第13話 石像


 西王母の中庭は、砂利道と垣根で分けられている場所もあれば、背の高い植物に囲まれて柳生街道やぎゅうかいどうの獣道のようになっている場所もあった。完全に整備された庭とはいえないが、自然の姿を留めておくことに美を見出しているのだろう。


 この庭を異質に感じてしまう理由の一つはやはり、四季の感覚を奪うような樹木が方々で花開いているせいだ。


 中には奈良で見られるような植物もあれば、おそらく地球では見られないものもあった。瑤池ようちのほとりで咲く白蓮や、彼岸花、牡丹、山桜、桃の木、桑、臥龍梅、金松、沙棠さとう、玉樹……これらが植物園のごとく集められていた。


 こんな表現をすれば趣を感じなくなるかもしれないが、まるで崑崙山全体に見えないビニールハウスをいくつも設置しているかのようだった。とはいえこれは山頂に至ってからずっと続いていた事象だ。


 この庭に特異な味を加えているもう一つの原因は、石像だ。それも全身を象ったものばかり。陝西省で出土した兵馬俑のように一人一人表情や服装が違っている。


 おそらく等身大であろう石像たちは庭のあちこちにある大木の隣に置かれており、その大抵が口を開けて驚き苦悶の表情をしていた。蔓植物が絡み付いて色褪せて赤黒くなった石像たちは目に止まるたびに恐ろしい心持ちにしてくる。


 どうして西王母はこんな姿の石像たちを大切な中庭に飾っているのだろうか。人の趣味のことに口出しをして良いとは思えないが、僕の中でその疑問は渦巻いていた。


「これは……」


 運は木蘭の大木の傍に置かれたある女型の石像の前で立ち止まった。


 それは他の石像たちと違って白色のままで、悲母観音の如く上品に微笑んでいた。


「この方は私の二代前に西王母様の側近をなさっていた冬黄ふゆき様です」


 白は光の無い瞳で石像を見つめた。


「そうか……。母上も桃源郷に来とったんやな。二代前ってことは、もう側近辞めたんやろ。最近はどうなん?元気にしてはる?」


 運は懐かしそうに石像を見上げた。


 石像の肩の上には木蘭の花が一つ落ちていた。それ以外に落ち葉の類は見られず、この辺りはずいぶん掃除されているようだった。


 この石像のモデルになった冬黄は、どうやら運の母親らしい。アジア系の顔立ちだから、運は父親似なのだろう。


「どうなのでしょうね……。わかりかねます」


 白は石像に近づくと、肩の上で萎れている木蘭の花を手に取った。


「それ、今はもう崑崙山ここにはおらんってゆう意味か?」


 運は白を見据えた。その表情は幾分か曇っている気がした。


「いいえ。側近は毎度行方がわからなくなって交代しますので、その後の事はこの山の者にもわかりません」


 白は従者らしく地面を見つめた。


 行方不明になるのは神仙において別段珍しい事ではない。書中の神仙も突然行方知れずになることがある。


 とはいえ、西王母の側近がそんな調子で成り立っているなら、それは驚くべき事だ。仙界の役職に就いている神仙がその職務を放棄して行方不明になれるのだろうか。


「そうか。ほなまた会いたなったら仙官仲間のレヴィに頼んで探してもらうわ。レヴィは言霊家の葛城竜殿下のことかて見つけてきてんから、母上見つけんのなんかもっと簡単やと思うし」


 運はどうやら白を脅しているようだった。〝そんな阿呆な言い訳、仙官には通用せんわ〟と、顔に書かれている気さえした。これは運なりの外交なのだろう。


「そうですね。冬黄様には大変お世話になりました。宇宙世界のご家族のお話を口になさることはありませんでしたが、ご子息が仙官になったと知ればきっとお喜びになるはずです」


 白は一歩も退かなかった。


 仙官は神仙の官僚だ。誰が仙官を務めているのか、西王母の側近だった冬黄が知らないとでもいうのだろうか。


 おそらく、そんなはずはない。冬黄は宇宙世界に置いてきた家族に会うつもりはなかったのだろう。家族を捨てて仙界に入る神仙は書中にも存在する。


「そうか。ほんましゃーないやつやなぁ、母上。でも気持ちはわかんで。親父は葛城竜殿下愛しすぎてて家留守にしとること多かったし。葛城竜殿下に振られてもぉてからは家におること増えたけど、母上と会話してるとこなんて見たことない。そんでなんやえらい長いこと外出せんと家おるなぁ思ってたら、俺の末弟に手ぇ出しとった。俺は嫡子で早めに結婚したんはええけど外で好き勝手に遊んでばっかりでなかなか子供できんかったし、弟がそんな目に遭ってるって知ったんも気に病んだ母上が自殺してからや。仙官なっても不遜な性格やから、西王母の側近が誰かなんていちいち知らんし。そりゃ多少恨まれてたかてしゃーないわ」


 葛城竜殿下は、祖父のことだ。祖父が運の母親の死の原因のうちの一つだったことは間違いない。僕は運がこれまで祖父に対して自然に接していたことに驚いた。人間関係を円滑に進めるために努力を強いていたことを申し訳なく感じ、胸が痛くなる。


「今まで無理さしてほんまごめんやで」


「えっ、いやいや。いきなり何うてんねん。ただ俺が何も言わんかっただけやねんから、そんな変な謝り方しなや。焔全く悪無いやん。二千年以上前の話やし、ほんま鼻かんで忘れて。なんか恥ずかしなってきたわ」


 運は口をへの字に曲げて困った顔をしていた。配慮してくれているのか、全く気にしていない様子に見えた。


 これ以上何か言っても運に気を遣わせるだけに思え、僕はこの件について謝るのをやめ、二度頷いた。


 そこにシルラが割って入った。


「葛城竜殿下ってやっぱ色々あるんですねー。宇宙世界にいる俺の育て親も葛城竜殿下を愛してやまなかったんですよ。そんで背中に〝言葉〟って入れ墨までしてたけど、残念ながら運様のお父様と違って葛城竜殿下には全く相手にされませんでしたよ〜。そのせいで育て親は気がおかしくなって……俺と一緒に育てられた兄弟分が二人も殺されちゃいました。まぁそのお陰で家出て師匠に拾われたんですけどね〜」


 シルラはため息混じりに笑った。


「お前まさかその事全部葛城竜殿下のせいやと思ってへんよなぁ?」


 運は左の眉を上げた。


「いやいや。今日葛城竜殿下を一目見て俺は思い知りましたよ〜。あれが手に入るなら確かに魂なんて惜しくない。俺の育て親が葛城竜殿下を求めるあまり兄弟分を殺してしまったのも仕方ないって今は思います。そりゃ、長い間ずっと葛城竜殿下が全部悪いって思ってましたけど」


 シルラは得意げに笑った。


「あほか。葛城竜殿下の地位をよぉ考えてみぃ。宇宙世界最高位の貴族、神代貴族や。桃源郷の傲慢な神仙でさえ葛城竜殿下を三尸さんしさんうて一目置いとる。俺の親父もお前の育て親も分不相応なもん欲しがって、挙げ句の果てに家族巻き込んで失敗しよったんや。そんな変な行動とる奴を相手にせんかった葛城竜殿下が悪いわけないやろ」


「たしかに……!さすが運様、すげぇ!頭良い〜」


 シルラは満面の笑みだった。


 運はそんなシルラと目を合わせることなく、白の方を見た。


 白は相変わらず地面を見たままだったが運に見られていることにすぐ気づいたようで、再び庭を案内すべく歩き出した。


 運は一度振り返って冬黄の石像を見、それからまた背を向けて歩き始めた。


 僕らが祖父の待つ客間に戻ったのは、そのしばらく後だった。



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