2章 6.私はCM撮影で、ブツを欲する。

 今日は土曜日。東京スカイタワーのテレビコマーシャルの撮影日だ。私『最上さいじょうまこ』が有難いことにイメージキャラクターとして採用されたのだ。


 こういった現場はだいたいいつも朝が早い。まだ太陽が昇ってすぐの薄暗い光の中でマネージャー水戸みとが自宅まで迎えにやってくる。


「おはようございます。今日は寝坊しなかったようですね」

「ああ……。いつも通りだ……。今日は髪を上げてるんだな、ぎん、じ……」


 いつものように車の後部座席に乗り込み、どかっと座ってボーっと水戸を眺める。

 

 実は昨晩、『腐女子のJK』から『マッチング承諾』メールが届き、『マッチング成立』となったのだ!


 私は大興奮し部屋で踊り狂っていたら、様子を見に来た弟からは何事だよと呆れ顔をされた。まーそれはいつものことだが、それから『腐女子のJK』と盛り上がり『クリンク』内のチャット機能を使って、今後の計画を立てていた。そして私はその後、興奮覚めやらぬままあまり眠れなかったのだ。楽しくて楽しくて、わくわくが止まらないって奴だ。そして、この有様だ。


「私はいつもこの髪型ですが。それに名前はギンジではなく、ぎんですが」

「あ……」


 しまった。頭が朦朧もうろうとしている上にあまりにも自作の物語にのめり込みすぎて、主人公のモデルである水戸を見ると、2次元なのか3次元なのか区別がつかなくなっている。うん、これはやばい。だが、だいじょぶだ。私の最強アイテム、あのがこの世にある限り……!


「まさか寝ていないとか言わないでくだ……」


 水戸の冷たいようで落ち着く声が聞こえた気がしたが、それから記憶が一切なかった。


 ―― 


「到着しました。その流れ出るよだれを今すぐ拭いて下さい」


 低い冷静な声にゆっくりと目を開けると、目の前にはハンカチが突き出されていた。


「つ、着いたのか……」

「ひどい顔です。一体いつまで起きていたのですか」

「……仕事でヘマはしないから心配するな。水戸、ちょっと頼まれてくれないか。コンビニであのいつものを買ってきてくれないか」

「またですか……。あなたがメイク中に行ってきます」

「すまん」


 まだ頭がボーっとする中、水戸から白いハンカチを受け取りだらしなく出ていた液体を拭きあげる。車から一歩出ると大天使『最上まこ』に意識をしっかりと変えないといけない。ヘマは許されない。母親や弟、妹がずっと笑って暮らせるようにな。


 ――

 

 水戸に今日の撮影スケジュールと内容の絵コンテを渡されていたので、メイク中に再チェックする。

 ……が、眠い、眠すぎる。メイク中ってなんでこんなに気持ちよくなれるんだ……。


「まこさん、目を開けて下さい~」

「は、はい! ごめんなさい!」

「毎日、学校と仕事の両立で疲れちゃいますよね? 夜は眠れてますか?」

「ええ、寝不足はお肌の大敵ですから~」


 とメイクさんに笑顔で言いつつ、睡眠って何?おいしいの?状態のずさん過ぎる生活を送る自身に突っ込みを入れたいぐらいだ。


 しかし、眠い、眠すぎる。

 まだか、まだなのか、水戸よ。あのは……


――


「最上まこさん、入りまーす!!」

「よろしくお願いしまーす!」


 眠気が覚めぬまま、大天使『ミカエルスマイル』な笑顔を携えて、スタッフのおかげでメイクも髪型も衣装もバッチリな私は大勢のスタッフの中へ入り頭を下げる。


 結局水戸はまだ来ない。いつもならささっと戻ってくるのに。


 今日は野外撮影からのスタートだ。朝日が綺麗に輝くここは、東京スカイタワーが美しく見えるいわゆる映えスポットだ。

 

 このようなCMが作られる現場は、エキストラからカメラマン、音声スタッフや衣装のスタイリストに、メイクスタッフ、プロデューサーにディレクター、アシスタントディレクター、大道具や美術スタッフ、広告代理店の者など、とにかく色々な人々が集まり一体となって映像が作られていく。こんな大勢の協力の元、一つ数秒のCMが私というコンテンツを使って作られるのだ。ここに至るまで大金がかなり動いているのも事実だ。ヘマは決して出来ない。


 ……が、眠いぞ! ブツはまだか、水戸よ……!!


「わ! あれって最上まこじゃん!?」

「え、ほんとだ! 何かの撮影!?」


 今回の撮影はこのような野外だし、もちろん一般人も通る場所だ。近くにいた若者男性ツインズが騒ぎ始めている。おまけに今日は土曜日。人通りもそれなりだ。段々と撮影現場の周囲には人が集まり始めている。そこに見覚えのある顔が目に入った。


「あの子は……」


 確かツタタ書店でのサイン会に来ていたおっとりしたミニマム女子だ。ぴょんぴょんと人込みの後ろで跳ねながら、こちらに大きく手を振っている。

 私はにっこりと微笑み、彼女にゆっくりと手を振った。


「お、俺に『最上まこ』が手、振ってる……!」

「いや、俺だって!」


 ちげーよ! お前らの後ろにいるかわいこちゃんに振ってんだよ!

 ……あ、つい心の声が。


「まこちゃ~~ん!! サインすっごく喜んでました~! ありがとうございます~!!」


 頬を染めている勘違いツインズの背後でボブの髪を揺らし飛び跳ねながら、一生懸命手をこちらに振ってそう叫ぶ彼女を見て、とてもほっこりした気分になる。

 確かサインには『りゅうと』っていう名前を書いたんだよな……。


 あいつと同じ名前か。


 ……まさかな。

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