三重人格探偵 文殊のチエコ

勇兎ぴあ

第0話 三人寄らなくてもあの子は賢い

 "三人寄れば文殊の知恵"という言葉を皆さんはご存知だろうか?


 それは、凡人でも三人集まれば素晴らしい案が生まれるという意味の諺だ。

 でも、世の中というのは不公平なもので、私みたいな三人寄ってやっと人並みというくらいの馬鹿がいる一方で、たった一人で文殊菩薩並みの頭脳明晰さを持つ人間だっている。


 そう、今から紹介する"あの子"のようにーー


* * *


 高校2年の春。推理小説やドラマが大好きな私は、事件なんて一つも起きないつまらない日常に飽き飽きしていた。


 「平山、起きなさい!」


 春眠暁を覚えずーーいや、それだと昨夜から学校で眠っていたことになるから意味が違うか。いずれにせよ、私は朝のホームルームが始まっているにも関わらず微睡んでしまっていた。

 

 「……先生、何ですかぁ?」


 重い瞼をこじ開け、欠伸をしながら体を起こすと、黒板の前に立つ黒髪美少女の姿が目に飛び込んできた。


 「今日からこのクラスの仲間となる転校生だ。自己紹介よろしく」


 先生に促され、ぺこりと一礼をする転校生。ヘアコンディショナーのCMに出てきそうな艶々の長い髪が揺れると、一番前の席に座る私の方へ少し良い匂いが流れてきた。


 「初めまして、ご機嫌よう。今日からこの教室でお世話になる盛山知恵子です。よろしくお願いします」


 盛山……か。名前からして既に負けているじゃないか。

 可愛い顔と育ちの良さを感じさせる所作、上品な言葉遣いにクラス中の男子たちは釘付けだ。

 私が勝てることといったら背の高さとスタイルの良さくらいだろうか?


 「君の席は、廊下側最前列にある空いた席だ」


 そして、彼女が座るのは私の右隣。机が一つ増えていたからそんな予感はしていたけれど、こんな完璧そうな美少女と横に並べられるなんて。


 「よろしくね」


 にこりと微笑みながら私に挨拶をしてくる盛山さん。私も会釈で返事をした。

 ああ、イケメンの高校生探偵でも転校してくれば私の青春はきらきらに輝くのになぁ……なんて思いながら私は再び眠りに落ちた。


* * *


 昼休み、弁当を早々に食べて校舎裏で読書をすることが私の日課だ。

 教室で読まないのは静かな環境で誰にも邪魔されたくないから。図書室へ行かないのは私物の本が持ち込み禁止な上に、読みたい本が誰かに借りられているとショックが大きいからだ。


 今日も私は弁当を食べ終え、机にかけた鞄の中からお気に入りの推理小説を取り出そうとする。


 「ないっ!」


 思わず叫んでしまったが、私の声は周囲のクラスメイトたちの談笑する声にかき消された。

 私は鞄をひっくり返して荷物を全て出したものの、文庫本サイズの愛読書は見つからない。

 家に忘れた?いや、昨日の夜の時点で鞄の中に入れてあったし、それ以降取り出してはいない。

 道で落とした?いや、登校中鞄のチャックはしっかりと閉じてあった。

 盗難?有名どころなら有り得るかもしれないけれど、結構マニアックな推理小説だし、この学校内に欲しい人がいるとは思えない。"平山"印を最後のページの隅に押してあるし、売っても価値なんてない筈だ。

 いずれにせよ、今回の紛失は私の過失ではないと絶対に言い切れる自信があった。


 これは私が待ちに待った事件らしい事件なのかもしれないけど、被害者が自分となると話は別で、楽しくも何ともない。

 逆に言えば、他者が事件に巻き込まれるのを待ち望んでいた私は最悪の人間という訳なのだが。


 「こうなったら、犯人を絶対に見つけて成敗してやるっ!」


 私は推理小説の主人公になったつもりで事件解決に挑む決意をするのだった。


* * *


 事件の基本その1、犯人は犯行現場に戻ってくる習性がある。おそらく事件現場はこの教室、私の机付近のはすだ。ここでずっと待ち続けていたら……

 ホームルームが終わってみんなが部活やバイトに向かう中、私は教室で1人佇み続けた。


 「このまま待っていても、今日はきっと返ってこないんじゃないかな?」


 後ろから突然声がして、私は驚きながら振り返る。


 「犯人には必ず動機がある。"あなたに何らかの恨みがある"という明確なものかもしれないし、"むしゃくしゃしたから"とか"誰でもよかった"とかそういう曖昧なものかもしれないけれど、その人を盗難に駆り立てた心理的背景は絶対に存在するわ」


 そこに立っていたのは盛山さんだった。まるでどこかの名探偵みたいな口ぶりで彼女は続ける。


 「犯人が犯行現場に戻って来るのは、隠滅し忘れた証拠を回収するためだとか、何らかの理由がある。私の推理が正しければ、今回の場合は数日後にきっと現れるはずよ」


 数日後?妙に自信満々な表情で彼女は言っているけれど、その根拠は何なのだろうか。


 「ねえ、盛山さん。そんなこと言ってあなたが犯人なんじゃ……」

 「疑われたくないなら初めから声なんてかけないわ。あなたには私の"動機"が見えていない。目の前の困っている人を助けたいという気持ちがね」


 私はもし身近で事件が起きたら小説に出てくる探偵みたいに華麗に推理したいと思っていたが、それは自己の欲求を満たすため。

 彼女があまりにも崇高な動機を示してくるものだから、私は目を逸らすしかなかった。


 「待っていればあなたの本は返ってくる。けれども、早く続きが読みたいんでしょう?」

 「勿論よ。一秒でも早く取り戻したいわ」

 「だったらついて来て」


 私は彼女の靡く黒髪の後をついて歩いた。

 廊下を突き進み、階段を登って向かった先は図書室だった。

 木を隠すなら森の中ということだろうか?


 「推理小説コーナーはこっちね。あなたの本のタイトルは確か"八百屋探偵ハチ チサト失踪編"だったかしら?」

 「何で知ってるのよ?」

 「教科書を取り出す時に開いた鞄から見えたの」

 「人の鞄の中覗かないでよ!」

 「見えちゃっただけよ。観察眼は人一倍で、視界に入った情報が無駄に記憶に残ってしまうの」


 放課後の図書館で思わず大きな声を出してしまう私に対して、彼女は私にしか聞こえないくらいのボリュームで淡々と返す。

 

 「あったわ。確認してみて」

 「これは!」


 本棚の中から見つけた一冊を手渡してくる彼女。

 私は中を開いて"平山"印を確認するまでもなく、表紙カバーのごく僅かな汚れ具合だけでそれが自分のものだとわかった。

 念のために開いてみると、最後のページに私のものである証がくっきりと押されているが、背表紙の裏側には図書館の所有物に取り付けられている図書貸出カード入れがあった。


 「平山さん。そのカードに名前のある最後に借りた人物こそが、犯人よ」

 

 私は恐る恐るその名前を確認した。私の愛読書を奪って図書室の書籍に紛れ込ませた犯人は……同じ2年3組の前田遼太郎だ。


 「彼は確か美術部だったわね。美術室へ行くわよ」

 「そこまで知ってるなんて、本当に転校初日なの?」

 「前田君は自分から私に教えてくれたのよ。連絡先の書いたメモを渡す際にね」


 モテる女アピールをするつもりはなかったのだろうけど、聞いてしまった私は後悔した。

 

 「とにかく、この本を見せて問い詰めてやるんだから!」

 「待って。持ち出す前に借りる手続きをしなくちゃ」

 

 自分の愛読書であるはずのものをわざわざ借りるなんて屈辱的だが、今はこの図書室の本となっている以上仕方がない。


 「さて、証拠も持ったことだし今度こそ前田君……いや、前田の元にレッツゴーよ!」


 今度は私が前を歩き、犯人の潜伏する美術室を目指した。


* * *


 窓から差し込む夕日を背に浴び、黙々とオブジェクトをデッサンする部員たち。

 その静寂を破ったのは私の怒号だった。


 「おらぁ、前田っ!居るなら出てこいやっ」


 一同の視線が私に向くが、その中に彼の姿はない。ただならない殺気を感じ取った部長は無言で私たちの後ろを指さした。

 ハンカチで手を拭きながら戻って来た前田は2人の訪問者を見て不思議そうな顔をする。


 「"何か用?"とでも言いたげな顔ね。これはどういうことなの?」


 私は印籠のように一番最後のページを開いて彼に見せた。図書室所蔵の証である貸出カードと私の愛読書の証である"平山"印の押された箇所が同時に目に入るように。


 「ごめんなさいっ!」


 前田は廊下に膝をつき、頭を深々と下げて謝り始めた。


 「借りた本をうっかりコーヒーでぼとぼとにしてしまって、文字も滲んで読めなくなっちゃって……新しく買って返却するつもりが中々レアな本だから書店で買えなくて。ネットでようやく買えたけど、届くのは三日後で返却期限に間に合わなくて……」

 「この学校の図書室は返却を滞納した場合、一ヶ月間本を借りられなくなるペナルティがある。あなたはそれを恐れて彼女の本に手を出してしまったのね」

 「本を盗ったのは返却期限を凌ぐため。買った本が君のは届いたらちゃんと返すつもりだったんだ。本当にごめんっ!」

 「許すかどうかはこの本の所有者が決めることよ。平山さん、どうする?」


 犯人を見つけたら完膚なきまでに叩きのめしてやるくらいの意気込みで美術室に乗り込んだはずだったのに、土下座をしながら涙ぐむ彼の姿が何だか哀れに思えて、私の握った拳はいつの間にか解けていた。


 「今回は許してあげる。本のことでそこまで必死になるなんて、つまりはあなたも本が好きなんでしょう?だったら少しは気が合うかも」


 私の好きな八百屋探偵は、情状酌量の余地がある犯人に対しては慈悲深い紳士だ。

 それに、私は彼にある利用価値を見出した。


 「ねえ、盛山さん。この学校に"探偵部"を設立しない?」

 「探偵部?」

 「あなたの頭脳があれば、きっとこの学校で起こるあらゆる事件を解決に導けるはずよ」

 「うーん」


 盛山さんはそう言ったきり、まるで瞑想をするように目を閉じてしばらく黙り込んでしまった。


 「盛山さん?どうしたの?そんなに深く考えること?嫌なら嫌だって言えばいいじゃない」

 「おもしろそうね。やるわ」


 2分ほど経ってから彼女は探偵部設立の提案に乗ってくれた。


 「そうとなったら決まりよ!前田、あんたは美術の腕前を似顔絵師として振るって頂戴」

 「え?僕には美術部の活動が……」

 「今回の件、バラしてもいいのよ?それに、美術部は兼部可能なはずでしょ?あんたは証言を元に犯人の似顔絵を描くこと以外の仕事は求めないから」

 「わかったよ……」


 私たちの通う文殊高校では、部員が3人いれば新しい部活動の設立が認められる。

 

 「それじゃあ決まりね。文殊高校探偵部、ここに結成よ!」


 こうして私たちのミステリーな青春劇が始まった。

 でも、私はまだ知らなかった。盛山知恵子の頭脳明晰さの秘密に……

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