尻尾の先から世界とつながる

化着眠猫(かぎ・ねこ)

第1話(完結)

 上についた大きな耳。

 緑色の瞳。

 前に伸びたマズル。

 肉球のある大きな手。

 白い身体に伸びた尻尾。


 ぼくはその着ぐるみを順番にを段ボールから取り出し、それをまじまじと見つめた。


 こんにちは。もうひとりのぼく。


 この着ぐるみは、ぼくだ。

 デザインは何度も鏡を見ながら、ぼくがケモノの姿をしていたらどんな姿だろうかということを想像して作り上げた。

 3ヶ月かけて書き上げたデザインを元に、製作コミッションを依頼したのが、半年前。

 そしてついにそれが今日届いたのである。

 着ぐるみを床に広げてみると、製作者が忠実にデザインを守ってくれたのがよくわかった。そこにいたのはぼくが毎日のように見てきたデザインイラストと寸分変わりがない姿だった。

 ただ一つ違うのは、それはぼくに着られることを待っていた。

 そう、彼はぼくに着られることで完成するのだ。


 ぼくは着ぐるみを一通り確認した後、それが送られてきた箱の中に丁寧に戻し、フタを閉じた。

 もうすぐぐるがやってくる。彼の前でぼくは"プリース"になるのだ。

 ぐるはぼくの友人で、ぼくと同じくケモナーだ。彼とはTwitterで知り合い、家がそこそこ近いこともあり、度々一緒に遊ぶ仲だ。彼もいつか自分の着ぐるみを持ちたいと思っているものの、まだ持ってはいない。

 自分と着ぐるみとの関係にはいろんな考え方がある。なりたいキャラクター、憧れのキャラクターと様々だ。ぼくは自分の映し鏡、ペルソナのケモノ版、いわゆるファーソナとしてこの着ぐるみを見ている。すなわち、プリースはぼく自身であり、プリースはぼくのもつ一面である。そこにはぼくにぼく以外の誰かを演じることはできないだろうというネガティブな理由もあるが、ぼくが今の身体――つまり人間の姿であることに対する違和感を解消するためのひとつが着ぐるみを着る理由だと考えている。自己表現の一つの形だともいえるかもしれない。

 ぐるも、もし着ぐるみを持つならという前提で、同じような考え方であるらしい。そこも仲良くなった理由のひとつだ。だからこそ、初めてプリースの姿を見てもらうならぐるが一番適任だと考えたわけだ。彼ならきっとぼくとしてプリースを見てくれるだろう……そしてぼくの別の一面を見て、彼は何を思うのか。すごく興味がある。そこでコミッション先から発送の連絡が来て到着日がわかるとすぐに、ぐるに連絡を取り、来てもらうことにした。それが今日だ。


 そわそわしながらコーヒーを淹れ、テレビを聞き流しつつ待っているとインターホンが鳴った。ぐるが来たのだ。

「来たって?」

「来たんだよ」

 ぼくは冷静に答えたが、内心興奮で叫びたいくらいだった。たぶんぐるもかなり興奮していたに違いない。

 そりゃそうだ、今までぼくらはイベントで着ぐるみを見たことはあったものの、目の前で知った人が着ぐるみを着ているというシチュエーションに遭遇したことはなかった。ぐると同じようにTwitterで知り合った友人が数人いるが、誰もまだ着ぐるみを所有していなかった。ぼくが一番乗りだ。

 ぐるはとりあえずいつものように部屋でくつろぎ始めたが、どことなくそわそわしてきょろきょろしている。ぼくもいつものように同じローテーブルのそばに座る。

「んで、来たんだよな」

 ぐるは同じ質問を繰り返した。

「どこにいるの?」

 その質問はもっともだ。ぼくの6畳のワンルームには、着ぐるみがあるような箱などはなく、いつもと変わらない状態だったからだ。

 ぼくはにやにやしながら「いるっていう表現いいね」と答えた。

「会いたい?」

「もちろん、そのために来たんだよ。……いや、まあもちろんジョンとも遊びたかったしね」

 ちゃんとフォローを入れてくれるあたり、ぐるはやっぱり優しいやつだと思う。そういうところもぼくが彼を信頼しているポイントだ。ちなみにジョンというのはTwitterで使っているぼくの名前で、正しくはビジョンという名前を使っている。ただ、親しい人からは略されてジョンと呼ばれることが多い。

「せっかくだから、ぐるには着替えてるところとかは隠して、プリースに直接会ってもらおうかなって思って。どう?」

「いいね、目の前で着替えられたりしたら、どのタイミングからジョンをプリースとしてみればいいかわからないからね」

「そうはいっても、プリースもぼく、ビジョンであることには違いないよ。ぶっちゃけジョンって呼んでくれてもいいんだから」

「まあね、そうだろうね。でも、やっぱり早くプリースに会いたいな」

 ぐるはもうにこにこだ。これだけ楽しみにしてくれるのはぼくとしてもとてもうれしい。

「実はね、プリースは今洗面所に置いてあるんだ。初めてだから、結構時間かかるかもしれない……待っててくれる?」

 ぐるは笑顔で大きく頷いた。


 洗面所は春で暖かいとはいえ、ちょっと涼しかった。着ぐるみを着るのにちょうどいい気温だなんて考えてしまう。ぼくはいよいよプリースになるのだ。緊張とわくわくで心臓がバクバクするのを感じる。とりあえず、既に何度も目を通した"着ぐるみの着方"の用紙を手に取った。これはコミッション先の人が作って入れてくれたものだ。今まで着ぐるみを着たことがない初心者には大変ありがたく、わかりやすく着る手順が書いてある。

 まずは素肌が露出しないように、スポーツインナーなどを着て、全身を覆いましょう。はじめの指示に従って、まず服をスポーツインナーに着替える。これはネットで調べて事前に購入しておいたものだ。ロングの靴下はもちろん、手袋、頭にはフェイスカバーを付ける。今の状態で外に出たら間違いなく不審者扱いだろう。イベントで着ぐるみを着ている人はみんなこんな格好を下にしているんだと思うとなんだか笑えてくる。

 次はいよいよ着ぐるみを着ていく。まずはボディを取り出し、ファスナーを完全に下ろす。着ぐるみの内側はこんな風になっているのだ。まあこれも事前に何度も見たものではあるのだが。そこに足を通していく。引っかけて生地をやぶるなんてことがあったら一大事だ。脚が通ったら、そこに詰め物としてクッション材を入れていく。業界ではこのクッションのことを"あんこ"と呼ぶらしい。あんこを詰め、ボディを少し持ち上げてみると、脚の形がケモノのようにかかとが上がったような形になっていることがわかり、ぼくはまた更に興奮した。ケモノになってる……! ほんとにケモノになってる!! この後、全身着た後はどんな気持ちになってしまうのだろうか……

 次は両腕を一気に通す。すると前面がほぼプリースになってしまうのだ! 感動を味わいつつ、追加のあんこを胸から入れていく。そして背中のファスナーを上げていく。ぼくは身体が柔らかい方なので無理矢理腕を後ろに回して上げていった。人によってはファスナーにひもを付けて上げやすくしたりもするという。ファスナーが上がりきるとシルエットは完全にケモノのそれだ。満足感を味わいながら、箱からプリースの足と手を取り出す。足を片足ずつはめ、ボディの生地を外側に出し、あんこの位置を調整する。そのまま手をはめようとするが、"着ぐるみの着方"には先にヘッドをはめるように書いてあった。ケモノの手――すなわちケモ手ではヘッドを取り扱うのが難しくなるためだろう。箱からヘッドを取り出す。


 上についた大きな耳。

 緑色の瞳。

 前に伸びたマズル。


 何度も見たそれは、ぼくがずっとイラスト上で見てきたプリースの顔をしていた。ぼくはこれになるんだ、いや、ずっと前からこの姿でいたかったんだ……

 ヘッドを頭に被ると、視界がぐっと狭くなった。み、見えない……。そういえば電気を付けることすら忘れていた。着ぐるみを着るということにどれだけ興奮していたのかがわかる。息もなんだか苦しい。さっきは涼しいとか思ったけど、ちょっと暑くなってきたような。ヘッドの口の部分に手を当て少しこじ開けると多少呼吸するのが楽になった。なるほど、イベントで口を押さえているキャラをよく見かけるのはそういうことだったんだな。そんな気づきがあり、ぼくももうそちら側の人間なのだと思う。しばらくはまだまだ初心者だろうけども。

 少しするとちょっと落ち着いてきたので、いよいよ手を装着する。片手は簡単にはめることができた。4本の指になることに慣れるにはしばらく時間がかかりそうだ。人差し指と中指はセットで動かさなくてはならない。もう一方の手はケモ手を使ってはめる必要があったため、少し苦戦したが、だいたい上手くいっただろう。視界が狭いので、はっきりとはわからない。もうずいぶんぐるを待たせてしまっているだろうと思い、すぐに部屋に向かうことにした。普段の歩幅では歩くことができないため、ほぼすり足のような状態で、明かりの付いている部屋へと、少しずつ、少しずつ近づいていった。


 ごそごそという音とともに、扉の磨りガラス越しに白い影が浮かび上がる。ぐるはその姿を横目で見ると、すぐにスマホをしまって扉の元に向かった。扉を開けると、そこにいたのは、確かにプリースだった。


「わー、ぐる、どう、ぼく、プリースになってる?」

 ぼくはくびをかしげながらそう言った。自分には声が少しくぐもって聞こえた。ぐるはプリースの手を取り、「うん! なってる! めっちゃかわいいよ!」と顔を見ながら答える。

「よかったあ、えへ、えへ」

「わあかわいい、かわいいよ!」

 そう言うとぐるはプリースにがばっと抱きついた。ぼくはちょっと驚いたけども、ゆっくりぐるを抱きしめ返した。

「やばい、めっちゃふわふわだ」

 ぼくとしては着ぐるみを着て抱きしめているだけなのだが、ぐるは今まで見たことないほど幸せそうな表情をしている。なるほど、これが着ぐるみの力か。ハグしているだけで人を幸せにできる、なんて素敵なんだろう!

 その後は「立ってるの疲れるでしょ?」とぐるに促され、ベッドで横になり、ぐるにハグされ続けた。視界も悪いし、横になっていることもありぐるの姿はほとんど見えなかったので、目をつぶり、ハグされるがままになっていた。

 どれくらいの時間がたったのかわからない、もしかしたら眠ってしまっていたのかもしれない。ぼくは「ねえ、プリース、まだ大丈夫?」というぐるの声ではっとした。

「んにゃ、大丈夫……かな」

 ぐるは既にハグする力を緩めていたので、ぼくは身体を起こしてベッドの縁に腰かけた。隣でぐるも身体を起こすのが感じられた。

「ジョン、ほんとにプリースかわいいよ」

「ほんと?」

「うん、めっちゃかわいい。鏡とか見た?」

「あ、そういや見てないや……」

 洗面所に鏡があったのだが、電気を付けることすら忘れていたくらいだ。鏡を見ることを忘れていた。するとぐるはスマホをポケットから取り出すと、

「写真! 写真とろ!?」

 と提案してきた。もちろんオーケーだ。

「おっけ、じゃあとりあえずそのままベッドに座ってて」

 そういうとぐるはベッドを離れた。久しぶりにぐるの姿を視界に捉えた。あまり見えていないのだが、なんとなくスマホを構えているのはわかった。

「カメラわかる? こっち向いて?」

 なんとなくカメラの方を見るが、ぐるはもう少し上向いてとか、左見てとか細かく指示を出してくる。自分の視点と着ぐるみの視点の違いをつかむのはまだ難しいようだ。

「おっけー、撮るよ! 動かないで」

 数秒停止すると何回かシャッターの音が聞こえた。その後立ち上がり、ぐるの指示に従って数種類の写真を撮影した。

「おつかれ、こんな感じに撮れたよ」

 そう言ってぐるはスマホの画面をぼくに見せてきた。なんとか上手く首の角度を調整し、画面を見る。そこには……プリースがいた。当たり前だが、当たり前のことなのだが、それはプリースだった。白一色のヘッドには愛嬌があり、白の上に緑色のギザギザのラインが描かれたボディはかっこよく、ピンクの肉球と緑の鉤爪は魅惑的だ。

「これがぼく……プリースなんだ……」

「そうだよ! きみがプリースだよ」

 気付けば元々のぼくの身体のラインがどんなものだったか思い出せない。ぐるの写真を見ながら、今の自分がこの姿なんだと脳が認識していく。神経が耳の先端まで、ケモ手の先まで、尻尾の先まで広がっていく感覚を覚えた。

「なんかつかんだ気がする……」

 ぼくは立ち上がると、歩いて部屋を一周した。ちょっと前はすり足でしか歩けなかったが、今なら普通に歩けた。歩く度に尻尾が動くのが感じられた。手で耳をつかんでみる。本来ないはずの場所にある耳を一発でつかむことができた。すごい、本当に世界が変わったようだ。ぐるは満足そうにベッドに腰掛け、ぼくがふらふらしながら、自分の存在を確認しているのを眺めている。

 ぼくは突然思い立ち、部屋の奥、ベランダに向かった。ケモ手を使って鍵を外し、ガラス戸をスライドさせる。ぼくは足が汚れることをも忘れてベランダに飛び出た。風が全身にあたり、頭の上にある耳がなびいているのを感じる。プリースはフランス語でプラグを意味する。君はぼくを新しい世界に繫いでくれるだろう。尻尾を引きずりベランダの手すりに身体を乗り出し、ぼくは大きく誰かに手を振った。

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