第12話予兆3

 上下水道が完備しているのは大変ありがたい。ちゃんと浴槽に湯を貯めて、ゆっくりとお風呂に入る。入浴後は、スマホかテレビでも観たいところだがあるわけないこの世界。


 眠る前の余暇時間に私がすることと言えば、ストレッチや今日の売上金のチェック。そろそろ文字も読む練習をしないと。『性奴隷』ぐらい読めないと恥ずかしい。




 ココアのような甘くてクリーム色の飲み物を飲みながら、とりあえず楽しみにしている売上金チェックをしていると、ノアがお風呂から出てきた。




「仕事熱心だな」


「楽しいからね」




 彼はタオルで髪を乾かしながら、私の作業を眺めていた。




「あんたは、結婚は考えないのか?」


「へ?」




 唐突な問いに、私は瞬きした。




「俺が知ってる限りでは、女は良い嫁ぎ先を探すのが最も重要なことだ。結婚した夫の財力に頼り、子供を産むのが女の役目だからな」


「なにそれ」




 いつの時代、いや世界が違うか。




「時代遅れだよ、そんなの」


「ああ。だが俺もあんたに会わなければそれが当たり前だと思っていた。あんたは俺の価値観を変えた。まあそれに今は俺が養ってもらっているのだから偉そうに言える立場じゃないしな」




 彼の手が自然な仕草で私の髪を撫でて驚いた。慌てて手から逃げるようにしてしまったが、分かっていたように手は引っ込んだ。




「あんたは、もしかして」


「ノア?」


「いや…………」




 フッと困ったように笑う彼に小首を傾げる。




「マナは俺の恩人だ。だから俺にできることをさせて欲しい。あんたにしつこく言い寄る客、俺がどうにかしようか?」


「よくあることだし、大丈夫」


「俺が付いて」


「店にも来ない方がいいかもしれない」


「……………マナ」




 即答すると、淋しそうな表情になった。




 客が貴族でノアが元捕虜だという関係上、彼のことは知られてはいけない気がする。そう説明すると、ぐっと歯噛みするようだった。




「嬉しいけど、私もノアを守りたいから。私は一人で今までやってきたから心配しないで」


「あんたは」


「ノアは、そのうち元の国に帰らなきゃでしょ?」


「……………ああ、ああそうだけど!」




 ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱し、置かれている状況にもどかしいようだ。また赤い髪を見てみたいな。




 沈黙が降りて、私は気まずさから手元に集中することにした。作業を終えて、ふと彼を見ると思案に暮れているようだった。




「ノア、明日も仕事だから」


「……………ああ」


「先に寝るから、あとで灯り消してね」




 隅に畳んでいた毛布を引っ張りだし、居間の床に転がって「おやすみ」と目を閉じたが、返事はなかった。


 どうしたんだろうと頭だけ起こして見たら、口をあんぐりと開けた彼と目が合った。




「………………マナ、まさかずっとそこで寝ていたのか。俺が寝室のベッドで寝ている間?」


「うん?だってベッド一つしかないから」


「俺はてっきり別にベッドがあるのかと………」




 この小さな家のどこに?




「まあいいから、おやすみ」


「……………いやいや、ダメだ。あんたはベッドを使ってくれ」


「だって、まだノアは体きついでしょ。無理しないでいいから。私どこでも寝られるし」


「俺だってそうだ。もう体は何ともないから、そこには俺が寝る」




 これは寝たもの勝ちだな、私は口を閉ざして目も閉じた。




「マナ………………まったく」




 つかつかと近寄る足音がしたかと思ったら、体が浮いた。見開いた先には、憮然としたノアの顔が間近にあった。




「え、ふぎゃああ?!重いからああ」


「暴れるな、軽いから」




 人生初、お姫様抱っこをされた。恥ずかしい、あなたは恥ずかしくないのかい?!




 目を回していたら、ベッドの上に降ろされた。あ、やっぱり恥ずかしかったのか照れているようだ。




「あんたのベッドなんだ。ここで寝てくれ」


「いや、でも、でも私だけ悪いよ。もう、なら一緒に寝る?」


「え?!」




 あー、動揺して余計なこと言っちゃったわ。




「ごめん!ちがっ、私」


「それは……………ムリ、ダメだ」




 顔を逸らしたノアの言葉に、少々女心にダメージを喰らった。




「あ、そ、そうだよね」




 赤の他人の当然の言葉に、何ショック受けてるのか。




「よくそんなんで女一人で暮らしてきたな。もっと警戒心を持てよ」




 溜め息をついて、私に布団を掛けたノアは、そのままベッドに手を付いて私を見下ろすようにする。




「ノア?」




 月の光に、彼の顔立ちに陰影が浮かぶ。じっと私を見下ろしていた彼が、私の耳元に唇を寄せた。




「あまり油断していると、俺はあんたを襲うかもしれない。俺が男なのを忘れるなよ」


 




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