短編 非情で暖かい世界

白蝶蘭

第1話 釘宮時政という男

大日本国は19年前の治安崩壊によってさまざまな法律が改正された。

過剰な福利厚生が消え、外国との交流が絶え、放任主義へと変わりに多くの事が許可された。


各種免許に必要な年齢の低下し、法律の変化により労働の多様化が行われ、結婚等の個人の将来にかかわる法律も変化した。


特に結婚に関する法律は大きく改正され近親婚以外は性別、人数など関係なく結婚できるようになった。


とはいえ。まだその法律ができてから20年もたたない。

世間一般として同性同士や一夫多妻が認められるわけではない。


つまり異性と、同じぐらいの年で、一人ずつのペアが今でも一般常識である。


だからもし馬鹿な男が意味もなくハーレムするのであればその男に平手打ちしたあと鍛え抜かれた私の拳でフルボッコにしてやろう、と私、舞川神楽は思う。


そんな私の身近に「嫁が旦那に二人目のお嫁さんを進める」という珍事が起こった。


私とチームメイトである謡馨(うたいかおり)は事務所と隣接する訓練場近くのベンチに腰を下ろし、薄着でサンドバックに向かう男を見守っていた。



「荒れてるね」

「あぁ。めっちゃ荒れてる」


私達はサンドバックに向かってひたすら拳を放ち続けるもう一人のチームメイトを見ていた。

彼の拳はただただ力任せに。何度も何度もサンドバックを襲う。


彼、釘宮時政がその「嫁に二人目の奥さんを進められた」という珍事を体験した張本人である。


まぁ、正確には嫁ではなく婚約者であり互いの年齢は時政が16、嫁が12なので結婚はまだ先。この話が冗談で済ませてしまえれば良かったのだがそういう訳にはいかなかったらしい。


ちなみになぜお嫁さんが複数の婚約者を望んだかと言えば彼女が子供の産めない『種族』であると同時に自身も短命であるだろうと予想しているからである。


それ故にお嫁さんは若いながら自分が死んで彼が独りぼっちになる事を何よりも怖がった。


既婚者である私達の先輩と話をして色々考えに考えた結果、彼の血を継いだ子供が欲しいと思ったのだとか。

それ故に二人目のお嫁さんを探してほしいと時政に懇願したのだとか。


優しい旦那である時政はお嫁さんの考えを最後までしっかりと聞いた。

怒りをこらえてしっかりと最後まで。


最後まで全部聞いてその上で時政はそれを許せなかった。

その結果が今目の前で無心でサンドバックを殴る姿である。


仕事で鍛え抜かれた体から放たれる拳は深く、強くサンドバックに突き刺さる。

女受けの良い爽やかな顔が大きくゆがんでいてせっかくのイケメンが台無しだ。


汗に交じって瞳からあふれ出たしずくが顎を伝って地面に滴り落ちていく。


「怒ってるのかな?」

「そうだろ。

あいつは生まれてからずっと美穂に尽くしてきたんだ。

そいつが自分以外の人も選べって言われたら裏切られたって思うだろ」


時政も、その嫁である井野美穂もやや複雑な経歴を持っているが簡単に言ってしまえば美穂と時政は主と騎士の関係だ。

主である美穂が時政を愛し、騎士である時政は愛の為に命をかけて美穂を守る。


何だかんだ長い付き合いである私達には彼の心の痛みがとても良く分かった。


このまま彼の好きに。心の向くままにサンドバックを殴らせてあげたいところだがさすがにそろそろ止めさせたほうが良いだろう。

彼の手が壊れてしまう。


「時政!もうやめな

気が落ち着かないなら私がスパーリング付き合うから」

「…ッ、…大丈夫だ…」


彼はサンドバックに寄りかかるようにしながらその場でゆっくりと腰を下ろした。

サンドバックに顔をうずめながら腕でも顔を見えない様にしているが滴る雫は地面を濡らしていく。


私達は自然と時政に近づいて肩を使って大きく呼吸する大きくて小さな背中をさする。


「時政は偉いな。

自分が嫌だって思っているのに美穂の事を大切にしたいって思っているんだろ」


馨の言葉に時政が軽く首を縦に振る。


「美穂は裏切ってないのに裏切られたように思える自分が憎いんだろ」


もう一つ頷いた。


「時政はすごい。

美穂の為に自分の心をぐっと飲みこんでるんだろ。

でもな、そんなお前だからこそ美穂は本気で心配しているんだと思う」


更に頷く。


「時政。

美穂はお前を裏切ったりしない。

お前の好きが増えるだけなんだ。

それで美穂への好きが薄れたりしないんだよ」


時政に。時政だけに伝わるように馨は言葉を紡ぐ。


「こんな時くらい声を上げて泣いても良いんだぜ」


馨の言葉に時政は深呼吸を一つ。


「あああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁあああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」


彼は叫んだ。

その雄叫びは彼自身に喝を入れる。


甘えなど許さない。

許されたとしても許したくない。


愛する主に仕えてきた鋼の戦士は誇り高く、自分自身に決して妥協しない。


一息で顔をぬぐい、顔を上げた彼は鋭い眼光をサンドバックに向けると拳を振り抜いた。

丁度横にいた私の顔面を掠め飛来した拳はサンドバックに大きな音を突き刺さる。


「あっぶなッ!

私の顔削れるところだったっての!」

「あぁ、すまん」

「ふざけんな!」


私の拳が彼のわき腹に突き刺されば彼は大きく体を曲げせき込んだ。


「―――っ!

痛ッてえわ!」


少し涙目にこそなっていたが彼の目から雫が落ちる事はない。


「あぁ゛⁉やんのか?」

「殴ったのはそっちだろが!」

「最初にやったのはアンタでしょ!」


互いに叫んでほぼ同時に立ち上がれば馨は危険を察知して素早くその場から退いた。


「やっぱスパーするぞ!」

「望むところ!」


さっきまでの怒気はどこかに行き、カッコいい顔が空しく残念で獰猛な笑みを浮かべる。


「「馨!!」」


同時に相棒の名を呼べば馨はケラケラと笑いながら宣言する。


「レディー。ゴー!」


私と時政は同時に動き出す。

素早く、力強く、そして何事に邪魔されない様にまっすぐと。


現代に似合わない、己に一切の妥協を許さない男は進む。




彼に愛された主であり嫁はそんな彼が少しでも丸くなってほしいと願ったのだ。

それは言わば今までの彼の姿を否定するのも同義。

しかし彼はその否定さえも飲み込んで成長したのだろう。


姫の望むような形になれるように。


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