第2話 一目惚れですね

「恋です、要するに一目惚れですね」

「……あ、恋か」


 名取なとり先生が仰っていたのは、鯉ではなく恋だった。突っ込みを入れず、とりあえず話を聞くに徹してよかった。人の話は最後まで聞くようにと言う父の教えのお陰で、恥をかかずにすんだ。


 で、確か恋とはあれだな、特定の異性と仲良くしたり、一緒に居たくなったりする、好きという特別な感情を抱くやつだな。


 それにしても……一目惚れとは聞き捨てならない。僕がそんな簡単に異性を好きになったりするわけないだろう。

 いったい僕の周りに、どれほどの美女達がいると思っているのだ。そんな美女達を前にしても僕の心はピクリとも動かなかった。

 いわば僕は、恋に対する耐性としては百戦錬磨なのだ。


 つまり——僕が恋などありえない。


「名取先生、それは確かなのですか?」

「十中八九、そうですね」


 だがしかし、専門家に、こう自信満々に来られると、頭ごなしに否定するわけにもいかないな。

 それは、トップに立つ人間としてやってはいけないことだ。


「分かりました先生、では、この胸の苦しみが恋だと、仮定しましょう。その場合、どうすれば胸の苦しみから解放されるのでしょうか?」


 僕の言葉を受け、名取先生はいぶかしげな表情を浮かべた。


「御曹司、それを私に聞いちゃいますか?」


 異な事を言う……専門家に聞かずして誰に聞けと言うのだ。


「こういう事は、普通、御学友などに聞かれた方がよろしいかと存じますよ」


 な……なにっ!

 御学友だと……つまり、友達だ。


 まさか、名取先生、僕に友達がいない事を知って、失脚でも計ろうとしているのか?


 いや、それは流石に考え過ぎか。


 名取先生がそんな事をするメリットは一切ない。我ながら、ボッチに対する被害妄想が過ぎたな。


「…………」

「御曹司、いかがされましたか?」

「い……いや、何でもない」


 しかし、鬼龍院きりゅういんグループ総帥の嫡男であるこの僕が、友達の1人もいないなどとは、口が裂けても言えない。

 怪しまれずに、何とか先生に教えてもらう、もしくは、他の解決手段を案内していただく方法はないものだろうか。


「先生、こんな私事わたくしごとで、友の大切な時間を奪うのは、とても心苦しい、友に聞く以外に、何か良い方法は御座いませんか?」


 我ながら完璧な言い訳だ。一分の隙もない。


「う〜ん、そうですね……」


 よしっ、他の方法もあるのだな。


「話を聞いた限り、状況的に難しいかも知れませんが、そのお嬢さんに想いを伝えることでしょうか?」


 はぁ————————————っ!?


 想いを伝えるだと!?


 なぜ?

 どうやって?

 ていうか、想いってなんだ?

 何を伝えるんだ?

 まさか君のせいで、胸が苦しいから解放してくれとでも言うのか?


「まあ、偶然の出会いですし、それは難しいですよね」


 それについては、おそらく問題ない。

 僕の優秀なSPがきっと、彼女については調べ尽くしてくれているはずだ。


「あっ、あとはネットやSNSで調べてみるぐらいですかね」


 なにっ!

 ネットやSNSで調べる事ができるのか。

 ——とてもイージーじゃないか。


「ありがとうございます先生。では、帰って早速調べてみます」

「うまく成就するといいですね」


 何の成就だ。


 ——僕は病院を後にし、早速自宅で『恋』について『恋の胸の苦しみ』について、とりあえずSNSで調べてみた。


「…………」

『友達に話してみて、少し楽になりました』

『ひとりで塞ぎ込んでいたところを、友達に助けてもらいました』

『友達が間に入ってくれて、うまくとりなしてくれました』

『友達が、さりげなく一緒に遊びに誘ってくれて、きっかけを作ってくれました』

『友達がいなかったら今も苦しんだままだったかもしれません』

『友達がいてくれて本当に良かったです』


 爆ぜろ……リア充ども。


 この後、ネットでも調べたが、言い回しが違うだけで、得られる答えはSNSと変わらなかった。


 なんだよ……結局友達じゃないか。

 この胸の苦しみからは、結局友達がいないと解放されないんじゃないか。


 無理ゲーだ。


 終わった。


 僕はこの胸の苦しみと一生付き合わなければならないのか。


 これが、自らの不注意で、あの子を巻き込んでしまった罰だとでも言うのか。


 あの子との出会いを思い返すと、また胸が締め付けられるように苦しくなった。


 くそっ、本当に一体、何だって言うんだ。もう……僕の身体じゃないみたいじゃないか。


「御曹司、よろしいでしょうか」


 SPが部屋の扉をノックする。


「いいぞ、入れ」

「御曹司、例の女の調査が完了いたしました」

「ふっ流石だな、仕事が早いな」

「御曹司の命とあらば」

「ご苦労、下がっていいぞ」

「はっ」


 SPから彼女について調べあげられた写真付きのデータを手渡された。


 ドクン……一際大きく鼓動が脈打った。


 苦しい、彼女の写真をみているだけで、とても苦しい……そして苦しみと同時に湧き上がってくる高揚感。


 なんだ、これは、今なら何だって出来そうな気がする。

 もしかして、僕は本当に恋しちゃってるとでも言うのか。



 *



 ——それから数日が経った。

 胸の苦しみは治るどころか、日増しに酷くなった。


 こんな状態になったのだ。

 流石の僕も、これは認めざるをえない。

 

 ——恋をしていると。


 彼女の写真を見ている時は、高揚感が溢れ、生産性も上がるが、見ていない時はもう、それは散々たるものだ。

 とても鬼龍院きりゅういんを名乗るに相応しくない有様だ。


 これは、早急に何とかしなければ、この国の行末が大変なことになる。


 直感的にそう思った。


 名取先生が提案してくれた、解決方法は3つ。だが、そのうちの2つは同義と言える。

 つまり、この胸の苦しみから解き放たれる方法は2つだ。


 一つは友達を作る。

 もう一つは彼女に想いを伝える。


 このいずれかを、行わないと僕は、この胸の苦しみから解放されないと言うことだ。


 しかし、できるのか? 僕に?

 否、やらねばならない。


 だが、友達を作ることは不可能だ。

 仮に不可能ではなかったとしても、17年間無理だったことが、いきなり出来るようになるとは考え難い。


 つまり選択肢は一つだ。


 ——彼女に想いを伝える。


 これしかない。


 だが、本当に彼女に想いを伝えただけで、この胸の苦しみから解放されるのか?

 想いを伝えた後、両想いとか言うやつにならなければダメなんじゃないのか?

 その証拠に、彼女に受け入れられなかったらと想像しただけで、胸が痛み全身がだるくなる。


 おそらく間違いない、彼女に想いを伝えるだけではダメだ。

 彼女に想いを伝える且つ、その想いが彼女に受け入れられる必要がある。


 これが、僕をこの胸の苦しみから解放し、この国の明るい未来を確約する必達事項だ。


 その証拠に、彼女に受け入れられたと想像しただけで、胸の苦しみが和らぎ、翼が生えたように全身が軽くなる。


 もう、迷っている場合ではない。

 やるしかないのだから。

 

 だが、問題はやり方だ。

 彼女を呼びつけ、想いを伝える。

 これはとても効率的かもしれないが、高圧的過ぎる。どちらかというと父上のやり方だ。

 

 僕のやり方は融和と共存。


 僕は考えた。

 三日三晩、寝ずに国内最高峰のIQをもって考え尽くした。

 

 そして、ようやく答えにたどり着いた。


 ——転校だ。


 鬼龍院きりゅういんとしての身分を隠し、彼女と一緒の高校に転校し、学校生活をリセットする。


 そして、彼女に想いを伝える。


 完璧だ……。


 この時の僕は、この決断が、今後の人生を左右する大きな決断になるとは思ってもみなかった。

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