第47話 頷いた
「なんか、かなり久しぶりに顔見た気がする」
「しゃーねえだろ。毎日毎日部活部活部活で、休み時間はほぼ全部睡眠。んなことしてたらお前と会うはずもねえ」
「だとすると、なんで今日は寝てないわけ?」
「話があるからだ。見て察しろ。ってかわかった上で聞いてんだろ」
「まあね。で、肝心のご用向きは」
「お前の周り、ずいぶんにぎやかになってるらしいじゃねーか。クラス分けからたかだか二ヵ月で一体なにがあったんだよ」
「なにがと言われたら、それはもう色々と」
「その色々を洗いざらい吐け。できる限り簡潔にだ」
「無茶言ってくれるなあ……」
********************
私のクラスの授業は、終了のチャイムが鳴ってからも少しだけ長引いていた。そのせいか、いの一番に教室を飛び出したはずが、廊下は既に生徒で溢れかえっている。
取りあえず、森谷を探そう。昼食に誘えば、すんなり付き合ってくれるだろうし。――そう考えていたら、思ったより簡単にあいつの姿を見つけることができた。
だが。
「森谷が不良に絡まれてる……」
思ったことをそのまま言葉にしたくなるくらい、ショッキングな光景が広がっていた。森谷がいるのは、まあいい。ただ、問題はあいつが会話している相手の方。目測185~190センチメートルほどの長駆に、その全身を覆うしなやかな筋肉。制服の着こなしはラフというより乱雑で、気だるげに片手だけポケットに突っ込んだ姿からは言葉にならない威圧感を覚える。
そんな男子生徒が、勢いよく森谷に突っかかっているというのだから大変。見るからに優等生然とした森谷と見るからに不良然とした男子とは明らかに水と油で、接点があるようには思えない。
出した方がいいのかな、助け舟……。けど、変に刺激したらよくないかも。――葛藤していると、そんな二人を外野から眺める人物が私以外にもう一人いることに気が付いた。
後ろから近寄り、かなり高めの位置にある肩をたたく。するとその見物客は、猫がびっくりしたときみたいにぴょんと体を跳ねさせて、
「ひゃんっ!」
「……ひゃん?」
「もう、びっくりさせないでよ夕ちゃ――字城さん?!」
「元気だね、さやとは」
見当違いの相手から話しかけられたせいか、さやとは目をぱちぱちさせている。……いいなあ、この人懐っこさ。ちょっとしゃべっただけで、対峙する人間の警戒心を簡単にほぐしてしまう。彼女の行動を調べて理論に起こせば、人付き合いを円滑に進める秘訣なんかが見えてくるのではなかろうか。
「誰あれ? 不良?」
控えめに森谷の話し相手を指さし、問う。良くも悪くも目立つ容姿をしているし、顔の広そうなさやとなら誰か知っている公算が高かった。
「見た目がちょっと怖いだけで、不良じゃないよ。けーくんのお友達」
「……ほんと?」
「ほんとほんと」
言われても、信じがたい。森谷のイメージ的に、あんまり付き合いを持ちそうな相手じゃないというか。……だけど森谷には、誰ともつながりを持たなかった私の懐にするする入り込んできたって実績がある。前科と言い換えるのもありかも。
面倒見の鬼だもんね、あいつ。それを思えば、素行が悪いやつに取り入ることこそが本領なのかも。人のことを勝手に不良呼ばわりした私だって、一年のときの成績を見られたら学生の本分を遂行していないという点で不良扱いされてもおかしくない。……不良キラーだったんだ、森谷。
「よく誤解されちゃうんだけど、二人が話すときはいつもあんな感じだよ。喧嘩腰っていうの?」
「……体格差がすごいせいで、森谷が絡まれてるようにしか見えない」
「おっきいよねー。たぶんこの学校の中で一番身長高いんじゃないかな、新条くん」
「ん……?」
どこか聞き覚えのある新条という名前に、この前森谷が言っていた気難しい友達の存在。頭の中にある情報の断片が光の糸でつながっていくような錯覚のあと、思い出したのはいつか里見とした会話。
「ねえ、さやと」
「なに?」
「新条って、去年顧問のこと殴って停学になったバスケ部の新条?」
停学のあと不登校になって、それを見かねた森谷がどうにか復学させた……みたいな話だった。期待していた内容と全然違ったせいもあってところどころうろ覚えだけど、大筋は記憶している。
誤解があったとか、勘違いをしていたとか、里見は色々言っていたっけ。森谷だけがそこに疑問を持ったとも。去年から森谷と付き合いがあって、男女違うといえどもバスケ部のさやとは、この話の詳細を聞くのにうってつけの相手な気がする。今の私はあのときよりずっと森谷のことに興味がある。どんな細かい話でも、知りたいって思う。
「えーっと……。なにから説明すればいいのかな。もしかしたら字城さんは勘違いしてるかもしれなくて……」
「森谷がなにかしたんでしょ。前にそれ、里見から聞いた。でも、どんな事情があったかはさっぱり」
「あー、それならね……」
腕組をしてうーんと唸るさやと。なにからしゃべり始めるか考えているのだろうか。……里見のやけにぼかした話しぶりから考えて、なにか言えない内容があるんじゃないかと思っていた。だから森谷本人に、直接その話は持ちかけなかった。
「ごめん、もうちょっと待ってね。私も全部知ってるわけじゃないから」
「そうなの?」
「けーくん、肝心な話は教えてくれなかったの。……でも、意地悪でそんなことする人じゃないし、きっと隠したい理由があったんだろうなーって」
さやとの視線の先には、じっくり話し込む森谷と新条がいる。言われてみれば確かに森谷に怯んでいるような様子はなく、友達だっていうのは嘘じゃなさそうだと、ここですとんと納得がいった。……ていうかさやと、あいつに向ける視線が妙に熱っぽい。好きだって気持ちを隠す気がないのか、それとも隠そうとした上でこうなっちゃっているのか、どちらにしてもわかりやすすぎる。……ふと、ここで自分の身も振り返ることにした。もしかすると気づいていないだけで、私もさやとと同じような目で森谷を見ているかもしれない。……けど、確かめる術がないからこの疑問は忘れよう。本人にさえ気取られなければなんとかなるはず。
「さやとってさ」
「なになに?」
「森谷のこといつから好きなの」
「え、ええっ……?! 今、そういう話だったっけー?!」
「さやとが知らない話なら、私が知っても意味ないかなって。なら、他に気になってること聞きたい」
「い、いやその、そもそもなんでそう思うかを……」
「さすがに無理。とぼけるのはそっちの勝手だけど、誰が見ても一目瞭然」
「……誰が見ても?」
「隠してるつもりだったんだ……」
押し込めてこれなら、本心は一体どれくらいまで膨れ上がるのだろう。森谷はどうやって、こんな誰からも愛されそうな子の心を射止めてしまったのだろう。……いや、まあ、なんとなくは想像つくけど。
「いつから……って言われても」
さやとは耳まで真っ赤にして、もじもじしながら小声で呟く。こういう狙わないあざとさが多くの男心をくすぐるのだろうが、彼女の本命は予め一人に定まっているというのだから夢がない。そして、その気持ちを一身に受ける森谷は夢持ちすぎ。反省して。
「そ、そういう字城さんはどうなの? 前、あげないとか、全部もらうとか言ってたけど……」
うわ、反撃だ。予想してなかった。……あのときは前の晩に森谷にキス(ほっぺたにだけど)しちゃった高揚感と寝不足とが相まって、変なテンションだったからなあ。すっかり森谷が私のものになったような気分で、おかしなことをしたし言った。
「同じシャンプーの匂いがした理由も聞いてないし、私も、気になることばっかり」
「それはその……うん」
「……まさか」
「どうだったろ。森谷が泊まっていったのだけは覚えてるんだけど……」
「…………あぅ」
すっとぼけたことを言ったら、さやとの体がみるみる小さくなった。これにはさすがに罪悪感を覚えてしまって、「ごめんうそ、なにもされてない」と付け足す。……間違ったことは言ってないよね。私はいたずらしたけど、向こうからはなにもされてない。詭弁っぽいけど、事実には変わりない。
「ほんと?」
「ほんと」
「ほんとのほんと?」
「ほんとのほんと」
「じゃあなんで平日にお泊まりしてたの?」
「……それは秘密」
約束したわけじゃないけど、あの日森谷に言ったことと言ってもらったことは二人だけで共有していたい。変に言いふらしてもお互い恥をかくだけだし、なにより誰も知らない森谷の姿を独り占めしたいという思いがあった。……あいつの素顔を知っているのは、私一人でいい。「それよりも」と話を区切って、「いつから?」と問い直す。肝心なのはそっちだ。
「……教えたら、字城さんも私の質問答えてくれる?」
「ん……」
「じゃあ、先に聞くね。……けーくんに好きって伝えるつもり、ある?」
「…………」
ちょっと考えて、こくりと頷いた。競争相手がいるからというのもあるが、日に日に大きくなる気持ちを抱えたまま平然と森谷に接せる気がしない。どう受け取られるかはさておいて、一度言って楽になってしまいたい。……そう考えると、長い間ため込み続けているさやとのうずうずは私以上ってことになる。
「そっか」
噛みしめるように呟き、彼女はまたしても森谷に熱視線を送った。あいつは相変わらず、こちらに気付く素振りなくあれこれ言い合っている。
「話、きれいにまとまらないと思うけど、許してね」
********************
「で、なにがどうなったら、これまで誰彼構わず遠ざけてきた女と親密になるんだよ」
「親密っていうか、心開かせるまで執拗に粘っただけ。ほら、新条も覚えあるだろ」
「俺はお前に心を開いた覚えなんかねえ」
「またまたぁ」
「俺が停学食らった理由、思い出させてやろうか」
「勘弁。さすがに次は退学だ」
「今に俺を気遣うその余裕を消し去ってやる」
「気ぃ立ってんなぁ、相変わらず」
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