第19話 猫では無理がある

 仕事三日目にして、夜の男子寮訪問二回目(※一回目は意識不明)。


(私と殿下は実際のところただのカフェ店員仲間だけど、他の人は理解できる状況じゃないですよね……。一回ならともかく二回目。いや、一回でもふつうはだめだ)


 女子寮の周りでぐずぐすしていたら、誰に見られるとも限らない。

 アーノルドからそう説得され、自分だけではなくアーノルドの立場も悪くなると気づき、身を隠すために男子寮に来てしまったエルトゥールであったが、いざ部屋で二人きりになると後ろめたさや罪悪感でいっぱいになる。

 婚約者のいる男性と二人きり。一国の王子と王女。状況としては、すべて大変よろしくない。


(アーノルド殿下には、不用意に近づいたりしない。誰かに見られても、言い訳が立たない状況にならないようにしよう)


「そうだ、エル。今日まかない食べないで帰ってきたし、お腹すいてるだろ。食べておいた方がいいぞ」


 エルトゥールの決意など知らぬように、アーノルドは気さくな調子で声をかけてくる。

 ソファに合わせて置かれたローテーブル上に布をかぶせた皿があり、さっとその布をとった。

 シェパーズ・パイ、チキン、ベイクドポテト。水筒。

 見た瞬間、強烈な空腹感に襲われて、エルトゥールは両腕で腹をおさえた。


「どうしたんですか、それ」

「いつもマックスが窓の鍵開けるついでに、置いていく。時間が遅いときは食べないで帰ってくることも多かったから」


 アーノルドの場合、帰る時刻に合わせてマクシミリアンが窓の鍵を開けておいてくれるとのことだった。部屋も一階の為、簡単に侵入できた。防犯上問題があるように思ったが、姿が見えないだけで、マクシミリアンが近くで見張っているのかもしれない。

 見られたかも、と思いつつわからないことは心配しすぎも良くないと、気持ちを切り替える。


「お腹は空いてます……。とてもとても」

「うん。食べてしまっていいよ。俺は食堂で何かもらってくる。あと、そこのドア、浴室。この部屋に直接温泉をひいているんだ。大浴場と違って、人に見つかる心配もないから、使っても良い」


 空腹には勝てないと、ふらふらとソファに寄って行ったエルトゥールであったが、アーノルドの説明にハッと我に返る。


「部屋に浴室……!? 自分専用ですか!」

「そう。一応王族だし、若干の特別待遇かな。便利だよ。あー……、女子寮にもそういう部屋はあるんだけど、ジャスティーンが入学以来使っているはず。お姫様には普通の部屋で、申し訳ない」

「いえいえ、とんでもない。ジャスティーン様と同じ湯に浸かるなんて、畏れ多い。全女学生がそう思っているかと。」

「おい、いまなんでナチュラルに『様』になった。エル、お前もか」


 今までレベッカや他の女子学生がジャスティーンに注ぐ眼差しには引き気味であったエルトゥールであったが、今晩の男装姿を見たことですっかり「ジャスティーン推し」に傾きつつあった。

 アーノルドは、ふっと、小さく息を吐き出す。


「まあいいや、エルはこの部屋、好きに使っていい。俺は食堂で何か調達してから、コモン・ルームのソファで寝る。鍵は外からかけておく。一応、マックスもこの部屋の鍵は持っているけど、いきなり開けることはないはずだ。俺が戻ってなくても、朝になって明るくなってたら、窓から出て行って構わない」


 テキパキと説明をすませて、アーノルドはさっさと部屋のドアに向かった。


「アル、浴室は」

「今日のところは顔だけ洗って寝る。明日の朝使うから、今晩はエルがどうぞ。俺のことは何も気にしないように。それじゃ、おやすみ」


 言うだけ言って、にこりと笑うと本当に出て行ってしまう。

 廊下から、鍵をかける音が聞こえた。


(それは、そうですよね。アーノルド様が正しい。やむを得ないとはいえ、ひとから疑われる状況は作るべきではない。私も、アーノルド様とジャスティーン様の間に入っていきたいわけではありません)


 部屋に二人きりになったら、それはそれで困った。

 見知らぬ他人の部屋に一人取り残されのは心細いが、子どもではないので大丈夫だと自分に言い聞かせる。


(お腹空いているのもいけない。早く食べて、さっぱりして、たくさん寝よう。明日も一日頑張らないと)


 エルトゥールは、目の前の食事に集中することにした。


 * * *


 ベッドを使うのは気が引けて、ソファに横になり、毛布をかけて就寝。

 寝心地は悪くなかった。

 結果的に、寝過ごした。

 目を覚まして状況は比較的早く思い出せたが、窓の外はすでに明るく、完全に朝。


(早めに出て行こうと思っていたのに、完全に寝過ごしてますっ)


 ばたばたと靴を履き込みながら時計を探していると、浴室に続くドアを開けてアーノルドが出て来た。


「あれ、起きてた。おはよう」

「おはようございます。って、殿下なんで裸なんですか!?」

「着替えを用意するのを忘れて。俺が部屋に戻ったときはよく寝ていたから大丈夫かと、取りに出てきてしまって……」


 腰の辺りに軽くタオルを巻き付けただけの姿で現れたアーノルドを前に、エルトゥールは咄嗟に毛布をかぶって隠れた。


(み、見てしまった。不用意な接触は避けようと思っていたのに、裸を……!)


 接触したわけじゃないからぎりぎり大丈夫! と思おうとしたが、気持ちの上ではひたすらジャスティーンに申し訳ない。

 さらにその上、「殿下、マクシミリアンです」という声が廊下から響き、さーっと血の気がひいた。


「マックス、いま服着てないんだ。あとにしてくれ」

「……話し声が聞こえたように思ったんですが」


(マクシミリアンさん、耳良いですね!? ドアの前にいたんですか!?)


 どうしよう、どうしようと毛布の下で戦々恐々としていると、肩のあたりに手を置かれた。

 抑えた声でぼそりと言われる。


「これは、猫作戦しかない」


(アーノルド殿下、またですか! それは無理ですって。絶対に無理ですって)


 前回もごまかしきれなかったじゃないですか! と言い返したい気持ちでいっぱいのエルトゥールであったが、頭の中が真っ白で他に何も思いつかない。


「にゃ、にゃあああん」

「マックス、猫だ」

「殿下、さすがにそれは無いです。怒りますよ」


 マクシミリアンの声は恐ろしく冷ややかであったが、アーノルドは気にした様子もなく「エル、もう一回」と毛布の上から肩を叩いてきた。


「にゃ……にゃあああああ!!」

「マックス、ほら、猫だ」

「ひとを馬鹿にするのもいい加減にするんですね。俺はともかく、婚約者殿が黙っていませんよ」


 それが捨て台詞だったらしく、声は以降聞こえてこなかった。

 少し待ってから、エルトゥールはがばっと毛布をはねのけて起き上がる。


「アーノルド殿下!」

「しーっ! 騒がない。また誰か来てしまうよ、姫」


 ほぼ裸ながら王子様然としたアーノルドに優雅に微笑まれて、エルトゥールは口をぱくぱくと動かした。顔にかっと血が上るのを感じて、脱兎のごとく逃げ出して窓に走る。


「お世話になりました! ごきげんよう!」

「姫、気を付けて帰ってくださいね。また後程、お会いしましょう」


 同僚の「アル」ではなく「アーノルド殿下」として振舞いつつ、その笑みはどことなく黒い。

 素直に感謝の言葉を口にできないまま、エルトゥールは窓から飛び出した。


 * * *


「エルトゥール様、お疲れではありませんか?」


 午前の授業を乗り切り、昼食時の混雑したカフェテラスにて。

 レベッカに心配そのものの顔で声をかけられて、エルトゥールはひきつった笑みを返す。


「体力的には意外といけそうなんだ。今日は精神的に少し疲れているけど、大丈夫だよ」

「昨日は女子寮でも騒ぎがあって……。うまくお迎えできずにすみません」

「何回も謝らなくても大丈夫。私は『親切なひと』に助けてもらったから、全然平気。レベッカこそ、昨日はジャスティーン様とたくさん話せて良かったね」


 夜の出来事は、朝食時や授業の合間にレベッカから聞いていた。

 やはり、男装のジャスティーンが現れたことに、目撃した女生徒全員が狂喜乱舞であったらしい。

 寮監は規則通りにジャスティーンとリーズロッテを叱り飛ばしたらしいが。


「ジャスティーン様、普段の生活でもときどき男装はなさるんですけどね。体を動かす授業を選択されているので。乗馬や剣技……」

「そうなんだ。カッコイイんだろうね」


 心の底から素直に同意して、エルトゥールはパンにかぶりつく。

 そのとき、背後から声をかけられた。


「そこの子猫ちゃん」


(ジャスティーン様だ)


 エルトゥールは振り返ると、思った通りの人物がそこにいた。

 輝くばかりの美貌に妖艶さすら漂う笑みを浮かべて、麗人ジャスティーンは明るく言う。


「いま、どうして『子猫ちゃん』で振り返ったのかな、エルトゥール様は。何か心当たりでも?」

「……?」


 背筋がすうっと冷える。

 自分は何か失敗した。そう、悟った。


(名前を呼ばれたわけでもないのに振り返ったら、「子猫ちゃん」のふりをしていたのが自分だと認めたようなもの……! これは、絶対にアーノルド様の部屋で過ごした件で話しかけている!)


 しまった、と顔色を失うエルトゥールに対し、ジャスティーンは微笑みを崩さないまま続けた。


「可愛らしい姫君。すこーし、顔を貸してもらえるかな? 聞きたいことがあるんだ」

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