第3話 客

 生きていてくれたらそれでいい……


 前にもどこかで、そんなことを言われた気がする。優しく、それでいて強く、しかしどこか儚げな……まるでその声の主が、この世ならざるものに成り果ててしまったかのような。


 声の主のことを、彼は知らない。知っているのは、自分が疫病で人知れず全滅した村の唯一の生き残りで、不死身だということ。


 その村は海沿いにあり、ほかの村との人の行き来はまるでなかった。徴税人も、徴兵の知らせも届かない、険しい断崖の道の果てにある、山と海に閉ざされた村。


 海は荒れていることがほとんどで、潮風でろくに作物も育たず、岩肌に流れ着く貝や海藻を拾ってかろうじて生きているような村。村に人が来ることは滅多になく、出ていくのは売られていくときだけ。人を売ったところで痩せた人足などろくな金にはならず、忌み嫌われるのがオチだった。


 そんな村で、酷い病が流行った。百人に満たぬ村人が、次々と赤い出来物を全身に患って、あっけなく死んでいった。


 人が入らぬ村で起こった疫病は、その村で起こったもので、その村から広がるもの。生き残りの少年は病のケガレを有するとされ、引き取り手は見つからず、やがて全身を白い布で覆った薬師くすしたちによって山に捨てられた。


 捨てる神あれば拾う神あり


 その神が、良い神とは限らない。盗賊の頭は忌み子を、敵対する盗賊団への贈り物にした。自分の足を縛りつけ樽に押し込んだ奴らの顔を、少年は忘れなかった。


 疫病のケガレを持つ少年の噂は、ならず者にも聞こえていた。彼は恐慌状態に陥った敵に滅多刺しにされ、内臓が踏み潰され腐り果てた無様な有り様で見つかった。


 敵はケガレの報復に士気を盛り返し、少年を送りつけた盗賊団の頭は討ち取られた。


「お前さんはなぁ」


 ニタニタと笑う奇妙な男が、少年に声をかけた。


「生きていてくれるだけで儲けモンだ」


 踏まれ腐った内臓とは別に、少年の腹の中には新たに管が走り、薄い膜がそれを覆っていた。ドクドクと心臓の鼓動とともに脈動する腸の動脈を、太った男は涎を垂らして凝視した。


「頭を殺したのはお前さんだ。殺したかったのは、俺だ。手を組もうじゃないか、俺はお前さんを担いで盗賊の覇者となる」


 血なま臭いのにも、ちょうど慣れてきたころだった。漁の仕方も稲の育て方も知らなかった少年は、ならず者に身を任せるしかなく。


 樽のなかで、蓋をされて遮られていく視界の端に見た、かしらに手を揉み機嫌を取る太った男のことは、見なかったことにするしかなく。


「おいお頭。だ。丁重に持てなすぞ」


 よその町で雇ったらしい、見慣れない護衛を連れた、五人にも満たぬ人の群れ。ただ、着ている服が、やけに上等で鼻につく。


 盗賊団の首領としての覇気が、このときだけは身の内から湧き出すような心地がした。


 私が手に入れられなかった衣


 私が手に入れられなかった仲間


 何もかもを身にまとい、何も持たぬ私の前に、どうか出てこないでほしい。


 私はそれを嗅ぎつけ、存在するだけ貪り食ってしまう。その有り様は、腐った内臓よりも醜く、野犬が死体を食い散らすようなもの。


 命を奪ったところで、衣は手に入らない。自分の手に渡ったところで、その衣の価値はなくなってしまう、それでも……


「奪え」


「お頭」


「彼奴らの、すべてを奪え奪え奪え……!!」


 彼は吠えた。目の色が血に染まるのを、自分でも不思議なほどに、冷静な精神で感じていた。


「……?」


 なにか、薄い布が自分の手の指の先をかすめていったような気がした。思わず振り返るも、なにもない。略奪のために前方へ、配下はみな、出払っている。


「——!」


 鋭く研がれた刀の切先が、背中を撫でる。間一髪で、その刃を避けた彼は、馬からわざと落ちる合間に体をひねり敵の顔を見ようとする。ーーが、


 刀の持ち主はどこにもいなかった。それなのに、敵がどのように配下を斬っていったのかが分かるほどに順繰りに、配下が次々に息絶えて倒れていく。


 残像の果てを辿ろうとするも、それさえかき回されて辿れない。


 呆気ないほどの、敗北だった。

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