第37話聖女マナ4
「最初からこんな所に連れてくるんじゃなかった。すぐに拐って逃げれば良かった」
噛み締めるように呟いたノアが私の両手首を一つに纏め上げて掴んだ。
「いたっ」
「俺と来るんだ」
強い力で私を引っ張り立たせると、ただならぬ様子に駆け付けた近衛兵に向かいノアが片手で剣を抜いた。
「そこをどけ!何が聖女認定だけだと?騙すような真似をしやがって!」
「剣を抜いたらダメよ!」
やっと帰って来た故郷。今頃歓迎されてしかるべき人が、私がいる為に故郷に刃向かう姿に戦慄を覚えた。
「やめておけ、ノア」
足音もなく私達の背後に回っていたロイドが同じく剣を抜いた。
「ロイド、お前!」
「彼女をこちらへ。マナも、もう決めていることだ。無茶をして自分を追い詰めるな」
「余計なお世話だ」
「ノア!」
兵が彼を拘束しようと踏み込んだ途端に蹴り上げられた。次いでもう一人の兵に肘鉄が繰り出される。
「やめろ!彼女を渡せば君は元の生活に戻れるんだぞ。また自分から荷を背負う真似、僕が見たいと思うか?」
「俺が決めたことだ、いくらお前でもそれを無視することは許せない」
ロイドが剣を振り、受け止めた彼と鍔迫り合いになる。片手のみの力のノアは押されてしまい、刃を滑らせて一旦間合いを取った。
私は手首をきつく掴んだままの彼の手を見て、鉛のような言葉を吐き出した。
「ノア、勘違いしないでよ。こんな所まで連れ回されて正直迷惑なの」
彼の背中が強張り、一瞬動きが止まる。そこに兵が飛びかかるが剣の柄で殴られて転がった。
「ねえ分からないの?私あなたに好きだって言ったことある?それによく考えたら別にジベルとの結婚だって悪くないかなと思ってる。だからこんなことしないで、手を離してよ」
言ってしまった。苦いものが臓腑に滲みるような心持ちで彼の後ろ姿を見るが、緩まるかと思った手の力は変わらなかった。
「……………だったらなぜ俺を買ったんだ」
「き、気まぐれだよ」
「自分を犠牲にする気まぐれなんて聞いたこともない。今だってマナは自分を犠牲にしている」
「違う、そんなこと…………」
どうして疑わないのか。
数人がかりで剣を振り上げた兵達を避けると、首に柄を落として昏倒させ、或いは突飛ばしてから彼は振り向いた。
「違わない。いつだってマナは他人の為に心を砕いていた。短い間ではあるが俺はそれを傍で見てきたから分かるし、そんなマナだから好きなんだ。今更俺はそんな嘘で騙されないし、見くびるな」
確信しているようにノアは笑っていた。その顔を見たらもうダメだった。
「ノアっ、ごめんなさい」
目が潤み膝の力が抜けてしまう私に、彼が思わずといったように両手で支えようとして予想だにせず隙ができてしまった。
一閃、ロイドの剣が煌めいた。
「許せよ」
「う!?」
ザッとノアの背中に赤い筋が走った。そのまま倒れた彼の手から剣を引き離し、ロイドが叫んだ。
「マナ、頼む!」
数度頷き、慌てて彼の背中に手を添わし神聖力を流す。
「ああっ!ロイド、は………お、おまえ!」
ロイドは顔を上げて睨む彼の肩を押さえ付けながら、捕らえようと近付く近衛兵を牽制した。
「ここは僕が処理する。お前達は何も見なかったのだ。ノアを咎めることはするな」
「だが怪我人が出ている。無かったことにするには」
「私が無かったことにしますから」
目を上げて侍従に言えば、治癒されながら悶えるノアを交互に見てから怪我をした者だけを残すと去っていった。
「マナ、う、ふうう、い…………いくな、くうう、だめだ、まな、あっ」
地面に爪を立てるようにして快楽に抗い、ノアは尚私を気にかけていた。
「は、あ……………ま、まな、ぐっ」
色んな意味で聞くに耐えなかったようで、ロイドは顔を背けつつノアの後頭部を剣の柄で殴ると気絶させてしまった。
「…………あ………………う…………は、はあ」
目を閉じたノアの唇から、吐息混じりに時折小さく呻き声が漏れるのを聴きながら丁寧に治癒を施した。
終わると、彼の目蓋に掛かる赤い前髪を指でそっと分けた。
「ありがとう」
ロイドが私に頭を下げた。ノアの顔を見つめていた私は首を振った。
「マナは聖女として認められたのだから、神殿で保護してもらえるはずだ。そこなら国々は干渉できないし、誰も手出しできない」
「それは一時しのぎなんでしょう?」
問うというより確かめると、ロイドは言葉に詰まったようだった。気休めにもならない。
目尻に引っ付いたままの滴を腕で振り落とすと、兵の治療の為に立ち上がった。
気分は悪くなかった。ノアがちゃんと私を見てくれて信じて好きだと言ってくれた。もう充分。
「マナ」
彼を抱き起こしたロイドが、申し訳なさそうに私を見上げる。
「ジベルに会いに行きます」
とんだ誤算だが仕方ない。
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