第11話 宴


 廊下の突き当たりにある観音開きの扉の上には少広と彫られた分厚い板が掛かっていた。扉の向こうは、宴の席が用意された大広間だった。


 床には紺基調に金糸が編み込まれたペルシャ絨毯のような物が敷かれ、壁は先ほどまでと同じく朱塗りだった。


 部屋奥の中央には階段があり、階上にはぎょくや金の装飾品で縁取られた緑基調の御簾が掛かっている。おそらく西王母は御簾の中にいるのだろう。


 観音開きの扉からその御簾の前まではラピスラズリ色の布がバージンロードのように真っ直ぐ敷かれ、それを挟むように料理の乗った机が置かれている。


 料理はまだ運び込まれている最中で、玉女ぎょくじょであろう女型めがたたちが左右に設けられた小さい引き戸から忙しなく出入りしていた。


 祖父は広間の中心より御簾寄りの場所に立って、御簾の中の人物と話し込んでいるようだった。御簾の奥は妙に光って見えていた。


「ああ、来たわ。あの子らがうてた孫と孫のご近所さんと、ご近所さんの友人の弟子や。俺がこうして歩けてんのはあの子らがおったおかげや」


 祖父は御簾の中の人物に桃源語で親しげに語った。


「そうか。皆、ここまでよく来た。本宮わらわの友を助けてくれた事、感謝する。あまり喋ると料理が冷めるゆえ、早う席についてお食べ」


 女型の声だった。落ち着いた調子で話される桃源語は彼女の気品を感じさせた。


「おおきに。ただ、焔にはまだここの料理早いわ。地球ガイアに帰るつもりでおるし、本人もそーゆーつもりでここ来てるんとちゃうから」


 祖父の言うことは最もだった。仮に千歳の長寿を得てしまったなら、僕は地球に戻ってから困るだろう。


 それでも、僕らのためにわざわざ用意してくれたであろう料理を食べないのは申し訳なかった。僕は桃源語で「すみません」と呟いて頭を下げた。


「そうかそうか。かまわぬ。食べたところで何も起こらぬゆえ、安心して食べよ。そういったことであれば仙籍せんせきに加えることもせぬ」


 仙籍とは神仙の戸籍のことだ。東王父と西王母が合意して仙籍に加えた者は神仙になれると聞いたことがある。


 御簾の中の人物はやはり西王母のようだった。


 祖父は西王母に軽く礼をして、御簾に最も近い席についた。


 運は御簾を見上げてお辞儀をし、振り返って僕を見た。


「ついてぃや」


 運は礼儀やしきたりを理解していない僕を心配してくれているようだった。


 僕は絨毯に溶け込みそうな運の青い瞳を見つめて小さく頷いた。


 それからシルラと共に御簾に向かって再拝し、運について祖父の向かい側の席に座った。


 運は御簾に近い席を僕に譲り、僕とシルラの間に陣取った。


 僕らが席につくと、西域で奏でられるような音楽が下座の方から聞こえてきた。いつの間にか飛天のような衣装に身を包んだ女型たちが弦楽器を手にしている。


 奈良国立博物館の正倉院展で見られるような、螺鈿が散りばめられた琵琶もあった。


 旋回して舞う女型たちの淡い色の袖が敦煌を彷彿とさせる。


 僕にとって桃源郷は漢のようでもあり、六朝のようでもあり、唐のようでもある不思議な世界だった。


 僕とシルラが演舞に気を取られているうちに祖父と運は食事を始めていた。彼らにとってこの光景はよくあることなのだろう。


 僕は合掌してから少し辛い中華風の料理を頬張りつつ、先ほど西王母に向かって挨拶をした時のことを思い出した。御簾の奥が光って見えたから気になっていたのだ。


 それは後光というより、天井に穴が一つ空いていてそこから光が差し込んでいるようだった。


 崑崙山は昇仙する際、最初に通過する場所だったはずだ。『楚辞』の主人公も崑崙山を通って天帝に会おうとしていた。その地球の伝承が事実なら、桃源郷に来た后羿は最初に崑崙山を訪れ、矢を放ったのかもしれない。


 とはいえ、それから二ヶ月も経っている。そのまま放置されているのは不自然だろう。


 僕の疑問は解決されるはずも無く、宴を終えて大広間を出てからもただ脳裏にあるだけだった。



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