白雪姫と敵中突破三百里

hot-needle

一章 河原を逐われて傭いになること

 光の輪の中で天冠を被ったエルフの女たちが踊っている。

 舞台を照らす篝に照らされ、緩やかな音曲に合わせて、水面で跳ねる岩魚のように、女たちはしなやかに泳ぐようにからだをくねらせる。身にまとっていた薄物が一枚ずつ宙を舞うたび、暗い客席に乾いた溜息が拡がった。

 女たちのてらてら光る白い肌にまとわりつく髪に、硝子玉がらすだまの髪飾りがきらめいて揺れている。

 鼓のが静かに高まってきた。

 大きく身体を反転させた舞女たちが、一瞬動きを止めた。瞳が妖しく輝き、流れるように暗い客席を舐めていく。まぶたいた金粉が光った。赤く塗りたくった唇から、小さな蛇のように舌が覗いた。

 銅鑼が響いて、途端に女たちの片足が一斉に垂直に跳ね上がった。腰に巻きついていた最後の薄布が、馬鹿でかい蝶のように高く舞い上がり、ゆっくりと床に落ちていく。

 女たちは両脚を大きく開いて躰を仰け反らせ、細い指を無毛の下腹に這わせた。紅く塗った小さな爪が、そこだけ別の生き物のように蠢いた。そのままくるりと向きを変えて尻を突き出すと、笛の音色に合わせて小刻みに尻を揺すりはじめた。


 この冬、都を流行り病が猖獗しょうけつした。北の外町で発生したという悪性の風邪はたちまち都を縦横無尽に駆け回り、実に三人に一人が罹患したという。後に流行性感冒と呼ばれるものである。体力のない老人や子供、貧者のみならず、有徳人うとくにんや殿上人も病み倒れておびただしく死者が出た。公衆衛生の観念もない時代だ。人々は疫病平癒を祈願しようと貴賤問わず教会に押しかけ、ますます感染に拍車をかけた。


 やがて季節が改まって春一番の強風が吹き、芽吹きの香りに押し流されるように疫病は治まった。人々はようやく一息ついて病魔が去ったことを言祝いだ。

 その頃のことだ。ガラン通りに大きな邸を構える長者の一人が、

「病鬼退散の祝いをせん」

 と邸の広大な庭に舞台と桟敷を設え、近所の店から蒸籠せいろうや臼、高坏たかつきなどを借り集めた。更に都の東を流れるシルベ川筋のネイリ河原にある亜人溜りに人をやってエルフの舞女まいめと楽人を雇うと、棹を立て門を開いて庶人を呼び集め、酒食を振舞い大いに宴を催した。

 貴人や有徳人は折々に触れてこうした宴を開く。市井に施行をなし、高徳を誇るのがこの頃の風習だった。


 舞女には頭に双角の天冠を被らせ、薄衣を幾重にもまとった疫鬼女えきにょの扮装をさせた。病は気からという。滑稽に躍る疫鬼えきを笑い飛ばすことで、病に打ち克とうというのである。やることは病払いの祈祷と変わらない。

 ただし、少し趣向を凝らしている。疫鬼女は疫鬼婆えきばとも呼ばれるように、醜怪な化粧を施した老女と相場が決まっているが、舞女たちはエルフの見目麗しい美形揃い。そのほうが宴に華やかな色を添えると考えたのだろう。


 春とはいえまだ夜風は冷たい。かねや笛、三味線が奏でる中、肌に寒避かんよけの油を塗ったエルフの舞女たちは衣を脱ぎながら四肢を飛ばし腰をうねらせた。初めは人々も面白がって、舞台を囲んで歌い踊っていたが、やがて人数が増え、囃子はやしかまびすしくなり、町衆は次第に狂暴になっていった。

 町ごと講ごとに徒党を組み、隙あらば町同士が辻合戦を繰り広げる殺気立った時代だ。酒が回って仮装と本物の鬼の区別がつかなくなったのか、それとも篝火を受けて油で照り返った裸身のエルフたちの妖艶な舞に興奮したのか、

「おのれ、病鬼め」

「病人の仇を討て」

 興奮した男たちが次々に舞台に上がり、舞女たちを散々に殴りつけ、大勢で担ぎ上げ、しまいにかわるがわる乱妨を始めた。止めようとした楽人たちは袋叩きされ、華やかな宴はたちまち凄惨な私刑場に変わった。

 ただ一人邸を逃れた楽人の報せで駆けつけた亜人たちに助けられ、舞女たちは息も絶え絶えに河原の小屋に戻った。だが、最も幼かったエルフの少女は数日寝ついた末にとうとうはかなくなってしまった。


 当然ながら、亜人たちは怒り狂った。

「我ら、流民のすえとはいえ、今は御公儀のに連なり、皇室に奉仕する公界人くかいにんである」

 河原の一党の長であるオウガのガルベルという名の祈祷師が、分厚い胸板を叩いて吠えた。

「然るに、この仕打ちは何ぞ。ガランの長者からは見舞いの言の葉すら出ぬ」

 侮られたと亜人たちは思っている。諸芸を売って食を得る賎民だが、まつりごとの支配機構に組み込まれて何世代も経っている。町衆と同等という思いが強い。同類に嘲笑われたという屈辱で、亜人たちは怒りに震えた。

「芸によって宮廷に仕える我らが恐ろしさを思い知らせてくれん」

 普段は芸や雑用で世過ぎしているが、一朝事あらば武装して戦に加わる連中である。二年前の兵乱の際、都で掠奪をほしいままにしたエメス独立戦隊の大将クーベルメ男爵を討ち取り、天下に武勇と鳴らしたネイリの河原の亜人衆だ。商売道具の筮竹ぜいちくや鼓を捨て、物具つけ、長柄を振って気勢を上げた。

くなる上は皆で市中に押し寄せ、町衆どもに報復あたんしてくれる」


「待たれよ、皆の衆」

 暮れ六つ、夜戦よるいくさの識別のための白襷を掛けて押し出さんとする亜人の群れを、一人の男が止めた。

 河原に居喰いする用心棒だった。飄師ひょうし飄客ひょうかくとも呼ぶ。背は五尺六寸ほど、冬瓜とうがんのような細面に線を引いたように細い目、はしばみ色の兵衣、かんぬきに差した一尺六寸の腰刀の柄頭に左手を乗せている。

 近年の戦乱の煽りを受けて、河原の亜人溜りにも多くの人間が入り込んでいた。多くは逃散農民や都の夫役に駆り出されてそのまま居着いた百姓、戦乱で焼け出された難民、喰い詰めた牢人などだった。この男も、主家を失ったどこぞの牢人らしく身の上をほとんど語らなかったが、剣の腕を買われて去年から仮こしらええの見張り櫓に立ち、溜りの警備を任された牢人衆の一人だった。普段から無口で大人しく、声を荒げたことは一度もない。河原でも特に目立つこともなく、人々の口の端にも上らぬ男だった。だから、彼が激した亜人たちの前に立ち塞がったことは、怒りよりむしろ驚きをもって迎えられた。


「ジャッケルよ、何故に止める」

 首領のガルベルが威嚇するように頸を鳴らし肩を揺すった。

「このまま押し出すは諸事よろしくない」

 用心棒の男は臆せず答えた。

「飄客ずれに物言われる筋合いではない。ガランの長者に銭でも握らされたか」

「聞かれよ、今兵具つけて上都に押し入るは、公儀のつらに泥を塗るに等しい」

 皇帝の重篤が囁かれ、皇宮出入りの貴族や騎士たちは互いに牽制し、息を詰めている。

「このような時に、皇帝の膝元で兵杖の沙汰を起こせば、検非違使も黙っていまい。それに、町衆の備えも堅い」

 二年前の兵乱で町を焼かれて以来、町衆は用心のために牢人を雇い、大路の随所に櫓門を幾つも建てて外敵に備えている。

 双方に大勢の手負い人死にが出る、溜りに残された女子供にまで累が及ぶであろうとジャッケルは説いた。

「ならばどうせよと言うのだ。仲間の仇を討たぬというのか」

「討つわさ」

 別のやり口でやるとジャッケルは言った。

「刀杖ではなく、ここを使う」

 ジャッケルは己れの顳顬こめかみをとんと指で叩いた。

 ガルベルが巨きな体躯を折り曲げ、ジャッケルに覆い被さるように屈みこんだ。

「飄客よ、聞いてやろう。話してみよ」

「まあ、皆もここへ集え」

 ジャッケルは一同に輪を作らせ、その中心に座った。


 次の日、亜人たちは絹や錦の切れを持ち寄って法衣の形に仕立て、それぞれが布で面を覆い、または木彫りの面を被った。それから垂木を組んで輿を作り、空の棺桶を載せて卒塔婆そとばを立てた。卒塔婆には「疫鬼婆大姉」と墨痕鮮やかな文字が躍っている。

 異形の葬列のていである。

 即席の毳々けばけばしい極彩色の袈裟を掛けたガルベルが振り返って皆に声をかけた。

「さあ踊れ」

 笛を吹き、鉦を鳴らして一同は大橋を踊り渡り、上都に入った。たちまち人が集まり始め、面白がって一緒になって舞い踊り、亜人に銭を投げた。道化た葬列がガラン通りの長者の邸の前に着く頃には、群衆は数百人に膨れ上がった。

 亜人たちは邸の門前に棺桶を置き、

「過日に儚うなった疫鬼のばばを黄泉送りせん。何卒お婆の霊を鎮め給え、何卒お婆の怨霊がさわりなすことをふせぎ給え」

 それから一同は経を唱えながら、桶を中心に踊り始めた。一種のおどしである。だが、道化の態を取っているので、出動した検非違使の騎士も、町の櫓門に屯する雇い牢人も手が出せない。

 やがて、長者の邸宅でエルフの少女がなぶられ殺された話が見物人の間を細波さざなみのごとく拡まった。

「徳の高さを誇る癖に、一皮剥けばとんだ外道よ」

「可哀そうに、初めから玩弄もてあそぶ積りで呼んだのであろう」

 見物する人々は長者の悪口あっこうを言い募った。

 困り果てたガラン通りの長者は、己れの非を認めて亜人たちに多額の詫銭わびぜにを払い、ようやくの態で引き取らせた。


 上都ガラン通りの長者は都中の噂になった。

「たかがエルフの踊り一人、宴の席で狼藉されたくらいでこのわらわれようはなんだ」

 元はと言わば、自腹を切って上都の病魔を祓うためにやったことだ。それが熱狂し、多少の度を越した。それだけのことだ。なぜここまで嘲笑されねばならないのか。

「このまま済ますわけにはいかぬ」

 名もあり財もあるだけに、恨みの観念も人一倍強い。都を縄張りする仕事人の元締を集めて銭を撒いた。

「この騒ぎを仕掛けた者を探り出し、見つけ次第殺せ。死骸は目立つところへ放置して噂となすべし。我ら商人の力を思い知らせてくれん」

 都の周辺で頻発する一揆に乗じて蔵を襲おうと窺っている近隣の土民どもに、有徳人の怖ろしさを見せつけておく意味もあった。長者は気張りに気張ってその者の首級くび一つに、

「五百貫」

 の値札をつけた。当時の軍役では、物具を整えた徒歩武者でも知行五十貫が相場である。一介の河原者にしては過ぎた額だ。仕事人ばかりか、大店おおだなに飼われている牢人、騎士に仕える郎党、検非違使の下人までもが血眼で首を狙い始めた。


 ジャッケルは世間を甘く見ていたとしか言い様がない。

 二日後の朝、節句に飾る鎧人形に使う鞣革を納めるゴブリンの職人たちを護衛して溜りを出ようとしたジャッケルをガルベルが呼び止めた。

めよ、必ず襲われる」

 他の者を行かせる。お前は溜りに残り、姿を見せぬほうがいいと、オウガの祈祷師は忠告した。

「なんの、日の高いうちに市中で襲われることはあるまい」

 そう言って片手を上げ、猪革を載せた荷車を引くゴブリンたちの後ろを悠々と出発した。


 往きは何の問題もなかった。

 人形職人は相手が亜人であっても別段差別もせず、言われた銭を値切りもしないで支払ってくれた。

 これで一息継げると喜ぶゴブリンたちと談笑しながら、二年前の兵乱で焼けた土倉の焼け跡まで来た時、崩れた築地ついじの陰から陽炎が立つように人影が出てきた。

(刺客か)

 見ればそれぞれ素性も装束も違う。

 三味線を抱え、晴れているのに濡れたような髪から水が滴りそうな着流しの色男、錐刀すいとうのような凶悪なかんざしを握り締めた蓬髪に筒服の青年、二人の三歩後ろに、春の日中ひなかというのに寒そうに襟巻を巻いた町方の小役人風の中年男。三人とも昏い目でジャッケルを見つめている。

(これが話に聞く仕事人か)

 ジャッケルもその存在を噂で聞いていたが、目にするのは初めてだった。晴らせぬ恨みを銭で晴らす闇の稼業の連中という。全員俺よりいい男じゃないか。何故か心の奥にやり場のない怒りが沸いた。

 今から逃げても詮ない。ジャッケルは前に出てゴブリンたちに目配せした。

 逃げろと伝えた積りだった。だが、ゴブリンたちは道を塞ぐように荷車を回し、一斉に腰刀を抜いた。助太刀するかと思ったが、そうではなかった。

「用心棒殿、許せ」

 築地の周りにジャッケルを囲んだ。

「貴様ら、欲に目が眩んだな」

「言うな」

 ゴブリンの一人が進み出て、ジャッケルの前で仁王立ちした。

「五百貫だ。眩むなというほうが無体と言うものよ」

「笑止」

 ざっと見回してせせら笑った。

「折角の五百貫も八人で分ければ割が合わぬぞ」

「今から死ぬわぬしの心配することではないわ」

「確かに」

 ジャッケルが苦笑しながら帯を寛げた。

「ただ斬られても詰まらぬ。敵わぬまでも一手斬り合うて死ぬるわ」

「よい覚悟だ。逆らわねば」

 ゴブリンが言い終わらぬうちに、ジャッケルは踵を返して低く跳躍した。ゴブリンたちへではない。跳んだ先は背後に立つ仕事人たちだ。

 無表情に詞戦ことばいくさに耳を傾けていた仕事人たちは完全に虚を突かれた。


 最初に斬られたのは三味線の色男だった。切れ長の目が驚愕に歪むより早く、ジャッケルの抜刀が脂の乗った喉を掻き切っていた。そのまま虎落もがり笛の音を立てる色男の体を筒服の青年へ押し出し、体当たりをかけた。青年が躱そうと横に跳んで体勢を崩したところを踏み込み、そのまま胃の腑の辺りを刺した。青年の体が二つ折りに崩れ落ちる。その頃にはジャッケルはゴブリンたちに向かって構えていた。

 一尺六寸を霞に構え、足を拡げ腰を落とした異様な構えだった。

 ゴブリンは肝が太い。瞬く間に二人斬られたのを見て逆に狂暴の相をあらわし、刃先を揃えて突きかかってきた。

 ジャッケルは右に跳んだ。多数を相手にする際の定石である。火花が散り、鉄の焦げる臭いがした。右端のゴブリンの脛が断ち切られ、続いてその隣のゴブリンの肘が飛んだ。

 これを見て残りのゴブリンたちが悲鳴を上げて逃げ惑った。

「己れらも殺しを請けたからには」

 飛び石のように跳ねた。低く潰れた蛙のような構えから想像もできない迅さだった。

「その末も請け負え」

 自らが道の塞ぎに置いた荷車で逃げ道を失ったゴブリンたちは、たちまち全員が斬り伏せられた。

 血刀を提げたジャッケルが、すっと小役人風の中年男に顔を向けた。そのまますたすたと歩み寄る。

 中年男は顔色も変えず、まるで幇間たいこもちのようにジャッケルに向かってにっと笑いかけた。

「いやあ、お強い。居合に皆者剣法ですか。いやまったく」

 そこまでだった。ジャッケルの刀が中年男の心の臓を貫いていた。即死だった。

「斬り合いの最中に話かけるとは正気か」

 中年男の屍を呆れるように見下ろして、やっとジャッケルは息を吐いた。


 丁寧に止めを刺して廻り、刀を血振るいして死体の服で血を拭って鞘に納めると、仕事人の死骸を改めた。

 色男が抱えていた三味線を持ち上げた。弦が一本だけ異様に太く、胴に巻き込んだ余長がやけに長い。恐らくこれで相手を絞殺するのであろう。

 続いて中年男の腰の刀を拾い上げた。

「何だこれは」

 刃渡りに比して異様に軽く、釣り合いが悪い。仔細に調べると鞘は中空で、柄が外れて八寸ほどの使い込まれて砥ぎ痩せた刃が現れた。まるで手鉾か小長巻のようだ。相手を油断させ、隙を見て柄を払って瞬時に刺し殺すのだろう。

「仕事人とはまるで魔性だな」

 闇夜に一人のところを襲われれば危なかった。ジャッケルは命拾いしたことを悟って安堵した。


「さて、これからどうするか」

 路上に転がる死体を気にも留めず、ジャッケルは荷車に近寄った。

 この荷車をどうするかと思案に暮れて立ち尽くしたジャッケルは、ふいに飛び退った。

 左手がさっと鯉口を切った。

「そこの者」

 築地の陰にまだ人の気配がある。

 今の今まで気配を感じなかったことに、ジャッケルは戦慄した。

「出てこい」

 相手はジャッケルの言葉を受けて、のたりと姿を見せた。

 折烏帽子に浅葱色の直垂ひたたれを纏った騎士装束の男だ。腰には黒漆鞘に古風な毛抜拵けぬきこしらえの太刀を佩き、今時の都では珍しい程に爽やかな恰好だが、貌は異相といっていいほどに凶々しい。吊り上がった大きな目、薄い眉、盛り上がった大きな鼻梁、頬は削り取ったように肉がない。

「たいした死体の数よ」

 感心したように死骸を見回し、一歩踏み出した。そのまま路上の血溜りを避けながら慎重に歩を進める。

「人というものは随分と血が出るのだな。初めて知った」

「騎士様とあろう方が結構な仰り様だ」

 血を避ける男の足取りにジャッケルは苦笑したが、刀の柄から手は離さない。

「そう言うな。これでも皇帝陛下の奏者よ。人など斬ったこともない。それに、血がつくと触穢しょくえになるからな」

 けがれを清めるまで出仕停止になる。それは困ると男は苦い顔をした。

(なるほど、宮仕えか)

 合戦の役にも立たぬお飾りの騎士だ。凝った装束にも納得がいった。

「陛下の奏者番ともあろう御方が、供も連れぬとは怪態ですな」

「供はいたのだ。だが逃げた」

 しゃくった顎の先に、塗りの挟箱はさみばこが転がっている。

「おぬしの斬り合いを見てな。まあ、口入くにゅう屋に銭を払って雇った者ゆえ、仕方ないことであるが」

「奏者殿は何故逃げませなんだか」

「腰が抜けた」

 そう言って、片頬を歪ませた。とても腰が抜けた顔には見えない。

「それは御迷惑をおかけ申しましたな」

「そう思うなら」

 宿所まで荷を運んでくれと困り切った顔で言う。何か企んでいるふうではなさそうだ。しかし、ジャッケルはその目の奥に何か剣呑なものを感じた。

「そうして差し上げたいのは山々だが、それがしも荷車を運ばねばならぬ」

 荷車は河原の貴重な共有財産だ。捨て置くわけにはいかない。

「それに」

 僅かながら返り血を浴びている。そんな者を供にしてよいのかとジャッケルは訊いた。

「野良犬に吠えかけられて斬ったようなものだ。気にするな。俺は気にせぬ。それに荷車も一人では運べぬであろう。宿に着いたら手間賃を払う故、それで人を雇って運ぶがいい」

 それまで荷車は築地の裏にでも隠しておけという。ジャッケルは諦めたように笑った。

「されば、御供つかまつろう」

 荷車を藪に押し込んで挟箱を取り、怪訝な顔をした。やけに軽い。軽く揺すってみたが音もしない。その様を見て男が声をかけた。

「ああ、それはな、何も入っておらぬ」

何故なにゆえに空の箱をお運びあるか」

「宮中の仕来しきたりなのだ。容儀を整えるために従者を連れねばならぬ」

 男は情けなさそうに喉を引き攣らせた。どうやら笑ったらしい。

「奉公とは面倒なものよ。銭を払って空箱を運ばねばならぬとは」

 そう言って、先に立って歩きだした。


(何者だろう)

 男の背中を見ながら、ジャッケルは思った。

(とても陛下近侍の者の顔とは思えぬ)

 教会の屋根のぬきに掛かる魔除けの魔物像に似ている。失礼なことを考えながら肩に担いだ空の挟箱を軽く揺すった。

 二人は上都を北に進み、聖クラーマ教会の境内に入った。

「我が宿所はこの先だ」

「クラーマ教会の僧房屋敷でござるか」

 二年前の兵乱の折、戦端が開かれた場所だ。以前は塀の周りに修道僧たちの宿舎が軒を連ねていたが、今は焼け落ちてたった一軒残っているに過ぎない。

「確か、教会の方々は別業べつそうに移られて、入れ替わりにライン大公の縁者という騎士様が借り受けたと聞きまいたが」

「ああ、その騎士が俺だ」

 花崗岩の道標を通り過ぎながら男が言った。

「大通りの屋敷町に宿所を賜っているが、そこでは色々と都合が悪うてな。別に一軒借り受けたのだ」

 都合の悪いこととは何であろう、ジャッケルは男の小さな背を眺めながら思った。


 この辺りの森は深々としている。

 二年前、政変で執権職を逐われたレオン・バルト侯は、自らの屋敷を焼き払い、手勢を率いてここに陣を張った。西と東を川とクラーマ神社の塀に囲まれ、背に沢沼地を控えた見通しが利きかないこの森なら防御正面を限定でき、大軍を迎えても有利に戦えると踏んだのだろう。

 だが、バルト勢の目論見に反して合戦は一日で終わった。

 ベルグ公に後押しされたマルベリス伯の大軍に森を囲まれ、バルト侯は本陣に定めた拝殿に火をかけ、川を渡って西へ逃れた。教会に奉仕する修道僧たちの屋敷も多くが焼き払われた。ただ一軒焼け残ったのは、川に近く気の利く使用人が多かったからだろう。


 ジャッケルは挟箱を担いで門を潜った。

 巨木が黒く天を覆い、土塀に濡れた枯葉がうず高く積もっている。

「お帰りなさいませ」

 庭を掃いていた下男が箒を置き、その場に片膝をついた。よく訓練された武者の動作だった。

「既につどうております」

 下男はジャッケルに疑わし気な視線を向けながら、男に言った。

「囲炉裏の間に通したか」

「はい。御下知のままに」

 男が下男の目つきに気づいた。

「ああ、これは心配いらぬ。このような風体だが、皇宮の御役も務める家の者だ」

 それを聞いて下男はジャッケルに向かって一礼し、挟箱を受け取って奥に消えた。

「銭を払おう」

 挟箱を運んだ礼だ。

「その前に、会わせたい者どもがいる。気のいい奴らでの」

「押し包んで斬るお積りでござるか」

 騎士はつまらなそうに鼻を鳴らした。

「ふん、たかが五百貫の端金はしたがねで、お前のような兵法達者と争うなど」

 烏滸おこの沙汰よと言って手招きした。柴折戸から庭にまわると、板を渡した土間に壊れた桶や曲げ物が転がっている。

「女手のまるで無いむさ苦しい家でのう」

 言い訳するように男が言った。

「台所ばかりはやけに立派でな。当家ではまずそちらに客人を招く」

 ふいにジャッケルの足が停まった。手が腰刀の柄へ自然に動いた。

「やはり遠慮したほうが分別というもの。たいした殺気でござる」

「お前に放つ殺気ではない。どいつもこいつも飢狼のような手合いでな。儂も時に持て余すことがあるのだ」

 板戸を開いた。

 確かに広い板敷だ。高位の修道僧は祭の饗応などでよく大勢の人を招く。台所も大広間並みの広さがいるのだろう。

 次の間に囲炉裏が切られていた。ざっと六人ばかりの人影が、車座に胡坐をかき、五徳の上の土鍋を覗いている。驚いたことに、人のみならず亜人が混じっている。人間の男が二人にオークとゴブリン、それに女が二人。一人はダークエルフだ。


「何をしている」

 男が声をかけると、杓子で鍋を掻き回していた小麦色の肌の娘が顔を上げてにっと笑った。引き締まった体を毛皮の胴衣と麻の短袴で包んだ猟師風の恰好で、黄金色の乱髪を手拭で包んでいる。がさつで土臭い風体だがよく見るとなかなかの美形だ。二重の大きな扁桃形へんとうなりの眼に赤い瞳、つんと上向いた鼻。齢の頃は二十前後か。

下品げほんの美形というやつだな)

 ジャッケルは思った。顔を拭い、綾衣を着せて大路を歩かせれば男どもが争って声をかけるであろう。

 ジャッケルのそんな思いを知ってか知らずか、女は舌足らずな声で答えた。

「さっきね、川で鴨を捕まえたの。それでね、みんなで食べて精をつけようと思って」

 部屋の隅に血のついた桶の蓋があった。俎板まないた代わりに使ったのだろう。

「御免」

 ジャッケルは、革足袋を脱いで板の間に上がった。

 土鍋を見ると、適当に切られた鴨肉と根深が浮かんでいる。

「味つけは塩のみでござるか」

「うん」

「ちと宜しいか」

 娘の手から杓子を取って、汁を汲んで一口啜った。

「生臭うござるな」

「まあね」

「味噌と酒があれば生臭さが消える。ござるかな」

「うん、あるけど」

 女が困った顔をして隣に座るダークエルフの女に顔を向けた。つられてジャッケルも目を向けた。

 耳が長い。暗褐色の肌にくすんだ銀の長髪、袖無しの黒い小袖を纏っている。細面に吊り目がちの一重で、紅い瞳がやけに目立った。ダークエルフにしては細身だった。一般に、ダークエルフの女性は豊満と相場が決まっている。エルフ種は成年に達すると加齢による容姿の変化が止まるため、齢の頃は全く推し量れなかったが、十代から二十代のどの年齢でも当てはまりそうな不思議な容貌だった。

「駄目よ。御屋敷の物を勝手に使っちゃ」

「だって」

 小麦色の娘が甘えるような上目遣いで主人の男を見た。男が呆れたようにふっと短く息を吐いた。

「わかった、庫裡くりの中のものは勝手に使ってよい」

 おおと、六人の間で小さく歓声が上がった。

 たちまち男が二人立ち上がって奥に消えた。

「じゃあ、お米も炊いていいの」

 ダークエルフの娘が男に訊いた。

「今日は特別だぞ」

「うふ、それでは遠慮のう」

 ダークエルフの娘が腰を上げ、一拍遅れて残りの男二人が続く。男は、軽々と立ち働く男たちを楽しそうに眺めた。


 鍋を突つき酒を喰らい、気持ち良く腹を満たした一同は、やっと箸を置いてジャッケルの紹介を受けた。

「もともとは兵部寮で代々兵部大輔を任じられたハイン家に仕える地下じげでござった。兵乱で主家を失い、今は河原暮らしでござる」

「内裏の官兵殿でござったか。道理でみやびな味つけでござった」

「しかも首に賞金まで掛かっておられる。勇ましいことだ。以後、昵懇に願いたい」

 六人は口々に言った。当時、同じ釜から同じ飯を喰うことは一味同心するも同じと考えられていた。物を口に入れる行為が神慮に繋がると信じられていた時代である。

 酒の養分が回ったのか、鼻の頭を赤くしたオークが膝を進めてぐらりと巨体を傾けた。前線の後退した黒い髪をてかてか光る油で綺麗に撫でつけてある。頬は幾分弛み、顎の肉は三重にだぶついていた。しかし、その緑色の顔は試合前の闘犬のように血色が良かった。一分の隙もなく素襖すおうで正装していたが、その布地は筋肉でできているように思えた。

「それがし、セインの州の住人、シーゲルと申す。見知りおかれたい」

 続いて隣のゴブリンが一礼した。渋茶色の小袖を着て、半白のざんばら髪が頭上から海草のように両頬に流れている。眉はなく、目も鼻も口も皺に埋もれ、あるのかどうかも定かではない。歳はおよそ見当がつかなかった。

「拙者はガウロイの出でクルキルという」

 続いて人間の男二人が背筋を伸ばしてジャッケルに向き合った。

 まず、すっかり薄くなった髪を後ろで束ね、育ちすぎた里芋のような丸顔の男が上体を傾けた。兵法家よりも農夫が似合う素朴そうな男だ。

「アツマと申す。長らく兵法修行で廻国していたが、縁あって、この度こちらで厄介を受けている」

 続いて、隣に坐った男が頭を下げて、

「元は陛下奉公衆、今は故あってシグルスと名乗っている」

 とにこやかに笑いかけた。金髪を撫で付け、役者のように整っているが、ゆっくりめくれ上がった唇の間から剥き出しになった歯は、墓石のように四角く大きかった。

 ジャッケルが返礼するのを見て、次にダークエルフの娘が膝を揃えて床に指をついた。

「ヌのミの族のニドと申します。以後よろしくお願いしますね。こちらは」

 と小麦肌の娘を顎で示し、

「スウって言うの」

 スウと呼ばれた娘が胡坐の膝に手を置いて、ちょいと頭を下げた。

「スウよ。よろしくね」

 最後に主人の男が膝頭を叩いた。

「陛下の奏者をしておるギャン・モラヌス・ラミレスだ。一応は、この者らの頭ということになっている」

 瓶子へいしを取り上げてジャッケルにかざした。

「お前を招いたは、ガランの長者をやり込めた知恵とその剣技で我らの味方をしてもらいたいからよ」

 もうすぐ都は再び戦乱に巻き込まれ、国は千々に乱れる。その時、ライン大公は一方の旗頭として名乗りを上げて天下に覇を唱える望みを抱いている。そのため、ラミレスはライン大公の内意を受けて都で陰働きしているのだと語った。

「このような小手先の兵法など、戦場ではまったく役に立ち申さぬ」

 盃の濁り酒を飲み干してジャッケルは答えた。

「その言い振り、随分合戦に出たようだな」

「左様」

 瓶子を持ち上げて隣に座るシーゲルに注いだ。

「飽きるほど出てござる。されど、雑人働きの他に、さして使い道もござらなんだ」

 思い出したようにジャッケルはふっと笑った。

「戦場に出ても、四方八方から刃が迫り、死角から槍の穂が突き出される。空を仰げば矢の雨が降ってくる。ようよう大将首を見つけても、徒歩の取り巻きが周りを固め、やっとのことで取り巻きを倒しても大将は馬上、馬の蹄を避けるのに精一杯。雑兵の首なら何とか稼げようが、これでは手柄にもならず」

「乱の時は、どちらに付かれた」

 瓶子の酒を受けながらクルキルが訊いた。

「西に」

「そこで戦場働きでござるか」

「いかにも。勅命によりガイエス侯の一手に属し、辻戦に焼き働き、果ては市に潜んで一揆勢の内偵まで、散々にこき使われ申した」

「大働きにござるな」

 シグルスが瓶子をジャッケルの盃に傾けた。

「恩賞はいかほどに」

「一銭も」

 ジャッケルは情けなさそうに盃を見つめた。

「ガイエス侯はしわいお方でござってな。所領に戻られる途中、無一文のまま召し放ちを受け申した。やっとの態で兵部寮に戻ってみれば、兵火で寮は全焼、人伝てに訊けばハイン家の方々は遠戚を頼って遠くナガラ州に落ちられて、猫の子一匹残っておらなんだ」

「それで河原暮らしなのね」

 ニドが気の毒そうに言って、紙巻をくわえた。

「それがしのごとき者を喜んで受け入れたるは、亜人溜りくらいでござった。ラミレス殿、もう主取りは懲り懲りでござる。お誘いは有り難いが、それがしには似合わぬものと思召されたい」

 盃の雫を振って、囲炉裏の縁に置いた。それを見てラミレスも盃を置いた。

「一味のことは他の誰も知らぬこと」

 ラミレスが腕を組んで嘆息した。

「味方にならぬとなれば、このまま帰すわけにはいかぬ。言っておくが、この六人、先刻の仕事人風情とは腕が違うぞ」

 鋭い視線がジャッケルの肩先を見回した。

「それも承知でござる」

 庭先で感じた殺気が、再びずしりとジャッケルの背に圧し掛かった。アツマと名乗った兵法使いが、朱塗りの太刀をじりじりと手許に引き寄せていく。


 重い沈黙が流れた。先程までの和やかな空気が吹き散らされ、全員が息を詰めて相手の出方を窺った。

「他言はいたさぬ」

 ジャッケルが冷え冷えした声で呟いた。ダークエルフのニドがくわえた紙巻を囲炉裏に吹き捨てた。囲炉裏の火が音を立てた。

「わかった」

 膝を叩く音が沈黙を破った。ラミレスがにっと笑って盃を取った。

 一同の緊張が溶けて、一斉に溜息が漏れた。

「いや、無理強いしてすまなんだな、ジャッケル殿。同心せぬとなれば仕方がない。重ねて言うが、ここでの話、他言無用に願いたい」

「それはもう。こちらも馳走で御座った」

 ジャッケルは静かに頭を下げ、そのまま立ち上がった。


 ラミレスと六人は、静かにジャッケルが開け放したまま出て行った杉戸を見つめていた。

「ねえ、帰して良かったの」

 スウが窺うように訊いた。

「あのまま殺り合ってたら、下手したらこちらも死人が出てたわよ」

 懐から新しい紙巻を取り出しながら、ニドが言った。

「まあな。あれは相当な使い手だ」

 シーゲルが笑みを浮かべて盃に手を伸ばした。

「後を尾けるか」

 クルキルが誰に訊くとでもなく呟いた。もう既に腰が浮いている。

「止せ」

 ラミレスが盃を嘗めながらクルキルを止めた。

「ここで無理強いせずとも、他に幾らでも手はあるわさ」

 そう言って、ラミレスは禍々しく口を歪めた。どうやら笑ったらしい。



 結局、ジャッケルは自分の銭で人を雇い、荷車を運ばせた。

 翌朝、川に立つ朝霧の中、突桁つきげたで排便を済ませたジャッケルが、朝餉の支度をしようと寝小屋に戻る途中、

「災難であったそうな」

 溜りの長であるガルベルが声をかけてきた。

「我が手下てかの中にも、市に物を売る鑑札を偽造して稼ぐ輩がいる」

 芸を売ってその日その日を渡るのを誇る亜人衆の中にも、金の亡者が幅を利かせるようになった。嘆かわしいことよ、とガルベルは顔を顰めた。

「銭をいくら溜めたとて所詮は河原者、来世まで持って行けまいに」

 ジャッケルは懐から紙巻を取り出し、火打石で起こした火花を火縄に移すと、紙巻に点けた。

「わぬしは河原の生まれでないから、気楽にそのような口が利けるのだ」

 オーガは頸を大きく鳴らして霧の中を去っていった。


 ジャッケルは紙巻を吹かしながら、亜人溜りの集落を眺めた。

(もうすぐ梅雨になる)

 河原は空堀が幾重にも堀り重ねられ、その内側を利用して溜の住人らが小屋掛けしている。増水すると川の水が堀の内に流れ込み、土間まで水に浸かる。

 ここにはありとあらゆる階層の出身者が潜んでいる。

 大宿直で一番の酒場を営んでいた者、利生を唱えて多くの信者にかしずかれていた修道尼、さきの皇帝の同胞衆崩れを自称する者もいれば、昔は絶世の美形で貴族の囲われ者だったという老婆もいる。戦から逃げた敗残兵、馬借崩れの博徒、逃散農民、誰もが二年前の兵乱の犠牲者だった。家を焼かれて零落し、他に寄る辺もなく、都の風に吹き寄せられてこの堀の内に転げ込んできた者らである。


 ジャッケルはまだ売るだけの兵法があるだけましなほうだ。芸無き者は身体を売る。まだ幼い良家の娘が春をひさぎ、腎を虚しくして死んでいく姿をジャッケルは幾人も目にしていた。ジャッケルが小屋で飯を炊いでいると、そういう弱々しい子らが炊飯の匂いにつられて寄ってくる。

 ジャッケルは出来る限り子供たちに飯を振舞ってやった。姫飯なら一碗だが、粥にすれば鍋一杯になる。

(まるで救荒院の施行よな)

 ジャッケルが救荒院の修道僧と違うのは、子供らから報酬を受け取ることだった。

 礼は無形である。子供たちは腹を満たすと、ジャッケルの求めに応じて舞い、流行り唱を歌う。ジャッケルは、面白い歌詞や妙な節回しを覚えては日々の無聊を慰めていた。この時代、都では奔放な小唄や舞踏が道端に溢れていた。人々は舞い歌うことで日々の苦しみを忘れようと努めていたのだろう。

 今朝も、用心棒代の喜捨米五合を粥にして、仕事に出かけようとする娘らに振舞った。

「今日は面白な唄を覚えて参りました」

 今年、十五になるというルギナという娘が、破れ扇を広げて謡いだした。


〽雲の山に住けるもの、鶏の形として其池の上を飛過るに、

 堤に此の小蛇の蟠て有るを見て俄掻き抑て、遥に空に昇ぬ

 天宮、荒法師の形と成て行けるを、龍降りて蹴殺してけり

 然れば翼折れたる尿鴉にてなむ、大路に被踏ける


「町の童がよう歌っておりました」

「それは天狗唄だな。天狗といえば昔は天を往く狗だったが、最近は鴉よ。二年前の兵乱の前もよう流行った。凶兆歌だ」

「まあ、怖いこと」

 扇を口に当て、しなを作って小さく笑った。

 十五ともなるともう河原遊女の中では立派なものだ。稼ぎも良く、古着ながら小綺麗な単衣を纏っている。

(この娘も蔵人所の役人の娘と聞くが)

 ジャッケルは痛ましい気分になったが、ふと、ギャン・モラヌス・ラミレスの言葉を思い出した。あの迦楼羅像のような顔の男は、いずれ都に戦が起こると言った。

「ルギナ、ひとつ尋ねたいが」

「何でございましょう」

 ルギナは礼儀を正して扇を閉じた。

「わぬしのてては確かライン大公の被官に遠縁がいたな」

「はい、ライン大公の下で馬廻衆の端に連なっているとか」

「いざとなればそこを頼れ」

 ルギナの顔色が変わった。それも仕方ない。ライン大公は本拠を遠く雪深い辺境の地であるキタン州に置いている。花咲く都で生まれ育ったルギナにとっては鬼の棲む魔境に等しい。

「何故にそのような鄙なところへ」

「いざとなればよ。今から荷を選び、銭も溜めておくのだ」

「いきなりそのようなことを仰られても」

「凶歌のこともある。頼む、心に置いてくれるだけでよい」

「まあ、八人斬りの用心棒殿とあろうお方が心細いこと」

 ルギナが鈴を転がすように笑い出したが、ジャッケルの細い目の奥の光に気づいて笑いを収めた。

「まことに御座いますので」

「戦働きの勘というものよ。儂の悪い予感はよく当たる」


 その日は、何事もなく過ぎていった。

 夜も更け、時を告げる木盤の乾いた音が川面を渡っていく。

「もう四更か」

 ようやく櫓の立ち番を下りたジャッケルは、寝酒でも飲んで寝るかと饐えた古酒の壺に手を伸ばした。その時、

「用心棒殿」

 小屋の破れ目から白い顔が覗いている。

「ルギナか、まだ起きていたか」

 まさか、夜這いに来たわけではあるまい。

 戸のむしろを開けると、子猫のように飛び込んで、ジャッケルの袖を掴んだ。

「逃げよ、ジャッケル殿」

「唐突に何を言ってる」

「亜人の衆が」

 ジャッケルの首級を挙げんと集まっていると言う。

「まさか」

 破れ戸の隙間から外を覗いたジャッケルの顔色が変わった。松明の列が見える。堀の中に住む者どもも、物音に驚いて続々と起きだしてきた。

 先刻までいた櫓に目を転じると、宿直とのいの牢人たちも弓を手にこちらを窺っている。

(銭を握らされたか)

「おぬしこそ早う逃げよ」

 怒鳴りつけるように言うと、纏いつくルギナに目もくれず、寝藁から太刀を掴み上げた。ジャッケルの唯一の財産だった。

「面を出せ、飄客」

 ガルベルの声だった。

「囲んだぞ、逃げ場はない」

 ジャッケルは薄い板壁の隙間から松明に照らされた人数を窺った。ざっと三、四十ほどの影が小屋を取り巻いている。打物を手にしたオークにゴブリン、エルフの弓手、同輩の牢人の姿も見える。

「出てこい、出てこなければ、小屋に火をかける」

「ガルベル、これは何事ぞ」

「いいから出てこい。悪いようにはせぬ」

 袖を掴んで怯えるルギナを見下ろした。眼に涙を溜め、それでも気丈にジャッケルを見つめている。薄壁を盾に斬り防ごうかという覚悟が急速に萎えた。

「わかった。中にルギナがいる。矢を掛けるなよ」

 それからルギナに向き直り、震える肩に手を置いた。

「よいか、身を低くして声をかけるまで出てくるな。わぬしだけは守ってみせる」

 なおも縋ろうとする娘の手を振り切り、ジャッケルは戸口に近寄った。

「今から出ていく。妄動すまいぞ」

「心得た。各々、決して手を出すまい」

 ガルベルの声が一際大きく響いた。

 太刀を左手に提げて戸口を開け、無造作に足を踏み出した。外は殺気が充満している。

 河原には篝火が据えられ、その奥から頭を桂包みしたオーガがのそりと現れた。

 人々が見つめる中、ガルベルはジャッケルの前まで進み出た。

「ガルベルよ、己れも五百貫の亡者に成り下がったか」

「何も訊くな」

 本当に済まなそうにガルベルが背を丸めて続けた。

「その首をれ、ジャッケルよ」


「それほどにこの首に掛かった五百貫が欲しいか」

 周囲に目配せしながらジャッケルが問うた。

「すまん、本当にすまん」

 ガルベルが腹巻の杏葉を手繰り上げながら答えた。

「儂が兼参するレックス家が鑑札を乱発してセレネイアの怒りを買うた。上都の米穀講が取り成しを申し出てきたが、それには銭が要るというのだ」

 皇帝の妃の名だ。守銭奴と評判の稀代の悪女で、あまりの悪評に、市井に生きる人々は彼女を呼び捨てている。

「件のガランの長者の差し金か」

「そうじゃ。しかし、我らが河原で暮らせるのはレックスの殿の後ろ盾あってのこと。レックス家が潰れれば、儂らは川東からこちらで生きてはいけぬ。儂とて辛いのだ。この地に棲む河原者を生かすため、ジャッケルよ、死んでくれい」

 左右から微かに弦を引き絞る音が聞こえる。ジャッケルは奥歯を噛み締めた。磨り減り半分欠けた奥歯はうまく噛み合わなかった。彼は常に、恐怖も苦痛も奥歯で噛み砕いてきた。ときには憐憫も恥辱も、そこで押し殺さねばならなかった。身体はいくらでも鍛えられる。しかし、歯は別だ。彼の奥歯は信じられないくらい老いていた。

(これは死ぬな)

 ジャッケルは俯いて茫然とそう思った。そう思えば迷いは消えた。迷いが消えれば覚悟が決まった。

 ゆっくりと上げた顔を見て、ガルベルが思わず一歩後退った。鬼相が浮かんでいる。細い目が見開かれて眦まで裂け、唇が固く引き結ばれ、血の気の失せた顔が闇に白く浮かんでいる。

「弓の者」

 ガルベルが上ずった声で叫んだ。その時、両者の間に鞠のようなものが飛び込んできた。


「お待ちなされ」

 高く鋭い声が河原に響いた。首を巡らすと、遠巻きに眺めていた河原者の中から二人の女が進み出ていた。黒布で裹頭かとうに包んで顔は見えないが、風体からジャッケルは二人の正体を悟った。ラミレスの隠れ宿にいたニドとスウだ。突然のことに惚けたジャッケルに振り向きもせず、ニドは続けた。

「よく見て、それはガランの長者の首。これでその人の首を刈ってももう五百貫を恵んでくれる人はないわよ」

 小薙刀を持ったゴブリンが飛び出して、泥に転がった首を拾い上げるとガルベルに見えるように作法通り持ち上げた。左のびんから唇にかけて、無残な刃物疵が走っている。

「確かにガランの長者の首だ。だが、信じ難い。あの店には警護の牢人が二十は詰めていた筈」

「ああ、あれね」

 分厚い鉈を帯に差したスウが事も無げに言った。

「正しくは二十三人ね。それに店の者も含めて五十五、全員死んだよ」

「天魔か、おぬしら」

 ガルベルが薄気味悪そうに呻いた。

 ニドが畳み掛けるように、

「行って確かめればいいわ。今ならまだ検非違使も気づいてないから、倉の蔵物は好きにすればいいわ。今に町衆も押し寄せるでしょうから、急いだほうがいいわよ」

 そう言って、野鳩のようにくっと笑った。

 浮足立ったどよめきが人々の間から起こった。無理もない。略奪品が目の前にぶら下がってるのだ。

「まことなのか」

 ガルベルが念を押すように尋ねた。

「まことよ。その代わり、その人の身柄は渡してもらうわよ」

 ガルベルは黙り込んだ。頭の中で算木さんぎを弾いているのだろう。やがて、オーガは首を鳴らして口を開いた。

「うむ、心得た。確かにジャッケルの身柄はお前たちに呉れてやる」

 それだけ言い捨てると、人々に向き直った。

「皆、聞いた通りだ。長者の邸に急ぐぞ。荷車に掛矢かけや鳶口とびくちを忘れるべからず」

 ガルベルの声に、河原の人々はわっと散り、我先に駆け去っていった。後には、ニドとスウ、そして事態を呑み込めず立ち尽くすジャッケルが残された。


「礼を言うべきなのか」

 やっとジャッケルが絞るように声を出した。

「いいのよ」

 覆面を取りながらニドが答えた。濃い鉄錆の臭いが鼻をつく。

「まことに皆殺しにしたのか」

「ええ」

 隣のスウが獲物に堪能した肉食獣のような笑みを浮かべた。

「長者は兎も角、店の者は何の関わりもないはず。まことなら悪鬼の所業ぞ」

 ジャッケルの詰る台詞にニドが鼻白んだ。

「この乱世に手弱たおやかなことを。あ奴らは頼うだる御人を間違えただけ」

「お姉、早く帰ろうよ、お腹空いた」

 スウが口を挟んだ。

「そうね、長居は無用だわ。一緒に来て、ジャッケル様」

「他に選ぶ道はないのか」

「ないわね」

 面白くもなさそうにニドが答えた。


「お待ちを、ジャッケル殿」

 か細い声に振り向くと、小屋の戸にもたれるようにルギナが立っている。

「行ってしまわれるのか」

「ああ、もうここには居れぬからな」

「そんな」

 思い詰めた瞳からすっと泪が一筋、娘の頬を伝った。

 娘の身体がたっと駆け出して、ジャッケルの腰にしがみついた。

「妾も一緒に行く」

「心にもないことを言うな。家族はどうする」

「いや、用心棒殿と一緒に行く」

「馬鹿を申すな。落ち着け、気が昂って世迷言を申しているだけだ。儂の道連れに地獄に行く積りか」

 丁寧にルギナの腕を解くと、顔を無理に歪めて笑顔を作った。

「さらばだ、縁あらばまた会おう。よいか、儂が言ったことを忘れるなよ」

 それから踵を返してニドとスウのほうへ歩き出した。

「待たせた。行こう」

「いいのかしら、あの娘さんを泣かしちゃって」

「いいのだ。あれは一時いっときの感情に囚われておるだけよ。どうせこれから往く道は茨の道であろう。あの娘を連れていくわけにはいかぬわい」

「なんだ、わかってるじゃない」

 ダークエルフの唇が妖しく微笑んだ。


 ラミレスの隠れ家にジャッケルら三人が辿り着いたのは、五つも過ぎた頃だった。台所で不愛想な下人が出した遅い朝餉を取っていると、ラミレスが入ってきてジャッケルの前に胡坐をかいた。

「酷い目に遭ったそうな」

「左様でござる」

 椀を置いて頭を下げた。

「話は聞いている」

 ラミレスは無表情のままだ。

「ガランの町衆と敵対した河原を束ねる祈祷師は、お前の知恵で面目を立てておきながら、銭のためと称してお前を責め殺そうとしたそうな」

「陛下の奏者殿ともなれば、下賤の噂にも通じておられると見えますな」

 ジャッケルの探るような目がラミレスを捉えた。構わずラミレスは話を続ける。

「運良くくだんの長者が死んだからよかったものの、今頃、お前の首は河原の小石の上を転がっておったやも」

 ニドとスウは我関せずな顔つきで無心に箸を動かしている。

「聞いておるか。あの長者の家は押し寄せた町衆や河原者どもの打ち毀しを受けた。遂に検非違使が出張り、死人が出る騒ぎになっている」

 ラミレルの口許が僅かに釣り上がった。明らかに話を楽しんでいる。

「宮中にレックスの殿を讒言し、ガラン通りの長者に知恵をつけたのも、あなた様の差し金でござろう」

 っとしてジャッケルは言い返した。

「ほう」

 肯定も否定もしない。する必要を感じていない顔つきだ。

「何故にここまで手の込んだことをなさる」

「あの長者はヘクスとオーガスの両勢から余り米を安値で買い上げて利鞘を得ていた。おかげでヤシマは飢えておる。まさしく生き地獄とはあれのことだ。彼奴きゃつは死んで当然の外道よ」

 都の南、ヤシマ州では、ヘクス伯の軍勢が押し入り、この地を領有するオーガス子爵との間で大きな合戦があった。在陣は数か月に渡り、双方が近隣で兵糧米の徴発に走った。奪えるだけ奪い、一部を軍資金稼ぎに都の市へ放出する。この機に乗じた騎士どもも盗み米するから、都の市棚には米が溢れている。

 豊作の中、飢餓に苦しみ倒れ伏すヤシマの百姓の噂はジャッケルも聞いていた。

(哀れな)

 そう思うと、目の前の異相の騎士に妙な親しみが沸いた。


「いったい、ライン大公から幾ら貰っておられる」

「銭のためではない。全てはライン大公家を盛り立てるためよ」

 下男が持ってきた麦湯を啜り、ラミレスが大きく息を吐いた。

「なあ、ジャッケルよ、もう一度言う。力を貸してくれ」

 その言葉に、ニドとスウがぴくりと反応した。ジャッケルは椀を取り、しばらく見つめていたが、ふと視線を上げた。

「承知した。傭うで下され。都中に儂の命を狙う者がまだ大勢いる。どうせ行く当てのない身じゃ」

「よかろう」

 ラミレスが両の頬に深々と皺を寄せた。子供が見たら泣き出すような顔だ。それが好意を示していると気づくまで、暫く時間がかかった。

「これで我ら一党も千人力よ。嬉しや」


「それで、儂は何をすれば良いのか」

 食後の紙巻を吹かしながら、ジャッケルが問うた。

「シオン州のナニュンニ聖堂を知っておるか」

 知らぬわけがない。勝利と戦利品を司る旧神ナニュンニを奉る古い聖堂だ。

「シオン州ナニュンニの聖堂はライン大公と誼をを結んでいるが、近年、聖堂で兵法者どもに不穏な動きがあり、甚く迷惑しておるそうな。手の者を使うわけにもいかず、内々に儂のところへ助力を頼んできおった」

「はあ」

「早速だが、行って聖堂の別当に合力して貰いたい」

「まずはそれがしの腕を試さんという心算でござるか」

「そう言うな。兵法者絡みの仕置き故、アツマを遣わそうと思っておったが、お前も暫く都を離れたほうが諸事都合良かろう」

「承った」

「料簡してくれたか。なら、巡礼僧の成りをして行くがよい。ニド、スウ、支度を手伝ってやれ」

 ニドとスウが静かに平伏した。

「それでは頼んだぞ。俺は忙しいでな」

 そう言うと、立ち上がってさっさと出て行ってしまった。

 ラミレスの気配が消えて、ジャッケルはニドとスウに話しかけた。

「あの御仁はいつもああなのか」

「うん、今日はちょっとご機嫌が良かったみたい」

 スウが答えた。

「良かったわね。あなた、ラミレス様に気に入られてるわよ」

 ニドが悪戯っぽく笑った。

「見目麗しき御上臈ならともかく、あんな顔の御仁に好かれても嬉しくないのう」

 ジャッケルの言葉に、ニドとスウがけたけたと笑い出した。

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