36.反逆(2)

「!?」


一瞬遅れて食前酒が、テーブルにこぼれる。アスタロトは斜めに切られた下側に向けてグラスを傾けたため、雫の一滴も服を汚してはいない。まるで自分からテーブルに流し落としたようにポタポタと残りの雫がこぼれおちるのを、眺めるような視線で見ている。


「どういうつもりだい?」


それをやったのが正面に座るルシファーと分かっているらしく、聞いた。

ルシファーは立ち上がり、少しだけ身を乗り出す形で片手を薙いだあとのような姿勢をしている。


一瞬遅れて何が起こったのか悟った七罪たちが顔色を変えてルシファーを見る。制そうとしてかすでに立ち上がりかけているヒトもいる。


「どういうつもり? それはこちらが聞きたい」


ルシファーは薙いだ右手を収めはしたが引き下がらない攻撃的な表情をアスタロトに向けていた。


「基礎教育と銘打ってここに集められたことは理解ができる。しかしそれを請け負うべき主は長期不在。いきなり戻ってきたと思えば人間を連れて当たり前のように、命令か。そんな扱いに納得できると思うか」

「説明不足だったつもりはないけどね」


アスタロトはそうしてきれいに切られた食前酒のグラスをことりとテーブルに置いた。


「『基礎教育』は終わりだ。その最終段階だと言ったはずだよ」

「人間と暮らすことがか」

「まぁ……それだけではないけれど。身をもって学ぶ段階だと言った。何がそんなに気に入らない?」

「その涼し気な表情(かお)だ」


次の瞬間。

ドン!と派手な音がして爆風が室内を吹き荒れた。


「っ!」


全員がその場を飛びのく。危うく巻き込まれそうになった忍と秋葉は司が退避してくれた。

アスタロトのいた席の真後ろに、大きな穴がクレーターのように穿たれていた。

それからほんのわずかに逸れた位置にアスタロトは立っている。


「仕方ないだろう。これは生まれつきだ」


そしてふふ、といつもの微笑みを返すアスタロト。ルシファーにはそれが気に入らない。増々表情を歪ませて右手のひらを胸の前で上に向けるとその掌中に紫雷を走らせた。光球が現れ、膨張する。


「ちょっと! やめてよ! 埃立つし!」

「そういう問題じゃねーだろ。マジでやめろ! お前が暴れると部屋が壊れる!」

「……言ってることの根本は同じだよね」


いまいち緊張感がない二人がまっさきに声を上げてしまったが、破壊力抜群なのはわかる。ルシファーはほとんど時間差なしに壁に穴を穿ってしまうくらいのことが朝飯前なのだ。……夕飯前だったけども。


「忍、秋葉、一旦出るぞ」

「え、出るって司さん」

「悪いが、二人同時には庇えない」


司は武装警察、神魔相手に特化した特殊部隊員であるから、ルシファーが攻撃対象として反撃可能なら、まだマシだったろう。

しかし、反撃不可の上に、広範囲の魔法のようなものを放たれては結界が作れるわけではないので守りかねる。そういうことだ。


「ふざけたことを……わざわざ人間の姿で俺の前にいることにも腹が立つ」


しかし、間に合わなかった。見境がなくなったルシファーの攻撃は、余波だけでもすごい勢いだ。物理的なもので防ぎぎれるとは思えないが司は頑健なテーブルの下に二人を突き飛ばし、自らも退避する。


「っ!」


強化・霊装を受けている司自体のダメージは他の七罪程度だろう。文字通り身を挺して抱えるように庇う。風が止んだ。


「ルシファーのやつ何やってるんだか」

「何やってるんだか、じゃねーよ。レヴィ、止めてこい!」

「なんで俺が。勝手にやらせとけばいいだろ。ちょっと見ものだしな」


ん?


「レヴィ……?」

「なんだ」

「話し方違くない?」


明らかな違和感。はじめてみせたレヴィアたん話題の時のツン照れ具合はどこへ行ったのか。紛うことなき、何事にも動じなそうな冷淡なキャラがそこにある。


「レヴィは二重人格なんだよ。聞いてなかった?」

「「聞いてない!!」」


こんな時に何だが、秋葉とハモって忍。何か、破壊音がすごいので、叫ぶ気がなくても大声になる。


「二重人格……」

「司くん、げんなりしてないでこれどうしたらいい?」

「俺たちが手出しできる問題じゃないだろう。かといって見守れるレベルでもない」


その通りだ。その証拠にルシファーを除き


   七罪全員がテーブルの下に避難してきている。


「ちょっと……なんで全員入って来るかな」

「まだ死にたくない」

「食べてる途中」

「埃っぽいのやだー」


まともな理由が返ってこない。


「ルシファーの力はぼくらの中でも群を抜いているんだ。束になってかかっても止められるかあやしいよ」


そんな中、ものすごく真っ当に返事をくれたのはベルフェゴールだった。ため息をついてかぶりを振っている。


「だからって、ここに全員で避難してても」

「テーブルごとその内吹っ飛ぶ予感しかしない」


むしろ無事なのが不思議なくらいだが、見える範囲ではもう部屋は大変なことになっている。二人とも上座にいたので入口の方は被害が少ないようだが……


「やれやれ。座学に問題ないとは聞いていたけどね」


アスタロトの声音は相変わらずだ。


「魔界は力関係が絶対なんだろう? ならその力も見せてやる!!」

「!」


今度こそ全員が揃って、まずいという空気を醸す。ついに重厚なテーブルが瞬時にして吹き飛び、壁に激突して木っ端みじんになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る