御伽噺の夜

アルマカン

第1話 雪の国

 戸が叩かれた。

 用心棒を外して戸を開けると、冷たい寒風が一気に吹きこむ。

 そこには旅装をした男がいた。申し訳なさそうに一晩の宿を頼む男を、その屋敷の者は快く招き入れた。

「かたじけない。山道で供の者とはぐれ、途方に暮れていたところでした」

 彼は若い侍であった。土間で蓑笠を外すと、降り積もった雪が落ちる。

 小柄だが屈強な男が、それを受け取った。

「この突然の吹雪では仕方ありますまい。まずは、火など当たられよ。おい、ゆきはおるか!」

 麻衣を来た下女が現れる。

「客人じゃと兄者らに伝えよ。それから湯を沸かしておけ」

 下女は黙って礼をした。


 京に近いこの地方は守護大名の卯都木氏の領国である。国の半ばは、大小の土豪が半独立状態で割拠しており、卯都木氏とは盟約で結ばれた緩やかな支配関係にあった。隣国との境に接するこの村にある屋敷は、卯都木氏の御庭番頭でもある小杉嘉平のものであり、長屋にはその郎党が住んでいた。

 板張りの広間には7人の男が、囲炉裏を囲んでいた。そこに小ざっぱりとした服に着替えた若者が来て、一礼して言った。

「はじめてお目にかかります。拙者、神宮寺家家臣の平田延安と申します」

 神宮寺氏は卯都木氏の隣国にあたり、姻戚同盟の関係にある。

「ははは、堅苦しい挨拶は抜きじゃ」

 もっとも年長で、総白髪の男が笑い、安来小太郎と名乗った。続けて、次郎吉、三郎、五郎平、六太、七郎次、そして先ほど若者を出迎えた末吉と次々に名乗った。

 小太郎は頭を掻きながら言った。

「我らの親父殿が手を抜いただけでござるが、覚えやすかろう?」

「では7人兄弟で?」

「もとは8人じゃった」

「ああ。一人、戦でおっちんだでな」

 襖が開き、下女が夕餉の膳を並べる。干物を焼いたものに山菜汁、山芋の煮物、それと少しの香の物だ。

「山奥のことで何もござらんが」

「いや、これは結構なおもてなし、痛み入ります」

「ゆき。客人にささをお持ちせよ」

 下女が無言で若者の傍に近寄り、朱杯に酒を注ぐ。

「かたじけない」

 その時、若者はその下女が上目でこちらを見ているのに気づいた。

「どこぞでお会いしたかな」

「あ、いえ」

 下女が慌てて目を伏せる。若者は意外にその女の器量が良いことに気付いた。

 小太郎が言った。

「ゆき、後は良いから下がっておれ。平田殿。我らが頭領の小杉嘉平は今日は城勤めじゃ。この吹雪では帰りは明日になるじゃろう」


 翌日、吹雪は去り、鮮やかな青空が広がっていた。若者は引き留める小太郎たちに礼を述べ、屋敷を出た。

「では、わしが街道まで送って進ぜよう」

 そう言って、末吉がかんじきを履いて先を進んだ。

 山道を下っていくと、やがて杉木立の合間から、麓の村が見えてきた。あと半刻もあれば街道に出よう。

 その時、突然、末吉が足を止めた。

「いかがなされた?」

「しっ」

 末吉はじっと耳を澄ませた。どこかで遠雷のような音が聞こえた。それは途絶えることなく、次第に近づいてくる。

 若侍は柄袋を外して刀に手を掛け、周囲に目を走らせた。

「・・・・上じゃ」

 末吉が言うと同時に、林の奥から何か巨大なものが飛び出してきた。若者は末吉に首もとをつかまれ、地面に引き倒された。その頭上を巨大な影が通り過ぎる。

 地響きのような音とともに、雪煙が舞い上がり視界が塞がれる。

 末吉が山刀を構える。再び、その巨大な影が崖をも物ともせずに駆けのぼってくる。

「牛か!?」

 巨大な牡牛が、猛り狂いながら向かってくる。

 飛びのきさまに若者が刀を振る。甲高い音が響き、刀が角に弾き飛ばされる。すかさず末吉が飛び掛かり太首目掛けて山刀を振り下ろす。手ごたえあり。

 そう思った瞬間、牡牛は大きく首を振り、鮮血と共に末吉を吹き飛ばした。

 末吉は地面を転がり、そのまま坂を四間ほども滑り落ちた。


 牡牛は立ち止まり振り返ると、地面を二三度蹴ってから、狙いを定めたかのように、こちらを目掛けて突進してきた。

「南無三」

 その眼前に、どこから現れたのか、すっと一人の少女が立ちはだかった。

 すでに矢をつがえてある弓を引き絞り、打ち放つ。弓返りと共に、空気の震える音が響く。

 矢は雷光のごとく走り牛の右目の上に深々と刺さった。

 牡牛は恐ろしい悲鳴を上げながら、たたらを踏み、やがて谷底へと転げ落ちて言った。


「お怪我は?」

 若者は突然、少女に声を掛けられ驚いた。ゆきと言われた下女だったが、猟師のような装束を着て、弓矢で武装した姿は別人に見える。何よりも、その表情が違った。

「む・・・・・・・」

 崖を登ってきた末吉が、慌てて山刀を拾い上げ構える。

「末殿、待たれよ」

「しかし」

 ゆきは、微かに笑って言った。

「よいのじゃ」

 涼やかな声だった。ゆきは、末吉たちが屋敷を出た後、着かず離れずの距離で付けてきた。この若者の正体に思い当たるところがあったからだ。無事に領国を出るまでしかと見届けようと思っていた。

「あなた様は神宮寺の若君であろう」

 末吉がはっとして若者を見る。若者は頷いた。

「いかにも。神宮寺新次郎孝信じゃ。しかし・・・なぜ分かった」

「まだ御幼少のみぎり、黒姫城にて過ごされた時、一人の幼き少女とよく遊んでくれた事、お忘れか?」

「・・・お主は・・」

 ゆきは真っすぐに新次郎を見て言った。

「お慕い申しておりました」


 麓の方から10人程の騎馬武者の一団がやってくるのが見えた。昨日、吹雪の中ではぐれた神宮寺の家臣だ。

「では、我らはこれで」

 ゆきが踵を返すと、ひゅっと空気が鳴った。ゆきが首筋を押さえ、力が抜けたように崩れ落ちる。

 吹き矢が首を掠めたのだ。

「若!!よくぞご無事で」

 騎馬武者が駆けつける。新次郎は斜面の藪を差して言った。

「曲者じゃ。あそこにおるぞ」

 木から雪が落ちる。逃走を図った暗殺者だ。ましらのように末吉が走り出す。騎馬武者たちがある者は矢を射掛け、ある者は馬を励まし斜面を駆けあがった。

「姫!」

 すでに雪姫の顔は血の気を失いつつあった。

 次の瞬間、神宮寺の若君は驚くべき行動を取った。片膝を付いて、ゆきの首筋に口を当てると、傷口を吸い、傍らに唾と共に吐き出したのだ。

「いけませぬ。若」

 家臣が止めるのも聞かず、新次郎は毒を吸いだし続けた。


 新次郎が目を覚ますと、傍らに、見知らぬ男がいた。白髪交じりの総髪で年は四、五十。やたらと眼光鋭く、頬に大きな傷跡がった。

「気付かれたか」

「・・・・ここは」

「わしの屋敷よ」

 男は小杉嘉平。黒姫の御庭番頭だった。

 新次郎が上体を起こすと、暗い部屋の中、蝋燭の光が揺れていた。

「雪姫は?」

「心配ない。隣の間におる」

 嘉平はそう言って、襖を少し開けた。少女が寝ているのが見える。傍に控える末吉がこちらを見て頷いた。

 嘉平は襖を閉めた。

「捉えた間者によれば、使われたのは南蛮渡来の毒林檎から抽出したものらしい。ぶすよりも遥かに強い毒よ」

 嘉平は吹き矢を若者に見せてから、囲炉裏に放り込んだ。紫煙が上がる。

「実の所、お主の命も危なかった・・・。礼を言うぞ」

「知っていれば、動けなかった」

 嘉平は頷いた。

「あの娘は不憫な子でな。実の母親に、命を狙われておるのよ」


 卯都木定信が先妻を流行り病で失い、後妻の桔梗を京より迎え入れたのは、今より十余年前のことだった。桔梗は没落した公家の出で、教養を持ち、何より美しい女性だった。それから間もなく、薄雪の積もったある日、雪姫が生まれた。

 一時期黒姫城に滞在していた新次郎は、幼い雪姫とその母親を朧気ながら覚えていた。数えで五つほどの雪姫と庭で手毬をして遊んでいると、桔梗が二人を部屋に呼び寄せて、干菓子を振舞われた。その部屋には美しい鏡が置かれていた。銅板を磨いたものに薄く錫を張ったもので周囲に精緻な飾り彫りが施された物だ。雪姫が尋ねた。

「母様、これはなあに?」

「これは、四海に通じ、あらゆる謎に答えてくれる磨鏡と呼ばれるものです」

「まきょう?」

「そう。ごらんなさい。鏡よ鏡。この世でもっとも、かわいい姫はたれじゃ?」

 それから母は声色を作っていった。

「それは雪姫さまです」

 二人は顔を見合わせて笑った。新次郎はそれを眩しそうに見ていた。

 それから暫くして長兄の訃報があり、新次郎は国元に帰ることとなった。最後の日、雪姫がひしと新次郎に抱き付き、何を言っても離れようとしなかった事が昨日のように思い出される。


 母、桔梗が狂気に取りつかれたのは、雪姫が十二を数える頃だった。切っ掛けは、卯都木定信が新たに輿入れした愛妾の生駒氏の元に足繁く通うようになったことだった。男児のいない桔梗は何も言わなかったが、内心、穏やかならぬものあったのであろう。うつろな目で一人で鏡に話しかけては、自ら何かを返答する姿を、侍女たちに見られている。それは、あたかも幽鬼のようであったと言う。


 そんなある日、恐ろしい惨劇が起こった。

 黒姫城の能楽堂で京より招いた猿楽の一座が舞いを舞う中、一陣の風と共に、黒い山犬が乱入してたのだ。

 みなが驚き逃げ惑う中、黒犬は真っすぐに生駒氏に飛び掛かると、細い喉笛を食いちぎり、再び闇の中へと逃げ去った。

 噴き出した血は傍らにいた卯都木定信の顔を真っ赤に染めあげたと言う。

 定信は、この混乱の中、ただ一人、悄然と立っている桔梗の姿を見て、恐怖した。

 彼女は微笑んでいたのだ。


「しかし解せぬ」

 新次郎は言った。

「何がじゃ?」

「北の方様が愛妾を恨まれるというのは古今良くある話し。しかし、それと山犬にどのような関係がある?」

「それについては噂がある」

 その頃、桔梗は典膳という怪しげな僧を招き、護摩壇を炊き祈祷をすることが多くなった。呪殺では無いかという噂だ。

「馬鹿な」

「わしもそう思った。しかし、典膳入道、実は甲賀の出ということが分かれば、腑に落ちぬことでもない。獣を操るのは甲賀者の手じゃ。貴様らを襲った牛の化け物も、大方は奴らが狂わせたものじゃろう。兎に角、これで桔梗様の典膳への傾倒は深まった」

「それにしても、では何故雪姫が殺されねばならぬ」

 小杉嘉平はしばらく黙ってから言った。

「・・・お主、雪姫を見てどう思う」

「どう・・とは?」

「お美しいであろう。年は十五。髪も結わずお歯黒もせずあれじゃ。わしはお役目で、京や堺にも行くことが多いがの。磨けば三国一の器量になると言って差し支えないじゃろう」

 進次郎が黙っていると、嘉平はぽつりと言った。

「母の次に、父が狂うた」


 卯都木定信は能楽堂の事件の後、憔悴しきって何日も塞ぎこみ、酒で気を紛らさせる日が続いていた。

 そんなある日、奥御殿にきた定信は、泥酔したまま雪姫の寝所に乱入してきたのだ。あまりの事に雪は悲鳴を上げることも出来なかったらしい。

「わしが気付いてお止めせねば、殿は因業の大罪を負って地獄行きじゃったわい」

「信じられぬ。まさか、そのような事が」


 その頃には、桔梗はすでに卯都木定信に聊かの情など持っていなった。そのはずだった。しかし、夫が実の娘を女として見ていることに対し、言い知れぬ嫌悪と、そして同時に自分でも驚く程の激しい嫉妬を感じた。彼女はその時、気付いてしまった。雪姫が今や衆目を集める美しさ、すなわち自らが若い頃に持っていた全ての輝きを持っていることに。狂気に取りつかれた桔梗に取って、それは許されることでは無かった。

「だからよのう。きっと、あれは鏡が囁いたのであろう」

 嘉平は桔梗を憐れむように言った。

「・・・娘を殺せと」

 桔梗は夫に黙って嘉平を呼びつけ、雪姫が実父である定信を誑かし閨房に招き入れたのだと語った。そして菩提寺への参拝の折に隙を見て雪姫をさらい、森の奥深くにて死を賜るようにと告げた。

「典膳では無く、このわしにお命じになったこと。桔梗様にもいささかの迷いがあったと見える。わしはその本意を、桔梗様の目の届かぬ所に姫を押込めよと解した。わしは雪姫様を密かにこの屋敷に匿った。そして姫には、この屋敷の下女として暮らすよう努めさせ、他の者にもあくまでも下女として接するよう命じた」


 洗濯、飯炊き、風呂の番、どれもが姫君として硯より重い物を持ったことの無い雪には、初めての経験である。当然、うまく出来ようはずはない。しかし、雪は天性とも言える物覚えの良さで、それらを物にしていった。

「わしとしては、このまま一人の市井の女として生きていくのが良いと思っていた。日陰に咲く花があっても良いでは無いか」

 しかし、ある時、雪は剣術の稽古をする嘉平に、木刀を持ち挑みかかってきたのだ。当たり前ではあったが、手もなくあしらわれ、散々に打ち据えられた。雪は泣きながら言った。強くなりたいと。

「以来、隠れて武芸や兵法、四書五経の修練を行うようになったのよ」

 それは危うき事だと新次郎が言うと、嘉平は笑って言った。

「承知の上さ」

 万が一、村人に見られれば、噂を伝っていずれ桔梗や典膳の耳にも届くやも知れぬ。そうすれば、嘉平たち一党の命は無いと思って良い。

「しかしそれでも、わしには拒めなんだ。あの娘はな、父にも母にもまともに愛される事なく、捨てられたのだ。捨てられて、夜毎、臥所の奥で身を丸め、声を殺して泣いておったのよ。その娘が立ち上がり一歩を踏み出そうというのだ」

 誰が拒めるものかよ、と嘉平は言った。

「だからその時、わしは言った。強くなりたいなら決して泣くなと。それ以来、あやつの涙を見たことは無い」


 翌朝、新次郎は改めて別れを告げ屋敷を出た。雪は既に起きて、水汲みに出ているとのことだった。

 騎馬武者の一団が屋敷の前に待っていた。嘉平は、馬小屋から新しい馬を引いてきた。

「わしらは、しばらく隠れ家に移る。奴らに勘づかれたのでな」

「いつまで逃げ隠れるおつもりじゃ」

「そう長くはあるまい。今、この国では怨嗟の声が満ち満ちておる。殿の気鬱と桔梗殿の後ろ盾を良い事に、坊主が政りごとを壟断しておるからな。百姓には百姓の、侍には侍の不平不満がたまりつつある。いずれ大荒れに荒れるじゃろう」

 新次郎は馬に跨り言った。

「その時には至急使いを下されよ。別にほだされたわけでは無い。雪殿とお主に賭けてみたいのじゃ」

 嘉平は頷き手綱を離した。新次郎は駆けだした。途中、水汲みから帰ってきた雪姫とすれ違った。二人とも振り返らなかった。


 翌、天正二年。国主定信の死を切っ掛けに起こった大館の乱の後、定信の弟、卯都木秀定により千々に分かれた国が再統一されるまで二年を要した。後の講談などによれば、秀定軍を実質指揮したのは神宮寺氏の支援を受けた雪姫とされている。さらには、病いがちな叔父に代わり国政を差配したとも、あるいは神宮寺孝信の伴侶となったとも言われるが、いずれも、信頼できる資料では無い。また桔梗は自害し、典膳は逐電したと言う。


元になったお話:白雪姫

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