第11話予兆2

 店を出る頃には日は暮れていた。




 あの中毒貴族のせいで遅くなってしまった。結局は従者達が遅いから出直しましょうと促してくれたから助かったが、つまりまた来るのだろう。


「この私の誘いを即断る女は、そなたが初めてだ」とどっから目線か分からない発言をかまして去っていった。




 夜とはいっても、この辺りは飲み屋の灯りも明るく人通りも多い。それでも用心は怠らず早足で歩いていたら、向こうから見知った人がこちらに歩いて来ていた。




「ノア?」


「遅いから心配したじゃないか」


「あ…………」




 私を見つけてホッとしているのが不思議な気持ちだ。


 一人で暮らし始めてから、私はどんな時も誰にも頼らずにやってきた。この世界に来た頃は帰りたくて泣くばかりだった。でも少しずつ馴染んでいき帰ることができないと分かった時から、私は一人でも生き抜くと決心したのだ。そう仕向けた神様がいるなら、見返してやろうと。




「何かあったのか?」


「うーん、お客さんにお妾さんにならないかと言われた」


「は?はあ?!」


「すごくしつこくて」




 ズバッとはっきり答えると、ノアが表情を無くした。




「ど………どうしてそうなったんだ?断ったんだよな?」


「もちろん断ったよ。私の力が気に入ったみたいでそんなことを言ったのだろうし、ほら、スゴくイイから」


「それは……………」




 カアッと顔が赤くなり、ノアがふるりと震えた。思い出したらしい。




「たまにいるんだよね、神聖力に中毒になっちゃう人」


「そうか………そう…………だろうな」


「そういう人は私のことを好きだと思い込んじゃうみたい」


「え」


「私じゃなく、私の神聖力が好きなだけなのにね。錯覚するなんて単純だよ」


「……………………」




 並んで歩く彼が難しい顔をして黙った。




「そもそも妾とか馬鹿にしてる」




 平民は一夫一妻制だけど、身分が高い人は複数の妻を持つらしい。聞いただけでドロドロしてそうな所へ好き好んで飛び込む人がいるんだろうか。


 あの男は、私が喜ぶと思っていたのだろうか。よがり狂った姿を見せつけていながら、よくあんな堂々と言えたものだ。権力者ならではの自信からくるのだろうか。私の前では皆平等に快楽に堕ちるただの人間だ。




 自宅に着くと、お願いしていた掃除が為されていた。洗濯物は頼んでいなかったはずだが取り込まれて畳まれていた。




「ありがとう、すごく……………助か………った」




 感謝を述べる途中に、丁寧に畳まれてそっと置かれた私のパンティーを見てしまった。もう事後だ、諦めよう。




「マナ、すまない。上手くできなかった」




 温め直されて出てきた夕食は、見た目は良かった。シチューとパン、魚らしきもの。口に入れたシチューはあまりに濃厚だった。パンは市販のだが、魚らしきものは生焼けで鱗がついたままだった。




「作ったことが、あまりないんだ」


「ううん、なんかごめんね頼んでしまって」




 少し、いやかなり手を加え直し、私達は遅い夕食を摂った。


「マナは何でもできるんだな」


「ううん、そんな………」




 皿に添えたノアの手元に、ようやく気付いた。




「指が」


「あ…………包丁で。刃物は使い慣れているはずだが、包丁は扱いが難しいものだな」




 ノアは左手もスライスしかけたらしい。中指と人差し指に細く裂いた布を巻き付けている。




「手、出して」




 直ぐに神聖力で治そうと促したが、ノアはサッと手を隠した。




「いや、いい」


「え、でも」


「今はいい、こういうのは後でじっくりと、い、いや平気だ」


「…………………」




 期待を覗かせた赤い瞳がきれいに輝いている。




 奴隷に落とされた時、この人は最後まで、それこそ死ぬ直前まで抗った気高い人だった。そんな人が快楽には堕ちたというのか。すべての人は快楽には素直だ。


 私は20歳にして悟った。




 率先して食器を洗い終えた彼が、椅子に座る私に手を差し出した。私の前に膝を付いた彼は、いつぞやと同じでまるで騎士だ。目的は違うけど。




「ひと思いにヤってくれ」




 帰り道での私の言葉、聞いてましたか?




 ゴクリと唾を飲み込み、やるせなさそうに私を見上げている。




「う、うん、覚悟はいい?」




 私は何をするのだっけ?そうだ、治療だと思い出す。


 スウッと神聖力が指先から彼のちっちゃな切り傷に注がれる。




「あう!う、あ、あああ」


「はい、終わり」




 ノアの体に、しょぼい快楽が軽く駆け巡り、数秒で無くなった。




「………………」




 物足りなさで彼の瞳が翳るのを、私は見ぬふりをした。




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