天才美少女の教育係に任命されたけど、勉強させる気ありません!
鳴瀬息吹
一章
第1話 主人公、だいたい1話目で裸のヒロインと遭遇しがち
下着だった。薄い黄緑色の生地にレースがあしらわれた、かわいらしい下着だった。
「あ」
ブラジャーとショーツ以外になにも身にまとっていない少女と、目が合う。
「違う!」
咄嗟に声が出る。断じて覗きをしようと思っていたわけじゃない。ただドアを開けたら、そこに絶賛着替え中の女子がいただけなのだ。
「ノックしなかったのはごめん! 謝る! だからどうか穏便に……」
「ちょうどいいや」
「……え、ええ?」
叫ぶでもなく、隠すでもなく、少女は下着姿のまま裸足でとてとて歩いて俺の方に近付いてきて、
「撮って」
たった一言、そう言い放った。
「取っ手?」
「写真、撮って。自分でやっても綺麗に全身収まんないの」
とてもじゃないが状況を把握しきれなくて、素っ頓狂な返しをしてしまった。もちろん相手の姿を直視していられるわけもなく、俺の視線はずっと明後日の方を泳いでいる。
右手に強引に押し付けられたスマートフォンを見てようやく、向こうが写真撮影をねだっているのだと気が付いたわけだが、気が付いたところで動転した気が元に戻ることはない。写真? 全身? 下着? なぜ? はてながあちこち飛び交って、思考回路がショート。結果として、「あ、うす」と唯々諾々に従うことになる。というかもとより俺に決定権はない。出て行けと言われれば出て行くほかなく、死ねと言われたら大人しく死ぬ以外の道は用意されていないのだ。だから、撮ってと言われたら撮るしかない。ここまで全部不可抗力。
「早く早く。寒いんだ、この格好」
でしょうね、と内心で相槌。四月中旬は春っちゃ春だが、日によっては冬のように冷え込む。そして、今日はどちらかというと冬寄りの気温。雀の涙みたいな布面積でやり過ごせるほど、過ごしやすい日和ではない。
「えっとね、縦持ちの画角で、私はぴったり真ん中に映るように……」
いくつか出された指示に従って、ぱしゃぱしゃシャッターを切る。現実感はない。俺は今、なにをやっているんだっけ。少なくとも、裸の女を写真に収めようと思ってここまで来たわけではなかった気がする。
というか。
(えっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっろ……)
シチュエーションはもちろんだが、シンプルに相手の体がエロティシズムの極点に達している。向こうに嫌がる気配も怒る素振りもないし、写真を撮らねばならない関係上いつの間にやらがっつりとその瑞々しい裸体をガン見してしまっているわけだが、全身の起伏や凹凸に無駄がなく、それでいて柔らかそうな未知の質感が肌からあふれ出ている。細身だが胸元にはきっちり谷間があって、『女体かくあるべし』というのを生身で体現しているようにも思えた。……などと面倒な修辞を並べ立てたが、要するにえっっっっっろ! なんだこれ、なんなんだこれ!
「うん、撮れてる」
「…………っ!」
本人をまじまじ見続けるのは憚られ、かと言って健全な性欲からくる衝動を抑えられずに写真をずっと眺めていたら、当のモデルが隣に立っていた。頭をくいっと傾けて撮影が上手くいったかどうかを確認しているようだが、あられもない格好で至近距離に来られると色々マズい。角度的に18歳未満お断りのなにかが視界に入りかねず、目を逸らしても女子特有の甘い香りが漂っていて、俺に逃げ場はなかった。
「裸婦画、描きたくて。教本がしっくりこなかったから自撮りしようと思ったんだけど、難しいね、あれ」
スマホを俺に持たせたままカメラロールをざっと確認し、「いけるかな。どうだろ。やっぱ下着邪魔かな」などと物騒なことを呟く少女だったが、程なくして疑問は別の場所に移ったようだった。
それ即ち、
「ていうか、誰?」
「
「んー、わかんない。そこ、黒板あるから名前書いて」
二度目になるが、俺に決定権も拒否権もない。下着姿を除いた時点で立場が著しく低くなっているため、言われたことを言われたままにやるだけだ。
適当に黒板消しをかけたのだろうか、黒板は全体的に白っぽい。そこに、縦書きでフルネームを記入していく。
「あ、惜しい」
書き終わったところで、意味不明な発言があった。相も変わらず下着のままの少女は、俺が書いたばかりの文字の一部を指先でこすって、「これでよし」と満足げに微笑む。
「どう?」
「いや、わからん」
「ほら、シンメトリー」
彼女は黒板をこつこつ拳で叩いて、「左右対称」と言い換えた。無論、シンメトリーの意味は知っている。ただ、そうするためだけに跳ねや払いを削り取られた意味がわからなかった。
「シンメトリーだといいことあるの?」
「見てて気持ちいい」
「それだけ?」
「他にいる?」
いや、わからん。そもそもお互いの感性が違いすぎるのは、彼女が一向に服を着る気配がないところからも明らか。だからきっと、彼女にとって左右対称なのはとても素晴らしいことなのだろう。それだけ覚えればたぶん大丈夫だ。
「あ、さむ」
少女は、突然思い出したように上半身をぶるりと震わせ、たったか早歩きで脱ぎ散らかした服を拾い集め始めた。そしてそのまま着衣を整える――かに思えたのだが。
「んー、うん。こうしよ」
ブラウスを羽織り、ボタンを途中まで止めたところで突然体を翻し、教室の中心にあったパイプ椅子に座った。肝心のボタンだって互い違いの段飛ばしで滅茶苦茶な止め具合なのだが、向こうはそんなことお構いなしらしい。本当に、寒くなくなればそれでいいようだ。
椅子の前には、イーゼルがある。そして、イーゼルにはスケッチブックが固定されている。この教室が美術室である以上はなにもおかしくないことなのだが、肝心の描き手が半裸なせいで異常性が際立つ。
「ねえ」
「…………」
「あのー」
「…………」
「おーーい」
「…………んー?」
三度の呼びかけの末、ようやく声が届いた。視線の先の少女は自身の裸体が映ったスマートフォンを片手に、こちらに目もくれずしゃしゃっと鉛筆を走らせている。
「服、着なくていいの?」
「…………? 着てるじゃん、ほら」
ブラウスの袖をぴらぴら振り回して、彼女は言った。胸元はだるだる、依然として下はショーツだけの状態、それでも彼女的にはオールオッケーらしい。……うーん。割と勇気を出して発言したんだけど、向こうはけろっとしたもんだ。どうやら、本当にそういうのが気にならないっぽい。
「制服、窮屈だし。これでいいんだ、寒くないから」
「機能性の話じゃないんだけどな……」
「ていうか、森谷」
びくっと首が動いた。女子からいきなり呼び捨てにされたのは、初めてな気がする。
「なんでこんなとこ来たの。ここに用ある人、見たことない。探検?」
「いや、用はあるんだ。それも場所じゃなくて、人に」
「顧問の先生なら――」
「――いや、もう目の前にいる」
用があるのは、現在進行形で話している相手。俺は彼女と顔合わせをするために、本日ここまで出向いてきた。
「
「……うわー」
「うわーって」
「どうせ、あの鬼の言いつけで寄越されたんでしょ。で、森谷も私にこう言う」
「勉強、しなくてもいいと思うよ」
「ほらほ……え?」
「敵じゃないのがわかったところで、まずは一つだけお願い聞いてもらえない?」
服、ちゃんと着て。その懇願に、彼女は意外とすんなり応じてくれた。
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