなら今のままじゃ、絶対ダメで。友達にもなれていない私は、一歩踏み出さないといけない。そう思う。
そんな風に考えていた矢先、冬君は、言葉を投げかけた。
「もし、なんだけど。リハビリで、家の周りを一緒に歩いてみないか?」
「え?」
「ちょっとずつ、無理のない範囲で、外に出てみて。外に出たら、もしかしたらルルを連れてきてあげることができるかもしれないし」
ぽーっと冬君の顔を見上げる。――唾を飲み込んで。冬君、あなたは……私が欲しい言葉を、どうしてそう惜しみなく、私にくれるのですか?
それならワガママを少し、聞いてもらって良いですか? 私は勇気を振り絞って、声に出してみた。
「それは、上川君も一緒に、リハビリを手伝ってくれるっていうこと?」
「あ、そりゃ、もちろん」
あっさりと、私を受け入れてくれる。拒絶されることも覚悟していたのに。ほっとして――私は本当に嬉しくて、きっと今にも溶けそうな顔になっているんだと思う。
「でも、頑張るなよ? もう十分すぎるほど頑張っていると思うよ。できる範囲、できるだけで良いんだから」
と言って、冬君は私の髪を撫でてくれた。そこにもう遠慮はなくて。きっと小さい子をあやすような感覚なのかもしれないけれど。と、冬君はその手を離して――私が予想もしていなかったことを、囁いてくる。
「でも、頑張る下河にご褒美なくちゃだよな? 俺もルルに早く会わせてあげたいって思うんだよね。LINKのID交換する? そうしたらルルの写真を送れ――あ、いや、今のなしなし。ごめん、厚かましい。ごめ――」
冬君は慌てて、その言葉を引っ込めようとする。止まらない。もう、この衝動が止まらない。気持ちを隠すことなく、私は冬君に伝えていくことにした。今までの自分なら有り得なかった。すぐに諦めてしまうのが習慣だったのに。
だって簡単に諦めることなんてできない。冬君のことを知りたい。冬君にもっと近付きたい。でもその為だったら、どんなことだって厭わない――。
「……したいです。私も、上川君とLINKのID交換したいです。お友達、なりたいです……」
「ID交換してくれるのは嬉しいけど、勘違いしないでよ?」
「え?」
私は自分の表情が強張ったのを自覚する。そう、勘違いしていた。私なんかが誰かと繋がりたいとか、そんな浅ましいのだ。ちょっと調子に乗りすぎていた。私なんかが――。
「俺たち、もう友達だと思ってたぞ?」
耳を疑った。私は友達にも値しないと思っていた。無理に背伸びをして、それも無意味、そう思ってしまったのに。あ、もうダメ。ガマンしていたけど、感情が決壊する。
「下河さん、その、ごめ――」
「ちが、違うんです。嬉しくて、本当に嬉しくて。すごく嬉しくて。ともだち、って思って良いんですよね? 今までそんな風に考えたことなかったから、本当に本当にうれ、嬉し――」
嬉しかった。本当に嬉しかった。
冬君は、私が欲しいと思っていた言葉や温もり、つながりをこの昨日今日でたくさん、本当に惜しみなくプレゼントしてくれる。
今まで、私が欲しかったもの。誰も気付いてくれなかったもの。無造作に踏み潰されてしまったもの。それを全部ぜんぶ、冬君は私に手渡してくれる。
と――冬君の手が、私の手を包み込んでくれた。
でもね、そう冬君は囁いた。
「俺が一番、下河さんと友達になりたいって思っていたんだ」
もうダメ、本当にダメ。
子どもみたいに私は泣いた。
子どもの頃、こうやって泣きたかったんだと思う。
冬君は「泣かないで」とも「辛かったね」とも言わない。ただ傍にいてくれる。それが本当に嬉しかった。
■■■
冬君って頑固だ。優しいだけじゃなく、譲れないことには、自分の筋を通す。
私は、今日からリハビリを――外に挑戦してみてもよかったのだ。
でも、冬君は少しずつやっていこうと言う。
見送るため、玄関に立つと、少し息が苦しくなった。気管がひゅーひゅー言う。それを冬君は、心配そうに見やる。大丈夫、そう笑ってみせながら。
理由は分かっている。
外に出ることのハードルの高さじゃない。
冬君が帰ってしまうから。
弱いなぁ、って思う。今の私は、冬君に依存している。
「ゆっくりで良いんだよ」
冬君はそう言って、私の髪を撫でた。本当に子ども扱いをするように。それが心地良く感じたし、このままじゃいたくないとも思う。
「明日はまず玄関から一歩出るところから始めてみようか? でもできなかったら、それはそれで良いよ。時間をかけてゆっくりでいいから」
「うん……」
私は、冬君を見る。いつも来てくれるわけではないと思うから。不安が募った。
「時間をかけて一緒にやろう、明日また来るから」
「……本当?」
「だってリハビリ、一緒にやるって約束したでしょ?」
「――うん」
本当に。そういうところだよ、冬君。
あなたは、本当に私にたくさんの贈り物をくれる。こんな私でも、前を向いて良いんだって。歩いて良いんだって。あなたが、手を差し伸べてくれるから。勇気を持つことができる。
「だから、また明日ね」
「うん」
私は大きく頷いた。
冬君は歩みだす。でも、時々振り返って、私に手を振って。
帰っちゃう。
息が――呼吸が苦しくなってきた。一人に、また一人になっちゃう。
冬君が、もう一回振り返った。
「また、明日!」
その声が、やけに大きく響いて。私の心臓まで。その奥まで響いて。
息苦しさが、少しずつ落ち着いていく。
私は、冬君に大きく手を振った。
私、いまどんな顔で、冬君に笑っているのかな?
この距離じゃ、冬君は見えないかもしれないけど。
今まで生きてきたなかで、一番幸せな笑顔だって実感がある。
私――冬君に魔法をかけられたんだ。
■■■
ベッドの上で、スマートフォンを見つめる。
――ルルちゃんと、上川君の写っている写真が欲しい。
そうお願いをしたら、冬君は快く応じてくれて。
冬君のお膝で面倒くさそうに、片目を閉じるルルちゃん。自撮りして成功した数少ない一枚と、冬君は言う。
――良い、写真。
私がそう言ったら、冬君は嬉しそうに笑う。
同じように、冬君が写真のなかで、優しく笑いかけてくれる。
明日まで、長い。
早く明日が来れば良いのに。
学校に行けたら、と思う。
冬君と一緒に学校に行けたら。
もっともっと、同じ時間を共有できるのに。
――時間をかけて一緒にやろう。
冬君の言葉がリフレインする。
そうだね。焦らないし、無理をしない。
私は無意識にぎゅっと、スマートフォンごと抱きしめた。
今日はアルバイトがあるって言ってたっけ。
(すごいなぁ)
と思う。ルルちゃんがいるとは言え、一人暮らしで。ただ冬君の料理の腕を考えると、ちょっと食生活が心配だ。お昼もどうしているんだろう?
そう思ったら、ついLINKでメッセージを送信していた。
■■■
yuki:まだ帰ってないよね? 今日、アルバイトって言ってたもんね。頑張ってね。でも無理しすぎないでね。ちゃんと、夕ご飯食べるんだよ?
yuki:明日 待ってるね。
すぐに返信がある。
fuyuki:ありがとう。
fuyuki:明日、行くからね。
■■■
私は、スタンプで「ファイト」って送る。
ただ、これだけ。たったこれだけなのに。
冬君と、しっかりとした【つながり】ができた。そう実感する。
だって、冬君が言ってくれたのだ。
――俺たち、もうすでに友達だと思っていたぞ?
嬉しかった。
本当に嬉しかった。
あなたは私に魔法をかけてくれた。
こんな私でも、前に進んで良いんだよって。ゆっくりで良いから、一緒に行こうねって。
この魔法の副作用が強くて。
あなたの笑顔が、頭から離れない――。
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