小川のモミジ
忍野木しか
小川のモミジ
広い庭の向こうから小川のせせらぎが聞こえる。森から流れ出た透き通る山水は、川底の砂利を転がした。
小川を挟んだ向かいに、モミジの木が生えていた。崩れた川縁から根っこがはみ出てており、幹を斜めに倒す小さな木は、すぐにでも枯れてしまいそうだった。
藤本大介は坊主頭に汗を流して、小さな手で庭の雑草を抜いていた。
大介の祖父、平八は、花壇のトマトに水をあげている。
「じいちゃん、モミジが枯れちゃう」
大介は、一向に無くならない雑草にうんざりして立ち上がった。平八は振り返る。
「大丈夫やろう。あのモミジはそんなにヤワや無いさ」
「えー、でも根っこ飛び出てるよ? 倒れそうだよ?」
大介は軍手を脱いで、小川の近くへと行ったり来たりする。土だらけの小さな足は、焦ったそうにクネクネと動いていた。
平八は孫の意図を理解して微笑んだ。
「モミジは強いから大丈夫やさ。それより、疲れたなぁ? 大ちゃん、そろそろ休憩にしようや」
「えー、僕まだ働けるのに……」
大介はそう言いながらサッと靴を脱ぐと、土に汚れた体のまま家の中に飛び込んでいった。
夏の暮れの台風は小川を氾濫させた。庭に積まれた土嚢を越えて、軒下にまで泥水が流れてくる。二階からその様子を眺めていた大介は、小川の向こうのモミジを想った。
台風が去ると、庭の泥かきをする。モミジは少し幅の広がった小川の向こうに倒れていた。大介は何だか悲しくなって涙を流した。
明くる日、祖父の平八が二階の大介の部屋の扉を叩いた。
「大ちゃん、モミジは強いぞ」
小川の向こうで倒れていたモミジの木は、庭の花壇の横に植えられていた。幹に泥が付いていたが、台風後の晴天がモミジを暖かく見守っている。
「大きくなるの?」
大介は祖父を見上げた。
「ああ、大ちゃんとどっちが先に大きくなるか、勝負やな」
そう優しく微笑んだ平八は、その年の暮れに亡くなった。
大介は何をするでも無く、部屋の隅を眺めていた。
今年、二十五を迎える大介は五年前から一歩も外に出ていない。
夕暮れの西日が部屋を紅く染める。同時に、枝分かれする木影が部屋の壁に幾つもの黒い線を作った。いつの間にかモミジは、家の屋根に届くほどに成長していたのだ。
大介は無性に腹が立って、カーテンを閉めた。だが白いカーテンを背にモミジの木影が映った。
おい大介、俺はこんなに大きくなったぞ!
大介は馬鹿にされているような気分になり、部屋を飛び出すと、ノコギリでモミジを切り倒した。
その年の台風は例年になく強かった。
数年ぶりに家の敷地の外に出た大介は、切り倒したモミジの木を想っていた。今頃、家と共に泥水の底かもしれない。死んだ祖父の顔が浮かび、可哀想なことをしてしまったと涙が出てくる。
台風が収まると、すぐに家に向かった。家の中は水浸しだ。大介は庭に向かう。モミジのきり株は泥だらけだった。大介は泣きながらスコップで泥を掻き分ける。
ふと、きり株の側面に泥にまみれた短い枝が見えた。大介はバケツに水を汲んで泥を流す。モミジの新芽は快晴の陽光に葉を広げた。
大ちゃん、モミジは強いぞ。
大介は、今度はモミジに負けないくらい大きくなろうと、スコップを握る手に力を込めた。
小川のモミジ 忍野木しか @yura526
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます