第20話 王子様vs婚約者

 ずしゃ、と土埃を上げながら、エルトゥールは修練場の地面に転がり込んだ。

 すぐに起き上がろうとするも、刃を潰した模擬剣の切っ先を首筋にひたっと押し付けられて、動きを封じられる。


「なかなか見どころのあるお姫様だ。楽しかったよ」


 太陽を背に、薄く汗の滲んだ顔に爽やかな笑みを浮かべてそう言ったのは、勝者ジャスティーン。

 エルトゥールともども、動きやすい男装に着替えて、剣を交える模擬試合を終えたところであった。


 ――すこーし、顔を貸してもらえる?


 というお誘いから、話がこじれにこじれたわけではない。

 申し訳なさいっぱいのエルトゥールから、申し出たのだ。


 ――かなりギリギリのことをした自覚はあります。言い訳しません。もう、どうにでもしてください……!

 ――ああそう。じゃあ、戦ってみる?


 エルトゥールの言う「ギリギリのこと」には、ジャスティーンも当然思い当たる節はあったのだろう。

 話はあっさりまとまって、昼休みは終わっていたものの、修練場に忍び込んで剣で戦うということになった次第。


 ――どうしてそういうことになるんですか!?


 レベッカは悲愴な顔をして叫んでいたが、エルトゥールが「これは避けられない戦いなんだ。止めないで」と肩に手を置いて言い含め、ジャスティーンも「雌雄を決する時、かな」と言った為に、レベッカは「……見届けます」と唇を噛みしめながらついてきた。


 場外の見学席で、手を揉み絞りながら、ハラハラと見守っている。

 いつの間にか、その周りには無関係な生徒たちも集まり始めていた。噂になっているのか、後から後からどんどん増えているようである。

 地面に転がったまま、エルトゥールはレベッカに「大丈夫ですよ」と笑いかけ、ジャスティーンへと向き直った。


「全然かないませんでした。私も、基本的なことは身に着けてきたつもりです。ですが力の差もありますし、速さも違います。やっぱり、ジャスティーン様はかっこいいです。女性でそこまで強くなれるなんて」


 手を差し出される。

 素直にその手をとり立ち上がりながら、エルトゥールは所感を述べた。

 ジャスティーンは、紺碧の瞳を輝かせて面白そうに笑った。


「この姿を見て、実際に戦ってみても、姫には私が女性に見えていますか」

「もちろんです。私は世の中で一番強くてうつくしいのは我が姉姫だと信じていたんですけど、認識が変わりました。ジャスティーン様のことを、心より尊敬します」


 心酔したかのような発言に、どことなくジャスティーンは苦笑めいた笑みを浮かべる。


「お二人とも、お怪我は……!」


 レベッカが耐えられなかったように遠くから声をかけてきた。

 エルトゥールがそれに答えようとしたとき、見物の生徒たちをかきわけて前に出て来るアーノルドの姿が見えた。


 * * *


「我が婚約者殿が、エルトゥール姫と喧嘩と聞いて来てみれば。何をやっているんだ、ジャスティーン」


 珍しく、黒の瞳に怒りを迸らせたアーノルド。

 ジャスティーンを厳しい口調で問い質す。

 一方のジャスティーンはといえば、余裕綽々の態度で「遅いよ」とうそぶいた。


「お前が本気で戦って、か弱い姫君が敵うわけがない。怪我でもさせたらどうするつもりだったんだ」


 怒気をはらませた声で言うなり、アーノルドは修練場に足を踏み入れる。

 強い眼差しをジャスティーンに向け、エルトゥールが取り落とした模擬剣を拾い上げた。

 ジャスティーンは、ふふ、と笑ってエルトゥールの肩に背後から手を置いた。


「全然勝負にならないというわけでは、なかった。か弱いというのは、殿下の見込み違いだ。ね、エルトゥール様?」

「ありがとうございます、ジャスティーン様。そう言って頂けて、光栄です」


 長姉のメリエムをはじめ、二番め以降も女傑揃いの王女たちの末妹として生きて来たエルトゥールは、強い女性に認められることに喜びを見出してしまう傾向にある。

 ジャスティーンに褒められて、頬を紅潮させて御礼を言った。


「……ジャスティーン。姫から離れるように。気安く触っていい相手ではない」


 アーノルドに言われて、ジャスティーンは笑みをもらしながらエルトゥールの肩から手を離す。


(気安く……? アーノルド殿下は、私が「アル」のときは、普通に触れることもあるように思うのですが)


 卑猥な意図を感じたことはないし、いずれも必要な場面だったとは思う。

 それでも、実は少し気にしていたエルトゥールは、納得いかない思いでアーノルドを見た。

 ジャスティーンばかり責められるのは、納得がいない。


「さて。我が婚約者の王子殿下は、納得していない様子。どうしようか。久しぶりに手合わせでもしますか、殿下」


 挑発するように、ジャスティーンが声を低めて言った。

 男装とあいまって、まさに凛々しい青年にしか見えないジャスティーンの、好戦的なまなざし。それを受け止める、正統派美形のアーノルド。

 見学席からは黄色い悲鳴が上がっている。


「そのつもりだ。本気でこい」

「もちろん。手を抜いて殿下に勝てるなんて思っていない。姫、危ないから下がって」


 剣を手にしたジャスティーンは、不敵な微笑みを浮かべながらアーノルドを見つめている。

 アーノルドは、ちらりとエルトゥールに視線を向けてきた。眉間にぐっと皺を寄せて、何か言いたげな顔をした。

 結局、何も言わぬまま剣を構え、ジャスティーンに向き直る。


 一触即発に高まった空気、見物の生徒たちからの期待に満ちたまなざしやひそひそとした話し声。

 戦いに向かう熱気を肌で感じながら、エルトゥールは小首を傾げた。


(……あれ? どういった理由で、この二人は戦うのでしょう?)

 

 自分とジャスティーンはともかく、アーノルドは何のために剣を振るうのだろうと、不思議に思った。

 まるで大切な何かを賭けて挑まれて、譲れないとばかりに。


「いくよ」


 ジャスティーンが開始の宣言をし、踏み込む。

 まさにそのとき、修練場に「こらーーーーーーーっ!!」という女性の声が響き渡った。


「どこの授業も空席だらけだって聞いて、何が起きているのかと探してみれば、何やっているんですかーーーー!!」


 栗色の、ふわふわとした髪の若い女性教師。

 どうかすると生徒と区別のつかないような童顔を真っ赤に染めて、声を張り上げている。


「おっと。邪魔が入った。殿下、この決着はまたいずれ」

 

 速やかに試合を中断し、ジャスティーンはアーノルドの元へと走る。その手から剣を受け取ると、耳元に唇を寄せて何か囁いた。

 すぐに身を離して、「模擬剣しまっておくから、殿下はさっさと逃亡してください!」と明るい声で言った。

 やや呆れた表情をしていたアーノルドだが、すぐにいつものように口の端を吊り上げて笑う。


「逃げ切れるとは思わないけど、逃げるか、エル」


 名を呼ばれて顔を上げたエルトゥールに向かい、「しまった」というように片目を瞑り、「エルトゥール姫!」と言い直す。


(一瞬、殿下が「アル」になってた。私も返事するところだった)


「逃げる理由は、なんですか」

「教師に現場を取り押さえられると、成績に思いっきり響く。素行不良な生徒にはそれなりに厳しい学校だ。王族とて例外はない」


 走り寄ってきたアーノルドと肩を並べて駆け出しながら会話を交わす。「こらー!」と叫んでいる女性教師に現場をおさえられているのだが、なかったことにして逃げるらしい。


「悪さをすると、夜の出入りももちろん厳しくなる。だから目をつけられないように、逃げる。他の生徒がつかまっているうちに!」


 悪い顔で笑うアーノルドに、(そううまくいくかな!?)と思いつつ、成績に響くのは問題に違いない、とエルトゥールも真剣に逃げることにした。

 ちらりと見ると、アーノルドのお目付け役らしいマクシミリアンが、教師に何やら掛け合っている姿が見えた。


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