第5話 薬売りの少女

 ここはどこなのか、自分は何者か、自分はどこに向かおうとしているのか。人間の個性を決定する問いへの答えを、彼は何一つ持たない。


 隼人という名は、誰が言い出したともわからないあだ名であって、本名ではない。母の名も、記憶に靄がかかったように、思い出せない。父親に至っては、存在するのかさえ怪しいほどだ。


 もしかしたら、本当に自分はバケモノなのではないか。人の子ではないから、死ぬことさえできないのだろうか。


 傷ついた肉体を再生するときの耐えがたい痛みは誰にも理解されず、死なないという点だけをもてはやされ、大事にされる。しかし、それは彼自身への敬意を伴わない。


 醜いこぶの毛皮を着た、自分ではない誰かが、配下を鼓舞するために大声で吠えたり、刀を振り抜いて多くの旅人を殺してきた。実感を伴わない経験は、彼自身の人格形成を中途で終わらせた。


 支持されることのない彼は、ただのわら人形で、地に落ちたら砂に埋もれるか、雨に流されるか、風で朽ち果てるしかない。


 そんなわら人形を、拾い上げた少女がいた。


「……ねえ」


「…………」


「ねえってば」


「……?」


 七回も着物の端を引っ張って、やっと気がついたらしい大男に、少女は呆れ果てる。


「ねぇ、ウチに治療させてぇな」


「血……?」


「血!? あんた、血ぃ出てんのんか? そんなら、よもぎで止血せなあかんなぁ」


 慣れた手つきで着物を脱がしていく少女に、男は逆らわない。何もかも面倒だった、瞬きすら忘れ、眉についた露さえ落ちないほどに。


 反応のない男をよそに少女は絶句していた。体のあちこちに、治らなかった傷のかさぶたが何重にも重なったような、凹凸の激しい背があった。これでは動くたびに、筋肉が引き攣って仕方ないだろう。


「これは……? ねぇ、これはどうしはったん?」


「私は、もう生きたくない」


 男がぽつり、つぶやいた言葉に、少女は覚悟を決める。彼女の師であった都の薬師が。彼女に託した言葉。


『生きたくない、言うとる人を、生きたい、思わせるんが、ほんまに人を治す、言うことや。覚えとき』


「ねぇ、ウチと一緒に、旅、せぇへん?」


 山を越える旅人たちを、何百人も殺してきた。その自分が、旅などしていいのだろうか。


「人を……たくさん殺した」


「ウチもやで」


 あっけらかんと少女は言った。この、人心の荒廃した世で、女一人での旅は危うい。人を殺せるほどの気概でもないと、数ヶ月もせずに野犬の餌になるだろう。


 ただ、こんな小さな女の子が、人を殺せるものなのだろうか? その声にならない問いに気づいたのか、少女はまた、不自然なほどに明るい笑みを男に向けた。


「ウチな、自分の間違いでお薬を出し間違えて、患者さんを死なせてしもうたことがあるねん。薬師失格やろ? だからお師匠さまに勘当されてな、いまはこうやって、自分で調合した簡単なお薬を売り歩いてんねん」


 屈託のない笑顔に、底なしの闇が見え隠れする。それはどこか、男の抱える闇にも似た香りがした。


「私の名は、隼人」


「お、やっと自分からしゃべってくれはったな。ウチの名前は、サトと言うんや。よろしゅうな」


 二人はそのとき、同じ方向に歩いていただけの他人から、行き先を共にする旅の仲間となった。

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