第12話 古巣

 どこからどう嗅ぎつけたのか知らないが、サトの師にあたる人物から、文が届いた。


 宿の女中に、文を渡した人物の人相を聞くも、答えない。「はい渡しておきます」なんてうっかり答えようものなら当該人物がそこに確かに泊まっていると認めるようなものだが、この宿にそこまでの待遇を求めるのは無理筋か。


 いくさが近いのか、ただでさえきな臭い道中がさらにきな臭い。少しでも防犯がしっかりしているような宿が、貧相な女の旅人に回ってくることはない。


 武器を持ち強者に分類されるような輩が、国の要人を気取り、自分が死ねばより多くの民が死ぬと理屈をこねて高い宿に泊まる。刀を持っているのだからある程度は戦えるだろうに、その宿泊のせいで丸腰の女が一人でこんな宿に追いやられたことにはなにも思わないのだろうか。


 刀さえあれば……その誘惑に魅せられて、いくさが終わるたびに落武者狩りが流行る。だが、相手は仮にも武者である。帰ってこなかった人も多い。


 サトの父もまた、そうであった。そのせいで、サトはした弱者が大嫌いだ。だが、それゆえに愛おしい。黙っていても死ぬとわかっていて、一世一代の賭けに出た父を、サトは恨みきれなかった。


 サトは鼻がきく。爆薬の類の臭いがしないことを確かめて、サトは瓢箪を割った。中からは細く巻かれた紙があった。紐をほどき、内容を読む。ーー読むと言っても、そこにあるのは字ではなく記号。


 空色の紐に、縦に二本の線。読み取れるのは、緊急事態であること、そして御所の門で待つ、ということ。


 もう二度と戻らないと思っていた都に、サトは戻る決意をした。これが罠だったとしても、今更行く場所もない。あの異形の、不死身の男は、どれだけ探しても見つからなかった。


「女将さん、ちょっと火を熾してくれませんか」


 宿唯一の女中の、母親だと思われる女性の背に声をかける。


「いいよ、ちょうど飯を作っているところだ。そこの囲炉裏にでもあたりな」


「……いや、これとは別に熾してください。ちゃんと焼けたか、見届けなくてはいけません」


 女性は振り返り、少し驚いた顔をして、しかしそれ以上は掘り起こさずに、文と瓢箪を焼いてくれた。



 翌日の朝、サトは宿に別れを告げる。宿に入ってから文を焼くまでずっと女中としか話さなかったのに、女将はやたらとサトの手を握り、旅の無事を願ってくれた。


「また来ます」


「来なくていいよ。私らも、宿を畳んでどこかに逃げるつもりだ。貴女も気づいてるでしょう、ここは危ない。だから、無事でいて。帰ってこないで」


 サトは旅だった。


 都はさすが権力の中枢と言うべきかーー大層荒れていた。いっそ旅の途中のほうが安全だったのでは、と思うほどだ。


 需要があるだろうからと多めに買いつけていた薬草の籠が、ものすごい勢いで走り去る騎馬の男に奪われたので、サトは丸腰の上手ぶらだ。襲われたら交渉の余地なく売られるだろう。


 だが、薬草を奪われて以降は、治安の悪さにもかかわらずそれほど怖い目に遭うことはなかった。ごろつきはもちろん、乞食もサトに近づかない。


 気味が悪い。こんなに気味が悪い都は初めてだ。


 もしかしたら、とサトは身を震わせる。その悪い予感は的中した。


 かろうじて小石だけは退けてある、恐ろしく整備のされていない道を、仰々しく牛車が進む。進行方向には、サトしかいない。他は波が引くようにいなくなってしまった。


 権力闘争に巻き込まれ、不幸にも病によって滅びた町。サトは彼らと同じ臭いが、自分の体から立ち上るのを感じる。


「薬師、弥勒の子だな、ついて参れ」


 子ではない、と反論することはなかった。絶望でそれどころではなかったのである。


 師匠がまだ生きているのなら、牛車の中の人物はサトの名前を知っているはずだ。師匠が生きていて知らないのなら、それでいて師の名を騙ったのなら、師はサトをここに来させたくはなかったことになる。


 いずれにせよ、サトは嵌められた。覚悟していたことのはずなのに、全身から脂汗が噴き出てしまった。

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